第十話 竜の王子と夢魔術
それから3日経った日の朝、僕は書棚に囲まれた小さなテーブルに本を積み上
げ、半ば埋もれるようにして本をめくっていた。
僕のドラゴニア王国では「森の書庫」と言われるほど、本の発行点数が多
い。この国では森林資源が多く、紙や印刷の量産技術も早期に導入されていた
ためだろう。そのため、僕らにとって本はとても身近なものだ。基本的な書物
は国民図書館で閲覧できたし、貴重な専門書は学者や組合制の図書館で閲覧す
ることができた。
僕が住むカポック宮殿でも、国民に一般公開されている宮廷の庭園の一角に
王室図書館が併設されている。国民図書館ほどの設備はないけれど、各地の図
書館のバックアップを兼ねているし、諸事情でここに閉架されている本や非公
開の特殊な本も置かれているから、知りたい本を探すときは、僕はここに潜む
ことが多い。
今日も昼食後に潜り込んでから2時間ほどここで本を読み続けていた。
さて、僕の勘だと、そろそろだろうな…。
「イグウィル君、お邪魔させてもらいますよ」
予想してから数ページ本を読み進めたところで、先生が声をかけてきた。
「先生もやってきましたか。ここに来る前に自室で趣味の執筆活動をしていたと聞いたから、そろそろ僕に声を掛けてくる頃だと思いましたよ」
「おや、鋭いですね。イグウィル君の言うとおり執筆は先ほど一段落つきまして。そしたらイグウィル君が3日も続けてここに潜り込んでいると聞いたものですから。普段お休みの時は街に抜け出すのにどうしたのだろう?教育者としてこれはみておかねばと」
「なるほど。それで本音は?」
「とりあえず『今は』、ただの好奇心です。本はもういいのですか?」
先生は笑いながらそう言うと、向かいの席に腰掛けた。
「少し前に読み終わりましたよ。今はおさらいで再度読み進めているだけで
す。僕も先生を探すつもりだったので丁度良かったですよ」
「そうでしたか。ふむ、机の下の方に置いてあるのは、『心の安らぎと脳』に
『心の闇を灯す』ですか。どれも精神医療として適切な文献ですね。スティルちゃんの治療を考えていましたか」
「ええ、でもついさっきまで読んでいたのは、魔術についてですよ」
「ほう?」
世界によって格差はあるものの、魔術は僕らにとって比較的ありふれた技術
だ。そのしくみの解明に研究者が挑んでおり、その過程で出来た魔術は生活の
一部として組み込まれている。僕も植物に関わる魔術を身につけていて、今で
も宮殿の魔術士や先生から魔術を教わっていた。
ただ、これらの魔術効果は物理法則から全て外れるまでには至らず、物理的
な影響が大きいモノほど、制約に縛られやすくなる。そのため、これらの魔術
は物理的な制約の少ない地味なモノ(むろん例外はあるけれど)が多いけど、
これは仕方ないだろう。
手から火や水を出す事ができる魔術使いも居るけれど、そのレベルになると
国内でも数えるほどしかいないだろう。物語じゃ町ごと焼き尽くすようなトン
デモ魔法使いも出てくるけれど、そんなものが居たら今頃世界は全部消し炭
だ。その力を持とうとして自滅した国家も文明も、歴史の中でいくらでもあ
る。
「コレを見て下さい」
そう言うと、僕は本の山の一番上に置かれていた手書きの本を先生に手渡し
た。表面には『夢の深層心理』ミロイト・ティス著作と書かれている。写本と
はいえ、紙質が良く色あせもないので、比較的最近書かれたものだろう。
受け取った先生は頭を少しだけ振り、渡された本のページをぱらぱらとめくり
だした。
「前に先生は言いましたよね?頭の中に入り込む魔術は無理だって。それにつ
いては僕も同感なのですが…それで思ったのです。直接的になら無理でも間接的になら大丈夫かな…って」
「間接的?そんな方法があるはずが…ああ、なるほど、それでこの本を読んで
いたのですね?」
「ええ、正確には対象者と夢を共有する、早い話が夢に入り込む魔術ですね。
夢の内容を勝手に変えることは出来ないけれど、呼びかけたり励ましたり、そ
して手をさしのべることは出来るはずです。これなら、肉体や精神がそのまま
入り込む訳じゃない。どんな酷い夢だったとしても「悪夢を見た」止まりで済
むはずです」
「なるほど、要はリミッターがかかった夢飛行ですね」
本に目を通しながら先生が頷く。
「ここ2,3日時間を無理矢理作ってその魔術書を探していました。蔵書リス
トだけじゃ分からないので直接許可を貰ってここの書庫に立ち入りました。そ
うした甲斐がありましたよ。今、先生が見ているのはそれが詳しく書かれてい
る魔術書。他の文献はそれを裏付ける魔法解説書や技術書、近代の学者達が書
かれた本ですよ」
「なるほど。確かに興味深い本ですね。しかしイグウィル君、これらの書籍で
その人はちゃんと信頼できる人が書いていますか?特にこの本、蔵書リストに
載せられていた本でしたか?」
先生の問いかけにニヤリとした笑い顔を先生に向けてみた。先生、あなたの教
え子をなめちゃいけませんよ。
「蔵書リストにあるわけないでしょう。著者はミロイト・ティスですがこれは
偽名。だってこの本は、先生が勝手に書いてここの図書館に置いていった本で
しょう?」
「えっ!?」
先生の声が少しだけ上ずった。否定の言葉が出る前に、更にたたみかける。
「先生、表情は変えなかったけれどまた頭を翼を振っていましたね、いつものごまかす癖が直っていませんよ」
「いや、ごまかすつもりはこれっぽっちもないのですが…」
「もともとそれほど隠し通そうと思ってなかったのでしょうこの写本。先生な
ら筆跡を変えることができるでしょうに、先生のくせ字が全部そのまま書かれ
ていましたし。おまけに偽名のミロイト・ティスだって先生の本名を安易にも
じって付けたとしか思えません」
「イグウィル君、それ以前にここで読む人がいるかもわからないのですよ…」
僕の指摘に先生は困ったような声を上げていたが、とうとう吹っ切れたように
そのまま大声で笑い出した。
「ああ、もう参りました!確かにその本は私が前に書いたモノです。まさかこ
うやって見つかるとは思わなかったですけれどね」
「ああ、やっぱり先生だったのですねこの本」
「別に隠していた訳じゃないのですけれどね。ただ、自分で書いていた論文や
一般小説、書いても散らかった部屋だと置き場所に困りましてね。それならば
いっそ樹は森に、本は図書館に…と考えたのですよ」
「図書館を私物化しないでください先生!司書さんが正体不明の本をみてしば
らく悩んだらどうするのですか!」
道理で先生が書いたらしい本が、他にも何冊かあった訳だ。それにここに置か
れた学術書の一部にも先生が書いたらしいものが混ざっている。本当に何者な
のだろう。先生は自分から言わないだろうし、今度母さんに頼んで父さんをと
っちめて白状させようか。
「まぁ、今はそれをひとまず置いておいて話しを戻しますよ。先生からみて夢
を共有する魔法は可能なのでしょうか」
「可能ですよ。難しい魔法じゃないから、天才なら一発で成功させることも不
可能じゃありません。イグウィル君にとってもリンゴの皮を剥く程度の手軽さ
でしょうね」
難易度が低くてほっとした、練習に半年はかかる魔法だったらもうその時点で
アウトだったろう。
「もしかしてその魔術、既に開発されてお蔵入りされていたの?」
「いいえ、この魔術を使えるにはヒトが見る夢の仕組みをちゃんと知っておく
必要があるのでこれまで世に出たことはありませんよ。ちなみにイグウィル君
は夢の仕組みについてはちゃんと把握していますか?」
「はい、脳の一部の部分で、睡眠中に不完全で乱雑な記憶を整理する…ですよ
ね、詳細はこれらの本に書いてありましたよ」
「おお、正解です」
僕の答えに先生は満足そうだ。
「そしてここからは僕の補足なのですが、ヒトの脳は夢を生み出す部位が、脳
で自我を持つ部分と繋がれば、夢のナカで色々思い通りになる明晰夢になりま
す。それなら、私たちも魔力で神経のようなものをイメージしてスティルの脳
へとリンクすれば夢の中に入れる筈…、魔術を命名するなら「ドリームシェ
ア」かな?」
「まさか私の書いた本からそこまでの考えに至るとはなぁ…、夢の共有魔法を
覚える条件を全てクリアしてしまっているようですね。流石私の弟子でしょうか」
先生はそこまで言うと笑うのをやめ、立ち上がった。
「さてと、だとするともう事前の講義は必要なさそうですね。君が名付けた
「ドリームシェア」早速実習といきましょうか?」
「えっ!?」
今度は僕が驚く番だった、いつもの先生なら「事前準備が成功への近道です
よ」言って、新魔術を使うときは念入りに準備をする筈だ。
「言いたいことは分かりますよ。それでもイグウィル君、いえ、すぐにでもやらねばならない事情が出来てしまいました」
そう話す先生の表情は僅かに険しかった。そういえば僕を探していたな、「今は」好奇心だって言っていたけれど…。
「先生、まさかスティルの身に何かあったのです!?僕を探していたのも、最初はそれを知らせるためだったのでは?」
「その通りです」
僕の問いかけに、先生が頷く。
「スティルちゃんが眠ったまま目を覚まさなくなりました。今朝からずっと…ね」
魔術(魔法)の設定は小説により千差万別。
中にはこのサイトで魔術や魔法の考察まで行われている小説(?)
まで存在しています。




