第百三十九話 悪夢の撤退戦
朱雀の国の上層部がその権力を見せつけるために作り上げたという鳳凰競技場。
その堂々たる建築物は今やボロボロとなり、多数の死者と怪我人が散乱する悲劇の建物へと変質してしまった。
競技場の観客席からは助けを求める声がとめどなく聞こえてくる。
しかし現状、彼らを助けている余裕はない。
俺たちは歯を食いしばり、彼らを見捨てて撤退を開始した。
俺たちは全速力で、競技場の中央部を突き進んでいく。
目指すは競技場の南、羽の先に広がる広場を越えて、その先の市街地を抜け、そして壁に沿った先で今も多数のバードの住民が逃げるために殺到しているであろう南門だ。
大魔王たちは競技場のメインステージに陣取ったまま動く様子もない。
だが、町を守る北門には穴が空き、そこからは現在進行形で多くのモンスターが押し寄せてきているのだ。
バードの町の出入口は他にも西門と東門があるが、そこまで行くには競技場から斜め北へ向かって移動する必要があるので、押し寄せるモンスターたちに近づくことになってしまう。
どう考えたところで逃げる先は南門しかなかった。
それに南から逃げることができれば、後は玄武の国までは一直線だ。
追手が掛かるとか、逃げた先まで追ってくるとかは今は考えない、考えても仕方がない。
とにかく『今』を越えること。
全人類の希望である『勇者』を逃がすことだけを考えて、俺たちは一目散にバードの町の南門を目指し、競技場の中を突き進んでいった。
『勇者』を失ったロックは未だに体を動かすことができず、俺が担いで運んでいる。
ハヤテとデンデは老師が両手に抱え、テルゾウ殿とジェイク、そしてシャインは朱雀の国の兵士に背負われて移動中だ。
テルゾウ殿はロックと違い、『勇者』喪失後であっても動けるようではあった。
だがしかし、ステータスが急低下したことは間違いないので、自力で走るよりも力のある兵士に担がれて移動したほうが早かったのだ。
俺たちは、走り続けるうちに競技場の羽の先の部分、つまり先程まで俺たち玄武の国一行が座らされていた場所まで辿り着いたが、時を同じくして追っ手もまた俺たちの背後まで到達してしまった。
迫りくるモンスターの足音がすぐ近くで聞こえるのはまさに恐怖だ。
後ろを振り向けば多くの土煙がまるで生き物のように近づいて来ているのが分かった。
だが実際に俺たちに追いつきそうになっているモンスターの種類は、片手で数えられる程度だ。
モンスターの中でも足の早い連中が真っ先に到達したらしい。
「懲罰部隊、全員反転! この場で奴らを迎え討つ!」
後ろから聞こえたヨンの声に思わず足を止めそうになる。
このままでは競技場を抜けるか抜けないかくらいのタイミングでモンスターたちに追いつかれてしまうだろう。
だから最後尾を任されていたヨンは、この場で敵を迎撃することを決めたのだ。
ヨンの声が聞こえた瞬間、多くの者たちが一瞬だけ振り返り彼の姿をその目に捉える。
ヨンは同じようにこちらを振り向き、そして笑顔を見せて笑っていた。
その笑顔は俺たちにとって非常に馴染み深い顔である。
俺やロックやライにとって、彼は顔なじみの兵士だった。
彼は主に亀岩城において、謁見の間に通じる扉の門番の仕事をしていたのだ。
それは彼が親衛隊の中でもとりわけ国王陛下からの信頼が厚いことを意味している。
仮に賊が城内に侵入した場合、謁見の間の扉とは最終防衛線となる場所だ。
そこの守りを任されている者が、弱いわけがないし信頼がないはずがない。
だが俺たちにとってそんなことは関係なく、彼は謁見の間の出来事を覗き見させてくれる気の良い兄ちゃんだったのだ。
この場で敵の進撃を食い止めるということ。
それは、この場で死ぬことを意味している。
それが理解できているのだろう、ヨンが率いていた懲罰部隊の約半数は命令には従わず、引き続き俺たちの後ろを走り続けていた。
だがヨンは彼らを罵倒することなく、笑顔を見せたまま反転し、追いついてきたモンスターたちとの戦闘を開始する。
「くっ!」
「くそぉ!」
俺とロックのつぶやきが重なった。
陛下直属の親衛隊はロックにとっても馴染みのある兵士だ。
ヨンを置いていかねばならないのはロックにとっても断腸の思いなのだろう。
だが俺たちには何もできない。
いや、してはいけないのだ。
彼があそこを死に場所と定めたのは、俺たちを逃がすためなのだから。
俺たちはうしろを向いていた顔を前へと戻し、遂に競技場からの脱出を果たす。
競技場の羽の先にはかなりの面積の広場が存在し、そこには食べかけの食料やら酒瓶やら中身が不明な荷物やらが転がっていた。
きっとここでバードの町の住人たちは、めったに見られない戦勝式を肴に酒盛りに興じていたのだろう。
わざわざ戦勝式を見たいがために、町を訪れていた者も多かったという話だ。
そんな彼らが逃げ出した跡を横目に見ながら、俺たちは広場を駆け抜けていく。
だが、市街地まで後少しという所で、俺たちに追い付くモンスターが現れ始めた。
後方ではヨンと懲罰部隊が足止めをしてくれてはいるものの、多勢に無勢。
隙間だらけの防衛線では十分な足止めは不可能だ。
ならば当然、防衛線の穴を抜けてくるモンスターだって出てくるのである。
「ククク……お前らぁ、ここが死に場所やぁぁ! 我が国の小鳥たちを救うため、白虎の国の兵士の意地を見せたらんかいぃぃぃ!」
撤退開始前に宣言していた通り、今度はゼロが部下である白虎の国の兵士たちを率いて、追いついてきたモンスターたちの足止めのために残ることになった。
彼らの後ろを走っていた先程止まらなかった懲罰部隊の面々は、立ち止まった白虎の国の兵士と追いかけてくるモンスターに挟まれる格好となり、右往左往している間に次々と追いついてきたモンスターの餌食となっていく。
だがゼロはそれを利用し、懲罰部隊の残存兵に攻撃を加えて動きの止まったモンスターたちを一匹ずつ確実に潰していた。
ゼロは口調も怪しく性格も悪いが、指揮は的確であり、誰よりも愛国主義者だ。
だからこの場面でハヤテとデンデを守るために命を懸けることに躊躇をしない。
ゼロにとっては老師の下から2人を回収したことも、この場で生命を張ることも同じことなのだろう。
「ぐっ!」
「ふんぐ!」
老師に抱えられたハヤテとデンデが奇妙な声を上げている。
ゼロのことは大嫌いだが、この場で2人を守るために死のうとしている姿を見て思うところがあるのだろう。
己のために命を張る相手を無下にはできないというわけだ。
俺たちはヨンとゼロたちの足止めのおかげで、遂に鳳凰競技場の敷地を抜け、建物が密集する市街地へと辿り着いた。
ここならば、モンスターの集団は建物が邪魔して動きが阻害され、追跡のスピードも緩むはず。
それにこの道を真っすぐに進み、突き当りの壁に沿って移動すれば、目標の南門までは後少しだ。
俺たちは気合を入れて整えられた石畳の上を進んでいく。
だが俺たちにとって有利な条件など、相手が認めてくれるはずもなかったのだ。
ドガアァン! ドドドガ! ドガァン!!
ドドドド、ドドド!
ガラガラ、ガラガラ
俺たちの両側に立ち並ぶ建物が突然揺れたと思ったら、次の瞬間には轟音と共に崩壊していく。
見れば、モンスターたちと戦いを繰り広げるゼロたちの更に後方からビーム砲のような光魔法が発射され、直撃を受けた建物が崩れていることが確認できた。
そこに更なる追撃が襲いかかる。
最初にその光景を目にした時は、巨大なペンギンのキャラクターが描かれた壁が突っ込んできたのだと思ったものだ。
だが次の瞬間には俺たちの右手にあった建物の瓦礫のほとんどが弾き飛ばされ、更に続けてその奥の建物も同じように吹き飛んでいく。
射撃を加えたのはキングで、滑ってきた壁はムツキだった。
恐らくこの攻撃の目的は、逃げる俺たちの姿を見失わないように視界を確保したかったのだ。
まずキングが射撃で建物を砕こうとしたが、残った瓦礫が邪魔だったのだろう。
だから巨体を誇るムツキを突っ込ませて、大きめの瓦礫を除去したのだ。
だが、それでも奴らは俺たちに直接攻撃を行う様子はない。
なぜならヨンとゼロの妨害を超え、瓦礫の山すらも乗り越えてきたモンスターの大群が俺たちに到達間近だったからだ。
俺たちにとって瓦礫と化した建物の残骸の中の移動は時間がかかる。
だがモンスターの中には、そんな場所でも移動に支障がないものもいる。
整地された場所に住む人間とは違い、モンスターの生息領域は山に森に崖に林にと多種多様だ。
そんなモンスターの中には多足であったり浮いていたりする連中も存在している。
普段から障害物の多い場所で生活しているモンスターにとってはこの程度の障害物などなんの意味もない。
完全に瓦礫の除去を行わなかったのは、こちらに不利な状況を作るためだったのだ。
移動経路を制限されている俺たちと違い、奴らは瓦礫を超えてショートカットができるのだから。
「総員反転! ここを自らの死に場所と定めよ!」
結果的に俺たちはモンスターの集団に追いつかれてしまった。
だがここで最後の防壁が発動。
父さん率いる玄武の国の兵士たちが朱雀の国の兵士の生き残りと共に反転し、奴らを迎え討ったのである。
「くそっ!」
「父さん!」
「おじさん!」
父さんは別れ際に言葉を残すような真似はしなかった。
これまでの生活の中で、訓練の日々の中で、必要なことは全て伝えきったと考えているのだろう。
実際そうでなくてはならないのだ。勇者とその供を鍛え上げ、そして世に送り出した父さんは、勇者が旅立つ前の段階で伝えるべきことは全て伝えておかねばならなかったのだから。
だけど、それでも俺たちは、父さんの声を聞きたかった。
俺もライもそしてロックも、父さんのことが大好きだったのだから。
もちろん父さんと共に敵を迎え討つ玄武の国の兵士たちも同様だ。
ロックとライにとっては共に訓練の日々を過ごした者たちであり、俺にとってはつい最近まで治めていた町に住んでいた住民だったのだから。
そんな彼らを死地へと置き去りにして、俺たちは逃げ続ける。
ロックを担いだ俺、ハヤテとデンデを抱きかかえた老師、1人で走り続けているライと、テルゾウ殿たちを担いだ朱雀の国の兵士たち。
いつの間にやら僅か12人だけになった俺たちは、数多の犠牲を踏み越えて遂にバードの町の南門へと到達した。
門の扉は開け放たれ、そこには誰の姿も見当たらない。
殺到していた者たちは俺たちが到着する前に門を潜ってしまったのだろう。
あるいはこちらにモンスターの大群が迫っていることに気づいて、別の門へと移動したのか。
どちらにしても好都合だ、後は邪魔されることもなく門を潜って逃げるだけである。
俺たちは最早この南門さえ潜り抜ければこの窮地を脱することができるのだと思い込んでいた。いや、思い込もうとしていたのだ。
キングの砲撃によって北門が壊されたという過去も、
エースの一撃によって門が破壊され、モンスターの大群に蹂躙される未来も、 地面を高速で滑ってくるムツキや、気が変わった大魔王に背後から襲われる可能性も、思考の隅へと放り出していたのである。
もうすこし、本当にあとほんの少しで俺たちは南門を潜れるはずだった。
だが俺たちが門を潜ろうとしたまさにその瞬間、
大魔王から最後の絶望が届けられた。
「氷河作成、待機解除」
マイクを通して大魔王の声が聞こえたと思った次の瞬間には、目指すべき南門の下からまばゆいばかりの輝きを放つ青い氷河が発生し、あっという間に目指していた脱出口は塞がれてしまった。
しかもその氷河の拡大は止まることなく、門どころかバードの町を取り囲む外壁そのものを氷の壁が覆い尽くしてしまう。
上へ上へと伸び続けたそれは、遂にはバードの町を覆い尽くし、巨大な氷のドームが完成した。
逃げ場を失くした俺たちは足を止め、どこかに他の逃げ道はないかとキョロキョロと周囲を見回す。
見れば北門だけは氷河に覆われていない。配下のモンスターの通り道だけは確保しているようであった。
パチパチ、パチパチ、パチパチパチパチ
いつの間にやら周囲の喧騒は止み、大魔王が拍手をしながら俺たちのすぐ側まで近づいてきていた。
前後左右に魔王を従え、その後ろにモンスターの大群を引き連れた彼女は、配下のクラゲの魔王に前に出るようにと命令する。
プカプカと宙に浮かぶクラゲの魔王。
その触手には
下半身が炭化したヨンが、
愛用の杖を体に突き刺されたゼロが、
そして両腕を切断された父さんが、
ズタボロにされた仲間たちが捕らえられていたのだった。
彼らの姿を目にした瞬間、俺たちは恐怖に襲われ膝を屈してしまう。
そんな俺たちに大魔王は近づき、そして笑みを浮かべながらこう尋ねたのであった。
「お主らの足掻き存分に楽しませてもらった。で? ここからどうやって逃げ出すのかえ?」




