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婚儀の日が来た。
祝砲の光りの矢が、空に向かって放たれる。
それは雪を降らせる雲を薙ぎ払い、城の上空に青空を見せた。
久々に青い空が見え、日の光が当たる城は雪化粧も相まって荘厳さが増して見える。
続々と集まってくる招待客達は、うっすらと降り積もった雪道をそろそろと歩き、城の屋根と緑濃い山肌に白い色が混じる景色を楽しんでいた。
気分も良く、目に映るものはみんな見目美しい。
まるで魔王が国全体を飾り付けたかのように思う。
『耳』達の誘導も効果的に働いてはいたが「魔王様は、この日のために降らせたのだろう。粋なことをなさる」そう考える人がほとんどだった。
「ふむ。上手く誘導できたものだな」
城に向かう馬車の中で、ラヴルはひとりごちた。
ルミナの街にも、雪は舞い落ちて来ていた。
『次期王に』と、現王から言われていたラヴルには、大地の鼓動を少しだけ感じ取ることが出来ていた。
急激に進む崩れ。
空気の流れはケルンを中心として渦を巻いているかのよう。
こうしていても、もう幾分の猶予もないように感じられる。
「まさか、魔王よりも、先だとはな―――」
流石、歴代最強と謂われるだけのことはあるか。
“―――待ってる”
目を閉じれば、自分を見つめるきらきらとした大きな黒い瞳が鮮明に浮かぶ。
「―――ユリア」
随分と待たせた自覚はあるが、自らも待っていたのだ。
だが、もし彼女が――――
城を睨み、唇を引き結ぶ。
決断の時が、すぐそこに、迫る―――――
***
華やいだ装いの淑女に盛装をした紳士。
会場の中で、国の内外から集まり来た貴族方は互いに挨拶を交わしながら、今か今かと儀式の時を待っていた。
皆は晴れやかな顔をしている。
ごく、一部の者たちを除いて―――
会場に人が集まり始めたその頃、ユリアは部屋の中で5人もの侍女に取り囲まれていた。
くすぐったく感じて少しでも身じろげば、「動かないで下さい」とピシャリと言われて人形のように固まる努力をする。
「寒く、御座いませんか?」
「重く、御座いませんか?」
「はい。大丈夫です」
顔を動かさずに質問に答えるのは、結構しんどい。
魔王の花嫁。
鏡を見れば、シンプルな黒い衣装に煌く宝石類が目映く映えてて、我ながらにとても綺麗に見える。
―――とうとう、この日が来てしまった。
私は、今日、魔王セラヴィの妃になる―――
前日に式次第を大臣につたえられたときには全く実感がわいてこなかったけれど、こうして黒いドレスを身に着ければどうにも緊張感に包まれる。
―――婚儀の練習とか、全然してないけれど、いいのかしら―――?
“婚儀の後、セラヴィ王様より貴女様に王妃の戴冠がなされます。そののち護国の儀が行われ、民へのお披露目となります”
昨日部屋に訪れてさらっとそう言った大臣は、これが細かいスケジュールです。お目通しを。と紙の束を置いていったのだ。
「随分、細かいのね……」
苦労しながらも文字がびっしりと埋められたそれを懸命に読んでいると、その後に来たセラヴィに「このようなもの必要ない、貴女は笑って立ってればいい」と紙の束を奪われて、あろうことか、ぽんっと一瞬で燃やされてしまったのだ。
結局、細かい動きは分からないまま。
不安でいっぱいになる。
「支度は出来たか―――」
部屋の中に重低音の声が響く。
ぱっと現れたセラヴィを見て、侍女たちがあわてふためいて隅に下がった。
「ふむ、実に美しい。行くぞ」
つかつかと近付いてきて細めた目で満足げに一言漏らしたセラヴィに、すっと抱き上げられて例の如くの暗闇に入れられた。
毎度のことながら、うんざりする。
―――もしかして。
この外出の仕方は一生変わらないのかしら―――
婚儀が終わって落ち着いたら、絶対に改善を求めようと心に決めて、セラヴィの隣に立つ。
目の前には黒地に金の装飾が施された大きなドアがある。
きっと、この向こうが婚儀の会場なのだろう。
女性達の綺麗な歌声が聞こえてくると、大臣らしきヒトの恭しい手つきでドアがゆっくりと開かれた。
セラヴィの腕に掴まってしずしずと進めば、集まったヒト達から感嘆とも聞こえるどよめきが起こった。
誰が来てるのか確認できる余裕なんて、全くない。
伏し目がちにして、ゆっくりと歩いてくれてるセラヴィに、ひたすらついていった。
歌声が止み、黒い衣装を着た白髭のお方の前に並べば、祝詞のようなものを謳い始めた。
古語のようで、何を言ってるのか全く聴きとれない。
両の腕を広げて天を仰ぐような仕草を見せた後、鐘の音が2回、鳴り響いた。
「では、誓いの杯を―――」
黒のドレスを着たかわいらしい少女がトレイに乗せたワイングラスを持ってきて、先ずはセラヴィに差し出した。
グラスを受け取り一口含んだセラヴィの表情が瞬間強張り、その後すぐに、ぐいっと全部飲み干してしまった。
白髭さんが動揺した声を出す。
「怖れながら魔王様、すべて飲まれてしまっては、その―――代わりの物を」
「……その必要は、ない」
胸を押さえて、喉の奥から絞り出すような声が出される。
「まさか、具合が悪いのですか?」
セラヴィの顔を、下から覗き込むようにして訊ねる。
苦しげな表情に見えるのは、気のせいじゃない。
「む、大丈夫だ。貴女は心配するな」
「でも―――」
「何でも無いと言っている。……貴様は、儀式を進めよ」
***
……ゴーン……ゴーン……
ケルンの街まで届く鐘の音。
婚儀が始まったぞ!と民の歓声が一斉に上がる。
「次の鐘が鳴った時が婚儀終了の合図だぞ!」
また、誰ともなく叫び声が上がり、それにもわーっと歓声が上がる。
ビリーも満面の笑みで頭の上で拍手をして、歓喜の声を上げた。
寒い中、広場に集まったヒト達は、白い息を吐きながら城の方を眺めていた。
ビリーたちも、その輪の中にいる。
身重なモリーと年老いた爺様は大事を取ってご婦人と一緒に家にいるが、クルフ一家とビリーは祭り気分を存分に味わっていた。
多くの者は正装をして、手に何かを持っている。
ある者は花を、ある者は酒を持っていた。
「あんたがた、それ大事に持ってっけど、どうするんだ?後で自分で飲むのかぁ?」
不思議に思って酒を持ったふくよかな夫人に声を掛ければ、にっこりと笑って答えてくれた。
「やだわ、あんた。違うわよぉ。これは、贈り物にするのよ!」
すべての儀式が終われば城の門が開かれ、魔王と妃が馬車に乗ってお披露目にまわるから、その時衛兵に渡すのだと教えてくれた。
「でも、そんなの。魔王様は飲んじゃくれねぇだろう?」
「勿論さ!だけどね、魔王様達が飲んでくれなくてもいいんだよ。城の誰かが愉しんでくれれば私はそれでいいのさ!」
夫人は大きな声でそう言って、からからと笑った。
「へぇ……そんなもんかねぇ」
と、ビリーが感心した様な声を出したその頃。
家にいるモリーは、ご婦人と一緒に食事の支度をしていた。
今夜はご馳走。
ご婦人と一緒に果物の皮を剥いては細かく刻む。大きなタルト型にはパイシートが敷かれている。
今から、今夜食べる大きなフルーツパイを作るのだ。
「すみません、こんなに良くしていただいて。本当に、ありがとうございます」
モリーが改めてお礼を言えば、ご婦人は首を横に振った。
「私はね、いつも一人ですの。こんな目出たい日だと言うのに、一人寂しく食事をするところでしたわ。だから、貴女方が一緒に過ごしてくれて、私はとても嬉しいんですのよ。いっそのこと、出産するまでいてくれて構わないんですのよ」
もうすぐでしょう?と言ってご婦人はお腹をさすった。
嬉しそうに笑うモリーと優しく微笑むご婦人。
家の中で、外で。街をあげて祝いの気持ちが表される。
その陰で、ず……ん……と地鳴りが響いた。
祭り気分に夢中になり誰も気づかないその不気味な音は、海側の大地が小さく裂けたものだった。
静かに、その裂け目は広がっていく―――