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推しの献血王子がなぜか家に通ってくるんだけど、距離が近すぎてもう好きになるしかない  作者: はりねずみの肉球
第2章:同じ帰り道の違和感

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パート1:『勝つ気がないのに、全部勝つ人』

『3、2、1……GO!』


電子音と共に、スタートダッシュの火花が散る。

私は画面の中の自機だけを見つめ、指先の感覚だけに意識を集中させた。


スタート直後の第一コーナー。

恒一さんが安定したラインでコースの中央を走り抜けようとする。その後ろから、海斗が「俺の代打で負けたら許さないからな!」と野次を飛ばす。

私は一切の表情を崩さず、インコースの壁スレスレ、いや、壁の当たり判定の境界線を縫うようにして、一切の減速なしでコーナーを抜け抜けた。


「……え?」


隣で、恒一さんが小さく息を呑む音がした。


「は……? 姉ちゃん、今、減速入れなかった……?」


海斗の声が、裏返っていた。

無理もない。今のライン取りは、コンマ数秒でもスティックの入力が遅れれば、壁に激突して大幅なタイムロスになる、完全な『理論上の最適解』だ。

私は別に考えてやったわけじゃない。ただ、私の目には『そこを通れ』という光のラインが、無意識のうちにハッキリと見えているだけ。


「まりちゃん、ちょっと待って。その動き……」


恒一さんの声に焦りが混じる。彼も必死に私の背中を追おうとするが、コーナーを曲がるたびに、その差はジリジリと開いていく。

私の手元は、自分でも驚くほど静かだった。

力みは一切ない。ただ流れるように、息をするように、キャラクターを操作していく。


アイテムボックスを通過し、手に入れたのは『バナナオイル』と『グリーンボール』。

普通なら適当に後ろに投げて牽制に使うところだが、私はそれらを保持したまま、次の複合カーブへと進入する。


「そこ、アイテムなしじゃ曲がりきれ……っ!?」


海斗が叫んだ瞬間。

私はドリフトの反動を利用し、コースアウト判定になるギリギリの空中の隙間を、緑こうらをクッション代わりに壁に当てて跳ね返り、そのままショートカットを成功させた。


「……嘘だろ」


海斗が、ソファーからずり落ちそうになりながら呟く。


「え、それ行けるの!?」


恒一さんが、完全に素の驚き声を上げた。

彼も同じようにショートカットを試みるが、角度が足りずに壁に激突し、大幅にタイムを落としてしまう。


画面の端で、コメント欄が今まで見たこともない速度で滝のように流れ始めた。


『は????』

『今何が起きた??』

『バグ? チート?』

『いや、完璧な物理演算だぞ今の』

『姉ちゃん何者なんだよ!!!』

『動きが気持ち悪すぎる(褒め言葉)』


私は無言のまま、ただ淡々とコースを消化していく。

無駄なドリフトはしない。無駄なアイテム消費もしない。

他プレイヤーの攻撃アイテムの軌道を、まるで未来視でもしているかのように最小限の動きで躱していく。


「……意味が分かんない。なんだよその動き、人間じゃねえ」


海斗が、完全に言葉を失い、モニターの前で頭を抱えている。

世界ランク二桁のゲーマーである弟の、絶対的なプライドと価値観が崩壊していく音が聞こえる。

かつて、彼が泣き出すまで徹底的に叩きのめしていた頃の『私』が、完全に目を覚ましていた。


「まりちゃん、俺……」


恒一さんが、真剣な、今まで聞いたこともないような低い声を出した。

画面の中の彼は、懸命に私の背中を追いかけている。彼のゲーム適応力の高さは異常だ。普通のプレイヤーならとっくに心が折れている大差なのに、彼は私のラインを盗み、必死に食らいつこうとしている。


でも、届かない。

圧倒的な、次元の違い。

私は一度も後ろを振り返ることなく、最終ラップの最終コーナーを抜け、ダントツの1位でゴールラインを駆け抜けた。


『FINISH!』


画面にデカデカと表示された文字。

リビングに、深い静寂が降り降りた。

ゲームのポップなBGMだけが、やけに明るく響き渡っている。


私はコントローラーをコトリとテーブルに置き、小さく息を吐いた。


「……終わり?」


ただの一言。

喜ぶわけでも、ドヤ顔をするわけでもない。ただの作業を終えたかのような、平坦な声。

その言葉が、私の『格』を決定づけた。


『やばいやばいやばい』

『ラスボスすぎて草生えない』

『海斗の姉ちゃん=マリ王爆誕』

『マリ王! マリ王! マリ王!』


コメント欄が『マリ王』という文字で埋め尽くされ、尋常ではない熱狂の渦に巻き込まれている。この配信、絶対にSNSでトレンド入りするだろう。


「……姉ちゃん、お前……」


海斗が、幽鬼のような顔で私を見つめている。


私はその視線を無視して、隣を振り向いた。

そこには、コントローラーを握りしめたまま、完全に固まっている恒一さんの姿があった。

キャップの下から覗く黒い瞳が、信じられないものを見るような色を帯びて、私を真っ直ぐに射抜いている。


ドクン、と。

ゲーム中には完全に消え去っていた心臓の音が、一気に戻ってくる。


「あ、えっと……その」


やりすぎた。

完全に、調子に乗った。

推しの前で、しかも配信で、こんな可愛げのない無双プレイを見せつけてしまうなんて。引かれたかもしれない。ドン引きされたに決まっている。


「……まりちゃんって」


恒一さんが、ぽつりと口を開く。

怒られる。いや、呆れられる。

私はギュッと目を瞑り、肩をすくめた。


「まりちゃんって……すごい人なんだね」


……え?

恐る恐る目を開けると、そこには。

呆れでも、恐怖でもない。

まるで、新しい星を見つけた天文学者のような、純粋な驚きと、熱を帯びた瞳で私を見つめる『彼』がいた。

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