第8話 遠征の値段
六月二十九日。
◇
《リレントレス・ウルフ》本部。
午前九時十二分。
「取れた?」
ダリルが聞いた。
「取れました」
遠征準備を担当する職員が、一枚の書類を差し出す。
「外部ポーター十二名。馭獣担当二名。それと洞ラバ六頭です」
「十二?」
ダリルが顔を上げた。
「よく取れたな」
「空きが出ました」
「空き?」
「《アイアン・ホーク》です」
ダリルの手が止まった。
「……そうか」
◇
八日前。
六月二十一日。
中堅老舗ギルド《アイアン・ホーク》は、第十九層調査中に死者一名を出した。
その後、ギルドマスターは予定していた退任を前倒し。
今後予定されていた潜航計画も、一部が見直されることになった。
その影響は。
《アイアン・ホーク》の中だけでは終わらない。
◇
今回、《リレントレス・ウルフ》が契約した外部ポーターの一人に話を聞いた。
――元々は《アイアン・ホーク》の仕事だったんですか?
「そうです。来月まで入ってました」
――今回の事故で?
「全部じゃないですけど、何本かなくなりましたね」
――すぐに別のギルドと契約するものなんですか?
「仕事ですから」
男は少し間を置いた。
「俺達も、潜らなきゃ金にならないんで」
◇
一つのギルドが止まれば。
人が空く。
動物が空く。
装備が空く。
そして。
契約が空く。
潜航ギルド。
外部ポーター。
馭獣業者。
治療院。
装備工房。
保険会社。
商会。
ダンジョンを中心に、多くの仕事が繋がっている。
《アイアン・ホーク》の敗走によって生まれた空白は。
八日後。
別のギルドの遠征計画を動かしていた。
◇
午後一時十四分。
会議室。
「これが第一回東部遠征の見積もりです」
経理責任者、コウハ。
机の上へ置いた紙には。
四百八十。
そう書かれていた。
◇
第一回東部遠征。
当初見積もり。
四百八十金貨。
◇
「……高いな」
ダリルが呟く。
「安くしてこれだ」
コウハは即答した。
「外部ポーターは?」
「入ってる」
「洞ラバ」
「入ってる」
「保険」
「入ってる」
「緊急石」
「入ってる」
「酒」
「入ってない」
「そうか」
「必要か?」
「いや。確認しただけ」
隣でエマが黙って数字を書き込んでいた。
◇
会議終了後。
我々は、コウハに四百八十金貨という金額について聞いた。
――高いですか?
「高いよ」
即答だった。
――でも、必要なんですよね?
「必要だから困ってる」
――削るとしたら?
「簡単だよ」
コウハが指を折る。
「ポーターを減らす。治療薬を減らす。食料を減らす。緊急石を減らす。保険を落とす」
――かなり下がります?
「下がる」
――じゃあ――
「人も死にやすくなる」
レポーターの質問が止まった。
コウハは続けた。
「金だけなら簡単なんだよ。数字を消せばいいから」
◇
四百八十金貨。
この中に、普段から支払っている社員の給与や、本部の維持費は含まれていない。
今回の遠征を行うことで、新たに発生する費用だけである。
ダンジョンへ入るだけなら。
それほど金はかからない。
だが。
遠くへ行き。
仕事をし。
全員で帰ってくる。
そのためには。
金がかかる。
◇
午後二時三十八分。
「期間は六日」
現場責任者、パウエルが地図を広げる。
「第十層までは既知ルート。その後、東へ入る。目的は調査、地図の更新、新規資源の探索。討伐は必要な場合だけだ」
「最大到達距離は?」
「東部入口から十八キロ」
「十八……」
エマが地図を見る。
「片道ですよね?」
「そうだ」
「帰りも十八キロ?」
「最大まで行けばな」
エマは地図から帳簿へ視線を戻した。
◇
会議の後。
パウエルにも話を聞いた。
――十八キロというのは、かなり遠いんですか?
「距離だけなら、そうでもないです」
――そうなんですか?
「平地なら」
パウエルが答える。
「ダンジョンでは、十八キロ先まで十八キロで行ける保証がない」
――どういうことですか?
「道が塞がってるかもしれない。魔物を避けて迂回するかもしれない。怪我人が出れば速度も落ちる。昨日まで通れた道が、今日も通れるとは限らない」
――では、六日という予定も?
「予定です」
パウエルは地図を見る。
「予定通り帰ってこられれば、一番いい」
◇
翌日。
予定は。
早くも変わり始めた。
◇
「治療薬、あと六本追加してください」
医療担当だった。
「現在の数では?」
コウハが聞く。
「通常なら足ります」
「なら――」
「通常なら、です」
医療担当が地図を見る。
「東部ですよね?」
◇
四百八十七金貨。
◇
その日の午後。
「飼料を一日分増やします」
今度は。
馭獣担当。
「六日分ある」
「六日で帰れれば」
「予定は六日だ」
「ラバは予定表を読みません」
コウハが黙った。
「……一日でいいか?」
「予備なら」
◇
四百九十六金貨。
◇
七月一日。
「緊急石をもう一つ追加したい」
パウエルだった。
コウハの手が止まる。
「予備はある」
「もう一つ」
「いくらすると思ってる」
「知ってる」
「なら――」
「東部では、何がいるか分からない」
沈黙。
「……追加」
◇
五百三金貨。
◇
四百八十。
四百八十七。
四百九十六。
五百三。
準備を進めるほど、見積額は増えていった。
高価な武器を買ったわけではない。
強い潜航者を雇ったわけでもない。
目的地を遠くしたわけでもない。
追加されたのは。
治療薬。
飼料。
緊急石。
予備の触媒。
食料。
補修用品。
そのほとんどが。
使わずに持ち帰れれば。
それが一番いいものだった。
◇
同日。
経理室。
「また増えましたね」
エマが帳簿を見ている。
「増えたな」
コウハが答える。
「これ、全部使わなかったら無駄なんですか?」
エマが聞いた。
「無駄じゃない」
「でも、使わないんですよね?」
「そうだ」
コウハが帳簿を閉じた。
「使わずに帰ってきた治療薬は、いい治療薬だ」
◇
新人経理。
エマ。
十九歳。
入社して、まだ数か月。
彼女に、今回の五百金貨近い支出をどう見ているのか聞いた。
――怖いですか?
「怖いです」
――なぜ?
「だって、私が普段入力してる金額と桁が違うので」
エマが少し笑う。
――止めたいとは?
「それは思わないです」
――なぜ?
「……そのために働いてるギルドなので」
少し考える。
「潜らないなら、何の会社なんだろうって」
◇
七月二日。
倉庫前。
六頭の洞ラバが到着した。
「これが洞ラバ?」
レオンが近づく。
「そう」
「馬より小さいですね」
「馬より賢いぞ」
「俺より?」
「知らん」
外部ポーターが一頭の背を確認する。
「どれくらい持てるんです?」
「百キロ前後」
「六頭なら六百?」
「数字だけならな」
男が飼料袋を指差した。
「こいつらの飯も運ぶ」
「あ」
◇
六頭で。
およそ六百キロ。
しかし。
運搬力を増やせば、その運搬力を維持するための荷物も増える。
六頭分の飼料。
水。
保護布。
予備の馬具。
遠くへ荷物を運ぶために。
荷物が増える。
◇
我々は、外部ポーターにも聞いた。
――積載で一番大事なことは?
「軽くすること」
――やっぱり重量ですか?
「違います」
男は洞ラバの背を触りながら答えた。
「持っていかない物を決めることです」
◇
その日の午後。
倉庫では、持っていく物と持っていかない物を決める作業が続いた。
「予備ランタン、四」
「三」
「四欲しいです」
「壊れた実績は?」
「前回一個」
「三」
「……三で」
「ロープ」
「二百メートル」
「百五十」
「東部ですよ?」
「百八十」
「分かりました」
「食料」
「六日分プラス一日」
「採用」
◇
一つ増やせば。
何かを減らす。
一キロ空けば。
別の一キロを積みたくなる。
重量には上限がある。
予算にも上限がある。
そして。
遠征で最も足りなくなるものは。
たいてい。
出発してから分かる。
◇
七月三日。
午後四時二十二分。
出発前日。
倉庫には、翌朝運び出される物資が並んでいた。
食料。
水。
飼料。
治療薬。
止血布。
魔術触媒。
野営用品。
補修資材。
予備装備。
緊急石。
すべてに番号が振られ。
すべてに行き先が決められている。
「これで全部です」
エマが最後の伝票をコウハへ渡した。
「最終?」
「はい」
コウハが確認する。
そして。
数字を丸で囲んだ。
◇
第一回東部遠征。
当初見積もり。
四百八十金貨。
最終予算。
五百十二金貨。
◇
出発前夜。
我々は、ギルドマスターのダリル・ウルフに聞いた。
――三十二金貨、増えました。
「増えましたね」
――削ろうとは?
「思いましたよ」
――どこを?
ダリルが笑った。
「それを聞かれて困ったんです」
――なぜ?
「治療薬を減らして、怪我した時にどうするんだって。食料を減らして、帰りが一日遅れたらどうするんだって。緊急石を減らして、それが必要になったらどうするんだって」
笑みが消える。
「全部、使わないかもしれないんですよ」
――それでも五百十二金貨?
「はい」
少し間を置いた。
「使わなかったら、それでいいんです」
◇
四百八十金貨から。
五百十二金貨へ。
増えた三十二金貨で。
彼らは、より遠くへ行けるようになったわけではない。
より強い魔物を倒せるようになったわけでもない。
買ったものは。
予定より一日長く歩ける可能性。
怪我人を助けられる可能性。
壊れた装備を直せる可能性。
そして。
全員で帰ってこられる可能性。
◇
もちろん。
金をかければ。
必ず帰ってこられるわけではない。
それは。
八日前。
《アイアン・ホーク》が。
業界全体へ突きつけたばかりだった。
◇
午後六時十三分。
倉庫の扉が閉じられた。
人は揃った。
六頭の洞ラバも。
物資も。
地図も。
そして。
五百十二金貨も。
すでに動き始めている。
◇
出発まで。
十一時間三十三分。
彼らにできる準備は。
すべて。
終わった。




