聖都の喧噪
太陽の眩しさにティアは顔を伏せる。
半年以上、その姿を見ていなかった。霧に包まれた世界に住んでいて、光のことごとくを阻んでいたからだ。
聖都フェリアスは晴れている。この世界にも太陽があり、雲があり、空があるのだとようやく知ることができた。
四人は聖都の中を進んでいる。今までいなかったのが不思議なくらいの人の賑わい、あちこちで多種多様な人々が往来し、活発に過ごしている。商業も行われていて、多くの店舗が通りには立ち並んでいる。
笑顔が咲いている。道中の人々にはなかったものだ。都が元々このようであっても、環境の違いは明らか。彼らの顔を通じて、レムレスと霧の脅威を改めて実感する。
「お、見た顔が歩いとるのう」
ハンムックがティアに耳打ちする。
「お知り合いですか?」
「ああ。都におる使徒じゃな。挨拶、と思ったが、なんともいえん顔をしとるからなしなし。それより、はよ皇城に向かおう」
「皇城……中心に立っているあそこですか……?」
ティアが指さした方向に長大な尖塔がある。白色を基調とした荘厳な造りで、その先端は太陽を刺してしまいそうだ。
「そうじゃな。正確には、その下が皇城なんじゃが。こっからは見えんのう」
「しかしまあ金のかかってそうな都だ……な」
「血の汗の結晶じゃ! これが建った時は大変じゃったんじゃぞ!」
「へいへい。それで、その使徒育成だったか? 捻りのない計画に出れば、転移術とやらも分かるのか?」
「おそらく。聖都で行われている魔法研究は最先端。数々の情報も集積され、設備も整っておる。今も、真名機関において熱心に研究されとる!」
「なら、お前が見てこいよ。私たちは入れないらしいが、お前ならいいんだろ? ここで待ってやるから早く戻って来いよ」
「規律がそれを許さないだろう。ハンムック、貴様であってもだ」
モアナが口を開いた。光の橋を渡ってからここまで一度もやりとりしていない。
「そ、そうじゃなあ。お主らに伝え忘れとったが、本来は使徒やらレムレスやら魔法やらってのは口外ダメなことでのう……」
「お前、私たちにばらしてんじゃんのう?」
「それはオレが目をかけたってことでなんとかなる!」
「いや、ティアがやるって言わなきゃダメだったろ?」
アンの鋭いツッコミに対し、ハンムックは唇を噛みながら唸り声を出す。
つまり、この世界だけにある不思議な事柄を多くの人は知らないということか。確実な判断を下すにはまだ情報が少なかった。
先頭を歩いていたモアナが立ち止まり、懐から何かを取り出す。
「ハンムック、時間だ」
「ややや、そうか! すまんのう、お主ら、オレはちょいとばかし用があってのう。急いで皇城に行かなあかんのじゃ! モアナ、集合まで時間があったな」
「ああ」
「なら、二人とも時間になったら目的の場所まで来てくれい! それまではてきとーにほっつき歩いてもらても構わん!」
「てきとーに、って……てきとーでいいんですか?」
「構わん構わん! すまんが、オレは急ぐ、また後!」
と言った瞬間に駆け去る。通りの人を避けて進んだ彼の姿は多くの人々に注目された。
モアナが本を開く。また、突然現れた。外套を着ているとはいえ、本を隠すには不適当そうだ。これも魔法か、それとも魔術という固有能力なのか。
「これを渡しておく。地図と時計だ。時計は時刻を示す」
「あ、はい。ありがとうございます……」
「我は所用だ。ではな」
そこまで言うと、モアナも立ち去った。手には、細かく書かれた地図とカチカチと針が動いている時計が残る。
「手厚いな。これ、なんだ? どうやって動いているんだ?」
「わ、分からないけど。数字や太陽の位置からして今の時間を示しているのかも。この世界ではこんなものがあるんだね」
「あいつだけのものじゃないか? モアナだったか。ムッキーの家にはこんなものはなかったしな」
「どうなんだろうね。アン、これからどうしよっか」
「風呂入りたいな」
「私も少し。あ、でも、私たちお金ないよね……?」
「たしかにな」
お互いの服を叩いてみるも小銭の一枚も落ちない。ハンムックかモアナに気づかぬ間に仕込まれてはいないようだが、できることは限られている。
もらったものを懐にしまうと、通りを歩き始めた。
聖都は今までのどの町よりも活気付いている。人々は感情豊かに話し、喧騒は絶えない。ティアたちは小柄であるためか、時折人の波に阻まれそうになるも、アンが力づくでそれを払っていた。
そうしている内に、露店の多い通りにやって来ていた。
「なんだ?」
一方向に人々が集まっている。
人をかき分け進んで行くと、美麗な衣装を纏う者たちが左右に分かれて向き合っているのが見えた。何十人といて、片手では数え切れない。
両陣営の先頭に立つ者の口が動いていた。ここからでは、会話の内容は聞き取れない。だが、二人の表情に笑みはない。一方の眉が寄り、目つきが鋭くなっている。
「喧嘩か?」
通行人が彼らを避け始める。露天商も商品をそのままでその場から離れ始めた。ティアたち含めて何人かが残るだけとなる。
その時、不機嫌そうな方が倒れた。それを合図に風が吹き荒れる。
「わっ!」
立ったままでいられずティアは後方に飛ばされる。
背後の建物の壁に激突する寸前、ティアの背後に力が加えられる。
アンが回っていた。怪我は抑えられたが、前方から高音と共に何かが迫る。目に見えないが、地に切断痕が浮かび始めていた。
真横から誰かが飛び出した。今度はアンではない。銀色に光るものが目の前の現象を弾く。
「ちっ」
アンの舌打ち。その時、彼女が前に飛び出した。あっという間に渦中に飛び込んで行く。
「待って、アン!」
「こっちだ」
蒼い眼が見えた。手を引かれて、脚が勝手に動く。喧騒が次第に遠くなる。
聖都の町を上下左右に進んだ。目の前の人物の脚は速い。アンと同じくらいかも知れない。
だが、後ろから多くの音が近づいて来ている。
「こっちだよ!」
前からも声がした。建物と建物の陰から自分と同じくらいの少女が顔を出している。
曲がり込むと、樽がこれでもかと置かれていた。その内の幾つかの蓋が開けられている。
「ここに隠れて!」
三人は樽の中に入る。先程までいた通りの方から複数の足音が右から左へと流れていく。
慌ただしさが消えるまでしばらく待つ。荒くなった呼吸を戻すには最適であったが、閉所はティアを孤立させる。
ずっと一緒だったアンもハンムックいなかった。深淵の森とレムレスと戦った時のように一人だ。だが、相手はそうではなくおそらく使徒だ。ハンムックやモアナのように強いはずだ。
怖くはない。ただ、霧の中にいるようで前も後ろも見えなかった。
幾らかの時が経ち、隣から声がし出した。
「行った……みたいだね。ちょっと、見てくるよ!」
ガラッとズレた蓋と着地の音。距離が離れたと思えば、一瞬で戻って来た。
「大丈夫みたい! 出て来ていいよー!」
なんとか蓋をどかして外に出る。ティアの前には見知らぬ二人の少女がいた。
「君と一緒にいた子、使徒相手にすごいね! おおいたちまわりってやつだよね!」
「いたちまわり? でも、お二人ともありがとうございました。……お陰で助かりました」
「いいよいいよー。楽しそうだから助けたくなっちゃったの」
茶髪の褐色肌の少女は笑顔いっぱいだ。ハンムックを想起させる快活さで悪意がなさそうに見える。
「名前はベル! とっても覚えやすいよ! どっちか、名前もしかしてリンちゃんだったり? ベルの名字はリンっていうの!」
「い、いえ。私はグレイスと申します」
「グレイスちゃんね! そっちの子は?」
ベルは跳ねるように尋ねる。もう一人、ティアをここまで連れた人物は、物静かな銀髪の少女だ。麦わら帽子を深く被っていて、女の子らしい格好だ。だが、それに似合わない短い剣が腰の辺りに差してあった。
「あたしは、ペルラ。ペルラ・グレイグス」
「ペルラちゃんね。ペルラちゃんもすごい身のこなしだったね! たつにん、っていうんだっけ?」
「多分」
たつにん。達人のことだろうか。
ペルラは表情を変えない。口ぶりからしてベルもあの場にいたのだろう。
「グレイスちゃんと一緒にいた子もすごそうだったよね! そういえば、その子とグレイスちゃんよく似てるね!」
「は、はい。私の姉妹のアンです。双子だからよく似ているのかと思います。……アン、大丈夫かな」
アンは一人で戦いに行った。理不尽な目に遭うと、決まって彼女はそう動く。だが、今回は相手が悪いかも知れない。
硬い足音が聞こえて来る。ペルラが剣に手をかけた。
「やっと追いついた。君たち、怪我はなかったかい?」
現れたのは、赤髪の青年だ。衣装の上に鎖帷子を着て、腰に剣を帯びているからかペルラと異なり騎士のように見える。
見た目だけなら先程争っていた者たちに似ている。
「ないよー! むむ、もしかしてお兄さん、さっきの使徒の仲間!?」
「違うよ。彼らと格好は似てるが、僕は使徒じゃない。西方ベリアロス地方出身、マグナス・ドゥラメンテ。戦士の一門だ。以後よろしく」
「おおーっ、戦士! かっこいいねえ。アタシはベル。こっちはグレイスちゃん、こっちの麦ちゃんはペルラちゃん!」
「あたし、麦ちゃんなのか」
ペルラは剣から手を離す。グレイスは一拍置いて会釈をする。
マグナスは爽やかな第一印象を受ける。ベルの問いに対して、微笑みながら答えていた。嘘であれば、顔のどこかが崩れ、爽やかさが歪になる。彼にはそれがない。
ハンムックと比べてみるとマグナスの方がかなり使徒っぽさがある。木こりに扮している彼が特別なだけだろうか。
「最近は、聖都でも使徒同士のいざこざも増えてるみたいでね。目立った怪我人がなくてよかったよ」
「使徒同士……なぜ、そんなことを……?」
「使徒も一枚岩じゃないってことさ。さっきのは、おそらく貴族出身の使徒同士の争いだ。内容は、利権、あるいは立場を巡ってってところだね」
「りけん……? そんな果物あったかなー?」
「言うなら、お金や食べ物をどちらが手にするかって喧嘩だね。聖都は多くの資源や情報が動く。貴族出身の使徒たちはその恩恵をより強く受けることができる。しかし、皆が皆平等とは思わない」
「他の人よりも優先されたい。そういう欲が働いているのですね……」
マグナスが頷く。テレジアの町が守られていなかったのは、こういった背景も関係しているのだろうか。
ため息が溢れる。
家に帰る過程で強くなると決めた。しかし、今の目的地の一つはそのようなものなのか。
「……僕の父は、使徒とは秩序を守る者。そう言っていた。僕もそういう使徒を知っている。だから、ああいう輩は放って置けばいいさ」
「秩序を守る者……」
「ここにいるってことは、君たちも正しい使徒を知っているってことじゃないのかい?」
ハンムック、モアナの姿を思い浮かべる。超常の力は確かにある。正しいかどうかは分からない。だが、テレジアで墓石に手向ける彼の姿があった。
「あたしは会ったことないな」
「ないのかよ! ……っと失礼。ぺ、ペルラ、君はどうしてここに?」
「グレイスが危なそうだった、かな。もしかしたら、必要なかったかも」
蒼い眼が真っ直ぐこちらを見る。抑揚も表情もない。だが、ティアの口は少し開いたまま閉じなくなった。
「ベルは使徒さまに言われて! ……あ、今何時か誰か分かる!?」
「時間? 夕刻前ってところかな」
「まずーい! ベル待ち合わせのことすっかり忘れてたー! 早く行かないとー! でも、ここどこー!?」
ベルが泣き叫ぶ。マグナスが宥めるもなかなか止まなかった。
「……はぁ、仕方ない。僕が送っていくよ」
「ほんとぉ……?」
「だいぶ心配だからね。君たちも一緒に行くかい?」
「あたしも行かなきゃな」
「来るかい?」
「いや。剣返さないと。これさっき借りて使ったものなんだよね」
ペルラが剣を取る。マグナスが剣をまじまじと見つめると、大きなため息をついた。
「う、売り物だね……僕も見たことあるよ」
「返してくる。グレイス一緒に行く?」
「え、えっ?」
「キミの妹……姉……? どっちかいるんじゃないかな?」
アンのことを言っているのか。あの通りに戻れば、確かにまだいるかも知れない。
「は、はい。私も行きます」
「そっか。じゃあ行こ」
ティアの手が再び握られる。硬さの中に柔らかさがある、そういう手だった。
「お二人ともありがとうございました」
「うん! グレイスちゃん、またねー!」
「気をつけて。また何かあったら逃げるんだよ」
「はい。お二人もお気をつけて」
路地を出て、通りで左右に分かれる。見えなくなる時、少しだけ心に隙間が生じたような気がした。
ペルラが前を進む。行きと違って、彼女はゆっくり歩いていた。
口数は少ない。だが、アンにもそういうところはある。
麦わら帽子から太陽の匂いがした。
「……いい匂い」
思わず口に出していた。頬が赤くなるのを止められなかった。




