7話 〈翔の章〉大坂の勝者
王都の時計塔の屋根の上を、夜風が吹きぬけていった。
瓦のふちに、ひとりの少年が腰を下ろしている。
赤い外套。腰に、一本の刀。紅蓮丸。
真田翔。16歳。
眼下の広場では、大きな画面が、出場リンクスの紹介映像を流し続けていた。
金色の鎧の戦士。ドラゴンに乗る騎士。そして、炎の中で刀を抜く、自分たちの姿。
画面のいちばん下に、新しい名前が一行、加わっていた。
『第15辺境伯代表 イグニシアの芽』
『リンクスメンバー ☆神崎美咲 服部蓮』
☆の印は、リーダーのしるしだ。
紹介映像は、ない。支持率は、0%。
翔の目は、ひとつの文字の上で止まっていた。
服部?
「……伊賀の、服部か」
夜風が、赤い外套のすそをはためかせた。
翔は、ふところから、すり切れた小さな巻物を取りだした。
真田の家に、三百年伝わる、合戦の記録だった。
◇ ◇ ◇
慶長20年、夏。
大坂の町は、燃えていた。
城をかこむのは、徳川家康がひきいる十五万の大軍。
城を守る豊臣の兵は、その半分にも満たない。
誰もが、豊臣の負けを疑わなかった。
その朝、赤い鎧の一団が、城を飛び出した。
真田の赤備え。
率いるのは、真田幸村。
風にはためく赤い旗。その中央に掲げられているのは、六つの銭を並べた紋――六文銭。
赤備えは、かつて武田信玄のもとで、精鋭たちだけが身につけることを許された、赤い軍装だった。武田に仕えた真田は、そのしきたりを受けついだ。
だから、真田の兵は、鎧も旗も、燃えるように赤い。
六文銭は、三途の川を渡るための渡し賃。死を恐れず、最後まで戦い抜く。その覚悟を、真田の兵は胸に刻んでいた。
その赤い軍勢が、徳川の大軍へ突き進む。
真田の兵は、敵の陣形をまっすぐに切り裂き、戦場に赤い道を刻んでいった。
目指すのは、ただ一か所。
家康の本陣。
本陣のまわりには、影のような者たちが、何重にも輪をつくって守っていた。
伊賀の忍びたち。
徳川に仕え、家康の身を守ることを務めとする者たちだった。
その輪に、真田の忍びが、音もなく飛びこんだ。
先頭に立つのは、伝説の忍び、猿飛佐助。
木から木へ、屋根から屋根へ。
伊賀の忍びたちが気づいたときには、佐助の刃は、もう輪の内側にあった。
忍びと忍びの戦いは、半日続いた。
そして、日が西にかたむくころ。
伊賀の輪が、破れた。
幸村の槍が、家康の本陣の旗を、なぎたおした。
その日、徳川の世は、来なかった。
◇ ◇ ◇
勝ちいくさの夜。
大坂城の大広間で、若き豊臣秀頼の前に、幸村はひざをついた。
秀頼は、真田の働きに、たくさんの領地をあたえようとした。
幸村は、首を横にふった。
「真田は、ほうびのために戦ったのではございませぬ」
幸村は、顔を上げた。
「真田は、主君と共に、正しき世をつくる刃となりましょう。主君が道を誤れば、命をかけて、お諫めいたしましょう」
その言葉は、真田の家の決まりになった。
主君と共に、正しき世をつくる。
それから三百年。
豊臣の世は続き、真田は、その世をささえ続けた。
◇ ◇ ◇
けれど、三百年は、永遠ではなかった。
翔が生まれたころ、海の向こうから、巨大な鉄の船がやってきた。
巨大な鉄の船は、火焔ロケット弾と、見たこともない鉄甲戦車を持っていた。
西の国の大名たちの中に、その船と手を組む者が現れた。
戦が、始まった。
十年たっても、終わらなかった。
翔の父は、その戦で死んだ。
村は焼け、田畑は荒れ、冬が来るたびに、子どもたちが飢えて倒れた。
翔に、忍びの技を手わたしたのは、祖父だった。
十三代目、猿飛佐助。
「翔。真田の刃は、何のためにある」
「主君と共に、正しき世をつくるため」
「正しき世とは、何だ」
翔は、答えられなかった。
焼けた村の、黒い煙のにおいが、まだ鼻の奥に残っていた。
◇ ◇ ◇
3年前の、冬の夜だった。
真田の隠し砦の床に、ふいに、光の輪が浮かびあがった。
光の中から、声がした。
『力を貸せ、真田の忍び。かわりに、おまえたちの戦を終わらせる力を与えよう』
祖父は、長いあいだ、その光を見つめていた。
それから、翔の肩に手を置いた。
「行け、翔。父のかわりに、見て、聞いて、確かめてこい。その力が、民のためになるものかどうか」
13歳の翔は、二人の仲間とともに、光の中へ足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇
ロマ王国で翔を迎えたのは、背すじのぴんとのびた、白い髪の男だった。
宰相、パクス。
パクスは、翔を、宰相府の奥の「記録の間」へ案内した。
丸い部屋の壁に、水の鏡のようなものが、いくつも並んでいた。
鏡の向こうに、見たこともない景色が、ゆらゆらと映っている。
「この国の門は、いくつもの世界とつながっている。これは、門の向こうの世界の記録だ」
ひとつの鏡の前で、翔の足が止まった。
燃える大坂城が、映っていた。
その前で、勝ちどきをあげているのは、葵の紋の旗だった。
徳川の、旗。
鏡の中の景色が、ゆっくりと移り変わっていく。
焼けあとの先に建てられた、豊臣の大坂城よりも大きな、徳川の城。
その門を守る、伊賀の忍びたち。
さらに時が流れ、空まで届きそうな塔が立ちならび、鉄の車が地面の下を走る町。
「家康が……勝った、世……?」
翔の声が、かすれた。
「世界はね、ひとつの戦の勝ち負けで、いくつにも分かれる」
パクスは、静かに言った。
「おまえの世界では真田が勝ち、この世界では徳川が勝った。それだけのことだ」
「その世界で……負けた真田は、どうなったのですか」
パクスは、鏡の中の、燃える城を見つめた。
「負けた者は、勝った者の物語の中で、消えていく」
その声は、ひどく、疲れているように聞こえた。
翔の背中を、冷たいものが、すうっと流れ落ちた。
◇ ◇ ◇
時計塔の屋根の上で、翔は、巻物を閉じた。
広場の画面には、まだ、あの名前が映っている。
服部蓮。
家康を守りきれなかった伊賀の忍びの、子孫。
けれど、あの少年の世界では、伊賀は勝った側だ。
真田は、負けた側だ。
「勝った世から来た、伊賀の血、か」
翔は、立ち上がった。
赤い外套が、夜の中で、炎のようにゆれた。
「見せてもらおう。勝ち組の血が、どれほどのものか」
(第1章 了)
あなたの今日が、新しい一歩をふみだす「最初の日」になりますように。
第1章「ノクターン」を最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
蓮とネオの冒険が、いよいよ動きだしました。
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