雪の妖精の国
キオネアは、自分の体に刺さっているトゲを見て、どうしてこんなことになったのだろうと考えた。
自分は、雪の妖精の国の、第一王子だ。
もちろん王位継承権も一位だ。
これから多くの苦難が待っている祖国を、父から引き継がなければならない。
こんなところで、死ぬわけにはいかないのに。
首元から提げていたアスタリスクのネックレスを探したが、どこにもない。さっきの戦いで、どこかに吹っ飛んでしまったのかもしれない。まあ、最初から使うつもりなんてなかったから、どうでもいい。
パキパキと、体中にヒビが走った。そのヒビから、魔力がどんどん漏れている。頭もぼんやりしてきた。
とはいえ見た目ほどダメージを受けているわけじゃない。雪の妖精は、胸の奥にある小さな雪の結晶――コアを砕かれない限り、死ぬことはないのだ。
このままじっとしていれば、体は回復する。
じっとしていれば、の話だ。
キオネアの体には無数のトゲが突き刺さったままであり、そのトゲの先には怪物がいる。なぜかトドメを刺さずに、キオネアのことを見つめている。手負いの獣を警戒するように、うかつに近づいて反撃されるのを恐れているのだろう。
そんなことを心配する必要なんてないのに。
今のキオネアは、まったく体が動かない。反撃どころか逃げることすら不可能だ。このまま意識を失ったら、怪物にコアを砕かれて終わりだ。
キオネアの頭の中に、これまでの人生のすべてが、思い浮かんでは消えていった。こういった現象を、人間たちは走馬灯と呼んでいたような気がする。走馬灯が何かは知らないけれど。
ああ、ダメだ。そろそろ限界だ。視界がかすんできた。
自分のすぐ目の前に、父親の幻が浮かんでいる。こちらに笑顔を向けて、
「この国を頼むぞ」
と言っている。
キオネアは、その幻に手を伸ばした。
「すみません……お父さま。僕はここまでのようです」
そして在りし日の幸せを、思い返した。
◇
雪の妖精の国――その名をグレイシアと言う。
妖精界は、人間界のすぐ隣に位置している。
昔は妖精と人間が、お互いの世界を行き来していたらしい。キオネアが生まれる前の話だ。当時の人間たちは想像力が豊かだったと聞く。
たとえば木の影に神獣の道を見て、
たとえば雲間に空飛ぶ魚を見て、
たとえば水底に終わりのない暗闇を見て、
要するに人間たちは、目に見えないものを見ることができたのだ。そして、そういった世界の隙間から妖精界へとアクセスすることができた。
妖精と人間は対等だった。
でも、いつしか人間たちは、その力を失ってしまった。
妖精は、人間をバカにするようになった。
それはそうだろうと、キオネアも思う。
なんせ、向こうはこっちの姿を見ることができないのに、こっちは向こうを見ることができるのだから。
それだけじゃない。
触ることもできるし、生贄のために拉致することだってできる。
人間は野蛮で愚かなのだから、一方的に虐げてもいいのだ。キオネアの父も、周りの妖精たちもみなそう言っていた。キオネアはそこに少しの違和感を覚えた。
話を妖精界のことに戻そう。
妖精界とは、火の妖精の国、森の妖精の国、水の妖精の国、そういった様々な国が乱立している世界だが、その内情はかなりシンプルで、それぞれの妖精がそれぞれ作った国に住んでいるだけだ。
たとえば火の妖精が、他の妖精の国に住むことはない。
住めない、といった方が正しいかもしれない。
火の妖精の国は火山地帯にあり、雪の妖精の国は永久凍土に築かれている。互いに相手の国では生きていけない。火の妖精が雪の国へ行けば凍死し、雪の妖精が火の国へ行けばコアが溶けてしまう。たとえ国を奪ったところで、住むことも利用することもできない。
もちろん妖精たちにも王はいるし、戦士だっている。
でも王の仕事は領土を広げることではなく、国の魔力を安定させることだ。戦士も他国と戦うためではなく、魔物や災害から国を守るためにいる。
だから妖精たちには、人間のように隣国を侵略して領土を広げようという発想がほとんどなかった。そもそも自分たちに住むことのできない土地を奪っても、何の得にもならないのだから。
日夜、野蛮な争いを繰り広げている人間をバカにしながら氷の酒を飲み、ときどき襲ってくる魔獣を倒していれば、それで良かった。
「……世界樹が溶けている」
現国王のクリスタが、巨大な樹を見上げていた。
グレイシアの中央に根を張る大樹は、そのすべてが氷でできている。
枝葉も幹も根っこも氷だ。
昼には太陽の光を、夜には月や星の光を反射して、宝石のようにきらきらと輝く。
さらに、空気中に漂う魔法の源――魔素を吸収し、その力で国全体を維持している。雪の妖精たちがこの土地で生きていけるのも、氷の大樹が絶えず魔法を巡らせているおかげだ。
雪の妖精たちにとって氷の大樹は、心の拠り所であり、命の支えでもあった。
だから彼らは敬意を込めて、その大樹を『世界樹』と呼んでいた。
世界樹が国の中心で輝き続ける限り、雪の妖精たちに不安はない。誰もがそう信じていた。
その世界樹が、溶けていた。
キオネアは父のかたわらで、一緒に世界樹を見上げた。いつもは固く凍りついている樹の表面から、少しの水が流れ出ていた。まるで汗をかいた人間のようだと、父は言った。
「このような世界樹の状態は見たことがない。過去の記録にもない」
「お父さま……?」
「これは凶兆だ」
父の言ったことは正しかった。
数百年間、世界樹を守ってきた守護霊獣――白銀のヘラジカが、病に伏せてしまったのだ。それを皮切りにして、グレイシアに大小さまざまな異変が起きた。
雪の妖精ですら出歩けないほどの猛吹雪が発生したかと思えば、その次の日には、火の妖精が住まう土地のような暑さに見舞われたりもした。
世界樹はゆっくりと、だが確実に溶け続け、グレイシアは今までの国土を維持することができなくなっていった。
そもそも雪の妖精は、生きているだけで体内に熱が溜まっていく。その熱が限界値を迎えたとき、体が溶けて死に至るのだ。人間に換算すると、およそ二百年の寿命である。
コアが砕けるか、熱が溜まるか。
雪の妖精はそれ以外で死ぬことはない。
国土が急速に狭まり、国内には熱が充満している。本来なら二百年生きるはずの妖精たちが、バタバタと死んでいった。そして人数が減るよりも、国土が削られていくスピードの方が早く、雪の妖精たちは自分たちの住まう土地すら確保できなくなっていた。
問題は、この現象がなぜ起こっているのかまったくわからない、ということだ。
火の妖精の国や、森の妖精の国にも、多かれ少なかれ異常が見られたらしい。
そのような状況下であっても、妖精たちが他国を侵略して、問題解決を図ることはなかった。
先に言った通り、他国の領土を奪っても意味がない。その土地に住むことはできないし、使える資源もない。
つまり雪の妖精は、なんとしても今の寒冷地を死守するしかなかった。
この異常な現象について、現国王のせいだと言う妖精もいれば、ただの周期的な現象だと説明する妖精もいた。人間界の毒素が流れ込んでいると主張する妖精もいて、意見はまとまらず、結果としてグレイシアは分裂してしまった。
国王のクリスタは、自分の息子であるキオネアに王位を継承すると発表した。そうすることで妖精たちの不満を少しでも解消しようと努めたのだった。
クリスタ王には六人の子どもがいる。
雪の妖精は、天から降ってくる雪の結晶の中で、気に入った形のものを保管しておくという習性がある。そして自身の魔力が溜まると、保管しておいた結晶に魔力を注ぎこんで、新しい雪の妖精を生み出す。
それが雪の妖精における親子関係だ。
普通の妖精はそれほど魔力量が多くないため、生涯で一人か二人の子を生み出すのがやっとだ。
しかし王ともなればその魔力量はケタ違いであり、六人の子を生み出すことなど造作もなかった。
なぜ六人なのかというと、それが代々受け継がれてきた伝統だからだ。六という数字は縁起がいい。
ちなみに王位継承権は、一応、生み出された順に定められている。
よほどの問題がなければ、長男であるキオネアがすべてを受け継ぐはずだった。
キオネアは幼いころ、兄弟以外の、同年代の雪の妖精たちと交流があった。クリスタ王が、いずれ国を継ぐことになるキオネアに、視野を広く持ってほしかったからだ。
たとえば王家が住む水晶宮を管理している妖精の娘や、歴代の王を模した氷像を作る氷像彫刻師の息子など、そういった妖精たちと遊び、語らい、お互いに切磋琢磨した。
氷像彫刻師の息子は、その名前をネモフィラと言う。薄い紫の髪色が特徴的である彼は、
「俺は彫刻師になんてならない! 戦士になって、キオネアを支えるんだ!」
などと公言して、周りを困らせたりもした。
キオネアはみんなに好かれていた。
いつかは自分が王になるのだと、そう信じていた。
しかし、事はそう簡単に運ばない。
六男であるアイオーンの存在が、キオネアの運命を狂わせることになる。
「またアイオーンに負けたのか……」
クリスタ王が、残念そうにつぶやいた。
水晶宮で開かれた剣術大会である。
クリスタの息子六人と、名のある戦士たちが参加してトーナメントを行ったのだ。国中に広まり続ける熱を鎮めるという儀式的な意味合いもあったが、少なくとも決勝戦のアイオーン対キオネアは、本気の勝負だった。
アイオーンは、白銀の髪を腰まで垂らし、細身でありながら弱々しさをまったく感じさせない、それどころか気品によって相対した妖精を自然にひれ伏させてしまうような、すさまじい王子だった。彼の振るう剣も、その見た目に引けを取らないほど美しく、鋭い。
決勝戦は苛烈を極めた。
キオネアが劣っていたというわけではない。だが、勝てなかった。自慢の剣術で弟に負けてしまったのだ。
その後、魔法の訓練も、魔獣の狩りも、父の臣下である戦士の支持率も――何もかもがアイオーンに抜かされていった。
キオネアのことを慕っていた部下たちは、一人、また一人と彼から離れていった。幼馴染のうちの何人かも、アイオーンの陣営についた。
氷像彫刻師の息子――ネモフィラも、いつの間にかキオネアの前から消えていた。
王であるクリスタでさえ、例外的な処置として、アイオーンに王位を継承させるべきか悩みはじめた。
そして当のアイオーンも野心を隠さなかった。
「我が国グレイシアは今、建国以来最大の危機にある! この国を立て直すには、劇薬が必要だ。キオネア兄さまが優秀であることは認めよう。だが、今求められているのは、その程度の優秀さではない。この異常な時代に必要なのは、伝統ではない。ただ一つ、国を救う力だ。王位を継ぐべきは、この私である!」
大勢は、アイオーンを支持した。
とはいえキオネアの人気も根強く、王位継承はこの二人の間で争われることとなった。
このような状態が十年以上も続いた。
神輿は、キオネアとアイオーンだけではない。魔兵研究院の台頭や、クリスタ王の続投を望む声、終末論の流行など、派閥争いは激化していくことになる。
キオネアがこの劣勢を覆す方法は一つしかなかった。
派閥争いの末に魔兵研究院がとある怪物を生み出した。
その怪物は敵味方関係なく暴れまわり、貴重なグレイシアの土地ごと封印されることになる。
怪物は『できそこないの十二花』と呼ばれた。
幾人もの戦士が討伐に挑み、そのすべてが敗れ去った。結局、人間の子どもを生贄に捧げることでしか封印を維持できなかった。
その十二花をキオネアが討ち果たせば、王位継承に異を唱えられるものは、誰一人いなくなるだろう。
「では、行ってくる」
腹心の部下に留守を託して、キオネアは十二花が封印されている場所に向かった。
首から提げているアスタリスクのネックレスを握りしめる。
「何かあったら、そのネックスレスをお割りになってください。我々が助けに向かいます」
最も信頼している部下であるララはそう言ってくれたが、キオネアは何があろうとネックレスを割るつもりはなかった。
このネックレスを割って外に助けを求めるか、十二花を倒すか。
そのどちらかしか、封印された土地から脱出する方法はない。でも助けを求めたら、その時点で王位継承は不可能となるだろう。そうなるくらいなら、十二花に殺された方がマシだ。
それでもネックレスを持ってきたのは、部下に懇願されたからだった。
特にララは、水晶宮の管理をしている妖精の娘であり、幼いころからずっとキオネアのことを支えてくれている。
そんなララが、
「頼むから持って行ってください。絶対に生きて戻ってください。お願いだから、無理をしないで……」
涙を浮かべながら言ってくれたのだ。
ここまで想われて、ネックレスを置いていくわけにはいかなかった
◇
「それもどこかに落としてしまったな」
キオネアは、ララとの約束を守ることができなかった。
もう意識を保っていることもできない。
目の前にいる怪物――できそこないの十二花が、キオネアのことをじっと見ている。こちらが気絶するのを待っている。その隣には幻の父がいる。弟もいる。腹心の部下であるララもいる。みんながこちらを見ている。
「……後は頼んだぞ。アイオーン」
自分の死を悟って、絶対に負けたくなかった弟に国の未来を託すしかなかった。
キオネアの意識が遠のく。
父の幻に向かって伸ばしていた右手が、落ちる。




