第19話 共に死の森で
あの日―――培養液の瓶が割れ、自由を手にした私は1人、森の中を彷徨っていた
――――――早く……早く力を蓄えねば
殻の内臓が、血肉を蓄えよと全神経に訴えかけていた
―――――人を喰らうのだ、一刻も早く
飢餓に侵された腹を満たすため、無数の脚を急かし血眼で人間を探し求めた
その時だった
「――――あら?」
何も知らぬ子供が目の前に現れ、私は思わず動きを止めた
子供は目を瞬きながら私を凝視している
――――子供か。少々心許ないが、今の空腹を満たすには丁度良い
さて、どうやって森へ誘い出そうか―――
そう思考を巡らせていた時
「わぁー!!あなた草の妖精さんね!凄い!初めて見た!!」
勝手に私を『妖精』と呼び、子供はキャッキャと喜びだした
―――――ふ………まあ良い。このまま妖精と思い込んでもらった方が都合が良いだろう。そのまま油断させて、森へ―――
すると目の前に、小さな掌が視界全体に映り込んだ
次の瞬間、眩い光に包み込まれる
―――――――!?
わけの分からぬまま呆然としていると、光は消え、心無しか身体が楽になった様な感覚がした
「どう?妖精さん元気になった?なんだか具合悪そうだったから、おまじないをかけたの。皆には内緒だよ?」
そう言って子供は、人差し指を口元に寄せ微笑む
――――――――よく分からぬ子供だ
気後れする私に、子供は笑顔を向けこう続けた
「私、ローレル!ローレル・フェルトンって言うの!よろしくね妖精さん!」
それが私とローレルとの出会いだった――――――
―――――――――――――――――――――――
『"妖精"と呼んだ生き物の事を、覚えているのだな。ローレル』
ぼつりと呟かれた言葉が、暗い森に落ちた
そして緑の生き物の声色を聞いたローレルは、動揺を隠せないでいた
「まさか………妖精さんは、マディソン様だったのですか……………!?」
その緑の生き物―――マディソンはローレルの言葉を肯定する様に小さく頷く
同時に、ローレルの後ろにいるリビーとオルグレンも、驚いたように小さな蔦の生き物を凝視する
『如何にも。そもそもこの姿こそ、私の真の姿なのだ』
「この姿が…………!?」
『今は力を使い過ぎて変化する事が出来なくなったのだ。暫くはこの姿だが―――時が経てば人の姿に変えられるようになる』
そう言ってマディソンは蔦を伸ばしローレルの頬に触れた
蔦の感触を感じると同時に、幼い頃『妖精』と呼んだマディソンとの日々を、ローレルは思い出す
「どうして今まで忘れていたのかしら…………あんなに貴方と一緒にいるのが楽しかったのに…………その姿を見るまで、ずっと思い出せなかったわ……」
マディソンの蔦に手を重ね、ローレルは不思議そうに呟いた
その様子にマディソンは目を細める
『仕方あるまい。子供の頃の思い出など、すぐに忘れてしまうものだ。私も、その首飾りを見るまで、貴女のことを忘れていた』
マディソンはローレルの首にかけられたかつて自身が送った琥珀色の石の首飾りを見つめた
そして、一呼吸置くとこんな事を語り出す
『―――――――私は、かつてある研究者によって囚われた被験体だった。何が目的なのかは不明だったが、私を使い何かをやろうとしていた事は確かだった。だがある時、その研究者が行方をくらまし、私は培養液に付けられた瓶入れられたまま、長い時間閉じ込められていたのだ』
語られた事実に、ローレルは息を呑む
ハルマスの森の絶対的王者にその様な過去があるとは想定外だった
『ある日、偶然が重なりその瓶が割れ、自由を手に入れた。長い間抑制され続けていた私は、一刻も早く人の血肉を欲した。食糧でしかない脆い人間に弄ばれていた恨みもあり、手当たり次第食い荒らしてやろうと、目論んでいた――――そんな時に出会ったのが、貴女だローレル』
そう言われたローレルは驚いたように目を瞬く
『初めてだった。私のような化け物に純粋な善意で助けられたのは。あのように対等に接してくれたのは』
『マディソン様………』
ローレルがぽつりと名を口にすると、マディソンの蔦が手を伝い絡まっていく
『それでも当初はいつ食ってやろうかと頃合いを見計らっていたのだが…………いつしかそんな思いは無くなっていた。気付けば貴女が愛おしいと思うようになったのだローレル』
その言葉にローレルの瞳が大きく揺れる
しかし
『貴女がここから去り、その想いも消し去っていたが―――あの日私達は再会した…………あの消し去った想いを諦めずに済むのだと、少し欲が出てしまった』
マディソンは悲しげに目を伏せると、ゆっくり蔦を引っ込ませローレルから離れた
『………だが所詮、叶わぬ想いだったのだ。ローレル、このまま森を去れ。元居た場所に戻り幸せに―――――』
『嫌ですそんなの!』
語気を強め叫んだローレルに、マディソンは驚き言葉を止めた
『どうして勝手に決めてしまうのです!?私はまだ何も貴方に言っていないのに!貴方と離れたいだなんて一言も言っていないのに!』
ポロポロと涙を流し想いをぶつけるローレルを、マディソンは唖然とした表情でただただ見つめていた
「私は……私は、このまま貴方と共に生きますマディソン様!このままこの森で暮らしたいのです!」
ローレルの言葉が胸に刺さりマディソンは1つ目が大きく見開かれる
後ろで聞いていたリビーとオルグレンも意外そうな表情を浮かべ、ローレルを見つめている
『…………良いのかローレル。このまま帰れるというのに。こんな怪物と共にいるなどと、正気の沙汰ではない』
「良いんです。私はこの森も、マディソン様の事も、愛しているのです」
『………怪物の想いは重いぞ。一度受け入れたら、もう二度と離してやれなくなる』
「構いません。だって―――――」
力強く頷くと、ローレルはこう返した
「だって私はあの日から、マディソン様の妻ですから」
そうでしょう?と笑顔を向けるローレル
それを聞いたマディソンは、シュルシュルとゆっくり蔦をローレルの身体に絡ませた
やがて、その様子を見ていたオルグレンが静かに踵を返した
思わず横にいたリビーが呼びとめる
「オルグレン閣下?」
「ローレル様を王都に連れ帰る話は取りやめます。我々はこのまま帰還する事にしましょう」
その決断に、リビーは口を抑える
「旦那様側の私がいうのもなんですが………よろしいのですか?」
「今更あの二人を引き離す事は出来ないでしょう。私もそこまで冷酷じゃありませんよ」
オルグレンは肩をすくめると、そのまま親衛隊に声をかけ撤退の準備を勧め始めた
リビーは再びローレル達に目を向けた
ローレルは小さな植物のマディソンをそっと抱きしめ、愛おしそうに頬を寄せている
そしてマディソンも、それに応えるように蔦を這わせ、ローレルに絡みつく
そんな2人を、闇夜が優しく包み込むのだった




