第18話 大手
七月十九日。
午前八時十二分。
《リレントレス・ウルフ》本部。
昨日。
街でも五本の指に入る大手潜航ギルド、《女神の加護》へ提示した条件。
魔晶樹から得られる利益の三パーセント。
期間は、五年間。
さらに。
今後二年間。
第十階層東部で新たな資源を発見し、正式に認定され、利益が発生した場合。
その二パーセント。
対して。
《女神の加護》に求めたものは。
英雄、一名。
精鋭戦闘ユニット、一つ。
ポーター、三ユニット。
環境整備部隊、五ユニット。
昨日の交渉では。
結論は出なかった。
「まだ?」
ダリルが聞いた。
「まだです」
エマは帳簿から顔も上げない。
「何時に来るって?」
「返事が来るとは言っていました」
「何時?」
「知りません」
「朝って何時まで?」
「知りません」
ダリルが窓を見る。
「……長いな」
コウハが書類をめくりながら言った。
「まだ八時十二分だ」
「昨日から待ってるから」
「寝ただろ」
「寝たけど」
その時。
扉が開いた。
「ギルドマスター」
職員が封書を持って立っていた。
「《女神の加護》からです」
ダリルが立った。
「来た?」
「はい」
封書を受け取る。
席へ戻る前に。
その場で開いた。
コウハが顔を上げる。
エマも。
手を止めた。
「……」
ダリルが読む。
「どうだ?」
コウハが聞いた。
「ちょっと待って」
「何て書いてあるんです?」
「今読んでる」
紙を一枚めくる。
もう一度。
最初から読む。
「ダリル」
「分かってる」
そして。
顔を上げた。
「受けるって」
エマが立った。
「全部ですか?」
「……たぶん」
「たぶんでは困ります」
エマが手を出した。
「貸してください」
「あ、はい」
封書が。
ダリルからエマへ渡った。
◇
午前八時二十分。
《女神の加護》から届いた正式回答。
魔晶樹。
三パーセント。
五年間。
新規資源。
二パーセント。
二年間。
そして。
英雄一名。
精鋭戦闘ユニット一つ。
ポーター三ユニット。
環境整備部隊五ユニット。
基本条件。
受諾。
細かな契約条項については。
この日。
双方の契約担当者が詰めることになった。
《リレントレス・ウルフ》にとって。
初めての。
大手との本格的な共同事業が始まる。
◇
――決まりましたね。
「決まりましたね」
――嬉しい?
「嬉しいです」
――昨日は、かなり迷っていました。
「そりゃ迷いますよ」
ダリルが笑った。
「五年ですからね」
――魔晶樹の利益を三パーセント。
「はい」
――高い?
「高いです」
――それでも契約する。
「俺達だけでゴブリンをどうにかして、その後ずっと道を維持できるなら、払わなくていいですから」
――できない?
「今は」
少し考える。
「できるかもしれない、で会社は動かせないです」
◇
その日の午後。
我々は。
《リレントレス・ウルフ》を離れた。
向かった先は。
街の中心部から。
北へ、およそ十五分。
大きな石造りの建物。
その正面に。
女神を象った紋章が掲げられている。
《女神の加護》。
創立、二十八年。
所属。
四百八十六人。
年間売上。
およそ四万八千金貨。
通常活動域。
第二十階層付近まで。
最大到達記録。
第二十七階層。
《リレントレス・ウルフ》。
所属、六十人。
最大到達階層。
第十階層。
人数だけで。
およそ八倍。
だが。
建物へ入って。
最初に目についたのは。
潜航者ではなかった。
「第十四階層、補給便出ます!」
「医療箱、三番まで確認!」
「洞ラバ二頭、蹄鉄交換中です!」
「十八階組、帰還予定一日遅れ!」
「記録課へ回して!」
人が動いている。
荷物が動いている。
書類が動いている。
壁には。
何枚もの予定表。
第七階層。
第十二階層。
第十四階層。
第十八階層。
第二十一階層。
複数の潜航が。
同じ日に。
別々の場所で動いていた。
◇
――今日は、何組がダンジョンに入っているんですか?
「少し待ってください」
案内を担当してくれた職員が。
壁の予定表を数える。
「潜航中が十一」
「今日出発が三」
「帰還予定が四ですね」
――同時に?
「はい」
――毎日、このくらい?
「日によります」
職員が笑った。
「今日は少ない方です」
◇
次に案内されたのは。
装備庫。
壁一面に並ぶ。
剣。
盾。
槍。
その奥には。
修繕中の防具。
「これ、全部ギルドの物ですか?」
「共用装備はそうですね」
職人が。
盾の留め具を交換している。
「個人装備も預かりますけど」
――一日にどのくらい修理を?
「数えたことないな」
手を止めない。
「壊して帰ってくるんで」
――誰が?
「みんな」
職人が笑った。
◇
その隣。
医療区画。
八床のベッド。
薬品棚。
処置台。
この時。
三つのベッドが使われていた。
一人は腕。
一人は脚。
もう一人は。
眠っている。
――ダンジョンで?
「全員そうです」
医療担当者が答えた。
――重傷ですか?
「二人は数日で戻れます」
眠っている男を見る。
「彼は、しばらくかかります」
――それでも潜る?
「治れば」
担当者は。
特に表情を変えなかった。
「そういう仕事ですから」
◇
午後二時二十六分。
建物の裏手。
そこには。
洞ラバが並んでいた。
一頭。
二頭ではない。
数十頭。
飼料を運ぶ者。
荷台を確認する者。
縄を交換する者。
蹄を見る者。
その横で。
ポーター達が。
荷物を床へ並べていた。
「水、六」
「油、四」
「予備灯、二」
「治療箱、一」
「食料、三日分」
「縄は?」
「上」
「上じゃ分からん。出せ」
荷物が。
一つずつ確認されていく。
◇
《女神の加護》。
所属四百八十六人のうち。
全員が。
剣を持って戦うわけではない。
物を運ぶ者。
装備を直す者。
怪我人を治す者。
道を調べる者。
採取する者。
記録する者。
契約する者。
金を管理する者。
そして。
戦う者。
第二十階層へ。
一人の潜航者を送り。
働かせ。
生きて帰すために。
その何倍もの人間が。
地上と地下で働いている。
◇
――《リレントレス・ウルフ》から、ポーター三ユニットを求められています。
「聞いています」
輸送部門の責任者が答えた。
――かなりの人数になる?
「そうですね」
――出せるんですか?
「出せます」
即答だった。
――普段の仕事に影響は?
「出ないように組みます」
――簡単に?
「簡単ではないですよ」
責任者が。
予定表を見る。
「第十階層へ三つ出すなら、その三つがやっていた仕事を誰かに振ります」
指で予定を追う。
「十四階の補給をずらして」
「十二階を二つまとめて」
「帰還便と一部合わせれば……」
少し考える。
「まあ、何とか」
◇
人が多いから。
余っているわけではない。
人が多いから。
組み替えられる。
六十人の《リレントレス・ウルフ》で。
一人が抜けること。
四百八十六人の《女神の加護》で。
一人が抜けること。
同じ一人でも。
その意味は。
同じではない。
◇
午後三時十四分。
別棟。
環境整備部門。
我々が中へ入ると。
剣よりも先に。
目に入ったものがある。
鋸。
斧。
縄。
杭。
シャベル。
大型の油灯。
防護布。
消毒薬。
荷車。
――戦闘部隊ではないんですね。
「違います」
責任者が答える。
――ゴブリン討伐には参加しない?
「必要なら自衛はします」
斧を持ち上げる。
「でも、仕事はその後です」
――その後?
「倒したら終わりじゃないでしょう」
責任者が言った。
「死骸が残る」
「巣が残る」
「糞も残る」
「腐った食料も残る」
「通路が壊れてるかもしれない」
「また住み着く場所が残ってるかもしれない」
斧を戻す。
「人が通れる場所にして、ようやく終わりです」
◇
ゴブリンを倒す。
それは。
戦闘の終了であって。
仕事の終了ではない。
《リレントレス・ウルフ》が求めた。
環境整備部隊、五ユニット。
その理由が。
ここにあった。
◇
午後四時二分。
我々は。
今回の交渉を担当した男と。
再び会った。
――条件を受けた理由を聞いても?
「構いません」
――魔晶樹の三パーセント?
「それだけなら、もう少し交渉しました」
――では?
男が笑った。
「二パーセントです」
――まだ見つかっていない新資源の?
「はい」
――何もない可能性もあります。
「ありますね」
――それでも?
「何もなければ」
男は。
あっさり答えた。
「我々は何も払いませんから」
――逆に、新資源があれば?
「二年間、乗れる」
――《女神の加護》にとって、いい条件?
「それを調べるために」
男が笑った。
「人を出すんでしょう?」
◇
同じ契約を。
ダリルは。
必要な人員を得るための取引だと考えた。
《女神の加護》は。
まだ見つかっていない利益へ。
先に席を取るための取引だと考えた。
どちらが得をしたのか。
それは。
まだ。
誰にも分からない。
◇
――ところで。
我々は。
最後に一つ。
確認した。
――英雄は、誰が来るんですか?
「決まっていますよ」
――もう?
「はい」
――会えますか?
「今日は無理ですね」
――どこに?
男が。
少し考えた。
「ダンジョンです」
――何階ですか?
「二十三階です」
取材スタッフが。
聞き返した。
――今?
「はい」
――共同討伐は、いつですか?
「三日後です」
――間に合うんですか?
「帰還予定は明日です」
男は。
何でもないことのように答えた。
「二十三階から戻って」
一枚の予定表を見る。
「一日休んで」
指先が。
第十階層東部。
その文字で止まった。
「次は、十階ですね」
◇
第二十三階層から。
第十階層へ。
《リレントレス・ウルフ》が。
利益の三パーセントを。
五年間差し出してまで求めた。
英雄。
我々が。
その人物と初めて会うのは。
翌日のことである。




