戦いが終わって
雪の妖精の国の、街中を歩いた。
今は夜の時間帯だ。
空には、見たこともないような満天の星空が広がっていた。
さっきまでは、それを堪能する余裕がなかった。今もそんなに、あるわけじゃないけれど。
街路には、氷柱をそのまま立てたような街灯が並び、その透明な柱の中で青や紫、翡翠色の光がゆっくりと揺らめいている。炎でも電気でもなさそうだ。たぶん魔法かな。
人間界から持ち込まれたらしい古びたランプが飾られている家もあった。そういえば、迷宮の中で最初に入ったかまくらにも、同じようなランプが置かれていた。
不思議なほど静かな街だった。
聞こえてくるのはサナたちが雪を踏みしめる柔らかな音と、どこからともなく響く、氷同士が触れ合う澄んだ音だけ。
風が吹くたび、家々の軒先や木々に垂れ下がった氷柱が、小さな鈴のように鳴っている。
この世界には光源が少ない。それなのに街は暗くなかった。
雪が星明りを反射しているだけでは説明がつかない。雪そのものがぼうっと光っているのかも。
そうじゃなきゃ、あの雪林を、明かりも持たずに逃げ回れるわけがないし。
――と、今更ながらにサナは思う。
道の両脇には、氷を削って作られた彫刻が当たり前のように並んでいた。そのモデルは鳥や獣だけじゃない。名も知らない花や、わけのわからないオブジェもある。
人間にとっての石垣や道端の木と同じように、この国では氷の彫刻が日常なのかもしれない。
街にいる雪の妖精たちは、遠目から物珍しそうに、こっちを見ていた。
髪は白や銀、淡い青、ラベンダー色。雪景色の中にいても埋もれないほど美しい色ばかりだ。誰もが白いコートを羽織っているけど、胸元や袖口などに、それぞれ違う文様が刻まれている。
中には、青く発光している模様入りのコートを着ている妖精もいた。コートの下はさまざまで、人間でいうところのショートパンツやスカートを履いている妖精もいる。男女に肉体的な差があるのか、そもそも性別という概念があるのか、サナは気になった。
人間に敵意の視線を向けてくる妖精もたくさんいた。
確か、人間界の毒素が流れこみ、そのせいで国がダメになっていると、そう信じている妖精もたくさんいるのだっけ。
国土は年々削られ、そのたびに建物はより密集していく。木造の家やかまくらが肩を寄せ合うように並ぶ街並みには、どこか窮屈な空気が漂っていた。美しい街なのに余裕がない。
キオネアの部下がしっかりと警護してくれたおかげで、道中でちょっかいをかけられることもなく、氷の巨大な建築物の中まで無事に行くことができた。
そのまま応接室のようなところに通される。
壁も床も天井も木材でできている。床には毛織物の絨毯が敷かれ、木製のイスやテーブル、アンティーク調のランプまで置かれていた。
隅には暖炉もあるけれど、火は入っていない。それなのに部屋の中はほんのりと暖かかった。
暖炉は飾りらしい。
……人間用の応接室かなあ?
そういえば迷宮の中にあったかまくらの中も、けっこう暖かかったような覚えがある。魔法で温度を調節しているのかもしれない。
サナたちが座った後に、遅れてキオネアが部屋に入ってきた。さらにその後ろをついてきたララが、扉を閉めた後にそこで待機した。
「遅れてすまない。事の顛末をお父さまに伝えてきたんだ。詳細を語っている余裕はなかったから、流れをざっと喋っただけだが」
「ここにいていいの? やることがあるんでしょ?」
と、詩織が心配そうに聞いていた。
キオネアは首を横に振った。
「今はシオリ以上に――ごほん。君たち以上に優先すべきことはない」
言いなおしたなこいつ。
やっぱり詩織と何かあったんだ。
サナが、扉の前で待機しているララを盗み見ると、彼女は詩織のことをものすごい目でにらんでいた。サナは見なかったことにした。
キオネアはごまかすように、
「昔の人間は、妖精界に自由に行き来できたからね。そのときに使っていた応接室を、今もまだとっておいたんだ。また使うことになるなんて思ってもいなかったけど」
と話を変えた。
それからキオネアは体を前のめりにして、「さて」と言った。
「君たちには恩がある。シオリとはもう話したけれど、その他の子たちは、僕に何かしてほしいことがあるか? それを聞き届けてから、元の世界に送ろう」
サナが詩織の方を見ると、にやけていた。詩織とした話とやらが気になるけれど、そこはつっこんじゃダメだ。
「はいはい! 詩織とは何を話したんですか?」
隼人が言った。
この男はほんと、デリカシーがない。
すると優が割って入り、
「あんたさあ、ほんと、そういうこと聞くの止めなって」
説教していた。
優に言われたからなのか、隼人はしゅんとなって、縮こまった。
キオネアが困ったように詩織を見た。すると詩織は、人差し指を自分の口に当てて、
「秘密ということで」
そう答えた。やっぱり嬉しそうだ。
仕切り直し、というわけじゃないけど、サナが手を上げた。
「わたしは、この世界と、いつでも自由に行き来できるようになりたい」
「お、いいなそれ」「いいね」
隼人と優がそれぞれ賛成してくれた。
「え? それありなの? だったら私も……」
と詩織も便乗する。
キオネアは苦笑していた。
「さすがに、自由に行き来は難しいね。雪の妖精たちのほとんどが、人間に悪感情を抱いているから。でも定期的に招待する、という形ならできるかもしれない」
「じゃあ、それでいいよ」
サナはすぐに納得した。
それに最初から、自由に行き来は無理だと思っていた。定期的な招待なら申し分ない。
ここにいる人以外、誰も知らない世界と、定期的に繋がることができる。
それは、この先のサナの人生を大きく変えるはずだ。
あのネモフィラと呼ばれた雪の妖精を殺してしまった罪も、人間の世界では償えないし。
サナがそう考えていたことを、予測したわけじゃないだろう、でもこのタイミングでキオネアが、
「ネモフィラ――君たちが殺した怪物について、責任を負う必要はないよ。罪悪感を覚えることもない」
「でも」
と言いかけたサナを、キオネアは片手を上げて制した。
「あれを生んでしまったのも、あれを封印したのも、そしてあれを鎮めるために子どもたちを生贄に捧げてきたのも、そして君たちを生贄に捧げようとしたのも、すべて雪の妖精たちの責任だ。ひいては、いずれ王になる僕の責任なんだ」
忘れていたけれど、キオネアは王子さまだった。
でもキオネア一人の責任じゃないと思う。
サナは今生きているから、キオネアを責める気はあまりないけど、死んでしまった子どもたちは許すも許さないもない。
雪の妖精たちがやってきたことは、最悪という言葉を超えている。
だからといって、人間の法では裁けない。
人間は妖精を認識できないけど、妖精は人間を認識できる。あまつさえ拉致することだって、簡単にできてしまう。
向こうの方が、圧倒的に立場が上なんだ。
妖精たちの良心に期待するしかない状況で、次期国王候補が、罪を認めている。これはかなり重要なことだと、サナは思う。
つまり詩織の功績は、計り知れないほど大きい。
「僕はこの国を変えるよ。人間に罪滅ぼしをする。君たちが自由に行き来できるような国にする。だから君たちには、雪の妖精が本当に変われるかどうか、見ていてほしい」
子どもたちは、それぞれ顔を見合わせた。そして、
「わかった。いいよ」
みんなを代表する形で、詩織が返事をした。
「ありがとう」
キオネアは、ほっとしたような表情をしていた。
まさか、サナたちに糾弾されることを恐れていたのかな。
罪の意識は雪の妖精にもある。人間のせいだと思っていられるうちはいいけれど、一度でもそうじゃないと考えてしまうと、きついのかもしれない。
……罪悪感かぁ
サナは自分の両手を見つめた。
こうして、雪の迷宮をめぐる事件は幕を閉じた。
でもキオネアが――ひいては雪の妖精の国が直面している問題は、何一つ解決していない。そこはサナが関わるところじゃない。雪の妖精自身で、なんとかするしかない。
閉じ込められた子どもたちの戦いは、終わったんだ。
生き延びることができたサナは、自分だけの、罪の償い方を探していくだろう。
ここにいるみんなもきっと、あのときの剣の感触――ガラスを割ったような命の終わりを忘れないだろう。
そんな風に思った。




