パート1:『まさかの侵入者と、弟の秘密』
「ここ……だよね?」
差し出されたスマホの画面。
そこに表示されているマップのピンは、間違いなく私の家――というか、今まさに私が立っている場所を正確に指し示していた。
画面の端には『海斗』という名前と、短いメッセージのやり取りが見える。
「……えっと、あの」
声が出ない。
海斗。それは、間違いなく私の弟の名前だ。
でも、なんで推しのスマホに弟の名前が表示されているのか。
脳が完全にショートして、エラーを吐き出している。
「あ、恒一さん! やっと来た!」
背後から、やけに明るい声が響いた。
ビクッと肩を跳ねさせて振り返る。
細い道の突き当たりにある我が家の玄関のドアが開き、スウェット姿の海斗が顔を出していた。
片手にはコントローラーを持ったままで、もう片方の手をひらひらと振っている。
「ごめん、海斗くん。見事に迷子になっちゃって」
後ろで、彼――白瀬恒一が、申し訳なさそうに苦笑する。
「駅でバッテリー切れたとかメッセージ来た時は終わったと思いましたよ。ていうか、姉ちゃんと一緒だったんだ。駅で会ったの?」
海斗が、私と彼を交互に見比べてニヤッと笑う。
「……は?」
口から出たのは、間抜けな一文字だけだった。
姉ちゃん。そう、私はこの生意気なゲーマーの姉だ。
でも、なんで私の弟が、献血王子と知り合いで、しかも下の名前で呼び合っているのか。
「あ、二人って姉弟だったんだ。どおりで駅で声かけられた時、なんとなく話しやすいなって思ったんだよね」
彼が、手をポンと打って納得したように頷く。
「ちょっと待って。海斗、あんたこの人……」
「俺のオンラインのフレンド。今日は直々にゲーム教える約束しててさ。ほら、立ち話もなんだし、早く入って」
海斗が玄関のドアを大きく開け放つ。
彼は「お邪魔します」と丁寧にお辞儀をして、私をすり抜けて玄関へと足を踏み入れた。
フワリと、あの柔軟剤の香りが私を包み込み、そして家の中へと吸い込まれていく。
私は玄関の前に立ち尽くしたまま、石像のように固まることしかできなかった。
(推しが、実家に、いる)
どういう世界線だ、これは。
現実感のないフワフワした頭のまま、私は自分の家だというのに、まるで他人の家に忍び込むような抜き足差し足でリビングへと向かう。
「適当に座って。今、飲み物持ってくるから」
海斗はすっかりホスト気取りで、キッチンへと消えていく。
リビングのソファには、長い脚を持て余すようにして座る彼の姿があった。
黒いキャップとマスクを外し、ローテーブルの上に置いている。
前髪が少し乱れていて、それがまた異常なほど絵になっている。
「あ、お邪魔してます。海斗くんのお姉さん、だったんですね」
目が合うと、彼はふにゃりと目尻を下げて笑った。
「あ、えっと……はい」
引きつった笑顔を返しつつ、私はできるだけ彼から距離を取って、ダイニングテーブルの椅子にちょこんと腰を下ろした。
心臓が、肋骨の中で暴動を起こしている。
推しが、うちのソファに座っている。私がいつも寝転がってポテトチップスを食べているあのソファに。
「それにしても、すごい偶然ですよね。駅で道案内してくれた人が、まさか海斗くんのお姉さんだったなんて」
「ほ、本当に……びっくりしました」
「俺、ゲームの操作が本当に壊滅的で。海斗くん、世界レベルの大会に出るくらいすごいから、一度教えてもらいたいなってお願いしたんです」
そうだった。うちの弟は、ただのゲーム好きじゃない。
一部の界隈では『神』と呼ばれるほどの実力を持つ、プロ顔負けのゲーマーだ。
でも、だからといって、芸能人みたいな活動をしている彼と繋がるなんて。
「はい、コーラと麦茶。恒一さんは麦茶でいいよね」
海斗がグラスを二つ持って戻ってくる。
「ありがとう。助かる」
彼がグラスを受け取り、喉を鳴らして飲む。
その喉仏の動きすら、いちいち綺麗で直視できない。
「じゃあ、早速やろっか。恒一さん、今日はスパルタでいくからね」
海斗がテレビのモニターをつけ、コントローラーを彼に手渡す。
「お手柔らかにお願いします……」
彼が苦笑いしながらコントローラーを握る。
そこから先は、完全に二人の世界だった。
専門用語が飛び交い、画面の中でキャラクターが目まぐるしく動く。
私はただ、ダイニングテーブルからその様子を眺めているしかなかった。
「そこ、タイミング遅い! もっと早くスティック倒して!」
「えっ、うわ、ごめん。指が追いつかない」
海斗の容赦ない指示に、彼が焦ったような声を上げる。
完璧な献血王子が、ゲームで弟に怒られている。
そのギャップがおかしくて、でも、同時に強い疎外感が胸をチクリと刺した。
私は、彼のことを何も知らないんだな。
画面の向こうの彼しか知らない。
休日にゲームの特訓をしにくること。負けず嫌いな一面があること。
それを知っているのは、私ではなく、弟の方だった。
なんだか居た堪れなくなって、そっと立ち上がろうとした時。
「あ、そうだ」
不意に彼がコントローラーを置き、こちらを振り返った。
「お姉さんは、ゲームやらないんですか?」
真っ直ぐな瞳が、私を捉える。




