【ダルタロス地方編】亡者たちのアプス ①
霧の中、町が浮かび上がっていた。
周囲はすでに暗くなっている。その中で、灯りがついている。人の賑わう声が、町の門付近からも聞こえている。
バウラルイから約半日かけてここまでやって来た。休息は一度のみ。アンにとっては何てことはないことであったが、さすがにティアは半ば虚ろな目をしていた。
一行は、馬に乗りながら町に入って行く。
「ここがアプスの町。兄さんたちはどこかな?」
「お前の魔術で探せばいいだ……ろ」
「そうだねそうだね。……って、あれかな」
後方にいたシアンが前に出る。
前方から聞いた声がする。荒々しい口調、おそらくはニルだろう。
しかし、月狼族の可能性も捨て切れない。姿を変えるだけでなく、声帯も真似ていた。あれは、環境に適応するという月狼族の性質であるが、一方で魔術と同質のものを持っているように感じられた。
常に気を張るのには体力を使うが、損ではない。ティアもここまでほとんど流動を切らしていない。その成長にも適した環境だ。
相手の姿が見え始める。大柄な男性が二人、それと三頭の馬もいた。
「遅ぇ! もう夜になっちまったよ」
「随分、早くに着いたみたいだね。グレゴリーさんはともかく、ニルすごいね」
「当然だろ! 俺は白いのや黒いのより小せえ時から馬に乗ってる。そこらの奴に負けるわけねぇ!」
ニルが鼻を鳴らす。ニルはよく自らの出自であるクンイン族を自慢していた。候補者たちの中には、他にも同様の人物がいるが、彼の出自も中々に特殊だ。
「グレゴリーさん、兄さんは?」
「用がある、ということだ。まあ、フェイズはこの地方の上級使徒だ。俺たちのために待つことが使命ではないからな」
「兄さん、真面目だからね。本当は、俺より気が回るんだよ」
「気難しいのと気が回るは両立するだろう。それに、あいつはああやって一人でやっているのが性に合っているだろう」
「間違いないね」
シアンとグレゴリーは互いに見合って笑う。
アンが馬を降りると、周囲の建物の気配を探る。どれも石造りの古びた建物だ。通りを歩く人の数は少ない。夜であるからという理由はあるだろうが、それにしては騒がしさがある。
ティアとリリンも下馬した。ティアは肩で息をしていた。
「白いの。随分疲れてるじゃねえか」
「……は、はい。もっと頑張ります」
「ははっ! 今度、ウマをちゃんと教えてやるよ。揃ったし、俺は酒でも浴びてくるぜ」
「さ、酒ですか?」
ニルはグレゴリーに馬を預けて、建物の方に向かって行く。
酒場ということか。たしかに、微妙な異臭が鼻を突いてはいる。
「じゃあじゃあ、別行動にしておこうか。俺たちもちょっと用があるし」
「グレゴリーさんとですか?」
「ああ、ここの……使徒と話をしなくてはならないからな。だが、どちらかが残っておいた方がいいんじゃないか? また利用されるぞ?」
「大丈夫大丈夫! 念のため、俺の水映身を同行させておくから」
バウラルイで別行動となった時、シアンとして振舞った月狼族がそのことを決定していた。それと同じような判断を、シアンが下そうとしていた。
「えい、水映身!」
「……わっ!」
「オレだよ、オレ!」
足元からもう一人のシアンが生えてきた。道中で見たものよりもより本人に近くなっている。衣服や髪型、体型から再現していて、色も本物と遜色ないようだった。
そして、二人で並び合うと肩を組んだ。本物と思われる方の体が、若干小さくなっている。
「ふっふっふ、見直した? ちゃんと魔力と水分を使えば、より精巧な俺を作れるんだ」
「オレはオレとしてがんばるけど、本物のオレじゃないからオレじゃないことしてもごめんね!」
「あ、見分ける方法だけど、取り敢えず触ると」
アンが若干大きいシアンに手刀を振る。すると、その部分からバシャリと水音が鳴った。
「あーあー! もっともっとやさしく!」
「……お前、しばらく泳がされていたのは、これが原因だ……な?」
「そんなそんなそんなことないよ! みんなちゃんとわかってくれるもの!」
水のシアンが慌ただしく体を動かす。
すると、本物らしいシアンがその肩を叩いた。
「……でも、実のところそうみたい。だから、俺も反省」
「オレ! そんなことないよ、オレー!」
「アリガトネ、もう一人の俺〜」
シアン同士で抱き合う、両方ずぶ濡れのドロドロになる。収拾がつかなくなる前に、グレゴリーが宥めに入った。
グレゴリーが候補者たちの前に出ると、それぞれの表情を見遣る。
「念のため、二人以上での行動を心掛けろ。合言葉は……まあ料理の話題辺りにしておくか。今夜はパスタな」
「パスタ! いいですね、分かりました」
「ティア、お前は犬か。まあ腹は減ったところだが……な。飯は我慢しておくか」
「アンも好きでしょ。グレゴリーさん、楽しみにしておきます」
「一応、合言葉なんだけどな。ニルとリリンもいいか?」
「おっさ……教官の飯ならなんだっていい。だが、喉は乾いた」
「幾らか金銭は持たせておく。だが、飲めなくても文句は言うなよ」
「ああ?」
「……ここは、金の価値が低い。」
ニルが片側の頬を歪めると、リリンが小さく声を発した。
「物々交換。でも、リリンたちは身軽」
「てめぇ、喋れたのか。だが、言いてえことは分かる。俺んとこもそうだったからな。……それじゃあ、飲めねえってことじゃねえか」
「出してもらえる分を出してもらうんだな。なるべく、穏便にな」
グレゴリーが鼻でわずかに息をする。口振りからして、難しい土地であることを彼も分かっているようだ。
グレゴリーと本物のシアンがその場を去ってから、ティアたちは酒場を探した。
ティアは辺りに目を向ける。霧の中、やせ細った人々の影がちらほらとある。バウラルイだけでなく、この町でも同様なのか。もしかしたら、ダルタロス地方全体がこのような貧困に襲われているのかも知れない。
時折、近づいて来る人の顔色は悪く、頬骨が浮き出ている。目元は真っ黒だが、眼の光だけが強くある。着用しているものは、鎧だ。使い古されており、布地はところどころ縫い目があり、金属部分も黒く変色している。
通り過ぎても、顔と目は間違いなくこちらを見ていた。
「おなかすいたかなー、オレもすいたよー」
「おい、青いやつ」
「なになにー? かんたんなことなら答えられるよー」
先頭のニルが振り返し、水映身のシアンは身を動かす。その体が若干震えると、ところどころ色抜けする。
「ここは、もっとつまらねえ場所か?」
「そんなことないよー、みんなげんきげんき」
「んじゃあ、あの連中はこれが普通ってことか?」
「げんきだよ。オレと同じくらいげんき」
「はぁ……会話になりゃしねえ。レムレスの方がまともに喋れてたんじゃねえか?」
「あそことかもっともっとげんきだよ。入ってみるー?」
ぷるぷるとしながら前方を指差すと、石造りの大きな建物があった。他の建築物よりも規模が大きく、何頭かの馬が建物の前面に並んでいる。
中からは、活気づいた人々の声が聞こえる。いや、暴れているような音もする。
食べ物と酒の臭いがする。おそらく、大きな酒場であるようだ。
「酒場か。てめぇらも来んのか?」
「二人一組、グレゴリーさんがそう仰っていましたので、私が行きます」
「私も少し喉が渇いた。入るとなると、リリンも来ることになるの……か?」
「……リリンも行く」
「オレも~、オレもいくよ~」
酒場に入ることに異議は出なかった。五人で固まっていれば、より安全なのは間違いない。
中に入ると、酸味の強い臭いが鼻を刺激する。換気がしっかりとされてないからか屋内は様々なものが混ざり合っていた。
テーブル席には多くの人間がいた。ほとんどが男性で、女性は少ない。カウンターにいる店主以外の容姿は、皆同じように汚れていた。だが、やはり眼は鋭く光っている。
アンとニルは、そんな視線を気にすることなくズカズカと入って行く。ティアはなんとかその後に続いた。
「酒をくれ」
硬貨の入った袋を開けて、ニルがカウンターに出す。
年輩の店主はちらと袋を見てから、シアンの方を向いた。すると、形が歪んだ陶器のコップを五つ並べ始める。
「お、聞いてたより話が分かるじゃねえか」
ニルが席に座ると、アンも小さく跳躍してから着席した。ニルが脚を余らせる一方で、アンのものは床から離れている。
ティアたちも席に着くと、飲み物が提供される。白く濁ったドロドロとした液体だ。シアンにだけ、水が渡されている。
ティアはそれに口をつけてみる。獣っぽい臭いと強烈な酸味が口の中に一気に広がる。そのせいか、ティアは口をすぼめて、顔を強張らせた。美味しいというよりは、独特さが強い。泡立ちはあるが酒という感じもあまりない。
「おい! てめぇこれは……!」
ニルが勢いよく立ち上がる。すると、周りにいた何人かも同様に動き、腰の武器に手をかける。
急いで、ティアはニルの制服の裾を掴んだ。不味いと言えば、何が起こってしまうか。
「ニルさん、ダメですよ……!」
「ちげえよ! おい、うめえもん出すじゃねえか。気に入ったぜ!」
「……え?」
ニルはもう一息で飲み干すと、すぐに空のコップを差し出した。
「こいつは俺んとこでも飲まれてたもんだ。懐かしいぜ。聖都じゃ、これを出す店はなかった。数年振りに飲めるなんてなあ」
「そ、そうですか。それは、よかったですね! が、頑張って飲まなきゃ……グビグビ」
「白いの、こいつは腹持ちも相当いい。飲み過ぎには注意だぜ」
と言いつつも、ニルはまたあっという間に飲み干してしまった。
硬貨がみるみる内に消えていく。その消える量からしてかなり高級品であることは間違いない。
ティアは少しずつ飲んだ。酸味は強いが、飲み切ってしまえば確かにお腹にズシンときている。色味と臭いからして発酵した乳製品なのだろう。チーズやシチューなどと根本的には同じだ。
アンとリリンが先に飲み干す。アンはなんとなく苦手そうな顔をしているが、文句は言わなかった。それどころか、なぜかお代わりをしていた。
いつの間にか、周囲からの視線が途絶えている。彼らは談笑に興じ、こちらの動きを監視するようなものではなくなった。
雰囲気だけは、外の殺伐さとは打って変わって和やかなものになった。
一方で、集団の奥の方では乾いた音が響くようになった。
人を殴る時の音に、よく似ていた。
「グレイス、こっちを見ていろ」
「何か、やっているんですか?」
「喧嘩だ……な。いや、私刑かなんかかも……な。まあ、気にするもんでもないな」
アンが言葉を加えると、リリンが頷く。
使徒は、あくまで秩序を守る者であるという姿勢をグレゴリーたちから教えられている。この遠征では、候補者たちにも使徒と同様の規律が敷かれている。そのため、現地の人々の生活に干渉することは避けなければならなかった。
ティアは、目を伏せて呼吸を整える。
だが、そうすると嫌でもやり取りが耳に入る。
「酒だよ酒……酒くれるだけでいいんだよ」
「酒だ? 乞食は大人しく野垂れ死んでりゃいいって言ってんだろうがよ」
「酒切れてやべえんだよ……頼むから、酒をよお」
「こっち来るんじゃねえ……! くせーんだよ、じいさん!」
何かにぶつかるような音を聞く。
酒を要求している方は、やつれた老人だ。ふらふらとした足取りで、歩み寄っていくとあしらわれた。しかし、諦めずに別の相手に近付く。
喧嘩ではない。そのようにティアは感じられた。
やがて、老人の方から寄って来た。
「お前さんら……ちょいと酒を、酒を頼めんかなあ」
「あ? じいさん、あっち行きな」
「待って下さい。お金は渡せませんが、これならどうですか?」
ティアは席を降りて、自身のコップを両手で渡そうとする。ゆっくり飲んでいたせいか、まだ半分ほどが残っている。
老人は、それを素早く受け取ると喉を鳴らしながら飲み始める。
すると、周りの者たちがこちらに迫って来る。
「おい、ガキ。どういう了見だ」
「え、りょ、了見……。苦しそうにしていたんで……」
「俺たちの許可もなくこいつらに餌やってよ。何様のつもりだって話だよ」
「あ? なんだ、てめぇらよぉ!」
ニルが陶器をカウンターに激しく叩くように置いて立ち上がる。すると、周囲の者たちは腰の武器に手をかけた。
喧嘩が始まってしまう。自分が原因となって。
「私は、何も見返りは求めません。ですが、軽率な行いをして皆さんに深いな思いを与えてしまいました。申し訳ありません。ここは、私が相応の処罰を受けますので、どうか穏便に」
「黙ってろよ、白いの。こいつらはそんな甘さに付け入ってくるぞ」
「で、ですが……!」
「おい、青いやつ。暴れていいのか?」
ニルがぷるぷると震えているシアンを睨む。シアンは水を飲み続けているせいか、体が少しだけ大きくなっていた。
「ええーっとええーっと、オレはだいじょうぶだとおもうよー。ころしはだめだからねー」
「だってよ。じゃあ張り切っていくぜ。食前の運動だ」
ニルが拳を硬く握る。周囲の人々が一斉に剣を抜きだした。
それからニルは群衆の中へと飛び込んでいった。ティアは制止の声をかけるも、まず止まらないと直感的に分かった。
次の瞬間には、食器、机、人とが宙を舞い始めた。




