第10話 欠損した記憶
遊園地を覆っていた「滑る現実」が、魁斗の放った一撃によって崩壊していく。
パリン、と硝子が割れるような音と共に、夕暮れ時の遊園地に平穏が戻り始めた。
だが、魁斗だけはその場に立ち尽くし、一点を見つめていた。
園内から数キロ離れた廃ビルの屋上。
そこには、陽光を跳ね返すような純白のスーツを纏った少年、ソルトが立っていた。
彼は、手のひらで転がしていた水晶のような球体。
ぬらりひょんから回収した「認識の核」を、無造作に握りつぶした。
パキィ、と乾いた音が響き、最高位の怪異の欠片が、塵となって消える。
「……無様だ、ぬらりひょん。格下相手に逃走とはね」
ソルトの冷徹な瞳が、遠く離れた遊園地にいる魁斗を射抜く。
その視線が、物理的な衝撃となって魁斗の脳を揺らした。
「次は、僕が直接行くよ。……待ってて、駄作の兄さん。不純な君を、僕が完璧にクリーニングしてあげる」
ソルトの唇がかすかに動き、紡がれた言葉が風に乗って魁斗の耳元で囁かれたかのように響いた。
「……あ」
ソルトと視線が合った瞬間、魁斗の脳内で、今まで固く閉ざされていた「真っ黒な箱」が弾けた。
遊園地の喧騒が遠のき、視界がセピア色の過去へと塗り替えられていく。
■■■
【過去の回想:白く冷たい地獄】
場所は、窓のない巨大な研究所。
幼い魁斗は、いつも廊下の隅で膝を抱えていた。
「寄るなと言っただろう。汚らわしい」
通りすがりの研究員――ソルトの父が、魁斗をゴミを見るような目で見下ろす。
「澪(お母さん)に触れるな。お前の中に流れる『得体の知れない男の血』が、彼女という完璧な器を汚す。お前は、神の実験における唯一の不純物なんだ」
ドアの隙間から見えた、揺りかご。
そこには、自分と同じ母から生まれながら、全く異なる「純粋な力」を期待されて生まれた弟がいた。
父は、赤ん坊のソルトを宝物のように抱き上げ、魁斗には一度も向けなかった慈愛の眼差しで囁いていた。
「ソルト……お前こそが完成形だ。この泥水のような兄とは違う、世界の正解なんだ」
ある日、魁斗はボロボロの布袋一つを持たされ、見知らぬ車に乗せられた。
「お前はもういらない。田舎の祖父母の家で、ひっそりと朽ち果てろ」
泣きじゃくる魁斗を、父は一顧だにせず、「検品に失敗した不良品」として処理した。
車が走り出す直前。
研究所の二階の窓から、無表情な幼いソルトが、冷たく澄んだ瞳で自分を見下ろしていた。
(……ああ。そうだ。俺は、いちゃいけない子だったんだ)
(俺は……お父さんにも、弟にも、世界にも、捨てられたんだ)
あまりに痛すぎる記憶を、魁斗は自分の「バグ(無意識の消去)」によって、自分自身の手で消し去っていたのだ。
■■■
「魁斗? ……魁斗! ちょっと、しっかりしなさい!」
冥の鋭い声で、魁斗は現実に引き戻された。
自分の手が、止まらないほど激しく震えている。
「師匠……。俺、あいつのこと……知ってる」
魁斗の瞳に、絶望と、それを上回るほどの怒りの色が混ざる。
「あいつは、ソルトだ。俺の……俺を捨てた、俺をゴミって呼んだ……弟だ」
ミオが震えながら呟く。
「あの白いスーツの男……さっき一瞬だけ、この遊園地全体を『消去』するようなプレッシャーを放ったわ。あいつ、本気よ。あんたを『不純物』として掃除する気だわ」
冥は、遠くのビルに立つソルトを睨み据え、不敵に笑った。
「面白いじゃない。世界に選ばれた『正解』の弟が、捨てられた『バグ』の兄を怖がってわざわざ消しに来るなんて」
冥は魁斗の背中を、これまでにないほど強く叩いた。
「あんたのその汚い泥水、あいつの真っ白なスーツにぶちまけてやりなさい。正解だけが全てじゃないってことを、そのバグだらけの拳で教えてあげるのよ」
「……ああ。やってやるよ」
魁斗は震える手を固く握りしめた。
かつて自分を「劣化品」と呼び、育児放棄し、廃棄した者たちへ。
そして、自分を消しに来る「完璧な弟」へ。
不純物には、不純物なりの戦い方がある。
兄弟の、そして「正解」と「不正解」の、命懸けの戦争が始まった。




