第8話 虚空の招待状と妖怪戦争 上
【特級除霊師 神楽坂 冥 事務所】
午前10時。事務所のポストに、場違いなほど鮮やかな黄金の封筒が投げ込まれていた。
魁斗が何気なく手に取ると、封筒はヌルリとした粘液のような感触を放ち、開く前から「磯の香り」が部屋に充満する。
「うわ、何だこれ……生臭っ!」
中から出てきたのは、遊園地『ドリームランド』のペアチケットと、一枚の墨書き。
そこには『貴殿の存在を、定義しに伺う』という、挑戦的かつ不可解な一文が記されていた。
冥はポテチを噛み砕きながら、そのチケットを冷ややかに見つめる。
「……面白くないわね。黒祓会からの招待状なんて。でも、売られた喧嘩を買わないのは、私の流儀に反するわ。魁斗、修行よ。準備しなさい」
【遊園地ドリームランド】
快晴。園内は家族連れやカップルで溢れ、カラフルな風船と陽気な音楽が響いている。
しかし、冥、魁斗、そして浮遊するミオの一行が歩く場所だけは、「不自然な静寂」に支配されていた。
「……なんか寒くね? 人はいっぱいいるのに、誰も俺たちと目が合わないんだけど」
魁斗が周囲を見渡すと、凄まじい違和感に気づく。
向かってくる人々は、魁斗たちの数メートル手前で、まるで氷の表面を滑るかのように、無意識のうちに軌道を逸らして通り過ぎていくのだ。
「当然よ。弱いものは、本能で“捕食者”を避ける。……でも、それだけじゃないわね」
ゴスロリ風の豪奢な私服に身を包んだ冥が、不機嫌そうに周囲の空間を睨む。
ミオが顔を引きつらせた。
「違う……これ、“避けてる”んじゃないわ。……景色が『滑ってる』のよ」
次の瞬間、遠くを歩いていた客の姿が、ビデオのノイズのようにパッと消え、数メートル先にワープした。
お化け屋敷「黄泉路への扉」の入り口。
禍々しい看板の前に、それは浮いていた。
人の頭ほどの大きさの、青白い肉塊のような球体。
表面は半透明の粘液で覆われ、中には血管のような筋がドクドクと脈動している。まるで海中を漂う未知の深海生物のようだ。
「なんだあれ? 演出か?」
魁斗が手を伸ばし、球体を掴もうとした瞬間。
ぬら……。
球体は魁斗の手を「透過」するようにすり抜け、数メートル後ろへと瞬間移動する。
ひょん……。
「……それ、やばい。関わっちゃダメなやつよ!」
ミオの叫びと同時に、球体が膨張を開始した。
ヌチュ、ズブブッ……!
粘液の塊が内側から裂け、そこから「異形」が這い出してくる。
それは、高級な絹の着物を纏った、一見すると上品な老人だった。
だが、その容姿は常軌を逸している。
妖怪 ぬらりひょん
後頭部: 異常に長く後ろに突き出した、瓢箪のような頭。
肌: 濡れたタコのような質感で、血管が透けて見える。
瞳: 焦点が合っておらず、見つめるだけで「自分の輪郭」が溶けていくような錯覚に陥る。
指先: 鋭い鉤爪のようになったタコの触手が、着物の袖からチョロチョロと覗いている。
「……気づかれぬのが私の本領だが、お主、少々『存在』がうるさすぎるのう。……掃除屋の小僧」
老人は、手にしたステッキをコツンと鳴らした。
「デモンストレーションをしよう。お主たちの“常識”という皮を剥いでやる」
ぬらりひょんが笑うと、背後のお化け屋敷から、黒祓会の**「契約印」**を刻まれた怪異たちが、洪水のように溢れ出してきた。
「ぎゃああああ! 本物が出てきた!!」
魁斗が叫ぶ中、園内は一変する。
ぬらりひょんの部下達
大首: 巨大な女の生首が空中に浮かび、観覧車をバリバリと噛み砕く。
一本だたら: 鋼鉄の脚を持つ一つ目の怪異が、ジェットコースターのレールを飴細工のようにへし折る。
釣瓶落とし: 上空から巨大な「呪いの樽」が高速で降り注ぎ、逃げ惑う一般客の頭上を襲う。
しかし、最も恐ろしいのは、一般客にはこの惨状が「ただの派手な3D演出」にしか見えていないことだ。彼らは笑顔で、死の淵へと近づいていく。
「さあ……神楽坂 冥。お主の『力』で、この“滑る現実”を斬ってみせよ」
ぬらりひょんの姿が、再び「巨大なタコ」と「カツオノエボシ」が混ざり合った不定形の化け物へと変貌し、触手を鞭のようにしならせた。
冥は不敵に口角を上げる。
「いいわ……。あなたのその瓢箪頭、真っ二つにして、中身が論理かドロドロの脳みそか、確かめてあげる」
地獄の遊園地を舞台に、最悪の妖怪戦争が幕を開けた。




