第7話 暴力の瓦解
「理論構築、最終項! 封印式、再・起動!!」
新宿の空に、レンの絶叫が響き渡った。
神楽坂冥が命がけで作り出した、コンマ数秒の隙。
その死角から、レン、ミオ、魁斗の三人が、再構成された「理の鎖」を携えて同時に突入した。
ドォォォォォン!!!
四方向から、赤熱した鎖がセイユの巨体に巻き付いた。
レンが北、ミオが南、魁斗が東、そして刀を投擲し終えた冥が、素手で西の鎖を掴み、全呪力を込めて引き絞る。
「……ぐ、が、あァァァァァッ!? なんだ……この鎖は、俺の……力が……ッ!!」
セイユの咆哮が、苦悶の悲鳴へと変わった。
彼が引きちぎったはずの、黒祓会最上級の封印。それが、レンの論理、ミオの炎、魁斗のバグという「不純な呪力」によって、より強固に、より歪に再統合されていた。
逆流していた封印の呪力が、鎖を通じて再びセイユの肉体へとなだれ込む。
赤熱していた彼の筋肉が、音を立てて急速に冷却され、石のように硬化していく。
全身の血管の拍動が収まり、鬼神の如き巨体は、二回りも小さな元の「ただの大男」へと縮んでいった。
「……計算通りだ。君の『暴力』という概念は、今、この鎖の論理によって上書きされた」
レンが鎖を握りしめたまま、眼鏡の奥で冷徹に告げる。
「今の君は、論理的に言えば『ただの非武装の男』だ」
鬼神化を解除され、鎖に縛られたセイユは、ただの瓦礫の上に跪いていた。
かつての狂気は消え失せ、そこにあるのは、自らの拠り所であった「暴力」を失った、虚無の瞳だけだった。
「……ハ、ハハ。……俺の、暴力が……ない……?」
「あんたの『正解』は、ここで終わりよ」
冥が、投擲した愛刀を瓦礫の中から引き抜き、セイユの前に立った。
彼女の衣服は裂け、全身から血が流れている。だが、その瞳に宿る殺意は、一点の曇りもない。
「あんたが壊した街、あんたが殺した人々、あんたが汚した私の誇り。……全部、あんたの命で支払ってもらうわ」
「冥! 待て、彼はもう……!」
レンが制止しようとするが、魁斗がレンの腕を掴んで止めた。
「……レン。これは、特級(あの人)の『掃除』だ」
冥は刀を頭上高くに構えた。
冥は刀を水平に構え、深く息を吐いた。
彼女の全呪力が刀身に収束し、周囲の瓦礫が、まるで重力から解放されたかのように浮遊し始める。
彼女は、動き出した。
それは戦いというよりは、月下に捧げる「舞」だった。
流れるような足運び。
血に染まった衣服を翻し、彼女の体はコマのように回転し、あるいは新月のようにしなる。
その動きに合わせて、愛刀が夜空に幾重もの銀色の軌跡を描き、浮遊する瓦礫を塵へと変えていく。
美しい。
だが、その美しさは、徹底した「死」のルーチンによって構成されていた。
彼女の一挙手一投足が、セイユを存在の根源から切り離すための、残酷な数式だった。
舞が、頂点に達する。
冥はセイユの頭上へ跳躍し、刀を天に向け、逆手に持ち直した。
「神楽坂流奥義『冥府月下・万象断滅』」
躊躇も、情けも、論理もない。
ただ、不浄をこの世から「消し去る」ための、冷徹な一閃。
彼女は踊るように、その刃をセイユへと振り下ろした。
「……あ、あァァァァァァァァッ!!! 俺の……俺の暴力がァァァッ!!」
セイユの断末魔の叫びが、新宿の夜空に響き渡った。
次の瞬間、彼の肉体は冥の斬撃によって、霊体ごと塵となって霧散した。
世界の理から、セイユという「暴力の概念」が、完全にクリーニングされた瞬間だった。
静寂が、訪れた。
夜叉の咆哮も、ビルの崩壊音も、セイユの叫びも、すべて消えた。
夜が、落ちた。
それはただの夜ではない。戦いが終わった後の、静寂と絶望が支配する夜だった。
レンはステッキを杖代わりに、瓦礫の上に座り込んだ。
ミオは全身の青い炎を消し、透けた体をさらに薄くして、宙に漂った。
魁斗はデッキブラシを握りしめたまま、動けずにいた。
そして冥は、刀の血を拭い取り、鞘に納めた。
彼女は灰色の空を仰ぎ、静かに笑った。
「……終わったわね」
冥が呟いた。
その視線の先には、かつての新宿の街並みはなかった。
あるのは、ただ、地平線まで続くかのような、灰色の瓦礫の海だけだった。
ソルトとセイユという「存在の戦争」によって、東京・新宿は、壊滅的な打撃を受けていた。
建物の9割は崩壊し、道路は陥没し、ライフラインは完全に寸断されていた。
そして何より、逃げ遅れた一般客、取り残された人々……、多大な死傷者が、この瓦礫の下に眠っていた。
二つの正解がぶつかり合った結果、残されたのは、ただの「無」だった。
「……これが、あいつらの言う『掃除』の結果か?」
魁斗が、瓦礫の中から見つかった、子供の靴を拾い上げ、握りつぶした。
「……理論上は、不純物は消えた。……だが」
レンが眼镜を外し、汚れを拭いながら呟く。
「……ミサ姉ちゃん。……街が、消えちゃった」
ミオが、かつて自分と姉が住んでいた方向を見つめ、静かに涙を流した。
不浄のバグ、復讐の幽霊、論理の求婚者、そして最強の除霊師。
四人の「バグ」たちが勝ち取ったのは、平和という名の、あまりにも重い「瓦礫の山」だった。
東京の、最も長い夜は、まだ明けない。




