百合の花の咲くところ
病院を出ると、昼過ぎだった。
空は晴れている。
なのに、どこか薄暗く感じる。
「儀式、かあ……」
病院の玄関前で、私は伸びをしながら呟いた。
「マイちゃん。」
隣を歩くメイが、母子手帳を抱えながら言う。
「その儀式で、生まれてきたのかな、わたしたち。」
「知らないよ。」
「そっか。」
それきり黙り込む。
しばらくの沈黙の後、メイがそれを打ち破るように口を開いた。
「マイちゃんは、おかあさんと住んでたもともとのおうちを覚えてる?」
「覚えてるけど、なんで?」
「わたしは、覚えてるようになってからはおばあちゃんの家に住んでたから。」
「……結局、何?」
メイは、少し眉を吊り上げ言った。
「いっしょにさ、マイちゃんのおうちにいこう。そしたら、何かわかるかも。」
その瞳には、「知りたい」という強い意志が見える。
そして、メイほどではないかもしれないが……私にも、同じ意思が宿りつつあった。
「わかった。一緒に行こう。」
メイの手を握り、歩き始めた。
………
私の生まれた家は、病院から一駅の場所にある。
再びの快適な旅を経て、私たちはかつての自宅……おそらくは、儀式の会場であったであろう場所へとやってきた。
「ここなの?」
家の門を見つめながらメイが言った。
「たぶんね。」
記憶の中の家は、もっと大きく見えた。
門は高く、庭は広く、玄関までの道はやけに長く感じた。
けれど、目の前にあるそれは。
ひび割れた塀。錆びた門。枯れ草だらけの小さな庭。
どこにでもある、古い一軒家だった。
玄関の戸に手をかける。鍵のかかっていなかったその戸はぎい、と嫌な音を立てて開いた。
中から、湿った木の匂いが流れ出てきた。人が長く住んでいない家の匂い。
「おじゃまします……」
メイが小さく頭を下げる。
「誰もいないよ。」
「でも、いちおう。」
小さくはにかむ。
廊下には埃が積もっている。壁にはところどころ黒い染みがあり、天井の隅には蜘蛛の巣が張っていた。
それでも、あの頃と同じ家具の配置にわずかに懐かしさを覚える。
「マイちゃん、これ……」
メイが食器棚の淵を指さす。そこにあるのは、ちいさな写真立て。
それには、二人の女性の映った写真が飾られている。
腹の大きい女の人。
隣には、同じように腹の大きいもう一人の女。
「これが、百合子さん?」
メイが尋ねる。
「たぶん。」
「じゃあ、こっちが、わたしのママかなあ……」
川橋咲良。
メイは写真をじっと見つめた。その表情は、いつも通り薄い。けれど、母子手帳を抱える手に力が入っているのがわかった。
写真の中の二人は、笑っていた。
幸せそうに。
心底、嬉しそうに。
「……行こう。」
写真立てを伏せ、奥へ進む。
居間。台所。風呂場。二階の部屋。
どこも古く、埃っぽいだけで、特に変わったものはなかった。
だが、一階の奥。仏間らしき部屋の前で、メイが足を止めた。
「あれ……」
「どうした?」
「このおへや、なんか……」
うーん、と。小首をかしげて言葉を探すメイ。
「なつかしい?」
そう言って、襖に手をかけた時。
ぞっとするような冷気が背筋をなぞった。
決して、部屋が寒いわけではない。しかし、メイもまた、襖を開ける手を止めている。
「もしかして……」
メイが怯えた表情でこちらを見やる。
私はメイを押しのけ、ぎゅっと目をつむり襖を開いた。
__目を開けると、そこは。とても仏間と言えたものではなかった。
畳がすべて剥がされ、床板がむき出しになっている。
壁一面には、赤黒い線で何かが描かれていた。
よくよく見れば、それは無数の花。
絡み合う弦、舞い上がる花弁、そして月。
そして部屋の中央。床に、大きな円が描かれている。円の中には、二つの名前。
「川崎 舞」
「川橋 冥」
「なんなの、これ……」
言葉を失い、立ち尽くす私を横目に、メイはそこに足を踏み入れる。
そして円の中心でこちらを振り返り、言った。
「あったかいね、ここ。」




