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ブレッド・コロシアム ――”敗者のいない世界の罠” 今日、ぼくはAIと生まれ変わる  作者: Hamin
プロローグ けふは、人生の最初の日

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2/15

2話 伊賀上野、セカンドスキンの夜

「起きて。乗りかえ」

肩をとんとんと叩かれて、目を覚ました。

名古屋だった。


女の人は、もう荷物を持って通路に立っている。

ぼくはあわててリュックをつかみ、あとを追った。

名古屋から在来線に乗り、亀山《かめやま》でもう一度乗りかえる。

二両しかない電車が、山のあいだをことことと走っていく。


ずっと黙っているのも気まずくて、ぼくは思いきって聞いた。

「あの、お名前は」

「神崎美咲《かんざきみさき》」

「ばあちゃんの、知り合いですか」

「弟子。古武術の」

美咲さんは、窓の外の山を見たまま答えた。

「それと、服部家の遠い親戚。あなたから見たら……何親等だろう。数えたことない」

「古武術の先生なんですか」

「本業は大学でAIの研究をしてる。ロボットの体の動かし方とか」

「AIの研究者が、なんで古武術?」

美咲さんは、そこで初めてぼくのほうを見た。

「どっちも、体の動かし方を考える仕事だから」

意味がよくわからなかった。

でも、美咲さんはそれ以上説明しなかった。


◇ ◇ ◇


伊賀上野《いがうえの》の駅に着いたのは、昼すぎだった。

観光のポスターには、手裏剣を構えた忍者の絵。

(こっちは本物の子孫だぞ)

心の中で言ってみたけれど、自分でもまったく説得力がなかった。

コンビニ一軒ない小さな駅から、最初に向かったのは、町はずれの古い禅寺だった。

本堂の板の間に座らされる。

和尚さんが、うすい座布団《ざぶとん》を二枚、ぼくの前に置いた。

「初めての者は、これを使いなさい」

一枚は、そのまま床にしく。もう一枚は、二つに折って、お尻の下にあてる。

お尻が少し高くなると、膝《ひざ》が床に近づいて、背すじが自然にのびる。坐禅《ざぜん》に慣れていない人のための、座り方なのだという。

古い木と線香のまじったにおいが、本堂の奥までしみこんでいる。座布団があっても、板の冷たさが、ズボンごしに足へじわじわと上がってきた。

坐禅だ。

和尚さんは、ぼくにひとことだけ言った。

「何もせず、ただ座りなさい」

ただ座る。

それなら、ぼくにもできる。

そう思ったのは、最初の5分だけだった。

足がしびれる。

座布団の上なのに、足の先から、じんじんと感覚がなくなっていく。

背中がかゆい。

頭の中には、いろんなことが浮《う》かんでくる。

冬期講習。願書。引退試合。

≪何のために高校へ行く?≫

≪答えられなかったくせに≫

≪こんなところで座ってる場合か≫

頭の奥の低い声が、次から次へと押し寄せる。

ただ座るのが、こんなに難しいなんて知らなかった。

隣を見ると、美咲さんは目を半分閉じて、まるで置物みたいに動かない。

息をしているのかどうかも、わからないくらいだった。


◇ ◇ ◇


夕方、山の中腹にある墓地へ行った。

服部家の墓は、いちばん奥にあった。

杉《すぎ》の落ち葉が、足もとでかさかさと鳴った。

苔《こけ》むした古い墓石がいくつも並び、刻まれた文字はほとんど削れて読めない。

線香に火をつけ、手を合わせる。

何を祈ればいいのか、わからなかった。

(えーと……受験、なんとかなりますように)

ご先祖さまに頼むことじゃない気がした。

目を開けると、美咲さんが墓石をじっと見つめていた。

夕日が、その横顔を赤く染めている。

「あなたのおばあさんもね」

美咲さんは、ぽつりと言った。

「15歳の冬に、ここに来たの」

「ばあちゃんも、元服の旅を?」

「女の子だから、元服とは言わないけど。……まあ、似たようなもの」

美咲さんは、それきり何も言わなかった。

カラスが一羽、杉の木から飛び立った。


◇ ◇ ◇


その夜は、駅の近くの古いホテルに泊まった。

窓の外を、遠くの電車がことことと通りすぎていく音がした。

美咲さんとは別の部屋だ。

ドアを開けると、ベッドの横に見覚えのあるスーツケースが置いてあった。

ばあちゃんのだ。

ふたの上に、白い封筒が貼りつけてある。

中には、毛筆で書かれた短い手紙が一枚。

『蓮へ

けふは、人生の最初の日。

ねむるときは、これを着なさい。

千代《ちよ》』

「……けふ?」

ぼくは首をかしげた。

けふ。ケフ。

ばあちゃん、誤字かな。

それとも、ばあちゃん流の暗号だろうか。

スマホのAIに聞こうとして、やめた。

なんだか、疲れていた。


画面には、母さんからのメッセージが一件だけ届いていた。

『着いた? おにぎり、食べた? 体に気をつけてね』

ぼくは『着いた。食べた』とだけ返した。

父さんからは、何もない。

わかっていたのに、画面を閉じるとき、少しだけ指が重かった。

リュックの底から、くしゃくしゃになったアルミホイルが出てきた。

亀山駅のベンチで食べた、おにぎりの包みだ。

ぼくはそれを、きれいにたたんで、リュックのポケットにしまった。

なぜそうしたのかは、自分でもよくわからなかった。


スーツケースを開けると、黒い布がきれいにたたんで入っていた。

広げてみる。

首から足首までつながった、オールインワンの服だ。

薄くて、よく伸びる。

縫い目が、どこにも見当たらない。

(パジャマ、これ?)

部屋を探したけれど、ホテルの浴衣もパジャマも置いていない。

まるで、最初から取り上げられていたみたいに。

しかたなく、言われたとおりに着てみた。

足を通し、腕を通し、胸元を閉じる。

その瞬《しゅん》間、布がすうっと体に吸いついた。

冷たくない。

むしろ、ほんのり温かい。

まるで、もう一枚の皮膚を手に入れたみたいだった。


◇ ◇ ◇


ベッドに横になる。

天井の小さなしみを見つめた。

何のために、高校へ行く?

わからない。

何がしたいのか、わからない。

何が好きなのかも、よくわからない。

画面の中の相手なら、何手先でも読めるのに。

自分の未来は、一手先も読めない。

≪だから、おまえはだめなんだ≫

低い声が、いつものように響く。

そのときだった。

いつもの低い声とは違う声が、聞こえた気がした。

……きみは、何を選びたい?

小さな声だった。

遠くで鳴る鈴《すず》みたいに、やわらかい声。

(え?)

ぼくは体を起こしかけた。

その瞬間――

ふわり、と体が浮いた。

ベッドが、なくなった。

上も下も、わからない。

胃のあたりが、ひっくり返る。

人生で初めての、めまいだった。

黒い服が、ぼんやりと青く光っている。

(なんだ、これ――)

叫《さけ》ぼうとした声は、音にならなかった。

光が、ぼくを飲みこんだ。


◇ ◇ ◇


どれくらい時間がたったのだろう。

背中に、固い感触があった。

かすかに、石と土のにおいがする。

ぼくは、ゆっくりと目を開けた。

天井に、見たこともない太い木の梁が走っていた。


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