第6話「とろとろ卵の特製オムライスと、勘違い使者の空飛ぶ帰還」
「さあ、セラフィナ! 今日のランチは、俺の絶対的な自信作だ! 期待してくれ!」
魔王城の執務室。山積みだった書類をあらかた片付け、私が一息ついた絶好のタイミングで、ザガン様が銀色のワゴンを押して現れた。
今日の彼は、情熱的なワインレッドの生地に、黒のシックなリボンがあしらわれた『昼食用のシェフエプロン』を身に纏っている。その堂々たる足取りは、これから勇者と死闘を繰り広げる魔王のそれではなく、三ツ星レストランの総料理長のようだった。
「わあ……! 今日のメニューは何ですか、ザガン様?」
「ふっふっふ。見よ、この黄金の輝きを!」
ザガン様が恭しく銀のドーム型のフタ(クロッシュというらしい)を開けると、ふわりとバターとデミグラスソースの芳醇な香りが部屋中に広がった。
真っ白な陶器のお皿の中央に鎮座しているのは、美しいラグビーボール型に整えられたチキンライス。そしてその上には、ぷるぷると震える、見事なまでに黄色く輝くオムレツが乗っていた。
「オムライス……ですね?」
「ただのオムライスではない! さあ、ナイフを入れてみてくれ!」
ザガン様に促されるまま、私は銀色のナイフを手に取り、ぷるぷるのオムレツの中央に、すーっと切れ目を入れた。
その瞬間──
とろぉぉぉっ……。
「……っ!!」
薄い卵の膜が破れ、中から半熟のとろとろに輝く卵が溢れ出し、チキンライスを美しく包み込んでいくではないか。まるで、花が開くかのような芸術的な光景だった。
「す、すごいですザガン様! 卵が勝手に開いて……!」
「『タンポポオムライス』という人間界の高等技術だ! さらに、三日三晩煮込んだ特製のデミグラスソースをかけて完成だ!」
ザガン様が小鍋から、黒光りする濃厚なデミグラスソースをとろとろの卵の上へとかけ流す。熱気と共に立ち昇る香りに、私の胃袋は完全にノックアウト寸前だった。
スプーンですくい、一口口に運ぶ。
「……んんっ!!」
口の中で、バターの豊かな風味とふわふわの半熟卵、そしてコク深いデミグラスソースが完璧なハーモニーを奏でた。チキンライスは一粒一粒がパラパラに炒められており、噛むほどに鶏肉の旨味とマッシュルームの香りが弾ける。
「おいひいです……! 卵が口の中でとろけて、ソースと絡んで……もう、ほっぺたが落ちそうです!」
「おおおっ!! 良かった、その言葉が聞きたかった! 卵の火加減を調整するために、今朝だけでフライパンを百回は振った甲斐があったぞ!」
「ひゃ、百回……!?」
魔王様が朝からキッチンでフライパンを振りまくっている姿を想像し、私は呆れを通り越して深い愛情を感じていた。
「セラフィナ様! 素晴らしいお知らせです!」
そこへ、バンッ! と勢いよく執務室の扉を開けて、不死王ガルディさんが飛び込んできた。その骨の手には、ギッシリと数字が書き込まれた羊皮紙が握られている。
「聞いてください! セラフィナ様が立ち上げた『魔蚕糸まさんし』の工場ですが、人間界の闇市場に流したところ、貴族たちがこぞって買い漁り、想定の十倍の価格で取引されました!」
「本当ですか!? やったわ!」
「はい! その莫大な利益により、城の屋根の修繕費はもちろん、下級魔族への食糧配給の予算、さらには農業区画への追加投資まで、すべて一括で賄うことができました! 魔界は今、空前の好景気に沸いております!」
ガルディさんは、ガシャンガシャンと骨を鳴らして歓喜のダンスを踊っている。私も思わずスプーンを置き、立ち上がって喜んだ。
「これでやっと、魔界のインフラを立て直す基礎ができたわね。次は魔獣たちを警備隊として組織して、街道の安全を確保しましょう」
「流石は我が妻だ! その見事な手腕、俺も惚れ直したぞ! ……だが、まずはオムライスが冷めないうちに食べてしまってくれ」
「ふふっ、はい、ザガン様!」
私たちが和やかなランチタイムを満喫していた、まさにその時だった。
「た、大変です! セラフィナ様、ザガン様!」
今度は、城の門番を任せているミノタウロスが、慌てた様子で駆け込んできた。
「どうしたの? そんなに慌てて」
「に、人間界から、使者を名乗る騎士たちがやってきました! 『魔王に囚われた哀れなセラフィナを救いに来た』などと、訳の分からないことを喚いておりまして……!」
その報告を聞いた瞬間──
私の手からスプーンが滑り落ちそうになり、ザガン様の背後から凄まじい絶望のオーラが立ち昇った。
***
「ふん、ここが魔王城か。思ったよりも綺麗に掃除されているではないか」
魔王城の謁見の間──
そこに立っていたのは、人間界の王宮騎士団の副団長、カエレンという男だった。彼はアーサー王子の側近の一人であり、昔から私を見下し、嫌味ばかり言ってくる傲慢な男だ。
カエレンと数人の騎士たちは、周囲を囲む屈強な魔族の護衛たちを前にしても、なぜか余裕の笑みを浮かべていた。
(なぜ彼らは、あんなに自信満々なの……?)
玉座に腰掛けるザガン様の隣で、私は不思議に思いながらカエレンを見下ろした。カエレンは、恭しく咳払いをすると、仰々しく一枚の羊皮紙を取り出した。
「魔王ザガンよ! そして、そこに囚われている哀れなセラフィナ嬢よ! 喜ぶがいい。我が国の偉大なる次期国王、アーサー殿下からの慈悲深き親書をお持ちした!」
カエレンは、得意げな声で手紙を読み上げ始めた。
『愛するセラフィナへ。君が僕への嫉妬から罪を犯し、魔界へと追放されたことは誠に遺憾である。野蛮な魔王の元で、残飯を啜り、泥水のようなスープを飲まされる悲惨な生活を送っていることだろう。君のやつれきった顔が目に浮かぶようだ。だが、安心したまえ。僕の心は海よりも広い。君のこれまでの罪をすべて許し、僕の側室として王宮に迎えてやろう。もちろん、マリアの補佐として、これまで通り国政の書類仕事はすべて君に任せるつもりだ。さあ、この手紙を受け取ったら、野蛮な魔王に別れを告げ、今すぐ僕の元へ帰ってくるがいい』
「…………」
「…………」
謁見の間が、水を打ったように静まり返った。あまりにも自己中心的で、現実が見えていない手紙の内容に、私だけでなく、ガルディさんやミノタウロスの門番たちすらも呆気に取られている。
「……というわけだ!」
カエレンは羊皮紙を巻き直すと、傲慢な笑みを浮かべて私を指差した。
「セラフィナ嬢! 殿下の寛大なるお心に感謝することだな! このような薄汚い魔界の城で、化け物どもに怯えながら腐った肉を食わされる地獄の生活も、今日で終わりだ! さあ、直ちに荷物をまとめて我々についてきなさい!」
カエレンは、自分が絶対に正しいと信じて疑っていないようだった。彼らの頭の中では、魔界=地獄であり、私はそこで酷い虐待を受けている「可哀想な令嬢」なのだ。
私は、深々とため息をついた。
「カエレン副団長。一つ、訂正させていただきます」
「なんですか? 感謝の言葉なら、帰りの馬車の中で聞いてやりますよ」
「私は今、人間界の王宮にいた頃の百倍、いえ、一万倍も幸せで豊かで健康的な生活を送っています」
「……は?」
私は艶やかになった自分の髪を払い、カエレンを真っ直ぐに見据えた。
「残飯? 泥水? 冗談を言わないでください。私は毎日、ザガン様が作ってくださる、王宮のフルコースより遥かに美味しくて栄養満点の手料理をいただいています。睡眠時間もたっぷり八時間。肌荒れも治り、今が人生で一番健康ですわ」
「な、何を強がりを言っているんだ! 殿下の情けを無駄にする気か!」
カエレンが激昂し、腰の剣に手をかけようとした、その時だった。
「……おい」
地獄の底から響くような、低く、冷酷な声。玉座に座っていたザガン様が、ゆっくりと立ち上がったのだ。
「ヒッ……!」
カエレンと騎士たちが、その圧倒的な威圧感に息を呑み、後ずさる。
ザガン様は、ワインレッドのシェフエプロンのポケットから、なぜか『巨大な中華包丁』を取り出し、ギラリと真紅の瞳を光らせた。
「貴様ら……、今なんと言った?」
「ま、魔王……! 我々はアーサー殿下の使者として──」
「俺の愛する妻が、『残飯を啜っている』だと……?」
ゴゴゴゴゴゴ……と、魔王城全体がザガン様の怒りに呼応して震え始める。あまりの絶望のオーラに、騎士たちは腰を抜かして床にへたり込んだ。
「ふざけるなァァァァッ!!」
ザガン様の怒声が、爆音のように響き渡る。
「俺が、毎朝四時に起きてパン生地を捏ね、栄養バランスを極限まで計算して野菜を切り、愛情を込めて三日三晩煮込んだ特製デミグラスソースのオムライスを、貴様ら人間の国の、冷え切ってパサパサの味のしないパンと一緒にいただとぉぉぉっ!?」
「え……? あ、朝四時……?」
カエレンが、想定外の怒りの沸点に完全に混乱している。
「俺の料理に対する最大の侮辱だ!! さらに、今まさに妻がオムライスの『一番美味しい温かい状態』を堪能している最中に、土足で踏み込んで食事の邪魔をした罪……万死に値するわ!!」
ザガン様は中華包丁を振りかざした。
(まずい、このままだと使者たちが本当にミンチにされてしまう!)
「ザガン様! お待ちください!」
私が慌てて止めに入ると、ザガン様はピタリと動きを止め、「す、すまないセラフィナ。お前の前で血生臭い真似をするべきではなかったな」と中華包丁をしまった。
私は、腰を抜かしてガタガタと震えるカエレンを見下ろし、冷ややかに告げた。
「カエレン副団長、アーサー王子に伝えてください。『私はザガン様という最高の夫と、魔界の統治という素晴らしい仕事を見つけました。もう二度と、あなた方の国に関わるつもりはありません』と」
「そ、そんな……! あなたがいなければ、我が国の行政はもう……!」
「それは、あなたたちが私を追放した結果です。自分たちで解決なさい。……ザガン様、彼らをお帰り願ってもよろしいですか? 私、早くオムライスの続きが食べたいです」
「おおっ! そうだな、オムライスが冷めてしまう! おい、お前ら!」
ザガン様が指を鳴らすと、カエレンたちの足元に巨大な魔法陣が浮かび上がった。
「人間界まで飛んで帰れ。そして二度と、妻の食事の時間に邪魔をしに来るな!」
「ぎゃああああああああっ!!」
魔法陣から吹き荒れた暴風が、カエレンたちを城の窓の外へと一直線に吹き飛ばした。彼らは文字通り『空飛ぶ使者』となり、悲鳴と共に人間界の彼方へと消えていった。
「ふん。これで静かになったな。さあセラフィナ、オムライスを温め直すから、執務室に戻ろう」
「はい、ザガン様!」
こうして、人間の国のマヌケな使者は、魔王城の恐ろしさ……ではなく、魔王様の『主夫としてのプライド』の前に完全に粉砕されたのである。
冷めかけたオムライスに再び魔法で熱を加えながら、ザガン様は嬉しそうに私に微笑みかけた。
「セラフィナ、今日の夕食は、お前の大好きなエビフライにするぞ。特製のタルタルソースをたっぷり添えてな!」
「本当ですか!? 楽しみです!」
アーサー王子の国が崩壊に向けて一直線に突き進んでいることなど、今の私にはどうでもよかった。私を心から愛し、大切にしてくれるこの最強の主夫魔王様と共に、私はこの魔界を世界で一番豊かで幸せな国にしてみせるのだ。
美味しいオムライスを頬張りながら、私は最高の笑顔で頷いたのだった。
第6話をお読みいただきありがとうございます!
ザガン様の絶品とろとろオムライスの食事中に、空気の読めない人間の使者が登場!見事なまでに勘違いをこじらせていた使者ですが、魔王様の「料理と愛妻へのプライド」を刺激してしまい、一瞬で空の星(物理)となりました。これで人間の国との決別は決定的となり、アーサー王子たちの本格的なざまぁ(自滅)が加速していきます。一方、セラフィナとザガン様の魔界内政&甘々スローライフはさらに充実の予感!楽しんでいただけましたら、ぜひページ下部のブックマーク登録や★評価、いいねでの応援をよろしくお願いいたします! 執筆の最大のエネルギーになります!




