第4話 最初の仕事
依頼札の続きには、詰まりがあれば除去すること、害獣がいた場合は追加報酬を出すことが書き添えられていた。記されているのは、その程度だった。
「それが気になるんですか?」
隣から、アリアが札を覗き込んだ。
「まだ見てるだけだ」
「報酬は安いですよ」
「串肉なら十本か」
アリアが伊織を見る。
「そこを基準にするんですか?」
「他に相場を知らない」
一拍置いて、アリアは頷いた。
「……それはそうですね」
伊織は依頼札から視線を外し、ギルドの中を見渡した。外から見た以上に奥行きがある。入口近くの壁に依頼札が並び、その先に長い受付台があった。右手には粗末な卓と椅子がいくつも置かれ、装備を脇へ立てかけた人間が休んでいる。さらに奥からは、酒と煮込み料理の匂いが流れてきた。
黒い犬は入口から数歩入ったところで止まり、人の出入りを眺めている。落ち着いているように見えるが、耳だけは絶えず動いていた。
「先に登録を」
アリアが受付へ向かい、伊織も後を追った。
受付には三人いた。アリアが向かったのは、帳面へ何かを書き込んでいる女だった。三十代ほどだろうか。茶色の髪を後ろでまとめ、細い金属枠の眼鏡をかけている。机の上には帳面と紙束、それに何本かの筆記具が整然と並んでいた。
「お帰りなさい、アリアさん」
「ただいま戻りました」
「予定より早かったですね」
「少し事情が変わりました」
受付の女が顔を上げた。伊織を見る視線は短かったが、顔だけでは終わらなかった。手、腰、靴と順に下りていき、最後に入口近くの黒い犬で止まる。
「その事情というのは?」
「彼と、あの魔獣です」
女はもう一度伊織を見た。
「なるほど。詳しく聞くと長そうですね」
「助かります」
アリアが答えた。
「話が早くて助かる」
「あなたのおかげです」
「出身や経緯は、あとでアリアさんから伺います。ご本人に訊くと、たぶん長くなりそうですから。必要なところだけ確認しましょう。お名前を」
「東伊織」
「ヒガシ・イオリさん」
一度で、正しく返された。
「私はエルナです。こちらで登録を担当しています」
「よろしく」
エルナは帳面へ名前を書き込み、次の欄へ移った。
「扱える武器は?」
伊織は少し考えた。
「銃」
「聞いたことのない名前ですね。今、お持ちですか?」
「持ってはいない」
「使えるけれど、持っていない?」
「ああ」
エルナは数秒黙り、それから筆を動かした。
「……では、ひとまず特殊武器としておきます」
「それで通るのか」
「分からないものを無理に分類しても、帳面が嘘になりますから」
「合理的だな」
「仕事ですので」
そのあとに訊かれたのは、年齢と、戦闘や警護の経験があるかどうか。それから、緊急時に連絡できる相手だった。
最後の問いにだけ、伊織は少し間を置いた。
「いない」
エルナは何も言わず、その欄を空けたまま帳面を閉じた。
「登録は以上です」
「試験は?」
「必要ありません」
「ずいぶん簡単だな」
「最初から危険な仕事は受けられませんから」
エルナは壁の依頼札を指した。
「簡単な仕事を何度かこなしてもらい、問題がなければ受けられる仕事が増える。それだけです」
「失敗したら?」
「依頼内容によります。無茶を繰り返す方には、仕事を回しません」
「分かりやすい」
「生きて戻ってもらう方が、こちらとしても楽ですから」
伊織には、その程度の仕組みの方がありがたかった。数値や肩書きを覚えるより、実際に仕事をして判断される方が早い。
「なら、仕事を見てもいいか」
「もうですか?」
「金がない」
エルナの視線が、一瞬アリアへ向いた。
「串肉一本分、貸しました」
「返したい」
「真面目ですね」
「借りたままが嫌なだけだ」
伊織は依頼札の壁へ戻った。上へ行くほど報酬は大きく、街道護衛、魔獣討伐、商隊の同行と並んでいる。銀貨と書かれた札もあった。
だが、伊織が手に取ったのは、先ほどの銅貨二十枚の札だった。
「本当にそれにするんですか?」
アリアが言った。
「ああ」
「護衛の方が報酬はいいですよ」
「場所を知らない」
「え?」
「街の周りも、道も、ここの魔獣も知らない。銃が次も同じように使える保証もない」
伊織は札に目を落とした。
「知らない場所で、知らない相手に賭ける趣味はない」
アリアは黙った。
「慎重なんですね」
「そうかもな」
札を受付へ持っていくと、エルナは内容を見て頷いた。
「旧排水路ですね」
「何か問題が?」
「最近、水の流れが悪い、臭うという報告が何度か来ています」
「いつから?」
「十日ほど前からです」
「普段も詰まる?」
「年に何度か。砂や枯れ草、小動物の巣が多いですね」
「誰か見に行ったか?」
「昨日、一人。入口から流れを確認しただけで戻っています」
「中へは?」
「入っていません。狭いですし、灯りも必要なので」
今のところ、不自然な話ではない。伊織は依頼札を受付台へ置いた。
「これを受ける」
「分かりました」
エルナが札へ印を押す。
「日没までに戻ってください。戻らなければ、明日の朝に確認を出します」
「救助じゃないんだな」
「状況が分からないまま人を増やすと、被害が増えることがありますから」
「なるほど」
伊織が札を受け取ると、アリアが呼んだ。
「イオリ」
「何だ?」
「私も行きます」
「監視?」
「それもあります」
珍しく、即答ではなかった。伊織はアリアを見る。
「他にも?」
「あなたの銃というものを、まだ見ていません」
「興味か」
「確認です」
「そういうことにしておく」
アリアの眉が少し動いた。
「報酬はいりません」
「なら助かる」
これ以上、借金を増やさずに済む。
入口を見ると、黒い犬はまだ同じ場所にいた。伊織が扉へ向かうと、耳だけがこちらへ動く。
「行くぞ」
犬は動かなかった。伊織も待たずに外へ出る。数歩進んだところで、背後から軽い足音が聞こえた。振り返ると、黒い犬が少し離れた場所を歩いている。
伊織は前へ向き直った。
◇
旧排水路は、南門から十五分ほどの場所にあった。
外壁に沿って進み、乾いた斜面を少し下った先で、石造りの水路が地面の中へ口を開けている。入口は低く、伊織なら背を丸めなければ入れない程度だった。
「昔は南側の排水を、ほとんどここで受けていたそうです」
アリアが言った。
「今は?」
「別の水路があります。ここは補助ですね」
伊織は入口の前にしゃがんだ。中から湿った空気が流れてくる。荒野とはまるで違う、水と土と古い石の匂い。その奥に、わずかに金属臭が混じっていた。
伊織は鼻先へ意識を向けた。
「どうしました?」
「いや」
まだ判断するには早い。
水路の底には、浅く水が流れていた。完全に止まっているわけではない。
「流れが悪い、だったな」
「ええ」
枯れ葉や小枝が、緩やかな流れに乗って奥へ運ばれていく。そのうちの一枚が、数メートル先で止まった。少し揺れ、また動く。別の枝も、同じ場所で流れを変えた。
「灯りはあるか」
アリアが片手を上げると、掌の上に淡い光が生まれた。小さな光球が離れ、水路の中へ浮かんでいく。
伊織は横目でそれを見た。
「それも便利だな」
「今回は異論ありません」
光が奥を照らし、濡れた石壁が浮かび上がった。右側の壁際に、何かがある。伊織は目を細めた。
「止めてくれ」
光がその場で止まる。
黒いものが、石の継ぎ目から突き出していた。泥でも木の根でもない。細長い金属だった。
伊織は水へ手を入れないよう、身体だけを寄せた。
「鉄でしょうか」
「かもしれない」
長さは掌より少し長い。黒ずんではいるが、錆びているようには見えず、半ばまで石の継ぎ目へ打ち込まれていた。
伊織は流れを見た。水草や細かな枝が金属に引っかかり、そのたびに水の向きが変わっている。
「これが詰まりの原因ですか?」
「一本ならな」
伊織は奥へ目を向けた。
「光をもう少し先へ」
光球が進むと、数メートル先に同じものがあった。さらに奥にもある。完全な等間隔ではないが、ばらばらでもない。水の流れが変わりやすい場所を、選んで打ち込んでいるように見えた。
伊織はしばらく黙ってそれを見ていた。
「自然に刺さったものではなさそうですね」
アリアの声から、軽さが消えていた。
「ああ」
伊織は一番手前の金属へ視線を戻した。黒い表面には、工具でついたような浅い傷がいくつか残っている。意味のある印なのかどうかまでは分からない。
手を伸ばしかけて、止めた。
「触らないんですか?」
「何か分からないものを、最初に触る理由がない」
「……そうですね」
黒い犬が低く鼻を鳴らし、二人は振り返った。犬は入口ではなく、水路の奥を見ていた。耳が前へ向いている。
伊織もそちらを見た。水の音の奥に、別の音が混じっている。硬いものが石に触れるような、小さな音だった。
――こつ。
アリアの手が剣へ伸びる。
「今の、聞こえました?」
「ああ」
伊織は黒い金属から目を離し、水路の奥を見据えた。
――こつ。
また、石を叩く音がした。今度は、さっきより近かった。




