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ブレッド・コロシアム ――”敗者のいない世界の罠” 今日、ぼくはAIと生まれ変わる  作者: Hamin
第3章 百キロ極限走・前編

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14話 見えない疲労

夜になった。

街道は、真っ暗だった。

月はなく、星の光だけが、谷川の水面にちらちらと映っている。

「交代で行く」

美咲《みさき》さんが言った。

「ひとりが先を歩いて、もうひとりは、アーマーを『追従』にして眠る」

追従。ネオが、前のアーマーの足あとをたどって、うしろの鎧《よろい》を勝手に歩かせてくれる仕組みだ。

鎧の中で、歩きながら眠る。

最初は、そんなことできるわけないと思った。

でも、三時間歩いたあと、追従に切りかえたとたん、ぼくはすとんと眠りに落ちた。

鎧のゆれが、ゆりかごみたいだった。

夢を、見た。

伊賀のホテルの、白い封筒。

毛筆の字が、ゆらゆらとゆれている。

『けふは、人生の最初の日』

けふ。けふ。

声に出して読もうとすると、字がにじんで、どうしても読めない。

ばあちゃんが、どこかで笑っている気がした。


◇ ◇ ◇


真夜中、休憩の合図で目がさめた。

道ばたの岩かげ。

支給された携帯食料の袋をやぶる。

中身は、灰色の四角いかたまりだった。

かじる。

ぼそっ。

段ボールを食べているみたいだった。

口の中の水分が、ぜんぶ吸いとられていく。

「……これ、三日分?」

「最低ランクだから」


美咲さんは、鎧の背中のふたを開けた。

排熱口から、白い湯気がもわっと立ちのぼる。

そこに、水を入れた金属のカップを置いた。

しばらくすると、カップがことことと鳴りだした。

美咲さんは、その中に携帯食料をくだいて入れた。

腰のポケットから小さな袋を取りだして、ひとつまみ。

「なに入れたんですか」

「塩と、乾かした野草。谷で摘んでおいた」

スプーンで、かきまぜる。

湯気が、ぼくの鼻先までのぼってきた。

ほんのりと、草の青いにおい。

ひと口すすった。

……あたたかい。

とろりとしたスープが、のどを通って、胃の中にじんわり広がっていく。

冷えきっていた指の先まで、熱がもどってくる。

「うまい……」

「アーマーが出す熱は、捨てたらもったいない」

美咲さんは、自分のカップをふうふう吹いた。

ぼくは、空になったカップを両手でつつんだ。

まだ、温かかった。


見上げると、星がこぼれ落ちてきそうなほど、たくさん光っていた。

知らない星座ばかりだった。

「美咲さん」

「なに」

「前にここに来たのって、いつですか」

美咲さんは、少しだけ黙った。

「12年前。13歳のとき」

「13歳!?」

「見習いのメカニックとして、ある人について来たの。……予選で、負けた」

ぼくは、思わず美咲さんの顔を見た。

たき火も、明かりもない。星の光だけ。

美咲さんの表情は、よく見えなかった。


「負けて、どうなったんですか」

「気がついたら、元の世界にいた」

美咲さんは、空のカップを鎧の背中にしまった。

「だから、今回は、負けたくない」

それきり、美咲さんは何も話さなかった。

ぼくも、それ以上は聞けなかった。

遠くで、夜の鳥が、ひと声だけ鳴いた。


◇ ◇ ◇


2日目の昼。

ネオが、中継の速報を読み上げた。

『尾根道ヲ行キシ獅子《しし》ノ牙《きば》、電池残量、三割ヲ切レリ。歩ミ、大幅ニ遅シ』

ぼくは、思わず美咲さんを見た。

美咲さんは、前を向いたまま歩いていた。

(ぼくの言うとおり左に行ってたら、今ごろ……)

川原の石に書いた式を、思い出した。


◇ ◇ ◇


そのあとだった。

右の足首が、また痛みはじめたのは。

谷でひねった、あの足首だ。

治ったと思っていた。

一歩ごとに、ずきん、とにぶい痛みが走る。

(言ったら、またペースが落ちる)

(最下位なのに、これ以上遅れられない)

ぼくは、何も言わずに歩き続けた。

『レン。心拍、体温、トモニ正常ナリ』

ネオが言った。

ほら、正常だ。

数字は、だいじょうぶだと言っている。

だから、だいじょうぶだ。

そう思いこもうとした。


三十分後。

前を歩いていた美咲さんが、急に立ち止まった。

振り返って、ぼくの鎧の顔をじっと見る。

「レン。顔、真っ白でしょう」

「え? 鎧ごしに、わかるんですか」

「鎧の歩き方で、わかる。右足だけ、着地が浅い」

ぼくは、言葉につまった。

「休憩。30分」

「でも、ネオは正常だって――」

「ネオが見ているのは、心臓の速さと体の熱。あなたの足首の痛みは、どこにも表示されない」


美咲さんは、ネオのほうを向いた。

「ネオ。レンの右足の着地の深さ、左とくらべて」

『……右足、左ヨリ平均一割浅シ。……見落トシタリ。我ハ、問ワレシコトノミ、答エテイタ』

ネオのレンズが、少しだけ暗くなった。

「ネオのせいじゃないよ」

ぼくは言った。

「ぼくが、足首のこと、言わなかったから」

『……ナレド、我ハ、汝ノ脚トナルト言イシ身。脚ノ痛ミニ気ヅカヌハ、恥ナリ』

ネオの声は、いつもより低かった。

AIが、恥ずかしがっている。

なんだか、ふしぎな気持ちだった。

「じゃあ、次からは、右と左、くらべて見て」

『……心得タリ』


ぼくは、アーマーを道ばたに座らせた。

足首に、冷たい水でぬらした布をあてる。

中継ドローンが、頭の上でぶんぶん回っている。

コメント欄に、さっそく文字が流れたらしい。

『最下位が休憩とか、余裕かよw』

『もう脱落確定』

ジャッジが、それに声を合わせた。

≪ほら、笑われてる≫

≪また足を引っぱってる≫

でも、ぼくは足首から手を離さなかった。

数字と、人の目。

どちらか一方だけじゃ、見えないものがある。

ノートに、そう書いた。

30分後、ぼくたちはまた歩きだした。

足首の痛みは、さっきより少しだけ軽くなっていた。

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