第10話 残り
七月六日。
遠征三日目。
◇
午前六時十三分。
地下森林の一角で、《リレントレス・ウルフ》の一日は、六頭の洞ラバの確認から始まった。
「一号、問題なし」
「二号も大丈夫です」
「三号」
「昨日の擦れ、悪化してません」
「六号は?」
「脚の熱も下がってます」
馭獣担当が一頭ずつ脚と背を確認していく。
その横では、外部ポーター達が昨夜下ろした荷物を再び積み始めていた。
食料、飼料、治療薬、魔術触媒、野営用品。
出発時と比べれば、荷物は確実に減っている。
それ自体は、予定通りだった。
◇
食料は、食べれば減る。
洞ラバの飼料も、毎日減っていく。魔術触媒も、戦闘になれば消費する。
遠征とは、限られた物資と時間を使いながら、その先にある何かを探す仕事でもある。
遠征三日目。
ここまでに伸ばした地図、八・一キロ。
確認した未記録植物、十七種。
採取したサンプル、六種。
そして、《リレントレス・ウルフ》が求める新規資源。
未だ、ゼロ。
◇
午前八時四十七分。
「止まってください」
ミアが倒木の前でしゃがみ込んだ。
湿った木の陰に、青白い傘を持つ小さな茸が群生している。
「これ……見たことある?」
レオンが隣から覗き込む。
「私はないです」
ミアは茸には触れず、先に周囲の土と倒木を確認した。
――新種ですか?
「分かりません」
――価値は?
「もっと分かりません」
同行レポーターの質問に、ミアは真顔で答えた。
手袋を着ける。
茸を三つ。
周辺の土を少量。
記録官が採取場所と時間を書き込んだ。
◇
見たことがない。
それだけでは、資源にはならない。
持ち帰り、鑑定し、性質を調べる。用途を探し、継続して採取できる量があるのかを確認する。
そして、それを欲しがる者がいるのか。
そこまで分かって、初めて価値が生まれる。
◇
「それ、青灯茸じゃないか?」
声を掛けたのは、外部ポーターだった。
ミアが顔を上げる。
「知ってるんですか?」
「十二層の西側にあるよ。多分、同じだ」
「多分?」
「似てるだけかもしれない。持ち帰って調べた方がいい」
レオンが採取袋を見る。
「高いんですか?」
「一籠で二銀貨くらいじゃなかったか?」
「一籠?」
「ああ」
「これ、三個だと?」
「知らん」
「……ですよね」
期待したレオンだけが、少し残念そうだった。
◇
新しい場所で見つけたものが、新しいものとは限らない。
だが、確認しなければ、それすら分からない。
遠征隊は三つの茸を荷物へ加え、再び東へ進んだ。
◇
午前十時二十八分。
先頭を歩いていたヴェラが、右手を上げた。
隊列が止まる。
「右」
ハンスが盾を構えた。
ノアも剣へ手を掛ける。
同行レポーターが木々の間へ目を凝らした。
――何かいるんですか?
返事はない。
苔。
根。
倒木。
低い灌木。
少なくとも、我々のカメラには何も映っていなかった。
◇
最初に動いたのは。
苔だった。
◇
「来る!」
倒木の脇から、緑に覆われた四足の魔獣が飛び出した。
「ラバを中央へ!」
「手綱短く!」
「非戦闘員、中央!」
パウエルの指示で、一瞬にして隊列が変わる。
六頭の洞ラバと非戦闘員を中央へ。
その外側を、潜航者達が囲んだ。
「五!」
ヴェラが叫ぶ。
一体、二体、三体。
さらに左右から二体。
ブライア・ハウンド。
森林に生息する四足魔獣である。
体毛に苔や蔓を絡ませ、周囲の植生に紛れて獲物へ近づく。
一体なら、経験を積んだ潜航者にとって大きな脅威ではない。
だが。
群れで狙うのは、必ずしも強い者ではない。
◇
「右、回る!」
ヴェラが走った。
一体が正面から飛び込む。
ハンスの盾が受け止め、その身体を横へ弾いた。
ノアが踏み込む。
剣が胴を捉えた。
「一!」
残り四体は止まらない。
木を挟み、左右へ散る。
一度距離を取り、別の角度から再び近づいてくる。
「セリア!」
「見えてる!」
杖が上がる。
「火は使うな!」
「分かってる!」
セリアが放った風が、木々の間を抜けようとした一体の身体を崩した。
そこへヴェラが飛び込む。
一閃。
「二!」
同時に。
別の一体が、ハンスとヴェラの間を抜けた。
「後ろ!」
狙ったのは、人ではなかった。
三号。
◇
「三号!」
レオンが手綱を引く。
ブライア・ハウンドが地面を蹴った。
洞ラバへ届く、その直前。
追いついたハンスが盾を横から叩き込んだ。
魔獣が地面を転がる。
しかし。
三号は、すでに怯えていた。
「待て! 三号!」
後ろ脚が跳ね上がる。
レオンが両手で手綱を握った。
「離すな!」
「分かってます!」
三号が後退する。
レオンの身体が引っ張られた。
一歩。
二歩。
「レオン!」
次の瞬間。
三号の身体が、太い木の幹へぶつかった。
ドンッ。
積荷が大きく揺れた。
「くそっ!」
外部ポーターのリックが駆け込む。
「三号! こっち見ろ!」
レオンから手綱を受け取り、三号の鼻先へ手を当てた。
低い声で、何度も何かを繰り返す。
荒かった呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
◇
「追うな!」
パウエルの声が飛んだ。
残った二体が木々の奥へ消えていく。
誰も追わなかった。
◇
戦闘時間、二分四十一秒。
ブライア・ハウンド。
討伐、三。
逃走、二。
人的被害、ゼロ。
一見すれば。
問題のない戦闘だった。
◇
「全員確認!」
「怪我なし!」
「こっちも大丈夫です!」
「ラバを見ろ!」
「はい!」
潜航者達が周囲を警戒する中、馭獣担当が三号の脚を確認する。
前脚。
後脚。
腹。
背。
「外傷なし」
「歩かせられる?」
「待ってください」
手綱を引く。
一歩。
もう一歩。
「……大丈夫です」
レオンが大きく息を吐いた。
「よかった……」
その横で。
リックは、すでに三号の積荷を下ろし始めていた。
◇
「箱、こっち」
「はい!」
革紐を外す。
固定具を緩める。
一つ目の箱。
異常なし。
二つ目。
リックの手が止まった。
「……待て」
箱の底から。
液体が垂れていた。
◇
「治療薬!」
箱を開ける。
緩衝材が薬液を吸っていた。
「三本割れてます!」
「触媒も確認しろ!」
別の箱が開けられる。
「四つ破損!」
エドガーが振り返った。
「四つ?」
砕けた触媒を一つ手に取る。
そして。
リックを見た。
「……どう積んだ?」
その一言で。
空気が変わった。
◇
「どういう意味です?」
リックが聞いた。
「そのままの意味だ。割れ物だろ」
「分かっています」
「固定は?」
「確認してます」
「緩衝材は?」
「入れてます」
「でも割れた」
リックがゆっくり立ち上がった。
「百キロ近い荷を積んだラバが、あれだけの勢いで木にぶつかったんですよ」
「だから、それも考えて積むのが仕事だろ」
「考えてますよ」
リックの声が低くなる。
「考えて積んでるから、この程度で済んでるんです」
「治療薬三本と触媒四つだぞ」
「見れば分かります」
「なら――」
「エドガーさん」
リックの声が。
初めて相手の言葉を遮った。
「俺達が何年、荷物を運んでると思ってるんですか」
「……」
「固定もした。緩衝材も入れた。休憩のたびに締め直した。三号の背も確認した」
エドガーも引かない。
「それでも割れた」
「ええ」
「だったら――」
リックの口が開いた。
何かを言いかける。
だが。
言葉は出なかった。
その視線が一瞬だけ。
前衛へ向いた。
◇
レオンも。
それを見ていた。
◇
「積載は、規定通りです」
結局。
リックが口にしたのは、それだけだった。
「確認したのか?」
「出発前。昨日の朝。今朝。休憩時。全部です」
「じゃあ、なんで――」
「エドガー」
パウエルだった。
「終わりだ」
「でも――」
「壊れたものは戻らない」
パウエルが濡れた緩衝材を見る。
「残数を出せ」
「……」
「原因確認はする。犯人探しは地上でやれ」
◇
治療薬、三本。
魔術触媒、四つ。
地上なら。
金を払えば補充できる。
だが。
第十層東部。
地下森林の中では、金貨を何枚持っていても治療薬一本を買うことはできない。
そして。
その一本が。
帰路では、生死を分けることがある。
◇
「治療薬、残数確認!」
「はい!」
「触媒も全部数え直せ!」
「分かりました!」
予定になかった残数確認のため。
遠征隊は、その場で足を止めた。
人的被害、ゼロ。
洞ラバ六頭、すべて歩行可能。
だが。
遠征隊は。
無傷ではなかった。
◇
午後零時十二分。
再出発を前に。
我々は、リックに話を聞いた。
――先ほど、何か言いかけましたよね?
「……そう見えました?」
――はい。
リックは三号の腹帯を確認したまま、小さく息を吐いた。
「まあ……こっちにも言い分はありますよ」
――聞いてもいいですか?
「やめときます」
――なぜです?
リックの手が止まる。
「俺達は、荷物を預かってるんで」
――今回、積載に問題はなかった?
「なかったです」
即答だった。
――言い切れますか?
「それで金もらってますから」
――では、何が原因だったと?
「……」
リックは答えない。
腹帯へ指を入れ、締まり具合を確認する。
――前衛については?
わずかな間。
「それは……前衛の仕事です」
リックは三号の背を軽く叩いた。
それ以上は。
何も言わなかった。
◇
リック。
三十四歳。
外部ポーター歴、十三年。
今回、《アイアン・ホーク》の潜航計画見直しによって空いた契約枠から、この遠征へ参加した一人である。
荷物を運ぶ。
言葉にすれば。
それだけの仕事かもしれない。
しかし。
彼らが預かっている荷物の中には。
誰かを生きて帰すための一本も入っている。
◇
午後零時三十一分。
「出るぞ」
パウエルの声で。
遠征隊が再び動き始めた。
エドガーとリックが。
言葉を交わすことはなかった。
◇
午後二時十八分。
「これも駄目ですね」
ミアが採取した植物を確認している。
「知ってるやつ?」
レオンが聞く。
「似たものが登録されています。持ち帰って確認はしますけど」
「高そう?」
「分かりません」
「その答えばっかりだね」
「分からないものを、分かるとは言えないので」
「……ですよね」
レオンが立ち上がる。
◇
地図は伸びていた。
サンプルも増えていた。
未記録だった地下森林そのものも、今回の遠征で記録されている。
成果がないわけではない。
だが。
《リレントレス・ウルフ》が必要としているものは。
まだ、見つかっていなかった。
◇
午後三時四十六分。
歩きながら。
同行レポーターがパウエルへ尋ねた。
――どこまで進む予定ですか?
「今日の野営地を確保できるところまでです」
――当初は、十八キロが上限と聞いていました。
「上限です」
――そこまでは行かない?
「分かりません」
パウエルは歩みを止めない。
「行けるところまで行くわけじゃないんです」
――というと?
「帰れるところまでです」
◇
行きに三日かかったのなら。
帰りにも、時間が必要になる。
食料も飼料も減っている。
午前の戦闘では、治療薬と魔術触媒も失った。
人間の体力も、出発時と同じではない。
前へ進めば。
帰らなければならない距離も伸びる。
遠征では。
進める距離と。
進んでいい距離は。
同じではない。
◇
午後四時二十七分。
「明日だな」
地図を見ながら。
パウエルが言った。
「何が?」
エドガーが隣に立つ。
「判断する」
「折り返し?」
「ああ」
パウエルが現在地へ印を付けた。
「明日いっぱい見て、何もなければ帰路を考える」
「……分かった」
少し離れた場所で。
レオンが、その会話を聞いていた。
◇
三日かけて。
ここまで来た。
五百十二金貨を投じ。
十二人の外部ポーターを雇い。
六頭の洞ラバを連れ。
これまで詳細な調査記録のなかった東部を歩いた。
それでも。
求めていたものが。
何一つ見つからないことはある。
探索とは。
そういう仕事でもある。
◇
午後五時十一分。
野営候補地を探していた時だった。
「……待ってください」
ミアが止まった。
「どうした?」
レオンも足を止める。
ミアは。
一本の木を見ていた。
幹を見る。
枝を見る。
そして。
根元へ視線を落とした。
しゃがみ込む。
土を指で崩す。
「ミア?」
返事はない。
ミアは立ち上がると。
少し先へ歩いた。
別の木。
また。
根元を見る。
さらに奥へ。
三本目。
◇
同行レポーターが追いついた。
――何かありましたか?
ミアは答えない。
木々を見上げる。
草を見る。
苔を見る。
そして。
もう一度。
地面を見る。
「……変です」
――何が?
「……」
ミアは。
しばらく周囲を見ていた。
「まだ……分かりません」
◇
遠征三日目。
《リレントレス・ウルフ》が求める新規資源は。
未だ、ゼロ。
そして。
折り返しを判断するまでの時間も。
残り少なくなっていた。
◇
だが。
この時。
ミアが感じた小さな違和感は。
翌日。
《リレントレス・ウルフ》創立以来。
最大の発見へと繋がることになる。




