第5話「とろける極上フレンチトーストと、最高級『魔蚕糸』のホワイト工場」
「おはよう、セラフィナ! 今朝は一段と冷え込むな。湯たんぽの温度は適切だったか?」
爽やかな朝の光と共に、私の寝室に現れたザガン様。今日の彼は、シックなネイビーブルーの生地に、純白のフリルが上品にあしらわれた『朝食用・執事風エプロン』を身に纏っていた。神話の魔王らしからぬ完璧な身のこなしで、銀色のワゴンをテーブルへと寄せる。
「おはようございます、ザガン様。おかげさまで、朝までぐっすりでしたわ」
「それは良かった! さあ、冷めないうちに起きてくれ。今日の朝食は、俺の自信作だぞ!」
ベッドから降りた私を待ち受けていたのは、甘く、そしてとてつもなく幸せな香りだった。
「これは……!」
「特製、極厚フレンチトーストだ! 魔界の特産である『甘露牛』の濃厚なミルクと、最高級の卵液に丸一日じっくりと漬け込んだバゲットを、たっぷりの発酵バターでこんがりと焼き上げた!」
お皿の上には、厚さ五センチはあろうかという黄金色のフレンチトーストが鎮座している。表面はカリッと香ばしく焼き上げられ、上からはキラキラと輝く琥珀色のメープルシロップが滝のようにかけられていた。添えられているのは、甘さ控えめのふんわりとしたホイップクリームと、色鮮やかなベリーの果実だ。
私は席につき、ナイフを入れた。その瞬間、刃先から伝わる信じられないほどの『柔らかさ』に驚愕する。
(な、なにこれ……! 力を入れなくても、すーっと切れていくわ!)
一口大に切り分け、クリームを少し乗せて口に運ぶ。
「……っ!!」
「どうだ、セラフィナ?」
「と、とろけます……! 噛む必要がないくらい、中までプリンみたいにトロトロです! なのに外側はサクッとしていて……バターの香りとメープルシロップの甘さが、絶妙に絡み合って……!」
「おおっ! そうだろう、そうだろう! 火加減には一秒単位でこだわったからな!」
あまりの美味しさに、私は夢中でナイフとフォークを動かした。王宮の冷え切った朝食とは違う、心の底から満たされる温かい食事。私は毎朝、この幸せな時間のために生きていると言っても過言ではない。
「ザガン様……本当に、毎日こんなに美味しいご飯を作ってくださって、ありがとうございます」
「何を言うか。愛する妻に美味い飯を食わせるのは、主夫として当然の義務ミッションだ! 君はただ、毎日その笑顔を見せてくれればそれでいい」
ザガン様は、真紅の瞳を優しく細めて私の頭を撫でてくれた。その大きな手は、世界を滅ぼす力を持っているはずなのに、信じられないほど温かかった。
(……よし! 今日も一日、魔界の黒字化のために頑張るわよ!)
美味しい朝食でフルパワーを充電した私は、意気揚々と『魔界臨時・中央政務室』へと向かった。
***
「セラフィナ様! 朗報です!」
執務室に入るなり、宰相である不死王リッチのガルディさんが、カタカタと骨を鳴らして駆け寄ってきた。
「ゲヘナの荒野に配属した『暴食の地竜アースドラゴン』ですが、凄まじい働きぶりです! わずか三日で、荒野の半分がふかふかの農地に変わりました!」
「素晴らしいわ! 農業区画への助成金も通したし、これで数ヶ月後には豊かな作物が収穫できるはずよ」
「はい! 地竜も『三食ザガン様のまかないが食べられるなんて、ここは天国か!』と涙を流して働いております!」
ブラックな環境で飢えていた魔獣にとって、ザガン様の手料理は最強のモチベーション管理ツールとなっていた。
「ただ、セラフィナ様……。問題は『目先の現金』です」
ガルディさんが、申し訳なさそうに一枚の書類を差し出した。
「農作物が育つまでの間、やはり国庫の資金繰りが厳しい状況です。何より、この城の屋根の修繕費が足りません。先日の雨で、ついにザガン様のキッチンにも雨漏りが……」
「キッチンの雨漏り!? それは国家の重大な危機だわ!!」
「は、はい! ザガン様も『俺の特製コンソメスープに雨水が混ざったらどうしてくれる!』と激怒しておられました!」
私は腕を組み、眉間を揉んだ。一刻も早く、人間界の闇市場に高く売れる『特産品』を用意し、即金を手に入れなければならない。
「ガルディさん。この近くの森に、『死を紡ぐ魔蜘蛛デス・ウィーバー』の群れが生息しているという記録を見つけました。彼らの糸は、鉄より硬く、絹より滑らかだと」
「えっ!? は、はい、確かに『魔蚕糸まさんし』と呼ばれる最高級の素材ですが……。彼らは非常に凶暴で、縄張りに入った者は跡形もなく捕食されてしまいます! 採取など不可能です!」
「あら、そう? なら、直接交渉に行きましょう」
「こ、交渉ぉぉっ!?」
私は立ち上がり、ふたたびザガン様に声をかけるべく、厨房へと向かった。
***
「──というわけで、魔蜘蛛デス・ウィーバーの巣へ行きたいのです」
「なるほど。糸が必要なんだな?」
魔王城の裏手に広がる、鬱蒼とした『常闇の森』。私とガルディさん、そしてザガン様の三人は、巨大な木々が立ち並ぶ薄暗い森の奥へと足を踏み入れていた。
今日のザガン様は、屋外での活動に合わせて、深い緑色の『迷彩柄フリルエプロン』を身につけている。その手には、なぜか巨大な『布団叩き』が握られていた。
「キシャァァァァァァッ!!」
森の最奥部──
巨大な木と木の間を縫うように張られた、幾重もの巨大なクモの巣。その中心から、馬車ほどもある巨大な漆黒の蜘蛛──デス・ウィーバーが、おぞましい鳴き声を上げて姿を現した。
「ヒィィィッ!! で、出ましたぁぁっ!」
ガルディさんが私の背後に隠れてガタガタと震える。
巨大蜘蛛は、八つの不気味な赤い眼を光らせ、鋭い毒牙から紫色の液体を滴らせていた。侵入者である私たちを、完全にエサとして認識しているようだ。巨大蜘蛛が、私たちに向かって飛びかかろうと脚を曲げた瞬間──
「……おい。誰の妻に向かって牙を剥いている?」
ザガン様が一歩前に出た。ただそれだけで、森全体の空気が凍りついたように重くなる。
神話の時代から続く、純粋な『絶望のオーラ』。迷彩柄のフリルエプロンというふざけた格好をしているにもかかわらず、その背中から立ち昇る凄まじい魔力に、巨大蜘蛛の動きがピタリと止まった。
ザガン様は、巨大な布団叩きを肩に担ぎ、地獄の底から響くような低い声で言い放った。
「うちの妻は、少しでも肌寒いと風邪を引いてしまう繊細な身体なんだ。そのために、お前の糸で作った最高級の布が必要らしい。大人しく糸を出すか、それともこの布団叩きで、全身の埃いのちを叩き出されるか。どっちがいい?」
「キュ、キュウゥゥゥ……ッ!!」
圧倒的な力の差を本能で悟った巨大蜘蛛は、八本の脚をすべて折りたたみ、土下座のような姿勢で平伏した。
「……素晴らしいわ」
「ええっ!? セラフィナ様、今なんと言いました!?」
私は怯えるガルディさんを置いて、土下座する巨大蜘蛛の前に歩み寄った。
「ねえ、そこのデス・ウィーバーさん。あなたたちの糸はとても美しいわね。私と専属の雇用契約を結びませんか?」
「キ、キュ?」
「あなたたちには、安全で快適な『専用の工場アトリエ』を用意します。労働時間は一日八時間、残業なし。糸の生産量に応じた出来高払いのボーナスもつけます」
「キュルル……?」
「もちろん、休憩時間のおやつも保証しますわ。ね、ザガン様?」
私が振り返ると、ザガン様はニヤリと笑って、魔法の収納空間から可愛らしいバスケットを取り出した。
「ふん。妻の頼みなら仕方ない。俺特製の『三種のベリーのマカロン』と、『とろけるカスタードのクレープ』を、毎日の三時のおやつに提供してやろう。紅茶の茶葉も最高級のものを用意するぞ」
その言葉を聞いた瞬間、巨大蜘蛛の八つの眼から、滝のような涙が噴き出した。
「キシャアアアアアッ!!(一生ついていきます、社長おおおおっ!!)」
暗く湿った森の中で、常に他の魔獣との縄張り争いに怯えながら生きてきた彼らにとって、安全なアトリエと、絶対的な魔王の庇護。さらに絶品のスイーツが約束される生活は、まさに夢のようだったのだ。
こうして私は、わずか数時間で最高級の『魔蚕糸』を安定供給できる、ホワイトな直営工場を立ち上げることに成功したのである。
「ふふっ。これを人間界の闇市場に流せば、莫大な利益が出るわ。城の修繕どころか、魔界全土のインフラ整備も夢じゃないわね!」
「流石は俺の妻だ! さあセラフィナ、交渉も終わったことだし、城に帰って昼飯にしよう! 今日は熱々のグラタンだぞ!」
「はいっ、ザガン様!」
私たち三人は、大量の魔蚕糸(試供品)を抱えて、ホクホク顔で魔王城への帰途についたのだった。
***
一方、その頃──
人間界の王宮は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
「どういうことだ!! なぜ隣国からの交易船が港を封鎖している!!」
第一王子アーサーは、執務室の机を蹴り飛ばし、血走った目で文官たちを怒鳴りつけていた。
「も、申し訳ございません殿下! 先月の特産品の納入がゼロだったため、隣国が協定違反だと激怒しておりまして……!」
「我が国の特産品である『魔法織りの絹』はどうした! なぜ生産が止まっている!」
「そ、それが……。絹の生産ギルドとの価格交渉や、素材の調達ルートの管理は、すべてセラフィナ様が個人的な人脈で回しておられまして……。我々では、どこの誰に発注すればいいのかすら分からず……!」
「馬鹿なっ!! あの女がいなくなっただけで、国の経済が回らなくなるなどあり得ないだろうが!!」
アーサーは頭を抱えた。セラフィナを追放してからわずか数週間、行政は麻痺し、ギルドは反乱を起こし、税収は激減。さらに、新しく婚約者となったマリアは、「お城のご飯が美味しくなーい!」「もっと新しいドレスを買ってぇ!」と、国庫の残高も知らずに我が儘放題である。
(くそっ……! 僕は間違っていたのか……!? いや、そんなはずはない。僕は次期国王だ。すべては、あの嫉妬深く冷酷な悪女、セラフィナが悪いんだ!)
アーサーは、ギリッと歯を食いしばり、一つの名案を思いついた。
「そうだ……。僕が寛大な心で、あいつを許してやればいいのだ」
「で、殿下……?」
「セラフィナは、僕に愛されたくてたまらなかったはずだ。だからマリアをいじめたのだろう? ならば、僕が直接手紙を書き、『罪を許して側室として迎えてやるから、今すぐ戻ってきて仕事を手伝え』と命じれば、泣いて喜んで帰ってくるはずだ!」
文官たちは、あまりの自己中心的な発想に絶句した。しかし、暴走する王子を止める者はもはや誰もいなかった。
「おい、直ちに魔王領への使者を立てろ! この僕の『慈悲深き手紙』を、魔王に囚われている哀れなセラフィナの元へ届けるのだ!!」
自分が「魔王の妻」として、人間界の王宮よりも遥かに裕福で、幸せな生活を送っていることなど露ほども知らないアーサーは、高笑いを上げた。
彼が送り出す使者が、エプロン姿の魔王と、その手料理によって完全に餌付けされた巨大魔獣たちによって、どのような無残な結末を迎えるか。愚かな王子がそれを知るのは、もう少し先の話である。
第5話をお読みいただきありがとうございます!
ザガン様の極厚フレンチトーストで始まった一日。セラフィナの容赦ない交渉術(とザガン様のおやつ)により、凶悪な巨大蜘蛛も無事にホワイト工場の従業員となりました!一方、ついに国が傾き始めた人間界のアーサー王子は、とんでもない勘違いから使者を送ることを決意します。次回、魔王城にやってきた人間の使者を待ち受ける運命とは……!?楽しんでいただけましたら、ぜひ下部のブックマークや★評価、いいねでの応援をよろしくお願いいたします! 執筆の大きな励みになります!




