6話 戸口をくぐる
翌朝、ぼくは石の部屋の机に、ノートを広げた。
ゆうべ、美咲さんに言われたとおり、線を引いて三つに分けてある。
いちばん下から、書いていった。
『制約』
・受験がある。願書は1月下旬。
・剣道部で2年生に負けた。強くない。
・死にたくない。
書いてから、少し手が止まった。
死にたくない。
あたりまえのことなのに、文字にすると、急に怖くなった。
『状況』
・ここはロマ王国。
・帰る方法は、大会が終わること(たぶん)。
・ここの20日は、向こうの1日。半年いても、正月には帰れる。
・ノルデン家の枠が空いている。辺境伯の息子は死んだ。
・配給所で、パンをもらえなかった親子がいた。
最後の一行は、なんとなく書いた。
関係ないかもしれない。でも、消さなかった。
そして、いちばん上。
『目的』
ペンが、止まった。
何をしたいのか。
それがわからないから、ずっと困っている。
◇ ◇ ◇
ぼくは、机の横に止まっているネオを見た。
「ネオ。これ、読み取れる?」
『可能ナリ』
ネオのレンズが、ノートの上をなぞるように動いた。
『状況ト制約、理解セリ。目的ノ欄ガ、空白ナリ』
「うん。だから、目的を考えてほしいんだけど」
ぼくは、そう打ちこもうとした。
AIに聞けば、きっと何か答えてくれる。
それっぽい、正しそうな答えを。
でも。
ぼくは、指を止めた。
(それって、ぼくの目的なのか?)
新幹線の中で、スマホのAIに「高校、どこに行けばいい?」と聞いた。
ありきたりな答えしか返ってこなかった。
それは、AIのせいじゃなかった。
ぼくが、自分の中に何も持っていなかったからだ。
……きみは、何を選びたい?
あの夜の、やわらかい声が、どこかで聞こえた気がした。
ぼくは目を閉じた。
昨日の、自分の足の感覚を思い出す。
板を鳴らすたびに、悔しかった。
わからないのが、悔しかった。
引退試合のときと、同じだ。
悔しいのに、何も変えなかった、あのときと。
ぼくは、ゆっくりと目を開けた。
そして、自分の手で書いた。
『目的』
・逃げない。
字は、少しふるえていた。
その下に、もう一行。
・ここで逃げたら、受験からも、ずっと逃げる気がする。
ネオが、静かにレンズを光らせた。
『……良キ問イ、良キ答エナリ』
「答えじゃないよ。まだ」
『然リ。ナレド、汝ガ自ラ書キシモノナリ』
◇ ◇ ◇
辺境伯は、昨日と同じ黒い服を着ていた。
ぼくが部屋に入ると、驚いたように立ち上がった。
ぼくは、頭を下げた。
「昨日は、すみませんでした」
それから、顔を上げた。
「出ます。ノルデン家の代わりに、ぼくが出ます」
声は、ちゃんと出た。
辺境伯は、しばらく何も言わなかった。
やがて、その目がうるんだ。
「……ありがとう」
辺境伯は、ぼくよりも深く、頭を下げた。
部屋のすみで、美咲さんが腕を組んで立っていた。
何も言わない。
でも、少しだけうなずいたのが見えた。
◇ ◇ ◇
その日の午後、ぼくたちはグラハム工房へ向かった。
町の外れにある、古い石造りの建物だった。
天井の高い作業場には、エラストマーの板や、何に使うのかわからない部品が山のように積まれている。
油と、焼けたゴムのようなにおいがこもっていて、炉の熱で頬がほてった。
出迎えてくれたのは、ひげもじゃのおじいさんだった。
「グラハムだ。ここの親方をやっとる」
親方は、ぼくを頭のてっぺんから足の先までじろじろと見た。
「……ちっこいな」
「よく言われます」
「まあいい。こっちだ」
作業場の奥に、それは立っていた。
人の形をした、鎧。
ぼくの背より、頭ひとつ分高い。
全身が、つやのない灰色の装甲に包まれている。
関節のところには、黒いエラストマーの筋肉のようなものが見えた。
胸には、削られかけたLの字の紋章。
「アーマード・コンバット。戦闘用の鎧だ。レクサゴールドの予備品でな。新品を買う金は、もうない」
親方は、ひげをかいた。
「長い名前だからな。みんな、ただ『アーマー』と呼んどる」
親方は、鎧の肩をぽんと叩いた。
「中古だが、骨組みはいい。あとは中身しだいだ」
親方は、壁にかけてあった細長い包みを下ろした。
布をほどくと、銀色がかったエラストマーの長剣が出てきた。
「アーマーの腰にさげる長剣だ。名は、疾風。これも、レクサゴールドの予備でな」
ぼくは、柄をにぎって持ち上げようとした。
ずしりと重い。両手でも、まっすぐ構えるのがやっとだった。
「アーマーを着れば、片手で振れる。……振れるようになれば、な」
◇ ◇ ◇
美咲さんが、鎧の背中を開いた。
中は、人がひとり入れる空洞になっている。
「セカンドスキンを着たまま、入って。あなたの体の動きと、動かそうという意思を、この服がアーマーに伝える」
ぼくは、ごくりとつばを飲んだ。
足から入る。
腕を通す。
背中が閉じる。
真っ暗になった。
古い革と油のにおいが、鼻先にこもった。
次の瞬間、目の前に光が広がった。
鎧の目にあたる部分から、外の景色が見えている。
まるで、自分の目で見ているみたいだった。
「動いてみて」
美咲さんの声が、耳元で聞こえた。
ぼくは、右足を前に出そうとした。
アーマーは、動かなかった。
もう一度。
力をこめる。
ぐらり、と体がかたむいた。
鎧の重さが、一気にのしかかってくる。
「うわっ……!」
がしゃーん!
ぼくは、作業場の床に盛大に倒れた。
親方が、ため息をつくのが聞こえた。
≪ほらな≫
≪最初から無理だったんだ≫
≪優勝候補の鎧を着て、一歩も歩けないなんて≫
低い声が、鎧の中で反響する。
胸が苦しい。
息がうまく吸えない。
そのとき、すぐ横で車輪の音がした。
ネオが、倒れたアーマーのそばに来ていた。
『我ヲ、繋ゲヨ』
美咲さんが、ネオの胴体からケーブルを引き出し、鎧の腰の差しこみ口につないだ。
ネオのレンズが、強く光った。
『我ガ、汝ノ脚トナラム』
鎧の中で、体がふっと軽くなった。
さっきまでの重さが、うそのように消えていく。
「立ってみて。今度は、力を入れずに」
美咲さんの声。
力を、入れずに?
ぼくは、昨日の縁側を思い出した。
シェンロウの、音のしない足。
『今、足の裏は、どこで床にふれている?』
ぼくは、鎧の中で、自分の足の裏に意識を向けた。
床の冷たさ。
かすかな凹凸。
足の指のつけ根が、床を感じている。
ゆっくりと、膝を立てる。
アーマーが、ぼくの動きに合わせて、すうっと起き上がった。
立てた。
ぼくは、息をひとつ吐いた。
そして、右足を、前に出した。
ずしん。
一歩。
たった一歩。
でも、たしかに、自分で踏み出した一歩だった。
親方が、ひげをなでながら、ぼそりと言った。
「……ふん。まあ、ゼロではないな」
◇ ◇ ◇
夕方、ぼくたちはコロシアムへ向かった。
町の中心にそびえる、巨大な円形の建物。
白いエラストマーの壁が、夕日を受けて金色に光っている。
広場から、屋台の呼びこみと人々のざわめきが、波のように押し寄せてくる。
その正面に、大きな門があった。
出場登録の門だ。
門の前で、係員が名簿を広げていた。
「リンクス名は」
ぼくは、美咲さんを見た。
美咲さんは、辺境伯を見た。
辺境伯が、静かに言った。
「『イグニシアの芽』」
「イグニシア?」
「古い言葉で、『火種』という意味です。息子が、いつか自分が育てる2番目のリンクスにつけたいと言っていた名前でした」
火種の、芽。
まだ燃えていない、小さな火のもと。
ぼくたちに、ぴったりだと思った。
係員が、名簿から顔を上げた。
「代役くんは、リンクスを知らんのか」
「……チームのこと、ですよね」
「似ているが、少しちがう」
係員は、名簿の表紙をこつんとたたいた。そこには、輪が三つ重なった印が描いてあった。
「人間。魔物。AIとロボット。生まれのちがう者どうしが、鎖の輪のようにつながって戦う組。それが、リンクスだ」
輪が、つながる。
人と、魔物と、機械が。
「昔は『戦闘連携隊』なんて、かたい名前で呼ばれていたらしい。長くて、だれも覚えなかった。それで、いつのまにか、みんな『リンクス』と呼ぶようになった」
リンクス。
口の中で、くり返してみた。
短くて、呼びやすい。それに、なんだか、ゲームの中の未来の部隊みたいで、かっこいい。
ぼくの横で、ネオが、レンズを誇らしげに光らせた。
「リーダーは」
「わたし、神崎美咲」と美咲さん。
「リンクスメンバーは」
ぼくは、一歩前に出た。
「服部蓮。……レンで、お願いします」
係員が、名簿にさらさらと書きこむ。
「整備とTV局への映像提供は」
『〈ネオ〉ナリ』
ネオが、誇らしげにレンズを光らせた。
係員は、ロボットが返事をしたことに少し驚いた顔をしたが、何も言わずに書きこんだ。
「登録完了。門を通りなさい」
ぼくは、門を見上げた。
高い。
その向こうに、何が待っているのか、まだ何もわからない。
でも、もう逃げないと決めた。
ぼくは、門をくぐった。
◇ ◇ ◇
広場の大きな画面に、出場リンクスの紹介映像が流れていた。
金色の鎧の戦士たちが、炎の中から現れる。
ドラゴンの背に乗った騎士が、空を舞う。
赤い六つの銭の紋章を背負った少年が、刀を抜いてカメラをにらむ。
どの映像も、映画みたいにかっこよかった。
プロが撮って、プロが編集した映像なのだと、美咲さんが言った。
画面の右側には、各リンクスの支持率と、賭けの倍率が並んでいる。
いちばん下に、ぼくたちの名前があった。
『第15辺境伯代表 イグニシアの芽』
紹介映像は、なかった。
支持率の欄には、『0%』とだけ表示されていた。
その夜、宿舎に届いた支給品は、たたまれたテントがひとつと、大きなウエストバッグがひとつだけだった。
美咲さんは、テントを、くるくると小さく巻きはじめた。
「アーマーで歩くあいだ、背中には何も背負えない。荷物は、ぜんぶ腰」
巻いたテントを、ウエストバッグに押しこむ。水筒、携帯食料、小さな工具。すきまに、ぎゅうぎゅうと詰めていく。
最後に、ぱちん、と留め具を閉めた。
「アーマーの腰の金具に、ここを、かちりとはめるの。明日、練習しよう」
ぼくは、ぱんぱんにふくらんだウエストバッグを抱えて、窓の外の夜空を見上げた。
知らない星座が、またたいている。
そのとき、耳元で、ざらりとした音がした。
風の音ではなかった。
たくさんの人の、笑い声を、ひとつに練り固めたような音。
――最下位の、代役くん。
ぼくは、思わず振り返った。
部屋には、誰もいなかった。




