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ブレッド・コロシアム ――”敗者のいない世界の罠” 今日、ぼくはAIと生まれ変わる  作者: Hamin
第2章 王家の谷

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11話 最初の試練と、揺れたオッズ

谷に来て、29日目。

予選の前日。

谷の入口に、大会運営の旗を立てた馬車がやってきた。

降りてきた係員が、羊皮紙《ようひし》を読み上げる。

「イグニシアの芽に、出場前の最終試練を課す」

場所は、谷のいちばん南にある「熱風の回廊」。

岩の裂《さ》け目から、地下の熱い風が噴《ふ》き出し続けている、長さ100メートルの細い道だ。

「アーマーを着たまま、リンクスのメンバー2人が、一度も止まらずに、回廊を歩き抜けよ。止まれば、出場資格を取り消す」

係員は、空を見上げた。

「本番は、日没。それまでは、好きにしろ」


◇ ◇ ◇


回廊の入口に立っただけで、顔がひりひりした。

卵がくさったような、硫黄《いおう》のにおい。

熱い風が、ごうごうと耳もとで鳴っている。

最初に回廊へ入ったのは、美咲さんだった。

まるで、夕方の散歩でもするみたいに。

熱風が正面からぶつかっても、体が前にも後ろにも、右にも左にも、ほとんどぶれない。

すいすいと百メートルを渡りきると、出口で一度だけ振り返った。

次は、あなた。そう言われた気がした。

美咲《みさき》さんが、鎧《よろい》の膝《ひざ》の関節を、指でこつんとたたいた。

熱風のうなりにまじって、美咲さんの声が聞こえた。

「この熱だと、関節のエラストマーがやわらかくなりすぎる。踏みこむたびに、膝がぐにゃっと沈《しず》む」


ぼくは、ネオに聞いた。

今度は、ちゃんと状況を伝えて。

「熱風の中を、100メートル。関節がやわらかくなる。止まったら失格。どうすればいい?」

『出力ヲ上ゲヨ。沈ム力ヲ上回ル力デ、押シ切ルベシ』

(なるほど)

ぼくは、練習のつもりで、出力を最大にして回廊に入った。


◇ ◇ ◇


十歩目で、わかった。

だめだ。

出力を上げるほど、関節が熱を持つ。

熱を持つほど、エラストマーはやわらかくなる。

やわらかくなるほど、膝が沈む。

沈むほど、また出力を上げる。

鎧の中が、サウナみたいに熱くなった。

セカンドスキンが、じわりと熱を伝えてくる。

汗《あせ》が目に流れこんで、前が見えない。

二十メートル。

膝が、がくんと折れかけた。

ぼくは、あわてて入口へ引き返した。

本番だったら、ここで終わっていた。


◇ ◇ ◇


入口の岩かげで、アーマーを脱いだ。

息が、まだ荒い。

AIの答えは、まちがってはいなかった。

力で押し切る。それも、ひとつのやり方だ。

でも、ぼくのアーマーでは、うまくいかなかった。

(なんでだ)

ぼくは目を閉じて、さっきの十歩を思い出した。

膝が沈んだとき、ぼくの体は、どうしていた?

……踏んばっていた。

かかとに体重をかけて、ずしん、ずしんと踏みこんでいた。

シェンロウの縁側を思い出す。

音のしない足。

かかとをつけず、足の指のつけ根で、床をなでるように。

ずしんと踏まなければ、膝に重さが集まらない。

膝に重さが集まらなければ、関節は沈まない。


「美咲さん」

ぼくは、顔を上げた。

「出力を、上げるんじゃなくて、下げられませんか」

美咲さんの眉《まゆ》が、ぴくりと動いた。

「下げて、どうするの」

「踏みこまない歩き方をします。かかとをつけない。重さを、膝じゃなくて、全身にちらします」

自分で言いながら、心臓がどきどきした。


「それで、足の裏の感じを、セカンドスキンでネオに伝えます。ネオは、足の裏が沈みそうになった瞬《しゅん》間だけ、関節を固めてほしい。ずっとじゃなくて、一瞬だけ」

ネオのレンズが、ちかちかと点滅した。

『……力ム、緩ム。力ム、緩ム。ソノ切リ替エヲ、百分ノ一秒ゴトニ行ウ、ト』

「できる?」

『可能ナリ。……我ガ記憶ノ奥ニ、同ジ戦イ方ノ型、アリ』

美咲さんは、しばらく黙ってぼくを見ていた。

それから、工具袋を開けた。

「関節のエラストマーを、一層うすくする。熱が逃げやすくなるかわりに、ネオの切りかえが遅れたら、膝が一発で折れる」

美咲さんは、手を動かしながら言った。

「やる?」

「……やります」


◇ ◇ ◇


日が沈む。

係員の旗が、振り下ろされた。

ぼくは、熱風の回廊に、一歩を踏み入れた。

かかとを、つけない。

足の指のつけ根で、岩をなでるように。

熱い風が、鎧の表面をごうっと叩く。

足の裏が、ほんの少し沈みかける。

その瞬間、ネオが膝を固める。

すぐに、ゆるめる。

固める。ゆるめる。

鎧が、ぼくの呼吸に合わせて、すうっと前に出る。

ふしぎだった。

さっきより、ずっと力を使っていないのに、ずっと速い。


三十メートル。

六十メートル。

汗が目にしみる。それでも、足は止まらない。

九十五メートル。

最後の一歩で、回廊の出口から、冷たい夜の風が流れこんできた。

ぼくは、外に出た。

止まらなかった。

一度も。

そのとき、鎧の胸の奥で、低い音が鳴った。

ぶうん。

腹の底に響く、太い音。

アーマーの動力炉《どうりょくろ》が、初めて力強く目を覚ました音だった。

胸の紋章《もんしょう》のまわりが、ぼんやりと青く光っている。

『動力炉、完全起動。……汝ト、我ト、鎧ガ、一ツニナリシ』

ネオの声が、少しだけ、ふるえている気がした。

あとで聞いた話では、ほかの15リンクスは、ひと月以上も前に、この回廊をとっくに渡り終えていたらしい。

ぼくたちは、いちばん最後のリンクスだった。

それでも、渡った。


◇ ◇ ◇


その夜。

たき火の前で、美咲さんが、携帯用の小さな画面を見せてくれた。

中継のコメント欄だった。

『え、今の歩き方なに?』

『音しないの、こわっ』

『イグニシアのチビ、泥だらけでもあきらめないよな』

『夜の問題のとこ、おれも解けなかったw いっしょにがんばろ』

『ずっと見てる。予選、応援する』


ぼくは、画面をスクロールする指を止めた。

子どもたちのコメントが、たくさんあった。

泥の中で転んでいる映像。夜のランプの下で、紙とにらめっこしている映像。

かっこいいところなんて、ひとつもない。

なのに。

「どうして」

「かっこいいところしか映さないリンクスは、ほかに15もあるから」


美咲さんは、画面を切りかえた。

賭けの倍率の表だった。

いちばん下。イグニシアの芽。

昨日まで『120倍』だった数字が、『108倍』に変わっていた。

「下がった。……ってことは、ぼくたちに賭ける人が、ちょっと増えた?」

「ほんの、ちょっとね」


たき火の火の粉が、夜空へ舞《ま》い上がっていく。

胸の奥が、じわっと温かくなった。

そのとき、遠くの空で、花火が上がった。

ドン、と腹に響く音。

運営の馬車が、谷の入口に一枚の紙を貼っていった。

『百キロ極限走 明朝、第二首都にて号砲』

その下に、出場16リンクスの名前。

いちばん下に、ぼくたちの名前。

いちばん上の「黄金の竜《りゅう》」のすぐ下には、赤い六つの銭《ぜに》の紋章が描かれていた。

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