第6話 引退
六月二十三日。
◇
この日。
潜航業界に。
激震が走った。
◇
「本日をもちまして。」
「ギルドマスターを。」
「退任いたします。」
◇
午前十時。
◇
潜航ギルド。
《アイアン・ホーク》。
◇
創業。
四十一年。
◇
所属。
九十六名。
◇
最高到達階層。
第十八層。
◇
四十年以上。
地下へ。
人を送り続けてきた。
◇
老舗。
潜航ギルドである。
◇
ギルドマスター。
グレイ・ハワード。
六十三歳。
◇
潜航者として。
二十七年。
◇
ギルドマスターとして。
十六年。
◇
本来。
その任期は。
今年いっぱいまで。
◇
だった。
◇
「質問を。」
「どうぞ。」
◇
「退任は。」
「年末の予定だったと。」
「はい。」
◇
「今回の敗走を受けて。」
「前倒しされた。」
「そういう理解で?」
◇
「……。」
◇
「そうです。」
◇
三日前。
◇
六月二十日。
◇
《アイアン・ホーク》は。
これまで。
本格的な調査を行っていなかった。
第十九層へ。
向かった。
◇
参加。
三十五名。
◇
死亡。
一名。
◇
重傷。
三名。
◇
軽傷。
七名。
◇
装備。
多数放棄。
◇
第十九層調査。
中止。
◇
撤退。
◇
そして。
◇
敗走。
◇
「今回の潜航について。」
「無謀だったとの認識は?」
「ありません。」
◇
即答だった。
◇
「判断ミスがあったと?」
「現時点では。」
「そう考えていません。」
◇
会場が。
ざわつく。
◇
「計画に問題はなかった。」
「判断にも問題はなかった。」
「それでも。」
「一名が亡くなっています。」
◇
「はい。」
◇
「矛盾していませんか?」
「していません。」
◇
グレイは。
記者を見る。
◇
「正しい計画を立てれば。」
「誰も死なないのなら。」
◇
「この仕事は。」
「もっと簡単です。」
◇
会場が。
静かになる。
◇
「規定に違反した者は。」
「いません。」
◇
「装備にも。」
「現時点で。」
「重大な不備は確認されていない。」
◇
「撤退判断も。」
「遅かったとは。」
「考えていません。」
◇
「それでも。」
◇
少し。
間。
◇
「一人。」
「帰せなかった。」
◇
潜航ギルドが。
撤退することは。
珍しくない。
◇
怪我人が。
出ることもある。
◇
死亡事故も。
この業界から。
なくなったことはない。
◇
今回。
業界が驚いた理由は。
◇
敗走したからではない。
◇
敗走したのが。
《アイアン・ホーク》だったからだ。
◇
四十一年。
◇
積み重ねた。
潜航記録。
◇
経験。
◇
装備。
◇
人員。
◇
そして。
実績。
◇
その老舗が。
第十九層から。
逃げ帰った。
◇
「退任は。」
「亡くなられた方への。」
「責任を取るためでしょうか。」
◇
「それだけなら。」
「辞めません。」
◇
記者達の。
ペンが。
止まった。
◇
「……どういう意味でしょう。」
「辞めたからといって。」
「一人が戻ってくるわけじゃない。」
◇
「俺が。」
「責任を取ったことにも。」
「ならない。」
◇
「では。」
「なぜ今?」
◇
「元々。」
「今年いっぱいで。」
「辞める予定でした。」
◇
「半年ほど。」
「早くなっただけです。」
◇
「その半年を。」
「なぜ?」
◇
グレイが。
背もたれへ。
身体を預ける。
◇
「今なら。」
◇
「俺が辞めることに。」
「価値があるからです。」
◇
敗走から。
三日。
◇
《アイアン・ホーク》には。
すでに。
その影響が。
出始めていた。
◇
保険。
◇
「次回更新につきましては。」
「今回の潜航実績を含め。」
「再査定となります。」
◇
ポーター。
◇
「十九層ですか。」
「……。」
「人は出せます。」
◇
「ただ。」
「危険手当については。」
「見直しをお願いします。」
◇
スポンサー。
◇
「契約解除ではありません。」
◇
「ですが。」
「次回遠征への。」
「追加出資については。」
◇
「一旦。」
「保留とさせてください。」
◇
一名の死亡。
◇
十名の負傷。
◇
それは。
地上へ戻った瞬間。
数字に変わる。
◇
保険料。
◇
危険手当。
◇
資金。
◇
採用。
◇
そして。
◇
信用。
◇
敗走は。
地上へ戻れば。
終わるわけではない。
◇
会社である以上。
その後も。
続いていく。
◇
「保険会社も。」
「商会も。」
「ポーターも。」
◇
「次を見る。」
◇
グレイが。
会場を。
見渡す。
◇
「だったら。」
「新しい顔を。」
「見せた方がいい。」
◇
「今回の退任は。」
「経営判断でもある?」
◇
「ギルドマスターですから。」
◇
この日。
初めて。
◇
グレイが。
少しだけ。
笑った。
◇
「最後まで。」
「それくらいは。」
「しますよ。」
◇
「後任について。」
「お聞かせください。」
◇
「決まっています。」
◇
「どなたでしょう。」
◇
「娘です。」
◇
ざわ。
◇
会場が。
揺れた。
◇
「ご息女を?」
「はい。」
◇
「おいくつですか?」
「二十七。」
◇
今度は。
はっきりと。
声が上がった。
◇
「二十七歳?」
「はい。」
◇
「九十六名を抱える。」
「老舗ギルドの長として。」
「若すぎるとの声も。」
「出るのでは?」
◇
「でしょうね。」
◇
グレイは。
否定しなかった。
◇
「今回の件を受けて。」
「急遽決めた人事ですか?」
「違います。」
◇
「元々。」
「年末に。」
「継がせる予定でした。」
◇
「つまり。」
「半年早まっただけ?」
「はい。」
◇
「それでも。」
「二十七歳です。」
◇
「年齢で。」
「決めてませんから。」
◇
午前十時三十六分。
◇
一人の女性が。
壇上へ。
上がった。
◇
リディア・ハワード。
◇
二十七歳。
◇
《アイアン・ホーク》。
副ギルドマスター。
◇
そして。
◇
今日から。
◇
三代目。
ギルドマスター。
◇
「リディア・ハワードです。」
◇
声は。
少し。
硬かった。
◇
「本日より。」
「《アイアン・ホーク》の。」
「ギルドマスターを務めます。」
◇
「よろしくお願いいたします。」
◇
頭を下げる。
◇
フラッシュ。
◇
フラッシュ。
◇
フラッシュ。
◇
「質問よろしいでしょうか。」
「はい。」
◇
「二十七歳で。」
「九十六名の社員を。」
「率いることになります。」
◇
「不安は?」
◇
「あります。」
◇
即答。
◇
「九十六人の。」
「生活と。」
◇
「潜航者の。」
「命に。」
◇
「関わる仕事です。」
◇
「不安がない方が。」
「私は。」
「怖いです。」
◇
「第十九層について。」
◇
「再挑戦する予定は?」
◇
「今は。」
「答えません。」
◇
「撤退も。」
「選択肢に?」
◇
「それも。」
「今は答えません。」
◇
「なぜでしょう。」
◇
リディアが。
少し。
考える。
◇
「私は。」
「三日前。」
◇
「十九層に。」
「いました。」
◇
会場が。
静かになった。
◇
「では。」
「現場をご存じなのでは?」
「はい。」
◇
「何が起きたのかも?」
「知っています。」
◇
「それでも。」
「判断できない?」
◇
「違います。」
◇
リディアが。
記者を見る。
◇
「私が見た。」
「十九層と。」
◇
「他の三十四人が見た。」
「十九層が。」
◇
「同じとは。」
「限りません。」
◇
「全員の記録を。」
「確認します。」
◇
「それから。」
◇
「ギルドマスターとして。」
「判断します。」
◇
後ろで。
グレイが。
娘を見る。
◇
何も。
言わない。
◇
午前十一時十二分。
◇
会見。
終了。
◇
我々は。
そのまま。
《アイアン・ホーク》の。
本部へ向かった。
◇
「第六隊。」
「帰還予定、十五時。」
「了解。」
◇
「第三倉庫。」
「治療薬、二十追加。」
「在庫は?」
「問題ありません。」
◇
「ポーター第二班。」
「明日の五層便へ。」
「はい。」
◇
人が。
動いている。
◇
次々と。
仕事が。
流れていく。
◇
新しい。
ギルドマスターは。
◇
まだ。
一つも。
指示を出していない。
◇
それでも。
◇
会社は。
動いている。
◇
創業。
四十一年。
◇
医務室。
◇
治療師。
四名。
◇
装備工房。
◇
鍛冶師。
六名。
◇
倉庫。
◇
剣。
◇
盾。
◇
防具。
◇
ロープ。
◇
治療薬。
◇
保存食。
◇
緊急石。
◇
そして。
◇
「お疲れさまです。」
「お疲れ。」
◇
大きな荷を。
背負った男達が。
通り過ぎる。
◇
――彼らは?
「ポーターです。」
◇
――自社の?
「はい。」
◇
前日。
◇
《リレントレス・ウルフ》では。
新人事務員のエマが。
◇
外部ポーターを。
探していた。
◇
七社。
◇
確保。
ゼロ。
◇
ここでは。
◇
彼らが。
社員として。
廊下を歩いている。
◇
四十一年。
◇
その差は。
設備だけではない。
◇
「こちらです。」
◇
扉が。
開く。
◇
「……。」
◇
棚。
◇
棚。
◇
棚。
◇
部屋の奥まで。
紙束が。
並ぶ。
◇
――これは?
「潜航記録です。」
◇
――全部?
「はい。」
◇
――いつから?
「創業から。」
◇
魔物。
◇
地形。
◇
気候。
◇
水場。
◇
採取物。
◇
負傷。
◇
死亡。
◇
撤退。
◇
成功。
◇
失敗。
◇
四十一年間。
◇
何百人もの。
潜航者が。
◇
地下から。
持ち帰った。
◇
経験。
◇
午後一時十五分。
◇
我々は。
《リレントレス・ウルフ》。
ギルドマスター。
◇
ダリル・ウルフにも。
話を聞いた。
◇
――《アイアン・ホーク》を。
――どう見ていますか?
「強いですよ。」
◇
――設備?
「それも。」
◇
――人数?
「それも。」
◇
――一番の違いは?
◇
「……。」
◇
ダリルが。
少し。
考える。
◇
「失敗の数。」
◇
――失敗?
「俺達が。」
「これからする失敗を。」
◇
「あそこは。」
「もう誰かがしてる。」
◇
再び。
資料室。
◇
四十一年分の。
記録。
◇
金を出しても。
買えない。
◇
時間。
◇
その中に。
◇
新しい記録が。
一冊。
加わった。
◇
六月二十日。
◇
第十九層。
◇
死亡。
一名。
◇
午後二時四十三分。
◇
廊下。
◇
「ご就任。」
「おめでとうございます。」
「ありがとう。」
◇
「よろしくお願いします。」
「こちらこそ。」
◇
若い潜航者達が。
リディアへ。
声を掛ける。
◇
その先。
◇
古参の。
潜航者が。
二人。
◇
「……二十七か。」
「やめろ。」
「聞こえるぞ。」
◇
「聞こえるように。」
「言ったんだ。」
◇
リディアの。
足が。
一瞬。
止まった。
◇
振り返らない。
◇
「お疲れさまです。」
◇
二人へ。
頭を下げる。
◇
「……。」
◇
「……お疲れさまです。」
◇
返事は。
返ってきた。
◇
それだけだった。
◇
四十一年。
◇
積み重ねた時間は。
会社を。
強くする。
◇
そして。
◇
四十一年あれば。
◇
人も。
変わる。
◇
午後六時十二分。
◇
旧。
ギルドマスター室。
◇
机の上。
◇
小さな箱。
◇
グレイが。
本を。
詰めている。
◇
「……本当に。」
「今日から?」
「今日から。」
◇
「引き継ぎは?」
「年末までの分。」
「もう終わってる。」
「そうじゃなくて。」
「何だ。」
◇
リディアが。
腕を組む。
◇
「九十六人。」
「いるんだけど。」
「知ってる。」
◇
「私。」
「二十七なんだけど。」
「それも知ってる。」
◇
「……。」
◇
「本当に。」
「最悪。」
「知ってる。」
◇
最後の本が。
箱へ入る。
◇
「じゃあ。」
「帰る。」
「待って。」
◇
「何だ。」
「明日は?」
「来ない。」
◇
「……明後日は?」
「来ない。」
◇
「来週は?」
「しつこい。」
◇
「いや。」
「普通。」
「もう少しあるでしょ。」
◇
「ない。」
◇
グレイが。
箱を持つ。
◇
「ギルドマスターだろ。」
◇
「今日から。」
「お前が。」
◇
扉へ。
向かう。
◇
「……お父さん。」
◇
グレイが。
止まった。
◇
今日。
◇
初めて。
そう呼んだ。
◇
「何だ。」
◇
「あの時。」
◇
「撤退したこと。」
◇
「今でも。」
「正しかったと思ってる?」
◇
「思ってる。」
◇
迷いは。
なかった。
◇
「……私も。」
◇
リディアが。
机を見る。
◇
六月二十日。
◇
第十九層。
◇
潜航記録。
◇
「それでも。」
◇
「一人。」
「死んだ。」
◇
「……。」
◇
「そうだ。」
◇
それだけだった。
◇
正しい判断だった。
◇
父も。
◇
娘も。
◇
そう考えている。
◇
それでも。
◇
一人。
帰らなかった。
◇
――第十九層で。
◇
――何があったのでしょうか。
◇
六月二十日。
◇
午前五時四十分。
◇
三日前。
◇
《アイアン・ホーク》。
本部前。
◇
「十九層。」
「最終確認するぞ。」
◇
グレイ・ハワード。
六十三歳。
◇
その隣。
◇
リディア・ハワード。
二十七歳。
◇
まだ。
副ギルドマスター。
◇
潜航者。
二十四名。
◇
ポーター。
八名。
◇
医療職。
三名。
◇
総勢。
三十五名。
◇
「装備。」
「問題ありません。」
◇
「緊急石。」
「確認済み。」
◇
「食料。」
「予備含め問題なし。」
◇
「天候。」
「安定しています。」
◇
「全員。」
「いるな?」
「はい。」
◇
装備。
問題なし。
◇
人員。
問題なし。
◇
天候。
問題なし。
◇
計画。
予定通り。
◇
グレイが。
全員を見る。
◇
「出発する。」
◇
三十五人が。
地下へ。
向かう。
◇
目的地。
◇
第十九層。
◇
この時点では。
◇
まだ。
◇
何一つ。
◇
問題は。
◇
なかった。




