第13話 信用
七月九日。
午前七時四十八分。
◇
《リレントレス・ウルフ》が、第十階層東部で新規資源を発見した。
その知らせは、公的機関による認定から一日も経たずに街へ広がっていた。
「聞いたか? 東側」
「ああ。ウルフだろ?」
「魔力をかなり含んだ樹らしいぞ」
「十階で?」
「記録官が入ってた。権益も確定したらしい」
「何パーセント?」
「三十」
「……三十か」
酒場で。
商会で。
装備工房で。
そして、これからダンジョンへ向かう潜航者達の間で。
これまで一部の業界関係者しか知らなかった新興ギルドの名前が、何度も口にされていた。
「でも、何本あるんだ?」
「そこまでは出てない」
「数本確認しただけって話だぞ」
「じゃあ、まだ分からないな」
「分からないけど、十階だぞ」
「……それなんだよな」
発見された樹木の魔力含有量は高い。
商品価値があることも、すでに査定で確認されている。
そして、新規資源として正式に認定され、《リレントレス・ウルフ》には三十パーセントの権益が発生した。
ただし。
確認されたのは、限られた範囲の数本だけ。
十本なのか。
百本なのか。
あるいは、それ以上なのか。
その三十パーセントが、いったいいくらになるのか。
まだ、誰にも分からない。
なお。
この樹木には、まだ正式な名称がない。
高い魔力を含むことから、関係者の間では便宜上。
こう呼ばれ始めていた。
――魔晶樹。
その名とともに。
街は、その続きを知りたがっていた。
◇
午前八時十三分。
《リレントレス・ウルフ》本部。
ギルドマスター室で、ダリル・ウルフは茶を飲んでいた。
我々が彼を取材するようになってから数か月。
この時間にダリルが本部にいることは、あまり多くない。
商会。
金融業者。
依頼主。
役所。
他ギルド。
仕事を取るため。
金を借りるため。
人を集めるため。
普段のダリルは、朝から正装で街を飛び回っている。
しかし、この日。
彼は普段着のまま、机に座っていた。
――今日は、正装じゃないんですね?
「はい」
――出かけないんですか?
「今日は出かけません」
――どうして?
ダリルが笑った。
「今日は、私宛てのアポが列を作ってます」
――向こうから来る?
「そういうことです」
机の上には、一日の予定表が置かれていた。
午前八時半。
魔術触媒を扱う商会。
九時十五分。
金融業者。
十時。
運送業者。
十一時。
魔導具工房。
午後にも三件。
――昨日までとは、随分違いますね。
「違いますね」
ダリルは予定表を眺めた。
「昨日までなら、考えられなかったですよ」
そこで、一度言葉を止める。
「……いや」
少し考え。
言い直した。
「やっと、証明できそうです」
――何をですか?
ダリルは。
机の端に置かれた一枚の書類へ目を向けた。
第十階層東部。
新規資源発見認定。
権益。
三十パーセント。
「俺達が」
ダリルが言った。
「未開拓へ潜る意味のあるギルドだってことを」
◇
創立三年目。
総勢六十名。
借入残高。
およそ三千金貨。
《リレントレス・ウルフ》は、これまで何度も金を借りてきた。
装備を揃えるため。
人を雇うため。
そして。
潜るため。
新興ギルドが、未開拓領域へ挑む。
言葉にすれば、聞こえはいい。
だが。
金を出す側から見れば。
実績の少ない組織が。
帰ってこられる保証のない場所へ。
借りた金で潜る。
それだけの話だった。
これまでダリルは。
その危険に。
金を出してもらう側だった。
この日。
初めて。
その関係が変わった。
◇
午前八時三十二分。
「第二回調査に必要な資金でしたら、弊社でご用意できます」
一人目の来客。
魔術触媒を扱う商会の担当者だった。
「融資ですか?」
「それでも構いません。ただ、弊社としては優先取引契約を希望しています」
「魔晶樹の?」
「便宜上の呼称ですが、はい」
「採取できた場合?」
「事業化された場合、一定量を優先的に弊社へ回していただきたい」
「価格は?」
「市場価格を基準に」
「独占は?」
「可能であれば」
「それは無理です」
ダリルは即答した。
担当者が、一瞬だけ黙る。
「条件次第では――」
「条件を聞いても、独占は無理です」
「なぜです?」
「まだ、何本あるかも分からないものを」
ダリルが笑った。
「十年先まで売れませんよ」
昨日まで。
ダリルは契約を取るために、相手の条件を聞く側だった。
今日は。
条件を選ぶ側に座っていた。
◇
午前九時十七分。
「二百五十金貨まででしたら、追加担保なしで融資可能です」
二人目。
金融業者だった。
「金利は?」
「こちらです」
提示された書類に目を通し。
ダリルの眉が動く。
「一つ聞いていいですか?」
「どうぞ」
「昨日、俺が同じ条件で二百五十金貨貸してくれって言ったら、貸しました?」
「……昨日ですか」
「はい」
担当者は少し考えた。
そして。
苦笑した。
「難しかったでしょうね」
「ですよね」
ダリルも笑った。
――腹は立たなかったんですか?
後日。
我々はダリルに聞いた。
「全然」
――なぜ?
「俺が貸す側でも、昨日なら貸さないですから」
◇
午前十時二分。
「洞ラバでしたら、十頭まで押さえられます」
三人目。
運送業者。
「十頭?」
「必要であれば」
「前回、六頭を押さえるのも大変だったんですけど」
「状況が変わりましたので」
「……またそれですか」
「はい?」
「いや」
ダリルが笑う。
「今日、何回目かなと思って」
状況が変わった。
商会も。
金融業者も。
運送業者も。
見ているものは同じだった。
第十階層東部。
三十パーセント。
そして。
まだ誰も知らない。
その先の数字だった。
◇
午前十一時三十八分。
会議室。
机の上には、午前中だけで持ち込まれた契約書が並んでいた。
「全部受けるなよ」
コウハが言った。
「分かってるよ」
「本当に分かってる顔じゃない」
「ちょっとくらい喜ばせろよ」
「昨日、十分喜んだだろ」
「まだ足りない」
コウハが一枚を持ち上げる。
「これは駄目だ」
「どれ?」
「優先買取十年」
「十年は長いな」
別の一枚。
「こっちはもっと駄目だ」
「何?」
「権益を担保に取ろうとしてる」
「……却下」
次。
「これは?」
「金利が高い」
ダリルが数字を見る。
「でも、前なら借りてたぞ」
「前ならな」
コウハの手が止まった。
「そこを間違えるな、ダリル」
「何が?」
「今、お前が欲しいのは金だ」
「ああ」
「でも」
コウハが。
机の端に置かれた認定書を指した。
「向こうも欲しいものがある」
ダリルが黙る。
「第十階層東部の三十パーセント」
「その先にあるかもしれない利益だ」
条件の悪い契約書を。
一枚。
横へ除ける。
「昨日までは、お前が金を借りたかった」
もう一枚。
「今日は」
コウハが言った。
「向こうがお前達の未来に金を出したい」
ダリルの顔から。
浮かれていた笑みが少し消えた。
「立場が変わったんだよ」
◇
午後零時二十一分。
経理室。
「これ、全部今日のですか?」
エマが書類の束を見ていた。
「午前だけだ」
コウハが答える。
「……午前だけ」
融資。
優先買取。
運搬契約。
装備提供。
共同事業。
エマが、一枚ずつ条件を確認していく。
「凄いですね」
「何が?」
「こんなに来るんですね」
「まだ、何本あるかも分からないのに」
コウハは椅子へ座った。
「だから来るんだ」
「え?」
「分かってからじゃ遅い」
エマが書類を見る。
「……あ」
「本当に価値があると確定してから契約しようとすれば、条件はウチに有利になる」
「だから今のうちに?」
「ああ」
コウハが。
契約書の束を指で叩いた。
「向こうも仕事してるってことだ」
◇
午後一時四十八分。
第二回東部潜航についての会議が始まった。
ダリル。
パウエル。
コウハ。
エマ。
採取担当。
運搬担当。
机の中央には、第十階層東部の地図が広げられている。
「目的を確認する」
パウエルが、前回の採取地点を指した。
「第一。魔晶樹の分布調査」
指を動かす。
「第二。個体数の確認」
そして。
「第三。追加サンプルの採取」
「今回は伐採するのか?」
ダリルが聞く。
「最小限です」
「理由は?」
「まだ分からないことが多すぎる」
パウエルは地図を見たまま答えた。
「何年で育つのか」
「伐採した後に再生するのか」
「なぜ、あの場所にだけ魔力を多く含む樹が生えているのか」
採取担当が続ける。
「全部伐って持ち帰って、二度と生えませんでしたでは資源になりません」
「まずは分布と生育環境を調べます」
ダリルが頷いた。
「分かった」
そして。
コウハを見る。
「予算は?」
「まだ出せない」
「今日だけで金の話が何件来たと思ってる」
「借りられる額と、使っていい額は別だ」
「……はい」
横で。
エマが吹き出した。
「今、笑っただろ」
「少しだけ」
◇
第一回東部遠征。
五百十二金貨。
その結果。
《リレントレス・ウルフ》は、新規資源を発見した。
だが。
第二回の目的は違う。
見つけることから。
調べることへ。
もし。
十分な量が存在するなら。
次は。
継続して採ることへ。
東部開拓は。
次の段階へ進もうとしていた。
◇
午後三時十三分。
この日、最後の来客が帰った。
ダリルが応接室の椅子へ深く腰を下ろす。
「……疲れた」
――今日は一度も外へ出ませんでしたね。
「出ませんでしたね」
――何件ですか?
「七件」
――全部、向こうから?
「はい」
ダリルは笑った。
「こんな日が来るんですね」
――嬉しいですか?
「嬉しいですよ」
即答だった。
だが。
少しして。
「……ただ」
机の上に残った契約書を見る。
「まだ、何も稼いでないんですよね」
――何も?
「昨日持って帰った枝だって、売れば金にはなりますよ」
「でも、俺達が欲しかったのはそれじゃない」
――では、何を?
「継続して潜れる理由です」
ダリルは。
第十階層東部の地図を見る。
「三年間」
「仕事を取って」
「金を借りて」
「人を集めて」
「その金で潜ってきた」
少し笑った。
「ずっと先に払ってたんですよ」
――先に?
「はい」
「金も」
「時間も」
「信用も」
そして。
「昨日、やっと一つ返ってきた」
――何がですか?
ダリルは。
机の上に積まれた。
今日一日分の名刺と契約書を見た。
「信用です」
◇
創立三年目。
これまで《リレントレス・ウルフ》は。
潜るために。
人を探し。
金を探し。
仕事を探してきた。
この日。
初めて。
人と。
金と。
仕事の方から。
彼らの扉を叩いた。
まだ。
魔晶樹が何本あるのかは分からない。
まだ。
一金貨の利益も確定していない。
それでも。
第二回東部潜航に必要な資金は集まった。
人も。
運搬手段も。
用意できる。
第一回遠征で。
彼らは、新しい資源を見つけた。
そして、この日。
次に潜るための信用を手に入れた。
《リレントレス・ウルフ》。
創立三年目の夏。
ようやく。
追い風が吹き始めていた。




