3話 石の部屋と、空いた一枠
壁は、四角い石を積み上げてできていた。
でも、天井は木だった。ごつごつとした太い木目の梁が、むき出しのまま何本も渡されている。
梁と梁のすきまから、細い光がもれている。
ぼくが寝ていたのは、木でできた古いベッドだった。
体には、あの黒い服を着たままだ。
(夢……だよな)
頬をつねる。
痛い。
「おはよう」
声のしたほうを見ると、部屋のすみのソファーに、美咲さんが座っていた。
見慣れない服を着ている。
灰色の、作業着みたいな上着。腰にはたくさんのポケットがついたベルト。
膝の上には、あの古い本。
「み、美咲さん!? ここ、どこですか!」
「ロマ王国」
美咲さんは、本を閉じた。
「わたしは、ここに来るのは2回目」
「ロマ……? 王国……?」
「あなたの世界でもわたしの世界でもない場所。異世界、って言えばわかる?」
わかる。
言葉の意味はわかる。
でも、頭がまったく追いつかない。
ぼくはベッドから飛び降りて、石の壁にはめこまれた窓へ駆け寄った。
裸足の足の裏に、木の床がひやりと吸いついた。
◇ ◇ ◇
息を、のんだ。
見たことのない町が、広がっていた。
白っぽい建物が、丘の斜面に沿ってどこまでも続いている。
その間を、線路のような細い帯が走っていた。
帯の上を、四角い車両がすべるように進んでいく。
カーブのところで、線路そのものがぐにゃりとしなり、車両が通りすぎると、すっと元の形に戻った。
どこか遠くで、鐘のような低い音が三つ鳴った。
「線路が……曲がった?」
「エラストマー」
美咲さんが、隣に立った。
手に持っていたコップを、ぼくの目の前で軽く握る。
コップは、まるでゴムのようにへこんだ。
指を離すと、一瞬で元の形に戻る。
「弾力性の『エラスティック』と、高分子の『ポリマー』を合わせた呼び方。小さな力で形を変えて、力をのぞくとすぐ元に戻る。この国では、線路も建物も、武器も、みんなこれでできてる」
「すげえ……」
ゲームの世界みたいだ、と思った。
ぼくの好きなバトルゲームにも、こんな近未来の町が出てくる。
でも、ゲームとちがって、ここには風のにおいがあった。
焼きたてのパンの、甘いにおいも。
◇ ◇ ◇
「どうして、ぼくがここに?」
ぼくが聞くと、美咲さんは窓辺に腰かけた。
「この国では、12年に一度、大きな祭典が開かれる。『コロシアムピック』。いろんな異世界から選ばれた戦士が、戦闘用の鎧を着て戦う大会」
「戦う……?」
「その優勝候補の筆頭だったリンクスが、10日前に全滅した」
「リンクス?」
「いっしょに戦う仲間の組のこと。チームみたいなもの。くわしくは、そのうち」
美咲さんの声が、少しだけ低くなった。
「リンクス名は、『レクサゴールド』。護衛はいたけれど、宿舎が丸ごとテロで爆破されたの。生き残りは、いない」
背中が、ひやりとした。
「レクサゴールドは、第15辺境伯ノルデン家の代表リンクスだった。大会には、ノルデン家の枠がひとつ空いたまま。開幕まで、もう時間がない」
「それと、ぼくと、なんの関係が」
「ノルデン家と服部家は、1000年前の同じ先祖から分かれた血筋なんだって。ノルデン家の魔法陣が、血のつながりをたよりに、代わりの戦士を呼んだ」
美咲さんは、ぼくを見た。
「それが、あなたと、わたし」
「なんでぼくなんですか! 服部家なんて、ほかにもいるでしょ。父さんとか!」
「ちょうど元服の旅の途中で、セカンドスキンを着て寝てたから。……あと」
美咲さんは、少し首をかしげた。
「暇そうに見えたんじゃない?」
「暇じゃない! 受験生だ!」
思わず叫んでいた。
美咲さんの口元が、ほんの少しだけゆるんだ気がした。
◇ ◇ ◇
「受験……そうだ、受験! 帰らなきゃ。願書、1月なんです!」
「大会が終われば、帰れる。……たぶん」
「たぶんって!」
「それと、もうひとつ」
美咲さんは、指を一本立てた。
「この世界の時間は、向こうよりずっと速く流れる。ここで20日すごしても、向こうではだいたい1日。半年いても、向こうでは10日たらず」
ぼくは、頭の中で計算した。
12月23日の夜から、10日たらず。
「……正月には、帰れる?」
「大会が終わればね」
少しだけ、ほっとした。
ほっとした自分が、なんだか情けなかった。
◇ ◇ ◇
窓の下の広場に、長い行列ができていた。
人々が、ひとりずつ白いパンを受け取っている。
大人も、子どもも、老人も。
受け取った人たちは、みんな笑顔だった。
「あれ、なんですか」
「配給。この国では、宰相が国民全員に、毎日パンを無料で配ってる」
「無料? 全員に?」
「そう。この国では、誰も飢えない」
ぼくは、思わず笑った。
「なんだ、いい国じゃん」
美咲さんは、答えなかった。
ただ、行列をじっと見下ろしていた。
その目が、なぜかとても冷たく見えた。
ぐう。
静かな部屋に、ぼくのお腹の音が響いた。
そういえば、母さんのおにぎりを食べてから、何も口にしていない。
美咲さんは、黙って机の上のかごを指さした。
大きな白いパンが、ひとつ入っていた。
「さっき、配給でもらってきた。食べていいよ」
ぼくはパンを手に取った。
まん丸で、真っ白で、ふわふわだ。
大きくひと口、かじる。
やわらかい。
あまい。
……でも。
(なんだろう、これ)
二口目をかじって、ぼくは首をかしげた。
まずくはない。
むしろ、おいしいはずだ。
なのに、のどを通ったあと、口の中に何も残らない。
母さんのおにぎりは、塩がききすぎていて、のりが歯にくっついて、それでも最後のひと粒まで覚えているのに。
このパンは、食べたそばから、味を忘れていくみたいだった。
「どう?」
美咲さんが聞いた。
「……おいしい、です。たぶん」
「たぶん、ね」
美咲さんは、それ以上何も言わなかった。
ぼくは残りのパンを、黙って食べきった。
お腹はふくれた。
でも、なぜか、胸のどこかがすうすうしていた。
◇ ◇ ◇
「先祖が同じだからって、勝手に呼ぶなんて、めちゃくちゃですよ」
ぼくがぼやくと、美咲さんは静かに言った。
「血は運命を語らない。愛が未来を選ぶ」
「……え?」
「わたしの口ぐせ。千代先生から、もらった言葉」
意味を聞き返そうとしたとき、扉が重く三回、叩かれた。
美咲さんが立ち上がる。
「来た。ノルデン辺境伯」
扉の向こうから、かすかに、すすり泣くような息の音が聞こえた気がした。




