第8話「至高のパンケーキタワーと帰還した四天王(戦闘狂)の再就職」
「おはようセラフィナ! 昨夜の約束通り、今朝は徹夜で生地を仕込んだ至高のメニューだ!」
魔王城の朝──
美しい朝日が差し込むダイニングルームに、ザガン様の元気な声が響き渡った。
今日のザガン様は、淡いパステルピンクの生地に、真っ白なレースがあしらわれた『パティシエ風エプロン』を身に纏っている。そのゴツい手で恭しく運ばれてきた巨大な銀のお皿を見て、私は思わず息を呑んだ。
「わあぁ……っ! すごいです、ザガン様!」
お皿の上にそびえ立っていたのは、なんと十段にも重ねられた特製パンケーキタワーだった。
一枚一枚が、厚さ三センチはある分厚くふかふかのスフレパンケーキ。その頂上には、雪山のように純白のホイップクリームがたっぷりと乗せられ、さらに魔界の特産である『星屑イチゴ』や『黄金桃』といった色鮮やかなフルーツが、宝石のように散りばめられている。そして極めつけに、黄金色に輝く最高級のメープルシロップが、タワーの頂上から滝のように滴り落ちていた。
「ただのパンケーキではないぞ! 魔界に生息する『幻の白毛牛』から絞った極上のミルクと、リコッタチーズをたっぷりと練り込んである。さらに、卵白のメレンゲを俺の腕が千切れるほどのスピードで泡立て、限界まで空気を含ませた!」
ザガン様は、誇らしげに胸を張ってパンケーキを切り分けた。
「さあ、まずは一口食べてみてくれ!」
湯気を立てるふかふかのパンケーキをフォークで刺し、口へと運ぶ。
「……っ!!」
(な、なにこれ……!? 噛まなくても、口の中で溶けていくわ!)
リコッタチーズの爽やかなコクと、卵の優しい甘み。スフレ生地はまるで雲のように軽く、シュワッと儚く口の中で消えていく。そこに、濃厚なメープルシロップと、星屑イチゴの甘酸っぱさが絶妙なアクセントとして弾けた。
「おいひいです……! 甘すぎなくて、いくらでも食べられちゃいそうです! まるで甘い雲を食べているみたい……!」
「おおおおっ!! 良かった! メレンゲの泡を潰さないよう、フライパンの温度を〇・一度単位で魔法調整した甲斐があったぞ!」
ザガン様は、背中の巨大な悪魔の翼をバッサバッサと歓喜に震わせた。
人間界の王宮で、冷え切った硬いパンを無表情でかじっていたあの頃が嘘のようだ。毎朝こんなに温かくて美味しい料理と、私を心から愛してくれるザガン様の笑顔がある。この幸せな日常を守るためなら、私はどんな仕事だって頑張れるわ!
私は、最後の一口まで大切にパンケーキを味わうと、気合を入れて執務室へと向かった。
***
「おはようございます、ガルディさん。昨日の『魔界運送ギルド・ヤマト』の稼働状況はどうですか?」
「ああっ、セラフィナ様! おはようございます!」
魔界臨時・中央政務室──宰相である不死王のガルディさんが、カタカタと骨を鳴らして歓喜の報告をしてきた。
「双頭の魔狼たちの働きぶりは凄まじいです! 彼らの圧倒的な脚力により、魔界の主要都市への物資輸送が、これまでの十分の一の時間で完了しております!」
「素晴らしいわ。これで各都市に新鮮な食材や、農地改革で採れた作物が届けられるわね。魔蚕糸の工場もフル稼働だし、国庫の黒字化は完全に定着したわ」
私が満足げに頷いた、その時だった。
ドゴォォォォォォンッ!!!
突然、魔王城全体を揺るがすような凄まじい爆発音が響き渡った。執務室の窓ガラスがビリビリと震え、天井からパラパラと埃が落ちてくる。
「ヒィィィッ!? な、なんですか今の音は!?」
「敵襲かしら!? ガルディさん、状況を確認して!」
私が立ち上がった瞬間、執務室の重厚な扉が、蹴り破られるようにして吹き飛んだ。
「ガルディ!! どういうことか説明しろォォォッ!!」
もうもうと舞う土煙の中から現れたのは、燃え盛るような真紅の鱗と、巨大なドラゴンの角を持つ、グラマラスな女性の魔族だった。彼女は、身の丈ほどもある巨大な大剣を肩に担ぎ、その全身から煮えたぎるような殺気を放っている。
「ひぃぃぃっ! イ、イグニス!! 貴女、北方の国境警備から帰っていたのですか!?」
「おうよ! だが帰ってきてみれば、なんだこのふざけた魔界は!!」
ガルディさんが震え上がる中、ドラゴニュートの女性──四天王の一人である『炎竜将イグニス』は、ギリッと牙を剥き出しにして怒鳴り散らした。
「国境の兵士どもが、武器を捨てて『畑の開墾』だの『シルクの梱包』だの、ふざけた真似をしてやがった! 挙句の果てに、誇り高き魔狼どもが『お荷物のお届けでーす!』だと!? 我ら魔王軍の誇りたる闘争と流血はどこへ行ったんだ!!」
ゴウッ! とイグニスの全身から灼熱の炎が吹き上がる。生粋のバトルジャンキーである彼女にとって、平和でホワイトな企業体質へと変貌した魔界は、到底受け入れられるものではなかったのだ。
「誰だ! 偉大なるザガン様をたぶらかし、魔王軍を腑抜けの集まりに変えた黒幕は!!」
イグニスの鋭い金色の瞳が、執務室を見渡し……そして、デスクの前に立つ私を捉えた。
「……人間、だと? なぜこんな神聖な場所に、下等な人間の女がいる! さては貴様がザガン様を……死ねェェェェッ!!」
問答無用──
イグニスは恐るべき脚力で床を蹴り、その巨大な大剣に灼熱の炎を纏わせて、私に向かって一直線に振り下ろしてきた。
(ダメだわ……!)
私がギュッと目を閉じた、その瞬間だった。
「……おい、誰の妻に向かって薄汚い剣を振り回している」
カキィィィンッ!!!!
金属が激突する甲高い音と共に、私を庇うように立ち塞がった黒い影が、イグニスの大剣を片手で軽々と受け止めていた。
「ザ、ザガン様っ!?」
イグニスが驚愕の声を上げる。そこに立っていたのは、黄色い『カレー屋風エプロン』を身に纏い、手には黒光りする『分厚いスキレット』を構えた、我らが魔王・ザガン様だった。
ザガン様は、スキレットの底で大剣の刃を完全に受け止めながら、地獄の底から響くような声でイグニスを睨みつけた。
「イグニス……貴様、自分が何をしたか分かっているのか?」
「ハッ! ザガン様、その女の洗脳から目をお覚ましください! 我ら魔王軍の誇りを──」
「誇りだと? ふざけるなァァァァッ!!」
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
ザガン様の背中から、魔王城を丸ごと吹き飛ばすほどの凄まじい絶望のオーラが立ち昇る。その桁違いの魔力に、四天王であるイグニスでさえ、一瞬で顔面を蒼白にして膝をつきそうになった。
「俺は今、ランチのために二十種類のスパイスをミリグラム単位で調合し、焦げる寸前の完璧な火加減でローストしている最中だったのだ。 貴様が執務室で無駄な炎の魔力を暴発させたせいで、城内の気温が〇・三度上がり、スパイスの香りが飛んでしまったではないか!!」
「……え??」
イグニスが完全に思考を停止させた。
「俺の料理に対する最大の冒涜だ。貴様のような粗暴な部下は、二度とキッチンの半径五十メートル以内に近づけさせん。その首を撥ねて、豚肉の代わりにカレーの具材にしてやろうか?」
ザガン様がスキレットを振り上げ、本気で四天王の首を物理的に叩き割ろうとしたため、私は慌てて止めに入った。
「ザガン様! お待ちください! 彼女はまだ状況を理解していないだけです!」
「だがセラフィナ! 俺のクミンとコリアンダーの黄金比率が……!」
「スパイスの調合なら、後で私が一緒にお手伝いしますから! だから落ち着いてください!」
「……!! 妻と一緒のクッキング……! わ、分かった、俺はもう怒っていないぞ」
私の言葉にザガン様は一瞬でオーラを引っ込め、スキレットをエプロンにしまうと、ニコニコと頬を緩ませた。
その光景を見て、イグニスとガルディさんは「なんという情緒の乱高下……」と白目を剥いている。私は咳払いをして、へたり込んでいるイグニスに歩み寄った。
「貴女がイグニスさんですね? 私はセラフィナ。この魔界の行政と経営を任されている者です」
「き、貴様……本当にただの人間なのか……? あの暴君ザガン様を、言葉一つで大人しくさせるなんて……」
「イグニスさん、貴女は強い敵と戦いたい……自分の力を存分に振るう場所が欲しいのですね?」
「あ、当たり前だ! 我ら魔族は闘争本能の塊! 剣を振るわずして何が魔族か!」
私はニヤリと笑い、デスクから一枚の羊皮紙を取り出した。
「ならば、貴女にピッタリのポストを与えましょう」
「ポストだと……?」
「ええ。貴女を『魔界特級食材・調達ギルド』のギルドマスターに任命します」
「しょ、食材調達……?」
イグニスが怪訝そうな顔をする。私は地勢図をバンッと叩いた。
「現在、ザガン様の料理レベルは日増しに上がっています。しかし、その情熱を満たすための『超A級のモンスター食材』が圧倒的に足りていません。例えば、西の果てに生息する『ミスリル・ボア』、深海に潜む『アビス・クラーケン』、これらは強大すぎて現状の討伐隊では手が出せないのです」
「……ほう?」
「貴女の仕事は、その強大で狂暴なモンスターたちを思う存分ぶちのめし、新鮮な状態でザガン様の厨房に届けること。毎日が死闘、毎日が強敵との血沸き肉躍るバトルですよ。いかがですか?」
私の提案を聞き、イグニスの金色の瞳がカッ! と見開かれた。
「Sランク級の化け物どもと、毎日合法的に殺し合いができるだと……!? そ、最高じゃねえか!!」
「しかも、報酬として『ザガン様特製のまかない』が毎日食べられます。試しに、今からお昼ご飯をご一緒しませんか?」
ちょうどいいタイミングで、ザガン様が「スパイスの再調合が終わったぞ!」と、ワゴンを押してやってきた。
ワゴンから漂ってきたのは、食欲を暴力的に刺激する、凄まじくスパイシーな香りだった。
「今日のランチは、魔王特製『二十種のスパイスが踊る、極上キーマカレー』だ! さらにその上に、トロトロの温泉卵をトッピングしてある」
ターメリックライスの上に、ひき肉と野菜の旨味が凝縮された濃厚なキーマカレー。そして、その中央に鎮座する真っ白な温泉卵。
「さあ、イグニス。一口食ってみろ」
「フンッ! いくらザガン様といえ、ままごとのような料理でこの私を満足させられると──」
イグニスは反抗的な態度をとりつつも、そのあまりのいい匂いに耐えきれず、スプーンでカレーと卵を一緒にすくい、口に放り込んだ。
「…………ッッッ!!!」
その瞬間、イグニスの全身の鱗がブワワワワッ!! と逆立った。
「な、なんだこれはぁぁぁっ!?」
複雑に絡み合うスパイスの刺激。噛むほどに溢れ出す、超高級ひき肉の強烈な旨味。そして、それらの刺激をトッピングされた温泉卵の黄身が、まろやかに、しかし圧倒的なコクで包み込んでいく。
「美味い……! なんだこれ、美味すぎるっ……! 私が今まで食ってきた血みどろの生肉は一体なんだったんだ……!?」
「ふん。スパイスの奥深さは魔術以上だ。俺の計算し尽くした火加減の前にひれ伏すがいい」
「うおおおおんっ! ザガン様ぁぁぁっ!! セラフィナ社長ぉぉぉっ!!」
イグニスは滝のような涙を流しながら、カレーの皿を舐めるように平らげ、そして私とザガン様の前に見事な土下座を決めた。
「一生ついていきます!! 明日から、ミスリル・ボアだろうが深海竜だろうが、片っ端からぶち殺して食材にしてお持ちします!! だから、明日もまかないを……カレーのおかわりをくださいぃぃっ!!」
「よし、採用ね。期待しているわ、イグニスさん」
こうして、血に飢えた戦闘狂の四天王は、無事に食材ハンターという超絶ホワイト(?)な職場へと再就職を果たしたのである。厄介な戦闘狂たちの矛先を、他国への侵略ではなく、レア食材の狩猟へと向けることに成功し、私はほっと胸を撫で下ろした。
***
「セラフィナ様! さらなる朗報です!!」
食後のチャイを楽しんでいたところへ、再びガルディさんが飛び込んできた。
「先ほど、人間界の隣国である『ロマーナ王国』をはじめとする三ヶ国から、正式な親書が届きました!」
「親書? どんな内容かしら」
「『アーサー王子の国との国交は完全に断絶した。つきましては、最高品質の魔蚕糸と、圧倒的な輸送力を持つ魔界と、正式な国交および貿易条約を結びたい』……とのことです!!」
「えっ!」
私は思わず立ち上がった。
「つまり、人間の国々が魔界を正式な国家として承認し、対等な取引を求めてきたということ!?」
「はい!! セラフィナ様の行った内政改革が、ついに世界に認められたのです! 魔界は今や、世界中が頭を下げる経済大国となりました!!」
ガルディさんは感極まって号泣し(眼球はないが)、イグニスも「おおっ! 社長すげえ!」と歓声を上げている。
かつて、私を「悪女」と蔑み、冤罪で追放したアーサー王子の国は、すべての同盟国から見捨てられ、完全に孤立して崩壊の時を待つのみとなった。一方で、私を拾ってくれた魔界は、今や世界で最も豊かで、活気に満ちた最強の国家へと生まれ変わったのだ。
「やったわ……! ザガン様、私、やりましたよ!」
「ああ、お前は本当に素晴らしい、世界一の妻だ!」
ザガン様は、私を両腕で力強く抱きしめ、グルグルと部屋の中を回り始めた。
「よし! この偉大なる魔界の発展と、愛する妻の功績を祝って、今夜は超豪華な祝賀パーティーだ! イグニス、今すぐSランクの黄金牛を狩ってこい! 極上のシャトーブリアンでステーキを焼くぞ!」
「承知! 一瞬で首をねじ切ってきます!!」
「ガルディは最高のワインをセラーから出してこい! セラフィナ、君は夜までゆっくり昼寝をして体を休めてくれ!」
活気に満ち溢れた仲間たちと、私を心から溺愛してくれる最強の主夫。ここは恐ろしい魔界なんかじゃない。私にとって、世界で一番温かくて、美味しくて、幸せな『私の居場所』だ。
「はいっ! 楽しみにしています、ザガン様!」
私はザガン様の温かい胸の中で、これ以上ないほどの最高の笑顔を咲かせたのだった。




