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推しの献血王子がなぜか家に通ってくるんだけど、距離が近すぎてもう好きになるしかない  作者: はりねずみの肉球
第2章:同じ帰り道の違和感

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パート2:『ハリネズミの幸運と、次の約束』

四十分後。

無事に四百ミリリットルの全血献血を終えた私は、腕にピンク色の止血バンドを巻いたまま、ラウンジへと戻ってきた。

少しだけフワフワする頭で、真っ先に向かったのはお菓子コーナーだ。

カゴの中には、個包装のクッキーやおせんべい、チョコレートが山積みになっている。その端っこに、一つだけポツンと置かれた透明なビニール袋に目が止まる。


(……あ、これ)


手のひらサイズの、可愛らしいハリネズミの形をした菓子パン。

ここのルームでたまに補充されるという『どうぶつパン』だ。これに出会えた日はラッキーだと、いつかSNSで誰かが言っていたのを思い出す。

私は迷わずそのハリネズミを手に取り、新しいホットココアを淹れてソファに戻った。


「お疲れ様、まりちゃん」


背後から声がして、ビクッと肩を跳ねさせる。

振り返ると、左腕に太い止血バンドを巻いた恒一さんが、チョコドーナツの袋を揺らしながら歩いてくるところだった。

成分献血は時間がかかるはずだけれど、彼の方が先に採血室に入っていたから、タイミングが合ったらしい。


「恒一さんも、お疲れ様です」


彼が、自然な動作で私の向かいのソファに腰を下ろす。

そして、テーブルの上に置かれたハリネズミのパンを見て、パッと目を輝かせた。


「うわ、どうぶつパンだ。それ、大体いつも午前中でなくなっちゃうのに。まりちゃん、運いいね」


「あ……やっぱりレアなんですね」


「うん。それ食べると、何かいいことあるかも」


ふにゃっと目尻を下げて笑うその顔が、黒縁メガネのフレーム越しでもひどく眩しい。

私たちは紙コップを軽く掲げて、無言の乾杯をする。

甘いココアが、献血後の少しだけ気怠い体にじんわりと染み渡っていく。


「まりちゃん、献血の後、気分悪くなったりしてない?」


ドーナツをかじりながら、彼が私の顔を覗き込む。

その真っ直ぐな視線と、気遣うような優しい声色。


「大丈夫です。むしろ、ここでお茶してる時間の方がリラックスできて……」


「そっか。よかった」


彼はホッとしたように息を吐き、自分の腕に巻かれた止血バンドに視線を落とした。


「俺さ、たまに考えるんだよね」


不意に、彼の声のトーンが少しだけ低くなる。

雑踏の中では聞き逃してしまいそうなほど静かで、でも、確かな芯のある響き。


「俺の体の中には、顔も名前も知らない、たくさんの人の血が流れてる。その人たちが、わざわざ時間を作って、針を刺す痛みを我慢してくれたから、今の俺がいるんだなって」


彼の長いまつ毛が、伏せられた瞳に影を落とす。


「だから、俺がこうして笑ってドーナツを食べられている時間を、絶対に無駄にしちゃいけないって思うんだ」


画面越しで聞いていた「献血を広めたい」という彼の言葉。

その根底にある、生々しいほどの『感謝』と『執着』。

こんなにも真っ直ぐに命と向き合っている人が、私の目の前にいる。

その事実に、胸の奥がギュッと締め付けられる。


「……恒一さんのそういうところ、すごく尊敬します」


思わず、口をついて出ていた。

彼が弾かれたように顔を上げ、黒い瞳で私を見つめる。


「ファンだからとかじゃなくて。恒一さんが、そうやって真っ直ぐに生きてるのが、すごく……かっこいいと、思います」


顔から火が出そうだった。

でも、伝えなきゃいけない気がした。

私の言葉を聞いた恒一さんは、数秒だけ瞬きを忘れ、やがて、少しだけ困ったように照れ笑いを浮かべた。


「……まりちゃんにそう言われると、なんか照れるな」


彼が右手の指先で、ポリポリと頬を掻く。

その仕草が、完璧な『王子様』ではなく、等身大の二十二歳の青年のものに思えて、私の心臓はまた一つ、大きな音を立てた。


「あのさ」


彼が、少しだけ前のめりになる。

テーブルを挟んで、二人の距離がほんの数十センチ縮まる。

柔軟剤の清潔な香りと、甘いチョコレートの匂いが混ざり合って鼻をかすめる。


「また、遊びに行ってもいいかな」


「え……」


「海斗くんにゲーム教えてもらう約束、まだ続いてるし。それに……」


彼はそこで言葉を切り、私の目を真っ直ぐに見据えた。


「俺、マリ王のプレイ、もっと特等席で見たいから」


イタズラっぽく笑うその表情に、私は息を呑む。

どうしよう。

推しは遠くにいるべきだという私の鉄の掟が、音を立てて崩れていく。

このままじゃ、本当に。


「……海斗でよければ、いつでも」


震える声でそう返すのが、私の精一杯の抵抗だった。

ハリネズミのパンがもたらした『いいこと』は、私の平穏な日常を、さらに甘く、狂わせていく予感がした。

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