アンモビウム
割れた窓の隙間から差し込む紫の夕陽が、その奇妙な部屋を包み込んでいた。
「……あったかい?」
数秒の間の後、恐怖と困惑の混じった声をようやく絞り出す。
「マイちゃん?もしかして、怖いの?」
「な……っ!」
正直に言えば、怯えている。が、メイに弱いと思われたくない一心で、その円に足を踏み入れた。
__息が、しやすい。
先程までこわばっていた身体が嘘のように軽くなる。
「あったかい、かも?」
はっきりとした、温度的な温かさではない。
人のやさしさに触れた時のような、安心感に近いぬくもりがそこにあった。
ゆっくりと、深呼吸をする。傷んだ木の匂いが鼻を衝く。
「マイちゃんマイちゃん、このお花の絵……」
ぬくもりを堪能していると、いつの間にか壁際に立っていたメイに呼ばれた。
「書くための、インク。絵の具じゃないみたい?」
「……まさか。」
嫌な予感がした。が、酸化した血の匂いはしない。
そっと、インクがダマになっているところを爪でひっかいてみる。
固まる前は相当な粘度だったことがうかがえる質感。ほんのりと香る植物性の香り。それはおそらく……
「花……?」
ぼそっと呟いた時だ。
「きゃっ!?」
急に窓から突風が吹きこんだ。お互いの長い髪が視界を塞ぐ。
風が止み、髪を整えようと目を開けた時。
__いた。山羊角だ。
「またお前か……!」
太もものナイフを抜こうと手をかける。……が、メイがそれを制止した。
「まって、マイちゃん。このひと……」
山羊角をメイが指さす。よく見ると、山羊角の手には花が握られていた。白い貝殻の連なったような花。
「呪い達よ。知りたいか。」
「しりたい。とっても。」
その声は、メイのものとは思えないほど力強かった。
私は何も言えず、ただメイの手を強く握ることしかできない。
「呪いは。運命を共にする。平等な命。均等な人生。」
山羊角が、ゆっくりとこちらに歩み寄る。
「死を、得るとき。また会おう。」
そう言って、細い手の中の花をメイに渡した。
「ありがとう。」
メイが微笑むと、異形は合掌しながらぶつぶつと言葉を発する。
そして。再び強い風が吹き込み__目を開けると、山羊角はいなくなっていた。
「これ、貝細工よね?」
「どう見ても花でしょ。」
「ううん、そうじゃなくて。貝細工って花。花言葉は確か……【不変の誓い】」
メイが難しい顔で花を見つめる。
……私が改めて部屋を見回すと、一冊の本が部屋の片隅に置かれていることに気が付いた。
真っ黒な表紙に、白い文字が三つ書かれただけのシンプルな本。
「メイ、これなんて書いてるかわかる?」
「……黒魔術?」
適当なページを開いてみる。すると、端の折られたページが開いた。
「悪魔召喚。」
覗き見ているメイが呟いた。
「何、それ?」
「悪魔っていう、つよい力を持ってる悪いもの。それを……よびだす?みたいな。」
「よくわかんないけど……あれ、この絵……」
折り目のない方のページの端に、絵が描かれている。
黒いローブ。老婆のようなしわくちゃの顔。そして、大きな山羊の角。間違いなく、例の異形だ。
「その本、かしてくれる?」
もともとそのつもりだ、とメイに本を渡す。
じっくりと、時々声に出しながら細かい字を目で追っていく。
しばらくして、メイが本を閉じた。
「なにかわかった?」
「うん、大体わかっちゃった。」
嬉しいとも、悲しいともつかない声色で言った。
「私たちが、死なない理由。」




