第16話 足りない
七月十七日。
午前九時十二分。
《リレントレス・ウルフ》本部。
会議室の机には、第十階層東部の地図が広げられていた。
昨日、レオン達がゴブリンに襲われた場所である。
「死亡、ゼロ。重傷、一名。軽傷、六名」
パウエルが報告書を読み上げる。
ダリルが頷いた。
「全員、帰ってきた」
「ああ」
「なら――」
「成功じゃない」
パウエルが遮った。
「何が?」
「撤退だ」
パウエルは地図の上へ駒を並べていく。
前衛。
盾役。
魔術師。
採取。
運搬。
昨日の隊列が、机の上に再現されていく。
「最初に囲まれたのが、ここ」
駒を動かす。
「突破を始めたのが、ここ。ここで負傷者が出た」
負傷者を示す駒を隊列から外す。
「レオンが背負った」
「うん」
「その時点で、運搬担当が一人減る」
次に。
レオンを示す駒を動かした。
「ここでレオンが逆走した」
「……」
「エドガーが追った」
さらに駒が一つ抜ける。
「この時だ」
パウエルの指が止まった。
「前を維持しながら、採取と運搬を逃がす人間が足りなくなった」
ダリルが、机の上に残った駒を見る。
「あと何人いれば?」
「そういう話じゃない」
「違うのか?」
「昨日だけなら、それでいい」
パウエルが駒を元の位置へ戻した。
「でも、俺達はこれから何度もここへ来るんだろ?」
「魔晶樹か」
「ああ」
地図の東側。
魔晶樹の生育地。
「昨日は全員帰れた。でも、同じ編成で何十回も往復して、そのたびに同じ結果になる保証はない」
◇
――前衛が少ないんですか?
会議の後。
我々はパウエルに話を聞いた。
「少ないと言えば、少ないです」
――人員配置を間違えていた?
「いや」
パウエルは首を振った。
「今の規模なら、極端におかしい人数じゃないですよ」
――では、なぜ問題になったんでしょう。
「仕事が変わったんです」
――仕事?
「はい」
パウエルが第十階層東部の地図を広げた。
「今までは、依頼を受けて潜る。必要な物を採る。調査する。終わったら帰る。それでよかった」
指が東へ動く。
「でも、魔晶樹が見つかった」
――それで何が変わる?
「ここを継続的な仕事場にするなら、採取する人間がいる。運ぶ人間がいる。生育状態を調べる人間もいる」
魔晶樹の生育地を指す。
「当然、そいつらを守る人間もいる」
――今までの編成では足りない。
「足りないというより」
パウエルは少し考えた。
「今までの仕事に合わせて作った組織なんです」
――それが?
「仕事の方が変わった」
◇
創立三年目。
総勢、六十名。
そのうち、実際にダンジョンへ潜る人員は、およそ四十名。
だが。
四十人全員が戦闘員ではない。
前衛。
盾役。
遊撃。
魔術師。
採取。
運搬。
設営。
それぞれが自分の仕事をすることで、一回の潜航が成立する。
《リレントレス・ウルフ》は、これまでの仕事に合わせて六十人の組織を作ってきた。
そして今。
仕事の方が、先に大きくなろうとしていた。
◇
午前十時二十六分。
「じゃあ、前衛を増やすか」
ダリルが言った。
会議室には、コウハも加わっていた。
「何人?」
「五人くらい」
「五人増やして終わりならな」
「終わらない?」
「給金。装備。保険。食料。治療薬」
コウハが指を折っていく。
「十階まで行かせるなら、その人間が使う物資も地下へ運ばなきゃならない」
「……ポーターも増える?」
「荷量次第では」
「前衛を増やしたら、ポーターまで増えるのか」
「人間一人、剣だけ持たせて十階まで歩かせるつもりか?」
「そうは言ってないだろ」
「飯も食う。水も飲む。装備も傷む」
「分かってるよ」
「怪我もする」
「分かってます」
横でパウエルが笑った。
「運搬から回すのは?」
ダリルが聞いた。
「誰を?」
「前衛を希望してる奴とか」
パウエルは首を振った。
「そいつを前衛へ回したら、誰が魔晶樹を運ぶ?」
「……」
「人を一人動かせば、今度はそこに穴が開く」
コウハが帳簿を閉じた。
「だから、人数じゃなくて編成なんだよ」
ダリルが椅子へ深く座る。
「面倒だな」
「ギルドマスターが言うな」
◇
人が足りない。
なら、人を増やせばいい。
地上の会社であれば、それで解決する問題もある。
しかし。
ダンジョンでは、人間が一人増えれば。
その一人を地下で生かすための荷物も増える。
そして。
その荷物を運ぶ人間が必要になる。
◇
「それより」
ヴェラが地図を自分の方へ引いた。
「昨日のゴブリンだ」
部屋の空気が変わった。
「三十体くらいだったんだろ?」
ダリルが聞く。
「見えたのはな」
「何かあるのか?」
「最後だ」
ヴェラが地図の一か所を指した。
「ここで追ってこなくなった」
「逃げ切ったんじゃないのか?」
「俺も最初はそう思った」
ヴェラが昨日の記録を開いた。
「だから、朝から過去の記録を調べてもらった」
記録担当が数枚の紙を机へ置く。
「第十階層東部に限定して、公的潜航記録を確認しました」
「何か出た?」
「はい」
記録担当が地図へ印を付ける。
「六日前。別ギルドがゴブリン七体と遭遇」
「ここ?」
「はい」
次の印。
「九日前。十一体」
さらに別の場所。
「十二日前。五体。十四日前にも少数との遭遇記録があります」
地図の上に印が増えていく。
ダリルが、それを見比べた。
「……近いな」
「はい」
遭遇地点は、ばらばらではなかった。
第十階層東部。
一定の範囲に集中している。
「昨日の三十体が、ここ」
ヴェラが印を付ける。
「で、追跡をやめたのが、この辺りだ」
ダリルが地図を見る。
「何が言いたい?」
「群れが偶然いたんじゃなくて」
ヴェラの指が、いくつもの印を囲んだ。
「俺達が、こいつらの縄張りに入ったんじゃないかってことだ」
◇
午後零時十四分。
第十階層東部への魔晶樹輸送が、一時停止された。
◇
――せっかく採取を始めたのに?
「だからですよ」
パウエルが答えた。
――どういう意味ですか?
「何がいるか分からない道を、魔晶樹を背負ったポーターに何往復もさせられない」
――輸送を止めれば損失が出ます。
「出ます」
――それでも?
「死人より安いです」
◇
午後一時三十二分。
第十階層東部。
少人数の調査隊が、昨日の遭遇地点へ入った。
目的は討伐ではない。
確認である。
ゴブリンの足跡。
糞。
食べ残された獣の骨。
壁際には、何度も何かが通ったような擦れ跡が残っている。
「ここ、見てください」
調査担当がしゃがんだ。
地面には無数の足跡が重なっていた。
「昨日のか?」
パウエルが聞く。
「違います」
調査担当が土を指でなぞる。
「新しいものと古いものが混ざってます」
「どれくらい前から?」
「正確には分かりません。ただ、昨日今日できたものではないです」
その先には。
暗い通路が続いていた。
「奥へ行けば、もっと分かります」
調査担当が言った。
「危険は?」
「上がります」
「なら行かない」
「いいんですか?」
「確認に来たんだ。戦いに来たんじゃない」
パウエルが立ち上がった。
「ここまでで取れる記録を全部取る。終わったら戻る」
「了解」
調査隊は、それ以上奥へ進まなかった。
◇
午後五時五十一分。
《リレントレス・ウルフ》本部。
ダリル。
パウエル。
コウハ。
エマ。
四人の前に、調査報告書が置かれた。
「正確な数ではありません」
調査担当が説明する。
「昨日確認した個体数。過去の遭遇記録。足跡の数と範囲。食料残滓。活動痕。それらからの推定です」
ダリルが聞いた。
「何体?」
調査担当が答える。
「少なく見積もって、百五十」
誰も話さなかった。
最初に反応したのはエマだった。
「……百五十?」
「はい」
「昨日は三十体じゃなかったんですか?」
「昨日、確認できたのが三十前後です」
パウエルが地図を見る。
「そこにいた全部が三十だったとは限らない」
「上は?」
ダリルが聞いた。
「現時点では、二百前後まで想定しています」
「二百……」
ダリルが椅子にもたれた。
「群れじゃないのか?」
調査担当が地図の遭遇地点を囲む。
「この範囲を継続的に使っています。巣がある可能性が高いです」
◇
第十階層東部。
新規資源。
魔晶樹。
継続採取の可能性が確認され。
《リレントレス・ウルフ》には、その権益がある。
だが。
その資源を地上へ運ぶ道の近くに。
推定。
百五十から二百体。
ゴブリンの巣がある可能性が浮上した。
◇
「迂回できないのか?」
ダリルが最初に聞いた。
「調べた」
パウエルが別の線を地図へ引く。
現在の輸送路から北へ外れ。
大きく回り込んで。
再び東へ。
「ここなら、昨日の生息域は避けられる」
「行ける?」
「恐らく」
「じゃあ、それで――」
「遠いぞ」
コウハが地図を見る。
「どれくらい変わる?」
パウエルが概算の距離を答えた。
ダリルの表情が変わる。
「そんなに?」
「ああ」
「でも、二百体と戦うよりは――」
「数字を出します」
エマが地図を受け取った。
◇
午後六時三十七分。
経理室。
エマが計算を始めた。
現在の輸送距離。
平均歩行速度。
一日の往復回数。
運搬人数。
食料。
水。
ランタン油。
洞ラバ。
人件費。
迂回した場合。
距離を変える。
時間を変える。
一日に運べる量を変える。
必要な補給量を変える。
――どうですか?
「まだです」
エマは手を止めない。
――かなり変わる?
「変わります」
――採算が取れなくなる?
そこで初めて。
エマが顔を上げた。
「そこまでは言えません」
――では?
「利益が出るかどうかと、利益がどれだけ残るかは別です」
再び数字を見る。
「魔晶樹に価値があることは変わらない」
計算結果を確認する。
「でも、運ぶために使う金が増えれば」
エマが言った。
「当然、残る金は減ります」
◇
午後七時十一分。
再び。
会議室。
「迂回すれば、今より安全になる」
ダリルが確認する。
「ゴブリンについてはな」
パウエルが答える。
「でも、輸送費は上がります」
エマ。
「利益が減る」
「はい」
「討伐したら?」
ダリルがパウエルを見る。
「金はかかる」
「どれくらい?」
「相手が二百なら、金だけで考えるな」
「人も?」
「ああ」
パウエルが地図を見る。
「うちだけでやるなら、相応の戦力と準備が必要になる」
「できる?」
パウエルは、すぐには答えなかった。
「やれないとは言わない」
ダリルが待つ。
「でも、やるべきじゃない」
「理由は?」
「二百体規模を、新興ギルド一つで抱える理由がない」
「じゃあ、どうする?」
パウエルが答えた。
「人を集める」
◇
翌朝。
七月十八日。
潜航ギルド協会。
一枚の告知が。
掲示板へ貼り出された。
第十階層東部。
ゴブリン大規模生息域。
推定個体数。
百五十から二百。
共同討伐。
参加ギルド募集。
◇
その日の午後。
《リレントレス・ウルフ》本部。
「来たぞ」
コウハが数枚の書類を持ってきた。
「何?」
「共同討伐の参加希望」
「もう?」
「もう」
ダリルが受け取る。
一枚目。
「ここ来るんだ」
二枚目。
「ああ、知ってる」
三枚目。
「ここも?」
そして。
四枚目。
ダリルの手が止まった。
「……」
名前を見直す。
「どうした?」
コウハが聞く。
「なんで、ここが来るんだ?」
街でも。
五本の指に入る。
大手潜航ギルド。
その名が。
参加希望欄にあった。
「ダリル」
「何?」
「下」
「下?」
「備考欄」
ダリルが視線を落とした。
そこには。
短く。
こう記されていた。
『参加にあたり、事前協議を希望』
「……協議?」
ダリルが顔を上げた。
「何の?」
コウハは。
答えなかった。




