第3話 無力と援護
夜が、完全に壊れていた。
街を埋め尽くす「夜叉」の咆哮と、絶え間なく続く建物の崩壊音。コンクリートが砕ける乾いた音ではなく、何かに「殴り潰された」ような湿った破壊音が、東京の空気を震わせる。
「……ッ、このっ!!」
特級除霊師、神楽坂冥。
彼女の愛刀が、闇を裂いて銀の閃光を走らせた。一太刀で三体の夜叉を真っ二つに断ち切る。だが、次の瞬間、切断された夜叉の肉体は磁石のように引き合い、傷跡すら残さず結合した。
「再生じゃない……『壊れなかったこと』にされてるのよ!」
冥の背後に浮遊するミオが悲鳴を上げる。
夜叉の群れの中心に立つ大男、セイユ。彼は太い鎖をジャラリと鳴らし、歯を剥き出しにして笑った。
「当たり前だろォ? 俺が『壊す』って決めたら壊れる。俺が『壊れねえ』って決めたら、俺の夜叉は指一本折れねえんだよ。理屈じゃねえんだ……全部、俺が決めるんだよ!!」
セイユが地を蹴る。
爆発的な衝撃。彼がただ一歩踏み出しただけで、周囲の重力が狂い、冥の足元のアスファルトが同心円状に陥没した。振り下ろされる巨拳。冥は刀を横たえ、全呪力で受け止める。
ギィィィィィン!!
「……っ、重いっ……!!」
「ははは! 特級だかなんだか知らねえが、俺の『暴力』の前じゃ、お前の正しさなんて紙クズだぜ!!」
冥の膝が折れかける。
その時、空中に幾何学的な光の数式が展開された。
「理論構築、第144層・幾何学多重結界。全衝撃を4次元方向へ分散(散乱)させる!」
白スーツを翻し、白城レンが戦場に降り立った。
彼が掲げたステッキから放たれた光の壁が、セイユの拳をわずかに押し返す。
「冥! 君をかぐや姫のように迎えに来たかったが、どうやらこの野蛮な男には、まず『物理学の基礎』を叩き込んでやる必要があるようだね!」
「レン……! 余計な口叩いてないで、このデカブツを止めなさいよ!」
「計算通りだ。……だが!」
レンの表情が、一瞬で凍りついた。
セイユがもう片方の拳を軽く、本当に軽く、結界に触れさせただけだった。
「計算? 論理? ……そんなもん、殴れば割れるっつってんだろ」
パリンッ!!
144層の防壁が、まるで安物の硝子細工のように粉々に砕け散った。
「……バカな。僕の構築した絶対防壁を、ただの『パンチ』で……!?」
レンのステッキが火花を散らして爆ぜる。
セイユの暴力は、防御の「効果」を砕くのではない。防御という「概念」そのものを物理的に破壊してくるのだ。
一方、その破壊の嵐から数メートル離れた。
「静寂の領域」
そこには、魁斗とソルトの兄弟が、鏡合わせのように対峙していた。
「兄さん。……無駄な足掻きはやめるんだ」
ソルトの瞳は、一切の光を通さない。
彼が指先を向けると、魁斗の周囲にいた夜叉たちが、音もなく「消去」された。
救いではない。彼にとって、不純な兄を掃除するための邪魔なノイズを排除したに過ぎない。
「掃除だ。君という、この世界の書き損じを消しカスを……僕が綺麗にクリーニングしてあげる」
ソルトの放つ白銀の光。
それは「完全浄化」。触れたものを存在の根源から抹消する、管理者だけの権限。
「……ふざけんな。俺は、消しゴムのカスじゃねえ!!」
魁斗はデッキブラシを握りしめ、泥臭い闇の呪力を解き放った。
「バグだらけの消しゴム」
対
「完璧な浄化の管理者」。
二人の能力が空中で激突した瞬間、世界がバグを起こしたように激しく明滅した。
ソルトの「選別」が魁斗を消そうとし、魁斗の「無意識の上書き」がその消去そのものを「なかったこと」にする。
「……っ!!」
ソルトの無機質な瞳に、初めて微かな苛立ちが宿る。
能力と能力が、お互いを「消し合う」という、理論破綻した泥仕合。
「あいつのせいだ……!!」
ミオが青い炎を纏い、ソルトへ突進する。
「姉さんを、ミサ姉ちゃんを消した……あの子の冷たい指を、私が焼き切ってやる!!」
「地縛霊ノイズが。消えなさい」
ソルトが冷たく言い放ち、指を鳴らす。
ミオの体の一部がピクセル状に崩れかける。だが、魁斗が叫んだ。
「消させねえ……!! ミオは、ここにいるんだよ!!」
魁斗のバグが、ソルトの浄化を無理やり押し返す。
だが、ソルトの資質は圧倒的だ。
完璧に教育され、選別された「正解」の力。対する魁斗は、捨てられ、蔑まれた「不純物」の力。
「兄さんは不純だ。……その力、存在そのものが、世界を汚している。……無になりなさい」
ソルトの光が一段と輝きを増す。
魁斗の視界が白く染まっていく。
冥が倒れ、レンの結界が砕かれ、ミオの悲鳴が遠のく。
「……無力」
遠くで、セイユが笑った。
暴力に抗う術もなく、正解に消される運命。
魁斗は瓦礫に膝をつき、己の「無力」を突きつけられていた。




