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推しの献血王子がなぜか家に通ってくるんだけど、距離が近すぎてもう好きになるしかない  作者: はりねずみの肉球
第2章:同じ帰り道の違和感

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パート1:『弟不在の来訪者』

五月の風が、少しずつ夏の気配を含み始めた週末の午後。

実家のリビングは、嘘のように静まり返っていた。

いつもなら、モニターに向かって叫ぶ弟の声や、派手なゲームの電子音が響いているはずの空間。しかし今日、海斗は大学のサークルの合宿とやらで、一泊二日で家を空けていた。


私はソファに寝転がり、ぼんやりと天井の木目を数えていた。

静かだ。平和だ。

モブの日常としては完璧な休日の過ごし方のはずなのに、なんだか胸の奥がソワソワと落ち着かない。


ブーッ。

ローテーブルに置いていたスマホが、短く振動した。

画面に表示されたメッセージの送信者名を見て、心臓がトクンと大きく跳ねる。


『白瀬恒一』


先週、あの献血センターでの再会から数日後。

「海斗くんとゲームの連絡取るついでに」という、絶対に建前だと分かる理由で連絡先を交換してしまったのだ。

通知をタップする指が、ほんの少しだけ震える。


『今日、海斗くん合宿でいないんだっけ?』


画面に表示された文字を読み、私はホッと息を吐いた。

ああ、なんだ。海斗の予定の確認か。

ゲームの特訓ができないから、今日の訪問はなし、ということだろう。

少しだけ肩から力が抜けたような、でも、胸の奥にチクリとした小さな痛みが走ったような、複雑な感情を飲み込んで返信を打つ。


『はい。明日の夕方まで帰ってこないです。なので、今日の特訓はお休みですね』


送信ボタンを押す。

推しは遠くにいるべき。これでいい。これが正しい距離感だ。

スマホをテーブルに置き、テレビのリモコンに手を伸ばそうとした、その時。

画面が再び明るくなり、即座に返信が届いた。


『そっか。じゃあ、まりちゃんは家にいる?』


……え?

思考が停止する。

『私』がいるかどうか?

「いますけど」と打とうとして、指が止まる。いや、待って。海斗がいないのに、私がいるかどうかを聞く理由はなんだ。


『暇してるんで、いますよ』


できるだけ素っ気なく、平常心を装った文面を送る。

すると、数秒後に画面に現れた文字は、私の脳内を完全にパニックへと陥れた。


『よかった。じゃあ今から、遊びに行ってもいい?』


「……はぁっ!?」


変な声がリビングに響き渡った。

遊びに行く? うちに? 海斗がいないのに?

意味が分からない。そもそも、彼がうちに通い始めた理由は「海斗にゲームを教わるため」だったはずだ。それなら、海斗がいない日にわざわざ来る必要なんてない。

なのに、どうして。


『ケーキ買ったから、一緒に食べよう』


追撃のように送られてきたメッセージと、可愛らしいウサギがケーキを持っているスタンプ。

私は頭を抱えた。

断る理由がない。いや、そもそも推しが「ケーキを買って家に来る」という致死量のイベントを、オタクが断れるわけがないのだ。


『……お待ちしてます』


震える指でそう返信した直後から、私の地獄の戦いが始まった。

まずはリビングの掃除。海斗が脱ぎ散らかした靴下を洗濯カゴにぶち込み、テーブルの上の雑誌を揃える。

次に洗面所に駆け込み、鏡の前で自分の顔を凝視する。

(部屋着のパーカーはヤバい。せめて、ちょっとだけマシな服に……!)


クローゼットを漁り、少しだけ襟元の開いたブラウスに着替える。やりすぎ感が出ないように、ボトムスは普段通りのデニム。

髪をブラシで梳かし直し、ほんの少しだけリップを塗る。


「私、何やってるんだろう……」


鏡の中の、明らかにそわそわしている自分を見て、自己嫌悪に陥る。

推しは遠くにいるべきだと言いながら、いざ彼が来るとなれば、こんなにも必死になって見栄えを気にしている。


時計の針が、ゆっくりと進む。

約束の時間まではあと十分。

ソファに座ってみたり、立って窓の外を見てみたり、落ち着きなくリビングをうろうろする。

心拍数はさっきからずっと異常値を叩き出している。


ピンポーン。


玄関のチャイムが鳴った瞬間、ビクゥッと肩が跳ねた。

来た。

大きく深呼吸をして、玄関へと向かう。ドアノブを握る手に、じわりと汗が滲む。

ガチャリ、と重いドアを開ける。


「こんにちは。急にごめんね」


初夏の明るい日差しを背に受けて立っていたのは、白いオーバーサイズのシャツに身を包んだ彼だった。

手には、お洒落なケーキ屋さんの小さな紙袋。

マスクはしておらず、あのズルい三日月目の笑顔が、私に真っ直ぐ向けられている。


「あ、い、いえ……わざわざ、すみません」


「まりちゃん、なんか顔赤いけど大丈夫? 風邪?」


「ちがッ! 暑いだけです! さあ、上がってください!」


顔から火が出そうになりながら、私は逃げるように彼をリビングへと案内した。

ぎこちない私の態度にも気づかず、彼は「お邪魔します」と丁寧にお辞儀をして、我が家へと足を踏み入れた。


フワリと、あの柔軟剤の香りが玄関を満たす。

海斗がいない、私と彼だけの空間。

その絶対的な『違和感』に、私はどう対処していいのか全く分かっていなかった。

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