第9話「黄金牛の極上ステーキと決死の覚悟でやってきた使節団の胃袋陥落」
「さあ、セラフィナ! 魔界の国家承認を祝う、極上の祝賀パーティーの幕開けだ!」
ザガン様の嬉しそうな声が、魔王城の大広間に響き渡った。
普段は冷たい石造りの大広間が、今日は温かな魔法の灯りに照らされ、中央の長テーブルには見渡す限りのご馳走が並べられている。だが、その中でも一際存在感を放っていたのは、ザガン様が自ら巨大なワゴンに乗せて運んできたメインディッシュだった。
「おおおおっ!! 出たァァァッ! 私が昼間に血みどろになって狩ってきた黄金牛の肉だァァっ!!」
特級食材調達ギルドマスターとなったイグニスが、テーブルの端でバンバンと机を叩きながら歓喜の声を上げる。
ザガン様は、黒のタキシード風に仕立てられたシックなシェフ・エプロンを身に纏い、恭しくワゴンの上の銀のドームカバーを開け放った。
──パァァァァァァッ!!
その瞬間、目も眩むような黄金色の輝きと共に、暴力的なまでに芳醇な肉の香りが広間を包み込んだ。
「これぞ、Sランク魔獣『黄金牛』の希少部位、シャトーブリアンの極厚ステーキだ! 表面は強火の魔法炎で一気に焼き固めて旨味を閉じ込め、中は低温でじっくりと火を通した、究極のレア・ローストに仕上げてある」
分厚くカットされた肉の断面は、まるでルビーのように美しく、艶やかな赤紫色をししている。そこへザガン様が特製のソースを回しかける。
「ソースは、魔界の深海で採れた『漆黒のトリュフ』と、百年物の赤ワインを煮詰めた特製トリュフソースだ。さあ、冷めないうちに食べてくれ、俺の愛しいセラフィナよ!」
ザガン様は、私の前に最も大きくて美しい一枚を切り分けてくれた。ナイフを入れた瞬間、その感触に私は驚愕した。
(嘘……! ナイフの重みだけでお肉が切れていく……!)
まったく力を入れていないのに、まるで絹ごし豆腐を切っているかのような柔らかさ。断面から滲み出す肉汁と芳醇なトリュフの香りに、私の理性は吹き飛びそうだった。私は、一口大に切ったお肉を、震える手で口へと運んだ。
「…………っっ!!!」
口に入れた瞬間、肉が溶けた。
噛む必要など全くなかった。舌の上で黄金牛の濃厚な脂がとろけ出し、赤身の圧倒的な旨味が口中を爆発的に満たしていく。そこに、トリュフの芳醇な香りと赤ワインソースの深いコクが絡み合い、味覚の限界を突破するほどの美味しさが押し寄せてくる。
「お、おいひいです……!! なんですかこれ、こんなお肉、人間界の王宮でも食べたことがありません! ほっぺたが、本当に落ちてしまいそうです……!」
「おおおおおっ!! 良かった! 黄金牛の脂は融点が低いからな、皿の温度まで計算して温めておいた甲斐があったぞ!」
私が幸せそうに頬を抑えるのを見て、ザガン様は背中の悪魔の翼をバッサバッサと激しく羽ばたかせ、照れ隠しのように顔を覆った。
一方、イグニスやガルディさんたちも、自分たちの分のお肉を口にして阿鼻叫喚の騒ぎとなっている。
「うおおおおおっ!! なんだこの肉はァァァッ! 私が今まで丸かじりしていた生肉とは別次元だ! ザガン様、一生ついていきます!!」
「ヒィィィッ! 骨身に染み渡る美味さですぅぅっ! 胃袋がないのが悔やまれますぞぉぉっ!」
「はっはっは! 好きなだけ食え! 今日は俺の愛する妻が、魔界を正式な国家へと押し上げた記念すべき日だからな!」
ザガン様は上機嫌で、最高級の魔界ワインを私のグラスに注いでくれた。乾杯の音が響き、夜通し続いた祝賀パーティーは、誰もが笑顔と満腹感に包まれた最高に幸せな時間となったのだった。
***
そして数日後──
「セラフィナ様。いよいよ本日、ロマーナ王国からの公式使節団が魔王城に到着いたします」
魔界臨時・中央政務室で、ガルディさんが緊張した面持ちで報告をしてきた。ロマーナ王国は、人間界でも有数の大国。かつてアーサー王子の国と同盟を結んでいたが、今やアーサーを見限り、魔界との国交樹立を求めてきた国だ。
「彼らの目的は、魔界の現状視察と、正式な貿易協定の締結ですね。魔蚕糸の輸入ルート確保と、魔界の物流システムの導入が狙いでしょう」
「はい。しかし使節団の皆様は、かなり警戒しておられるようです。何せ、歴史上初めて『魔界』という恐ろしい地に足を踏み入れる人間たちですからな」
「無理もありませんわ。今まで魔界は、血に飢えた魔族が跋扈する地獄だと思われていたのですから」
私が頷くと、隣で書類をチェックしていたザガン様が、フンと鼻を鳴らした。
「人間どもめ……俺の愛する妻が築き上げたこの美しい国を、まだ恐れているというのか。よし、セラフィナ。彼らには魔界の真の恐ろしさを骨の髄まで味わわせてやろうではないか」
「ザガン様……また何か、とんでもないお料理を考えていますね?」
「ふっふっふ。期待して待っているがいい」
ザガン様はニヤリと笑うと、足取りも軽く厨房へと向かっていった。私はその背中を見送りながら、少しだけ使節団の人たちに同情した。
……ザガン様の料理の破壊力は、ある意味で魔王の魔法より恐ろしいのだから。
***
その頃──
魔界の入り口へと続く街道を、数台の豪華な馬車がガタガタと音を立てて進んでいた。ロマーナ王国から派遣された使節団である。
馬車の中で、使節団長を務める初老の貴族・アルベール伯爵は、青ざめた顔で震えていた。
「ああ……神よ、なぜ私がこのような任務に……。魔界など、生きて帰れる保証のない地獄ではないか……」
アルベール伯爵は、国王からの勅命で嫌々ながら使節団長を引き受けた。魔界が国として承認され、素晴らしい特産品があることは情報として知っていたが、彼の中の「魔族=残虐なバケモノ」という固定観念は拭いきれなかった。
「伯爵様、前方に何か見えます! 魔族の……魔獣の群れです!!」
護衛の騎士が悲鳴のような声を上げた。
アルベール伯爵が恐る恐る馬車の窓から外を覗くと、街道の向こうから巨大なツインヘッド・ウルフの群れが猛スピードで走ってくるのが見えた。
「ヒィィィッ!! Aランク魔獣の群れ!? お、終わりだ! 殺されるぅぅっ!」
伯爵が絶望して目を閉じたその時、
「チワーッス! ヤマト運送ッス!! 右通りまーす!!」
「……へ?」
凄まじい風圧と共に馬車の横を通り抜けていった魔狼たちは、その背中に『ヤマト(仮)』と書かれた揃いの制服を着用し、大きな荷物を丁寧に背負っていた。彼らは馬車を襲うどころか、爽やかな挨拶を残して、あっという間に地平線の彼方へ消えていった。
「な、なんだ今のは……? 魔獣が、荷物を配達していたのか……!?」
唖然とするアルベール伯爵を乗せた馬車がさらに進むと、彼の目に飛び込んできたのは、想像を絶する光景だった。
荒れ果てた荒野だと思っていた魔界の土地は、美しく区画整理された広大な農地へと変貌し、屈強なオークや地竜たちが、楽しそうに歌いながらトラクター(魔導駆動)で畑を耕している。街道沿いには、清潔で真新しいレンガ造りの工場が立ち並び、煙突からはモクモクと煙が上がっていた。
「こ、これが……魔界? 嘘だろう……我が国の王都よりもはるかに発展し、整備されているではないか……」
アルベール伯爵の常識は、魔王城に到着する前にすでに崩壊し始めていた。
***
そして、使節団一行はついに魔王城へと到着した。
かつては禍々しい瘴気を放っていたという黒曜石の城は、今は綺麗に磨き上げられ、玄関には美しい花々が飾られている。
「よく来られた、人間の使節団よ」
謁見の間──
玉座に座るザガン様は、いつものエプロン姿を封印し、威風堂々たる魔王の漆黒のローブを身に纏っていた。その全身から放たれる圧倒的な覇気と底知れぬ魔力。(※実はローブの下には、いつでも厨房に立てるように撥水加工の黒エプロンを仕込んでいることは内緒である)
「ヒィッ……! は、ははぁっ!」
アルベール伯爵は、ザガン様の恐るべき威圧感に腰を抜かし、その場に平伏した。
「わ、我が名はロマーナ王国特命全権大使、アルベール……。 こ、この度は、魔界との交易の儀を……っ」
「面をお上げください、アルベール伯爵。遠路はるばるご苦労様でした」
私が玉座の横から進み出ると、伯爵は信じられないものを見るように目を丸くした。
「あ、貴女は……! アーサー王子の婚約者だった、セラフィナ・レインズ公爵令嬢!?」
「お久しぶりです、伯爵。今は『魔界臨時・中央政務室・代表』を務めております。どうぞよろしくお願いいたします」
私が優雅にカーテシーをして微笑むと、伯爵は混乱の極みに達したようだった。
「なぜ、追放された貴女が……いや、それよりも、あの噂は本当だったのか! 魔界の急速な発展は、すべて貴女の手腕によるものだと……」
「私一人の力ではありません。魔王であるザガン様のご理解と、優秀な魔界の民たちの努力の結晶です。さあ、立ち話も何ですから、まずは長旅の疲れを癒していただきましょう。晩餐の用意ができております」
私は、震える伯爵たちを食堂へと案内した。
***
「な、なんだこの香りは……!」
食堂に足を踏み入れた瞬間、アルベール伯爵は思わず鼻をひくつかせた。テーブルには、すでに見たこともないような美しい料理の数々が並べられていた。
「さあ、席についてくれ。人間の客人を迎えるのは初めてでな、少々気合いを入れすぎたかもしれん」
いつの間にか玉座から消えていたザガン様が、真っ白なコックコート姿で厨房から現れた。
「ま、魔王陛下が……コックの格好を!? ど、どういうことだ……!」
「細かいことは気にしないでください。本日のメインディッシュは、魔王自らが腕を振るった『幻影鳥の香草ロースト・特製オレンジソース添え』です」
私が勧めるままに、アルベール伯爵は震える手でフォークとナイフを握り、黄金色に焼き上げられた肉を口に運んだ。
「……っっ!!??」
伯爵の目が、これ以上ないほどに見開かれた。
「な、なんだこれはぁぁぁっ!!?」
パリッとした皮の中から溢れ出す極上の肉汁。数十種類のハーブが織りなす複雑で爽やかな香りが肉の臭みを完全に消し去り、旨味だけを極限まで引き出している。さらに、甘酸っぱく煮詰められた特製オレンジソースが、肉の脂と完璧なマリアージュを果たし、口の中で至高の芸術作品を完成させていた。
「う、美味い……! 美味すぎる!! 我が国随一のシェフの料理が、まるで泥団子のように思えるほどの味わい……! これを、魔王陛下自らが作られたと……!?」
「ふん、当然だ。俺の料理は、愛する妻を笑顔にするために日々進化し続けているからな」
ザガン様は得意げに胸を張った。
「さらに付け合わせのパンは、先ほど魔界運送ギルドが魔界の最北端から一時間で運んできた、朝挽きの極上小麦を使用した焼きたてだ」
伯爵がパンを千切ると、湯気と共に芳醇な小麦の香りが広がる。それを口にした伯爵は、ついにボロボロと大粒の涙を流し始めた。
「ああ……神よ……。私はなんて愚かだったのだ……」
「伯爵?」
「このような……このような素晴らしい食文化と、高度な物流システムを持つ国を、野蛮な魔族の国だと恐れていたなど……己の無知が恥ずかしい!!」
アルベール伯爵は、立ち上がってザガン様と私に向かって深々と頭を下げた。
「魔王陛下! そしてセラフィナ様! ロマーナ王国は、魔界との全面的な国交樹立および、無制限の貿易協定を結ぶことを、ここに強く希望いたします! どうか、我が国にこの素晴らしい『食』と『物流』の恩恵をお分けください!!」
もはや恐怖など欠片もなかった。あるのは、魔界の圧倒的な文化と技術、そして『美味なる料理』に対する純粋な敬意と羨望だけだった。
「ふむ、いいだろう。セラフィナが承認するなら俺は構わん」
「ありがとうございます、ザガン様。伯爵、それでは明日、具体的な関税や輸出入の品目について、政務室で詰めましょう。本日はどうか心ゆくまで魔界の料理をご堪能ください」
「おおおっ! ありがたき幸せ!! 皆の者、食え! この奇跡の料理を残さず胃袋に収めるのだぁ!!」
使節団の騎士や文官たちも最初は毒を警戒していたが、一口食べた瞬間に理性を失い、我先にと料理に群がり始めた。優雅な晩餐会は、あっという間に「美食の争奪戦」へと変わってしまったが、その様子を見てザガン様はとても満足そうに頷いていた。
「よく食べる客人は嫌いではない。よし、追加で『シーフードとキノコのアヒージョ』を作ってきてやろう!」
「ザガン様、私もお手伝いしますわ。バゲットを切りますね!」
私とザガン様は、顔を見合わせてクスッと笑い合った。
かつては人間と魔族という、絶対に交わることのなかった二つの世界。それが今、美味しい料理とお互いを思いやる心によって、確実に繋がり始めている。
「セラフィナ。お前が俺の世界を広げてくれた。お前は俺の女神だ」
厨房でバゲットを切る私の背後から、ザガン様がそっと腰に手を回し、耳元で甘く囁いた。
「もう、ザガン様ったら……。皆さんがお待ちですから、早くアヒージョを出さないといけませんわ」
「ふっ、そうだな。だが、夜は覚悟しておけよ? 俺の愛情フルコースを、朝までたっぷりと味わわせてやるからな」
「……っ! ば、ばか……っ」
顔を真っ赤にする私を見て、ザガン様は嬉しそうに喉の奥で笑った。
人間の大国を、武力ではなく『胃袋』と『内政チート』で完全に陥落させた私たち魔界の華麗なる国際社会デビューは、大成功(そして大満腹)のうちに幕を閉じたのである。
私たちの美味しくて甘々で、時々超絶忙しい魔界スローライフは、これからもずっとずっと続いていく。




