表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
推しの献血王子がなぜか家に通ってくるんだけど、距離が近すぎてもう好きになるしかない  作者: はりねずみの肉球
第2章:同じ帰り道の違和感

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/26

パート1:『既読をつけない指先と、よそよそしい温度』

光るスマホの画面。

ロック画面の中央に浮かび上がった『白瀬恒一』の文字を、私はもう十分以上、ただじっと見つめ続けていた。


『今週末、海斗くんの特訓なんだけど、まりちゃんも一緒にどうかな? この前の続き、やりたいな』


その短いテキストの奥に、彼のあの柔らかい声と笑顔が自動再生される。

画面に触れようとした親指が、空中でピタリと止まる。

(ダメだ。返信しちゃ、ダメ)


私はギュッと目を閉じ、スマホをベッドの隅へと放り投げた。

あの夜、心臓が爆発しそうになった至近距離の接触から、私は自分の中に一つの強固なルールを設定した。

『推しは、絶対に遠くに置くこと』。


これ以上、彼との距離を縮めてはいけない。

彼が私に向ける優しさは、ただのファンサービスか、弟の姉に対する気まぐれな親愛だ。そこに変な期待を持てば、いつか必ず痛い目を見るのは私の方だ。

だから、私は徹底的に『ただのファン』であり『ゲーマーの姉』という安全圏のモブキャラを演じ切らなければならない。


放り投げたスマホが、再びブルッと震える。

見ない。見ないぞ。

私は耳を塞ぎ、無理やり意識を別の方向へと向けた。


* * *


日曜日。

結局、返信を数時間遅らせて「私は見学しておきますね」とだけ送った私の思惑などお構いなしに、恒一さんは我が家のリビングにやってきた。


「こんにちは、まりちゃん。今日もよろしくね」


玄関で靴を脱ぎながら、彼がふにゃっと目尻を下げる。

その眩しい笑顔に心臓がギュッと締め付けられるが、私は顔の筋肉を総動員して、鉄壁の『営業スマイル』を作り上げた。


「いらっしゃいませ、恒一さん。海斗はリビングで待ってますので、どうぞ」


「……えっ?」


私の完璧すぎる敬語と、一歩引いたお辞儀。

恒一さんが、少しだけ目を丸くして動きを止める。

(いらっしゃいませ、はちょっとやりすぎたか……? いや、これくらい壁を作らないとダメだ)


私は彼と目を合わせないまま、そそくさとキッチンへと逃げ込んだ。


リビングからは、海斗と恒一さんのゲームの音が響いてくる。

私は冷たい麦茶をグラスに注ぎ、お盆に乗せてリビングへ向かった。


「お茶、置いておきますね」


ローテーブルの端、恒一さんから一番遠い位置にグラスを置く。

いつもなら、ここで「ありがとう」と笑い合うか、そのまま隣のソファに座ってゲームの画面を覗き込むところだ。

でも今日の私は、グラスを置くと同時にクルリと踵を返した。


「あ、まりちゃん」


背中越しに、彼が声をかけてくる。


「一緒にやらない? 今日、まりちゃんがこの前使ってたキャラ、俺も練習してきたんだよね」


少しだけ期待を含んだような、甘いトーン。

その声に引き寄せられそうになる足を、床に力一杯踏ん張って止める。


「いえ、私は今日はちょっと……大学の課題があるので。お二人で楽しんでください」


振り返らずにそう告げると、背後の空気が、ほんの少しだけピンと張り詰めたのが分かった。


「……そっか。邪魔してごめんね」


彼の声のトーンが、数度下がる。

胸の奥がズキリと痛む。でも、これでいい。これでいいんだ。


私はそのままダイニングテーブルの椅子に座り、ノートパソコンを開いた。

画面の文字なんて一つも頭に入ってこない。

背中越しに感じる、彼の気配。

時折聞こえる海斗の笑い声と、それに答える恒一さんの声。

いつもより、彼の口数が少ない気がする。笑い声も、どこか硬い。


(……気まずい)


キーボードを叩くふりをしながら、私は内心で冷や汗を流していた。

あからさまに距離を取りすぎただろうか。

でも、中途半端な態度は彼を勘違いさせる(いや、勘違いしているのは私の方だ)。


カチャッ。

コントローラーをテーブルに置く音がした。


「海斗くん、ごめん。ちょっと休憩してもいい?」


「あ、はい。俺、トイレ行ってきます」


海斗が立ち上がり、リビングを出ていく足音がする。

途端に、部屋の中に静寂が落ちた。

パソコンの冷却ファンの音だけが、やけに大きく響く。


背後から、衣擦れの音がした。

ソファから立ち上がった恒一さんが、ゆっくりとこちらへ歩いてくる気配。

トクン、トクンと、心拍数が跳ね上がる。


彼が、私のすぐ斜め後ろで立ち止まった。

フワリと、あの柔軟剤の香りが漂ってくる。


「……まりちゃん」


頭上から降ってきた声は、いつもより低く、そして、どこか傷ついたような響きを帯びていた。


「俺、何かしたかな」


キーボードの上に置いた私の指先が、ビクッと跳ねる。

顔を上げられない。画面を見つめたまま、必死に息を整える。


「……え? 何がですか?」


「今日、ずっと目合わせてくれないし。……敬語だし」


彼の声が、すぐ近くで揺れる。

一歩、彼が距離を詰めてくる。

肩越しに、彼の体温を感じるほどの近さ。


「そ、そんなことないですよ。ちょっと課題が忙しくて、余裕がないだけで……」


言い訳をしながら、私は反射的に椅子ごとジリッと後ろへ下がった。

物理的な距離を取る。

彼から逃げるように。


その私の行動に。

恒一さんが、ハッと息を呑む気配がした。


「……そっか。ごめん、無理に話しかけて」


声が、震えていた。

たまらず顔を上げると、そこには、いつもの柔らかい笑顔なんて欠片もない、ひどく傷ついたような、戸惑いの表情を浮かべた彼がいた。


胸が、張り裂けそうだった。

私が彼を傷つけている。私の一番大好きな人を。

『ごめんなさい、違うんです』と叫び出したい衝動を、私は血が滲むほど唇を噛み締めて、必死に喉の奥へと押し殺した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ