第5話 夏支度
午前九時。
◇
「おはようございます。」
《リレントレス・ウルフ》。
本部。
◇
エマ。
十九歳。
◇
今年。
《リレントレス・ウルフ》へ入社した。
十二人の新人の。
一人。
◇
職種。
事務。
◇
剣は。
持たない。
◇
魔法も。
使わない。
◇
ダンジョンへも。
潜らない。
◇
出社は。
午前九時。
◇
潜航者達より。
少し遅い。
◇
髪を整え。
淡い色のブラウス。
小さな鞄。
◇
昨日。
泥と血にまみれて。
岩殻蟹を運んでいた。
同期達とは。
◇
少し違う。
朝を迎える。
◇
我々は。
この日。
彼女に。
密着することにした。
◇
「……あれ?」
扉を開けた。
エマが。
足を止める。
◇
「はい。」
「七名です。」
「往復で。」
◇
通信石。
◇
「第十層想定です。」
「……はい。」
「分かりました。」
◇
別の机。
◇
「緊急石。」
「在庫、三つあります?」
◇
さらに。
別の机。
◇
「去年の保存食。」
「残ってる分から確認して。」
「期限は?」
「全部見る。」
◇
「……。」
エマが。
鞄を置く。
「おはようございます。」
「おはよう。」
返事は。
返ってくる。
◇
だが。
誰も。
手を止めない。
◇
「……今日。」
「何かあるんですか?」
近くにいた職員が。
書類から。
顔を上げる。
「夏が来るから。」
「夏?」
◇
夏。
◇
多くの。
潜航ギルドが。
本格的な遠征へ。
動き出す季節。
◇
雪が消え。
街道が安定する。
◇
日が長くなり。
物資を。
運びやすくなる。
◇
そして。
《リレントレス・ウルフ》にも。
目的地がある。
◇
東部。
◇
第十層。
◇
二度。
届かなかった。
場所である。
◇
「エマ。」
「はい。」
コウハが。
書類を。
机へ置く。
「昨日の収支。」
「まとめてもらえます?」
「あ、はい。」
◇
午前九時二十二分。
◇
薬草。
◇
鉱石。
◇
小型魔物素材。
◇
岩殻蟹。
◇
地下売却。
◇
エマが。
一つずつ。
数字を拾う。
◇
次に。
支出。
◇
食料。
◇
ランタン油。
◇
治療薬。
◇
消耗品。
◇
「……。」
計算。
◇
もう一度。
計算。
◇
「黒字。」
エマが。
少し。
嬉しそうに言った。
「はい。」
コウハは。
別の帳簿を。
見ている。
「ちゃんと。」
「黒字ですよね?」
「昨日の潜航は。」
「ですよね。」
◇
エマは。
昨日。
新人達と。
同じ鍋を囲んだ。
◇
岩殻蟹。
◇
初めて。
新人達が。
成果として。
持ち帰ったもの。
◇
そして。
初めての。
黒字。
◇
「次も。」
「こうならいいですね。」
「そうですね。」
◇
コウハの返事は。
短かった。
◇
「……。」
エマが。
机の端に置かれた。
別の帳簿を見る。
◇
数字。
◇
昨日の帳簿より。
桁が。
大きい。
◇
「コウハさん。」
「はい。」
「これ。」
「会社のお金ですか?」
「そうです。」
◇
エマが。
昨日の残高と。
今日の残高を。
見比べる。
◇
「減ってません?」
「減ってますね。」
「……。」
「昨日。」
「黒字でしたよね?」
「昨日の潜航は。」
「……。」
コウハが。
初めて。
顔を上げる。
「会社が黒字とは。」
「言ってません。」
◇
午前九時四十一分。
◇
エマは。
初めて。
会社全体の。
帳簿を開いた。
◇
取材を始めて。
我々も。
この日。
初めて。
◇
《リレントレス・ウルフ》が。
潜っていない時間にも。
どれだけの金を。
使っているのか。
◇
その一部を。
見ることになった。
◇
「これが。」
「今月。」
コウハが。
頁をめくる。
◇
給与。
◇
本部。
◇
倉庫。
◇
保険。
◇
装備維持。
◇
修繕。
◇
「潜らなくても。」
「これだけ掛かります。」
「……。」
「で。」
もう一枚。
紙が。
置かれる。
「潜れば。」
「こっちが増えます。」
◇
油。
◇
ロープ。
◇
矢。
◇
魔法触媒。
◇
治療薬。
◇
包帯。
◇
食料。
◇
保存剤。
◇
採取用品。
◇
剣は。
欠ける。
◇
盾は。
傷む。
◇
靴は。
減る。
◇
薬は。
使えば。
無くなる。
◇
潜らなくても。
金は掛かる。
◇
潜れば。
もっと。
掛かる。
◇
それが。
潜航ギルドという。
会社だった。
◇
「……蟹。」
「はい。」
「全然。」
「足りないですね。」
「ですから。」
コウハが。
帳簿を閉じる。
「昨日くらい。」
「喜んでおけば。」
「よかったんですよ。」
「……。」
エマが。
少し。
笑った。
◇
午前十時七分。
◇
給与台帳。
◇
「これ。」
「全員分ですか?」
「全員分です。」
◇
エマの指が。
名前を。
追っていく。
◇
エドガー。
◇
パウエル。
◇
そして。
◇
レオン。
ノア。
セリア。
ミア。
◇
昨日。
同じ鍋を。
囲んでいた。
名前。
◇
「……潜航者って。」
「やっぱり。」
「給料高いですね。」
「高いですよ。」
◇
この国で。
潜航者を除く。
労働者の。
平均月収。
◇
銅貨。
百二十枚ほど。
◇
銀貨一枚。
銅貨二十枚。
◇
潜航者は。
新人でも。
それを。
大きく上回る。
◇
基本給。
◇
潜航手当。
◇
深度手当。
◇
成果報酬。
◇
深く。
危険な場所へ。
潜るほど。
◇
収入は。
増えていく。
◇
「いいなあ。」
エマが。
小さく呟く。
「潜ります?」
「嫌です。」
「でしょうね。」
「……。」
「高くしないと。」
コウハが。
頁をめくる。
「誰も。」
「潜りませんから。」
◇
午前十時四十八分。
◇
「エマ。」
「はい。」
「これ。」
名簿。
◇
「ポーターギルド。」
「七名。」
「往復。」
「東部。」
「第十層想定。」
「空きを確認してください。」
「私が?」
「通信くらい。」
「できますよね。」
「……はい。」
◇
一社目。
◇
「お世話になっております。」
「《リレントレス・ウルフ》です。」
◇
少し。
緊張した声。
◇
「夏の遠征で。」
「七名お願いしたいんですが。」
◇
沈黙。
◇
「……はい。」
「そうですか。」
「分かりました。」
◇
通信を。
切る。
「駄目でした。」
「次。」
「はい。」
◇
二社目。
◇
「七名です。」
◇
「……。」
◇
「四名でも?」
◇
「……はい。」
◇
切る。
「駄目でした。」
「次。」
◇
三社目。
◇
「東部です。」
「第十層想定で。」
◇
「……。」
◇
「日程ですか?」
◇
エマが。
コウハを見る。
◇
コウハ。
首を振る。
◇
「日程は。」
「変えられません。」
◇
通信が。
切れる。
◇
「……全然。」
「いないですね。」
「夏ですから。」
◇
ポーター。
◇
荷を。
運ぶことを。
専門とする。
潜航者達。
◇
長期遠征では。
食料。
水。
野営道具。
治療薬。
予備装備。
◇
持ち込む物資だけでも。
膨大になる。
◇
帰りには。
成果物が。
加わる。
◇
深く。
長く。
潜るほど。
◇
彼らの存在は。
重要になる。
◇
そして。
夏。
◇
遠征を始めるのは。
この会社だけではない。
◇
「次。」
「はい。」
◇
四社目。
◇
五社目。
◇
六社目。
◇
午前十一時五十六分。
◇
「……。」
エマが。
机へ。
額をつける。
「一人も。」
「取れませんでした。」
「午後もお願いします。」
「まだやるんですか?」
「取れるまで。」
「……はい。」
◇
昼。
◇
「俺達も。」
「東部行けます?」
◇
その頃。
◇
潜航者達は。
装備庫で。
夏の話をしていた。
◇
「十層ですよ?」
「行きたいに。」
「決まってるじゃないですか。」
◇
「東部。」
「初めてなんですよ。」
◇
「何がいるんです?」
「行けば分かる。」
「それ。」
「知らない人の答えですよね?」
◇
笑い声。
◇
同じ頃。
◇
「七名です。」
「……。」
「はい。」
「第十層まで。」
◇
エマは。
七社目へ。
連絡していた。
◇
彼らが。
夏の遠征を。
楽しみにしている頃。
◇
同期の一人は。
その遠征に必要な。
一人目すら。
まだ。
確保できていなかった。
◇
午後一時十二分。
◇
保険。
◇
エマの前に。
再び。
社員名簿が。
置かれた。
◇
名前。
◇
年齢。
◇
職種。
◇
潜航経験。
◇
予定階層。
◇
そして。
◇
死亡。
◇
後遺障害。
◇
救出。
◇
「……。」
エマの指が。
止まる。
◇
レオン。
◇
ノア。
◇
セリア。
◇
ミア。
◇
昨夜。
笑って。
蟹を食べていた。
名前。
◇
今日。
◇
その名前は。
保険の書類に。
並んでいた。
◇
「これ。」
「全員ですか?」
「潜る人間はね。」
「……。」
「第十層まで行くなら。」
「条件も変わる。」
「階層で?」
「変わります。」
「職種でも?」
「変わります。」
◇
エマが。
もう一度。
名簿を見る。
◇
朝。
給与台帳で。
見た名前。
◇
今度は。
保険の書類で。
見ている。
◇
高い給料。
◇
高い保険。
◇
その理由を。
エマは。
少しずつ。
理解し始めていた。
◇
午後二時三分。
◇
「緊急石。」
「三つ。」
コウハ。
◇
エマが。
見積書を見る。
「……高っ。」
◇
緊急石。
◇
地下から。
地上へ。
救難信号を送る。
魔道具。
◇
「三つも。」
「必要なんですか?」
「必要です。」
「二つじゃ?」
「三つです。」
「でも。」
「一度も使わなかったら――」
◇
エマが。
止まる。
◇
「……。」
「どうしました?」
「いえ。」
◇
もう一度。
見積書を見る。
◇
「使わない方が。」
「いいんですよね。」
「そうですね。」
◇
緊急石は。
何もなければ。
一度も。
使われない。
◇
そして。
◇
それが。
一番いい。
◇
午後三時二十一分。
◇
「食料。」
「予定日数分。」
◇
エマが。
紙を見る。
◇
「……。」
ペン。
◇
書き足す。
◇
「予備。」
「三日ですよね?」
職員が。
エマを見る。
「そう。」
◇
「水も?」
「もちろん。」
「治療薬は?」
「予備を別梱包。」
「分かりました。」
◇
午前九時。
◇
昨日の黒字を。
喜んでいた。
新人事務員は。
◇
午後三時。
◇
使わないかもしれない。
三日分の食料を。
◇
自分から。
追加していた。
◇
「……あれ?」
エマが。
事務所を見る。
「そういえば。」
「ダリルさん。」
「今日見てませんね。」
「いませんね。」
「どこです?」
コウハは。
帳簿から。
顔を上げない。
「金集めです。」
「……。」
「金集め?」
◇
ここで。
我々は。
エマから。
一度。
離れる。
◇
午後三時三十七分。
◇
「申し訳ありません。」
「今回は。」
「……そうですか。」
ダリルが。
頭を下げる。
◇
「ありがとうございました。」
◇
二件目。
◇
「去年も。」
「撤退していますよね?」
「はい。」
◇
三件目。
◇
「今年。」
「成功する根拠は?」
「去年より。」
「人がいます。」
◇
四件目。
◇
「担保は?」
「ありません。」
◇
五件目。
◇
「返済計画は?」
◇
六件目。
◇
「第十層へ。」
「届かなかった場合は?」
◇
この日。
◇
ダリルが。
聞かれ続けたのは。
◇
夢ではない。
◇
数字だった。
◇
午後五時二十八分。
◇
店を。
出る。
◇
――何件目ですか?
「……。」
「忘れました。」
――集まりそうですか?
ダリルは。
歩き続ける。
「集めます。」
◇
――そこまでして。
――今年。
行く必要がありますか?
ダリルの。
足が止まる。
「あります。」
――来年では?
「……。」
しばらく。
答えなかった。
「来年。」
「今と同じ人数が。」
「いる保証。」
「ないんですよ。」
◇
潜航者は。
辞める。
◇
大手へ。
移る者もいる。
◇
怪我で。
潜れなくなる者もいる。
◇
そして。
十二人の新人が。
十二人全員。
一人前になる保証も。
どこにもない。
◇
創業。
三年目。
◇
ダリルには。
待つことも。
また。
経営判断だった。
◇
午後七時五十二分。
◇
我々は。
再び。
エマの元へ。
戻った。
◇
「……眠い。」
机に。
書類。
◇
朝より。
増えている。
◇
ポーター。
◇
保険。
◇
緊急石。
◇
食料。
◇
装備。
◇
給与。
◇
修繕。
◇
消耗品。
◇
そして。
◇
資金。
◇
「ただいま。」
扉が。
開く。
ダリル。
◇
「おかえりなさい。」
エマが。
顔を上げる。
「まだいたの?」
「いました。」
「帰っていいよ。」
「そうしたいです。」
「……。」
「でも。」
「これ終わってません。」
ダリルが。
少し。
笑う。
「そっか。」
◇
コウハが。
最後の数字を。
書き込む。
◇
ペンを。
置いた。
◇
「出ました。」
ダリルが。
椅子へ座る。
「うん。」
「今の人数を。」
「今のまま。」
「維持した場合。」
◇
少し。
間。
◇
「今年いっぱいは。」
「保ちます。」
◇
「……。」
エマが。
息を吐く。
「よかった……。」
「今年いっぱいは。」
コウハが。
もう一度。
言った。
◇
「……。」
エマが。
顔を上げる。
「来年は?」
ダリルが。
聞いた。
「今のままなら。」
コウハ。
◇
「ありません。」
◇
静かだった。
◇
午前九時。
◇
通信の声が。
飛び交っていた。
事務所。
◇
今は。
時計の音だけが。
聞こえる。
◇
ダリルが。
机の端に置かれた。
東部の地図を見る。
◇
第十層。
◇
二度。
届かなかった。
場所。
◇
「夏の遠征込みで?」
「成功すれば。」
◇
エマが。
コウハを見る。
◇
次に。
ダリルを見る。
◇
午前九時。
◇
出社した時。
エマは。
昨日の黒字を。
喜んでいた。
◇
午後八時。
◇
その数字は。
何一つ。
変わっていない。
◇
変わったのは。
◇
数字を見る。
エマの方だった。
◇
《リレントレス・ウルフ》。
◇
創業。
三年目。
◇
所属。
六十名。
◇
新人。
十二名。
◇
ポーター。
未確保。
◇
緊急石。
未発注。
◇
遠征資金。
不足。
◇
そして。
◇
三度目の。
第十層挑戦。
◇
ダリルが。
地図を。
指でなぞる。
「行こう。」
「今年は。」
「十層まで。」
◇
夏まで。
◇
あと。
◇
四十三日。




