第12話 査定
地上まで、あと二百メートル。
「見えたぞ」
先頭を歩くパウエルが言った。
長い通路の先。岩壁に取り付けられた灯りとは違う、白い光が差し込んでいる。
地上の光だった。
「……帰ってきた」
誰かが呟いた。
返事をする者はいない。
だが、黙々と歩いていた隊列から、わずかに緊張が抜けた。
レオンも背負子の位置を直し、前を見る。
足が重い。肩が痛い。服は汗と土で汚れ、靴の中まで湿っている。
それでも。
あの光だけは、潜った時とはまるで違って見えた。
◇
地上。
ダンジョン入口には、二人の男が立っていた。
《リレントレス・ウルフ》ギルドマスター、ダリル・ウルフ。
そして、経理責任者のコウハ。
「来ました」
「ああ」
ダリルは動かない。
入口から一人、また一人と遠征隊が姿を現す。
パウエル。
ヴェラ。
ハンス。
セリア。
続いて隊員達。
外部ポーター。
馭獣担当。
そして、六頭の洞ラバ。
ダリルの目が、その全員を追っていく。
「……全員いるな」
「おります」
コウハが答えた。
そこで初めて、ダリルが歩き出した。
「パウエル!」
「ただいま戻りました」
「怪我人は?」
「軽傷が三名。全員、自力で歩けます」
「そうか」
ダリルが大きく息を吐いた。
「よく帰った」
「はい」
「それで」
ダリルの視線が、洞ラバへ向く。
食料や飼料を消費し、出発時より軽くなったはずの積荷。
だが、その一部には、見覚えのない梱包がいくつも括り付けられている。
「……あったのか?」
パウエルが、少しだけ笑った。
「ありました」
腰に下げていた革袋を外す。
「まずは、これを」
ダリルが受け取った。
革紐を解く。
「……」
中から出てきたのは、一本の枝だった。
黒褐色の樹皮。
切断面には、淡い光を帯びた筋が幾重にも走っている。
ダリルの表情が変わった。
「……これ」
枝を持ち上げる。
「魔力、かなり入ってるよな?」
「現地でセリアにも確認させました」
パウエルが答える。
「正確な含有量は査定しないと分かりません。ただ、かなり高いと」
「どこだ」
「第十階層です」
「……十階?」
「はい」
「本当に?」
「国家派遣の記録官も確認しています」
ダリルが枝を見る。
パウエルを見る。
もう一度、枝を見る。
「……十階」
呟いた。
次の瞬間。
ダリルがパウエルを抱きしめた。
「うおっ!」
突然のことに、パウエルの身体がよろける。
「やったぞ!」
「ダリル、ちょっ――」
「やった!」
強く背中を叩く。
「よく見つけた!」
帰還した隊員達が振り返った。
レオンも。
ミアも。
トビーも。
目を丸くしている。
普段、現場からどんな報告を受けても、ダリルがここまで感情を表に出すことはない。
だが、この時だけは違った。
「十階だぞ、パウエル!」
「分かってる」
「これが十階で採れるんだぞ!」
「だから持って帰ってきたんだ」
「っしゃあ!」
ダリルの声が、ダンジョン入口に響いた。
ようやく解放されたパウエルが、乱れた服を直す。
「……暑苦しいな」
そう言いながら、少しだけ笑っていた。
◇
高い魔力を含む樹木。
それ自体は、未知の存在ではない。
深い階層では、これまでにも発見されている。
魔導具。
魔術触媒。
杖。
魔力を利用する様々な製品に使われ、魔力含有量が高いほど、その価値も上がる。
だが、深層の資源には常に一つの問題がつきまとう。
安定して運び出せない。
深く潜れば、護衛が増える。
食料が増える。
治療薬が増える。
触媒が増える。
輸送に必要な人員も増える。
そして、帰ってこられない可能性も高くなる。
どれほど価値のある資源でも。
安定して供給できなければ、産業資源としての価値は下がる。
しかし。
第十階層。
そこなら、話が変わる。
行ける。
採れる。
運べる。
そして。
また、採りに行ける。
ダリルが抱きしめたのは、一本の枝を持ち帰った男ではない。
創立から三年。
成果を探し続けてきたギルドに。
ようやく、未来を持ち帰った男だった。
◇
「どれくらいあった?」
ダリルが聞いた。
「確認した範囲だけでも複数です。ただ、分布までは調べていません」
「十分だ。まず査定に――」
「その前に」
コウハが口を挟んだ。
「記録証です」
ダリルが振り返る。
「ああ」
「価値がいくら高くても、公的な発見記録が認定されなければ権益は確定しません」
「分かってる」
コウハはパウエルを見る。
「記録官は?」
「採取地点、採取時刻、周辺状況。すべて記録済みです。帰還後、そのまま提出すると」
「では、査定も同時に進めましょう」
ダリルが手にした枝を見る。
「コウハ」
「はい」
「これ、いくらになると思う?」
「知りません」
「夢がないな」
「査定前の数字を帳簿には書けませんので」
◇
その頃。
《リレントレス・ウルフ》本部、経理室。
エマは、机いっぱいに広げた紙を見ていた。
今回の遠征。
当初見積もり、四百八十金貨。
そこから外部ポーター、馭獣担当、洞ラバ、予備物資。
安全を一つずつ積み上げた結果。
最終予算、五百十二金貨。
「……」
エマが数字を書き込む。
遠征に出た以上、使った金は戻らない。
問題は、その五百十二金貨が何に変わって帰ってくるかだった。
何も見つからなかった場合。
五百十二金貨は、東側未開拓領域の情報を得るために使った調査費になる。
無駄ではない。
地形。
危険箇所。
魔物。
水場。
次の潜航に使える情報は残る。
だが。
借金は、情報では返せない。
《リレントレス・ウルフ》に残る借入金、およそ三千金貨。
エマは別の紙を見る。
今回、成果なし。
次回、同規模の遠征。
さらに、もう一度。
数字を置いていく。
ペンが止まった。
失敗できる回数は、無限ではない。
◇
――何を計算していたんですか?
後日。
我々は、この時のことをエマに聞いた。
「今回の遠征で利益を出せなかった場合の損失です」
――遠征隊が帰ってくる前に?
「はい」
――成功すると考えなかった?
「成功した場合も計算します」
エマは答えた。
「でも」
少し考える。
「失敗した時に、次があるのか」
「それを先に知っておかないといけないので」
◇
その日の午後。
持ち帰った百二十六キロのサンプルから一部が取り出され、査定が始まった。
乾燥状態。
重量。
樹皮。
木質部。
部位ごとに分けられ、魔力含有量が測定される。
ダリル。
コウハ。
パウエル。
三人が、査定担当者の前に座っていた。
担当者が測定結果を見る。
「……高いですね」
ダリルが身を乗り出した。
「どのくらいだ?」
「現在流通している魔力木材と比較しても、かなり高い部類です」
ダリルがコウハを見る。
コウハはまだ動かない。
「用途は?」
「このサンプルだけで断定はできませんが、触媒原料、魔導具、杖材。加工適性次第では他にも考えられます」
「売れる?」
「売れます」
即答だった。
ダリルの口元が上がる。
「ただし」
査定担当者が続けた。
「今、私が言ったのは、このサンプルには商品価値があるという意味です」
「資源としては?」
コウハが聞く。
「まだ出せません」
「理由は?」
「量です」
査定担当者は資料を置いた。
「十本なのか、百本なのか、千本なのか。継続して伐採できるのか。伐採後に再生するのか。成長に何年かかるのか」
そして、目の前のサンプルを指した。
「それが分からなければ」
一拍。
「これは高価な枝です」
「森ではありません」
◇
翌日。
ギルド本部に、一通の書類が届いた。
公的機関の印。
第十階層、東側未開拓領域。
国家派遣の記録官が提出した、新規資源発見記録。
採取地点。
発見日時。
発見者。
同行者。
現地記録。
審査の結果。
《リレントレス・ウルフ》による新規資源発見として、正式に認定された。
それによって確定したものがある。
新規資源に対する権益。
三十パーセント。
◇
「エマ」
経理室の扉が開いた。
「はい」
エマが顔を上げる。
「条件が変わった」
職員が一枚の書類を持っていた。
「査定結果ですか?」
「それだけじゃない」
書類を差し出す。
「記録証が通った」
エマが受け取る。
視線が下へ動いていく。
「……権益は?」
「三十パーセント」
一拍。
「確定だ」
エマが机の上を見る。
そこには昨日まで計算していた、五百十二金貨を利益化できなかった場合の数字が並んでいる。
「……」
その紙を横へずらした。
新しい紙を出す。
査定価格。
想定採取量。
運搬費。
人件費。
護衛費。
伐採費。
そして。
三十パーセント。
エマが計算を始める。
数字を書く。
消す。
条件を変える。
もう一度、計算する。
しばらくして。
手が止まった。
◇
――今回の遠征は、成功だったということでしょうか。
後日。
我々はエマに聞いた。
「……まだ、分かりません」
――新規資源として認定されたんですよね?
「はい」
――権益も?
「三十パーセント。正式に確定しました」
――それでも?
「はい」
エマが、計算途中の紙をこちらへ向ける。
「三十パーセントの」
指が、空白の欄で止まった。
「元になる数字がないんです」
――元になる数字?
「採れる量です」
エマは答えた。
「十本なら、この数字」
別の場所を指す。
「百本なら、これ」
さらに指を動かす。
「千本なら」
指が止まった。
――なら?
「……全然、違います」
◇
その夜。
会議室。
ダリル、パウエル、コウハの三人が、第十階層東部の地図を囲んでいた。
パウエルが、今回の採取地点を指す。
「確認できたのは、この範囲です」
「その先は?」
「未確認です」
「樹は続いていた?」
「少なくとも、視認できる範囲には」
ダリルが地図を見る。
公的な認定は下りた。
権益、三十パーセント。
魔力含有量も申し分ない。
売れることも分かった。
だが。
まだ一つ。
最も大きな数字だけが空白だった。
「調べよう」
コウハが顔を上げる。
「分布を?」
「ああ」
ダリルが採取地点を指す。
そして、その指を。
まだ何も記されていない東側へ滑らせた。
「俺達が手に入れた三十パーセントが」
指が止まる。
「いくらなのか」
「確かめに行く」
◇
五百十二金貨。
それが、高い魔力を含む百二十六キロのサンプルになった。
そして。
公的に認められた、三十パーセントの権利になった。
だが。
その三十パーセントが。
十本の三十パーセントなのか。
百本なのか。
千本なのか。
この時。
まだ、誰も知らなかった。
◇
《リレントレス・ウルフ》。
第二回東部潜航。
目的。
魔晶樹群生地。
分布調査。
採取。
そして。
彼らはまだ知らない。
前回。
誰もいなかった帰り道に。
次も。
誰もいないとは限らない。




