第92話 アイドルの卵。
異世界へ行く日になり、俺とひまりは紗緒梨の家に行く。
「本当にアイドルになれるんだろうな?」
俺は訝しげな視線を紗緒梨に向ける。
「大丈夫よ。赤羽君に任せるよりもセイコウさせて見せるわ」
成功のイントネーションが違う気がするが、ツッコんだら負けな気がする。
紗緒梨はそう言う奴だもんな。うん。
「まあ、ひまりならトップアイドルも夢じゃないけどね~」
余裕の笑みを浮かべ、髪の毛先をくるくると回すひまり。
どこの社長気取りだよ。なんのアニメに影響されたのか……。
「さあ。いくわよ」
紗緒梨の声に合わせて異世界の門をくぐり抜ける。
紗緒梨の実家である古民家の門につながっている。それに驚いたのか、ひまりは口に手を当てている。
「わぁあ~。ホントに異世界に来たんだね!」
ひまりは目を丸くし、周囲を見渡す。
家を出ると、そこには一面の野原が広がっている。
ただ、そこには野外フェスが開催されるための照明やマイクが設置されており、とても異世界とは思えない光景が広がっていた。
「ひまりさんはこちらの会場で歌ってもらいます」
紗緒梨がメガネをかけ、ペラペラと資料を読み進める。
「マイクや音響周りを調整したいので、ひまりさん、何か歌ってください」
「へ。いきなり?」
困惑した様子のひまり。
「いや、アイドル目指しているのなら、このチャンスを逃すなよ」
俺はイケメンに許されるポーズをとってぽつりと零す。
さらりと髪をなびかせ、ひまりは言う。
「あ、当たりませじゃない!」
噛んだな。
「噛みましたね」
紗緒梨が白い目で見る。そして俺に視線を向けると、耳打ちをしてくる。
「本当にこんなんで大丈夫ですか?」
「ああ。たぶん。本番には強いタイプだから」
「なるほど……」
紗緒梨は考え込むように呟くと、資料に再び目を通す。
ひまりは舞台上に立つと、人気曲を歌い出す。
圧倒的な歌唱力に、低音から高音までの伸びがすごいことが素人でも分かる。
俺は素直に感動していると、ひまりはVサインを出して、ニカッと笑うのだった。
しかし、ひまりがアイドルを目指すとはな。
確かに顔はいけているが、中身がポンコツなんだよな。ノリは良いし、気さくなのはいいのだけど。
「いししし! これで紗緒梨お姉様にお近づきになれる」
本人はこんな様子だ。
俺が知らないところで百合に目覚めてしまったようだ。同性愛者を悪く言うつもりはないが、実際触れあってみると、その大変さが分かる。
紗緒梨も、七瀬も、楓だって、俺を好いているのだ。あの変態娘たちはひまりに向くことはないだろう。
いや、小さい子が好きな楓だけは別か。
「今日は泊まっていくといい」
紗緒梨の父、青スライムがそう言うとピンク色のスライムが微笑む。
「そうよ♡ せっかく来たのだから、ひまりちゃんもゆっくりしていって♡」
「は、はい。そうさせてもらいます!」
ひまりは元気よく答えるが、俺にその気はない。
「俺は帰るぞ」
「えー! ゆっくりしていこうよ~」
ひまりがぶつぶつと文句を言い出す。
「ふふ。私としては赤羽くんが一緒だと嬉しいのだけど?」
紗緒梨はニヤニヤとした笑みを浮かべた顔で俺の太ももを撫でる。
「いや、帰る。明日またくるから安心しろ」
そう言って俺は転移門をくぐる。
「夕食ぐらい一緒にしていけばいいのに♡」
紗緒梨・母のピンクスライムがそうつまらなさそうに呟く。どこか色っぽい声音で。
実家に帰ると、玄関前で楓と七瀬が待っていた。
ちなみに七瀬は全裸待機である。
本当に全裸になるのは初めてみた。
「どうしたんだ? 二人とも」
「ひまりちゃんは?」
楓が訊ねてくる。
「ひまりなら異世界旅行中だ」
「じゃあ、紗緒梨ちゃんと?」
七瀬が長い髪を揺らし、訊ねてくる。全裸だ。
「ああ。そうなるね」
俺は上着を脱ぎ、七瀬にかけると、玄関を開ける。
「今日はお泊まり会なのさ!」
「そうね。ひまりちゃんのこと、しっかり聴かせてもらいたい」
楓と七瀬はやる気満々といった表情でついてくる。
「おい。俺の家で何くつろいでいるんだよ」
「いいじゃない。わたしたちの仲でしょ?」
「なか……」
楓がなにやら呟くが、気にせずに話を進める。
「親しき仲にも礼儀あり。これ大事。おわかり?」
俺はわざと飄々とした風を装う。
「む。でも、赤羽っちはひまりちゃんと一緒に乳繰り合っているじゃない!」
「誤解を招く言い方はするな! 俺とひまりは健全な関係だ。俺はひまりをアイドルにする」
「本当にそれでいいの?」
七瀬が鋭い質問を投げかけてくる。
いいか。悪いか。俺には分からない。でもひまりがそうしたのなら……。
「ああ」
力強く頷く。
「バカ……」
優しい声音で言われてもな……。
「さあ、帰るよ、鞠」
「いや。ボクはここに残るよ」
「それを決めるのは俺だろ?」
楓は帰る様子を見せずに七瀬の手をはねのける。
「分かった。好きにして」
七瀬はそう言い、玄関から出ていく。全裸で。
「いや、俺の家だからな! 勝手に決めないでくれ」
「バカ」
今度は楓がそう言い、玄関から上がる。
「いや待て。なんで俺の言葉を聞かない!」
イケメンであるこの俺の声は鶴の一声だと思っていたのに!
今や地の底に落ちたような気分だ。
髪をかき上げ、もう一度楓に言う。
「俺は許可した覚えはないが?」
楓は背中からたくさんの手を伸ばし、俺の身体をこちょこちょする。
くすぐったくて、ぎゃはははと大笑いすると、俺はつい零す。
「分かった! 分かったから! 今日だけだぞ!」
そう言い、やっとくすぐり攻撃が終わる。
「それでいいのさ」
楓は納得いたように冷蔵庫を開ける。
「おい」
そして冷蔵庫にあるもので料理を始める。
「本当に泊まっていくつもりか?」
「うん。ボクは今日はそんな気分なのさ。しかたない」
「いや、俺の意見は?」
伸びてくるたくさんの手に、
「いや、なんでもない」
そう返す俺。
でも、何が言いたかったのだろう。七瀬は。
ひまりはアイドルになりたがっている。なら、俺はそれを支援するだけだ。
他に何を望むというのだ。
俺はひまりを支えると決めたのだ。男の誓いに二言はない。
それでも一抹の不安と寂しさを覚えるのはひまりが成長したからか。
「やっぱりそういう顔するのさ」
「……別にいいだろ。子は巣立つものだ」
「あくまでも子というのかな?」
楓がしつこいくらいに関わってくるから苛立ちを覚え始める。
「別にいいだろ。俺の勝手だ」
「そうも言ってられないのさ。ボクだって好きな人と一緒にいたいのさ」
「ロボットだろ。プログラミングされているんだろ? だったら――」
「もう! バカ!」
きつめのそしりを受け、俺はうろたえる。
確かに楓はロボットだ。でも、それを嫌がるとは思わなかった。自己の芽生えがあるのだ。
「す、すまん。軽率だった」
まさか、俺との会話で自我を芽生えさせるとは。あのララァはとんだ食わせものらしい。
熱を確かめるように額に手をつけてみる。
「ほら。カレーができたよ」
楓はそう言い、カレーを差し出してくる。
「ろ――。楓も料理できるんだな」
「ロボットだからね!」
気をつけて言ったのに! まさかの本人が認めるなんて!
「理不尽すぎる!」
俺は叫ばずにはいられなかった。
「さあ。食べよう」
楓の言葉を飲み下すようにカレーにかじりつく俺。
「そんなに焦ると気管に入るよ」
ごほごほ。案の定入ったよ!
もうなんなの。楓は。
ひまりなら――。
いやよそう。ひまりはアイドルに、みんなのアイドルになるんだから。
俺は関係ない。
そう、関係ないのだ。
カレーを食べ終えると、俺は自室で勉強を始める。
「ぎゃはは! この漫画面白いね」
楓がうるさくて勉強に集中できねー。




