第9話 虚空の招待状 妖怪戦争 下
妖怪のぬらりひょんが、細長い指をパチンと鳴らす。
その乾いた音が引き金となり、背後の「黄泉路への扉」が内側から弾け飛んだ。
お化け屋敷に封じられていた「契約個体」たちが、解き放たれた肉食獣のように園内へ溢れ出す。
「ギャハハハハ!」
空中を浮遊する大首。漆黒の髪を振り乱した巨大な女の生首が、悲鳴を上げる観覧車のゴンドラを丸ごと口に含み、鉄骨ごとバリバリと咀嚼する。火花が散り、鉄の焼ける臭いが漂う。
「ふん……悪趣味ね。まとめて片付けてあげる」
冥が地を蹴る。
彼女の姿が消えた。次の瞬間、観覧車の真上に銀の閃光が奔る。
「一閃、断首」
冥の刀が、ビルほどもある大首の首筋(?)を正確に捉えた。
ズバァァァン!!
と、巨大な質量が断ち切られる轟音。大首の顔が、鼻筋のど真ん中から左右真っ二つに両断され、霧散する。
間髪入れず、冥は落下しながら空中で身を翻す。
地上では、鋼鉄の如き一本脚を持つ一本だたらが、ジェットコースターのレールを飴細工のように捻り切り、車両を乗客ごと地面に叩きつけようとしていた。
「無礼者。道を開けなさい」
空中で重力を無視した加速。冥は弾丸と化して突進する。
抜刀術、「螺旋斬」。
一本だたらの鋼鉄の脚が、冥の回転斬撃によってバターのように細切れにされ、空中に鉄屑となって舞う。
さらに、上空から巨大な「呪いの樽」釣瓶落とし(つるべおとし)が、音速を超えた速度で一般客の頭上へ急降下してきた。
「しつこいわね」
冥は着地と同時に刀を天に突き出す。
「天蓋破砕」
刀から放たれた呪力の衝撃波が、落下する樽を内側から爆破するように粉砕した。降り注ぐ樽の破片を、冥は一歩も動かずに、降りかかる火の粉を払うかのように全て斬り捨てる。
これだけの惨状を前にしながら、逃げ惑う一般客は、飛び散る霊魂の残滓を見て、頬を紅潮させていた。
「すごーい! このプロジェクションマッピング、熱まで感じるよ!」
「神演出すぎでしょ、ドリームランド!」
ミオが震えながら叫ぶ。
「最悪……“演出”として認識を書き換えられてる。どれだけ死人が出ても、みんな『最高のショー』だと思って死んでいくんだわ……」
「掃除の時間だ!! お前ら、掃除の邪魔をするな!!」
魁斗はゴミ捨て場から拾い上げた巨大なデッキブラシを構え、ぬらりひょんへと突っ込む。
だが、老人の姿をしたぬらりひょんは、嘲笑うかのようにその形を崩した。
タコの吸盤が、クラゲの透明な触手が、あるいは意思を持つ水のような液体が、魁斗のブラシを「ぬらり」と受け流す。
「おわっ!?」
触手の一本が、魁斗の腕を掠める。
その瞬間、魁斗の右腕がビデオのノイズのように激しくブレ、色が透け始めた。
「腕が……消えかかってる!?」
「魁斗、離れて! 存在そのものを削られてるんだわ!!」
ぬらりひょんの声が、空間のあちこちから多重放送のように響く。
「お主は“認識”に依存しておる。目で見て、手で触れるものが『現実』だと信じておる。……だから、滑る私には一生届かぬ」
ドォォォォン!!
一本だたらに破壊されたレールが崩れ、子供が乗ったゴンドラが空中へ投げ出された。
その子供も、恐怖の表情を浮かべながら「すごいアトラクションだね!」と笑っている。
「ふざけんな」
魁斗の低い声が、戦場の喧騒を沈めた。
「お化け屋敷はな……みんなで『怖いね』って言い合って、終わった後に『あー怖かった、でも楽しかったね』って笑って帰るための場所なんだよ。偽物だから、安心して怖がれるんだよ!!」
魁斗が、静かに目を閉じる。
「こんな……人を騙して殺すような本物、いらねえんだよ」
世界が、停止した。
「じゃあ全部いらねえ。消えろ」
魁斗が、ゆっくりとデッキブラシいや、彼にとっては「消しゴム」を振り下ろした。
それは物理的な打撃ではない。
「現実の否定」
バキィィィィン!! と、世界がひび割れる音が響く。
ぬらりひょんが用意した「滑る背景」が、古い壁紙のようにペリペリと剥がれ落ち、下から無機質なピクセルが剥き出しになる。
音楽が消え、絶叫が消え、空間そのものが「処理落ち」を起こしたようにバグり始める。
「な……何を……!? 私の認識操作を、世界ごと否定するというのか!?」
ぬらりひょんが慌てて「ぬらり」と別の座標へ逃げようとする。
だが、できない。
逃げる先の空間そのものが、魁斗の「いらねえ」という一言で削除されていた。
「逃げる前の状態、そこでおしまいだ」
魁斗のモップが、ぬらりひょんの瓢箪頭に直撃する。
物理法則を無視した、存在確定の制裁。
「うるせえ。お前ごと消えろ」
バグ音と共に、老人の姿は霧散し、元の青白い球体へと戻る。
「……おのれ……覚えておれ……我が主が、お主を必ず……」
球体は、核を激しく明滅させながら、空間の裂け目へと逃げ込んでいった。
静寂が戻る。遊園地は何事もなかったかのように、平和な太陽の下に戻っていた。
冥は肩で息を整えながら、刀の血(霊魂)を振り払う。
「……まあまあね。あのバグを相手に、空間ごと消すなんて。修行の成果かしら」
「死ぬかと思ったわ!! 師匠、もっと助けてくださいよ!!」
「無理よ。私も自分の存在を固定するのに必死だったもの」
そんな彼らを、遠くのビル屋上から見つめる影があった。
スーツ、冷徹な瞳。
「……無様だ、ぬらりひょん。格下相手に逃走とはね」
ソルトは、手のひらで転がしている水晶のような球体を、一瞬で握りつぶして粉砕した。
「次は、僕が直接行くよ。……待ってて、駄作の兄さん。不純な君を、僕が完璧にクリーニングしてあげる」
冥は、遠くの視線に気づいたように、小さく口角を上げた。
「……次は来るわね。本命が」




