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推しの献血王子がなぜか家に通ってくるんだけど、距離が近すぎてもう好きになるしかない  作者: はりねずみの肉球
第2章:同じ帰り道の違和感

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パート2:『触れた指先と、夜の熱』

「……ちょっと、飲み物おかわり持ってきますね」


限界だった。

至近距離の爆弾を投下されてからというもの、私の心拍数は一向に下がる気配がない。

たまらずソファから立ち上がり、逃げるようにキッチンへと向かう。

冷蔵庫を開け、冷たい麦茶のピッチャーを取り出す。グラスに注ぐ手が、自分でも分かるくらい微かに震えている。


(落ち着け、私。相手はあの献血王子だぞ。顔がいいのは当たり前、ファンサービスが神がかってるのも当たり前)


グラスの表面に浮かぶ冷たい水滴を指先でなぞりながら、必死に自分に言い聞かせる。

そうだ、彼にとってはあの距離感も「普通」なんだ。私が勝手に深読みして、一人でパニックを起こしているだけ。

大きく深呼吸を一つして、冷たい麦茶が入ったグラスを二つお盆に乗せ、リビングへと戻る。


「はい、お茶どうぞ」


ソファに座る彼に向かって、グラスを差し出す。


「あ、ありがとう。ちょうど喉渇いてて……」


彼が、顔を上げて手を伸ばす。

その手が、グラスを受け取ろうとした瞬間。


スッ、と。

彼の長く綺麗な指先が、グラスを持つ私の指に重なった。


「あっ」


冷たい水滴の感触と、彼の人肌の温もりが、同時に皮膚から伝わってくる。

ほんの一瞬。一秒にも満たないような僅かな接触。

でも、その一瞬で、私の頭の中は再び真っ白に塗り潰された。


ビクッと反射的に指を引っ込めそうになる。

グラスが手から滑り落ちそうになったのを、彼が素早く、少しだけ強く握り直して受け止めてくれた。


「っと、危ない。ごめん、まりちゃん」


彼が、少しだけ驚いたような顔で私を見る。

グラスをテーブルに置き、彼の黒い瞳が私を真っ直ぐに捉えた。

テレビのモニターの光が、彼の瞳の中でチカチカと反射している。


「い、いえ……私が、ちゃんと渡さなくて……」


声が震える。

目を逸らしたいのに、逸らせない。

彼の視線には、あの「完璧な王子様」の柔らかさとは違う、どこか熱を帯びた、生々しい引力があった。


沈黙が落ちる。

時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえる。

彼の目が、私の目から、ほんの少しだけ下――唇の方へと動いたような気がした。


ドクン、と。

心臓が、痛いくらいに大きく跳ねる。


「……っ、私、トイレ!」


耐えきれず、私は弾かれたように背を向けた。

足がもつれそうになりながら、廊下へと逃げ出す。

背後で「あ、うん……」という彼の戸惑った声が聞こえたけれど、振り返る余裕なんて1ミリもなかった。


* * *


その夜。

海斗がコンビニから帰ってきて、三人で少しだけゲームの続きをして、彼が帰っていった後。

私は自室のベッドにうつ伏せにダイブし、枕に顔を押し付けていた。


「ああああぁぁぁ……」


声にならない叫びを、枕が吸収してくれる。

顔が熱い。体中が熱い。

目を閉じると、今日の一連の出来事が、フラッシュバックのように脳内を駆け巡る。


隣に並んで座った時の、肩が触れそうな距離。

覗き込まれた時の、顔の近さと、微かな吐息。

ふにゃっと下がる目尻。

そして、冷たいグラス越しに触れた、あの温かい指先の感触。


(……おかしい。絶対におかしい)


寝返りを打ち、暗い天井を見上げる。

推しとファン。その境界線は、もうどこにも見当たらない。

彼は私に「会いに来る」と言って、本当に会いに来た。

私が少し離れようとしても、無自覚に、あるいは意図的に、その距離を詰めてくる。


あの視線。あの沈黙。

あれは絶対に、「ファンの子」に向けるものじゃない。

男の人が、女の人に向ける、そういう『熱』だった。


「……いや、無理。無理だから」


暗闇に向かって、小さく呟く。

認めたら、終わる。

私はただの平凡な大学生で、彼は何万人もの人に愛される光り輝く存在だ。

『推し』という安全な盾があるから、私は彼を真っ直ぐに見つめることができている。

その盾を捨てて、「彼を一人の男の人として意識している」なんて認めてしまったら。


この狂おしいほどの心臓の痛みが、何という名前の感情なのか。

本当は、もう気づき始めている。


(私は、恒一さんのことが……)


ギュッと、シーツを握りしめる。

ダメだ。これ以上踏み込んだら、もう二度と、元の安全な場所には戻れなくなる。

これはただの気の迷い。近すぎる距離がもたらした、一時的なバグ。

そう自分に言い聞かせながらも、私の胸の奥に灯った小さな熱は、夜の闇の中で少しずつ、でも確実に燃え広がり始めていた。

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