【ダルタロス地方編】亡者たちのアプス ②
剣が目の前にまで迫った。ティアはそれを障壁魔法で止めると、相手を蹴飛ばしながらアンも渦中に飛び込んでいった。
酒場内は、悲鳴や怒号が飛び交う空間になっていた。そのきっかけを作ってしまったティアは争いを止めることはできなかった。
障壁魔法を展開しながら老人の身を守る。
「危ねえあぶねえ」
「おじいさん! もう少し下がって下さい!」
「グレイス、こっちから出よう」
背後からリリンの声がして振り向く。すると、カウンターの向こうに扉があった。店主もそちらを指差している。
「あちらからお店を出ましょう!」
「あーあー、こいつはいいなあ。こいつもいいなあ」
老人は、酒を飲む手を止めていない。飛んで来た小さな酒樽を上手く手に取ると呼吸する暇なく口に運び続けている。彼もこの地方の住民ということなのだろう。
リリンがカウンターを飛び越える。彼女が老人を担ぎ上げると、そのまま出口の方まで一跳びした。
この場は、おそらくアンとニルが暴れ尽くす。二人の心配はない。
ティアも少し遅れてから続こうとする。
「ま、まってまって~オレもいく――わああああああ!」
視界の端に、水映身のシアンに椅子が命中したのが見えた。液体となった肉体が弾け、周囲に飛び散っていた。
踏み止まろうと思ったが、カウンターの上に残っていたシアンの手が指先を外に示していた。行け、そう言いたいのだろうか。
真意は不明だったが、向き直ってすぐにリリンの後を追いかけた。二人一組でいるようにというグレゴリーの指示でもある。最低限、そこだけは守っていたかった。
負荷魔法と追風魔法を使って、リリンに並ぶ。彼女は老人を背負いながら走っていた。
「リリンさん、どこに行くんですか……!」
「俺が普段いる場所さ。あそこなら、滅多なことがなければ人は近付いて来んのでなあ」
老人が火照った顔を見せる。両腕で酒の容器をありったけ抱えている。相当な酒好きだが、判断力は思いのほか高い。
十数分、リリンの横で駆ける。その最中、町を見ることができた。
酒場にいたような荒くれ者が大半ではなく、飢えに苛まれていそうな人々が大勢いた。痩せこけていたが、やはり彼らの眼は鋭く光っている。聖都では、このような眼をした者はわずかだった。
獣のように狙いを定めているのかも知れない。アンは、常にこの眼をしていた。ニルやリリンにも同様の光がある。だが、候補者の中でも特別身体能力に優れているペルラは違う。
この老人の眼はペルラに近い。だが、細かなところは感情を把握しなければ掴み切れない。
もしかしたら、レムレスという可能性はある。
郊外への誘導、アンたちもそうして襲われた。
近付く人を疑わなければならない。使徒、いやこの世界に住む人々は動きの一つを注視せねば死ぬ。だから、あのような眼をしているのかも知れない。
自分はそれが苦手だ。出来ないと言い換えてもいい。だから、人以上に動作から違和を見つけなければならない。
「ここだ、ここ」
老人が地面を指し示す。
丸太や敷物が地面に転がっている。中心部であろう場所には、焚き火の用意がしてあった。
住居ではない。町から少し離れた荒野の上だ。
だが、老人はその場に寝転がると鼾をかいて眠り始めた。
「火炎魔法」
ティアは、焚き火を起こす。
霧と季節故の低気温で、動かなければ体は冷える。場合によっては体調を崩す可能性もあった。
「あ、あれ? 周りが明るい……ですね」
炎の明るさが霧を晴らした。焚き火を中心にして円を描いたような形だ。
そんな変化を加えたつもりはなかった。
「こいつ……もしかして、使徒か?」
「どうなんでしょうか……この現象自体は、魔力を用いた何かだと思いますが」
「起こしてみるか」
リリンは足元の枝で、老人を突こうとした。
ティアは、慌てながらリリンの動きを制する。
「ど、どちらにしてもひとときを妨げてはいけないと思います。と、とてもお疲れでしょうから」
髭はないが、顔の皺は亀裂が入ったように乾いている。酒と腐臭のするボロからはまるで使徒の威厳はない。
「ただの飲んだくれに見えるにゃ。まあ、放っておくかにゃ。触らぬ神ににゃんとやらと言うからにゃ」
「それは……ことわざですか?」
「大昔に出来たことわざらしい。余計な手出しをしにゃければ、災いは降りかからにゃい。今のグレイスによく合った言葉。人助けも程々にしておいた方がいいにゃ」
「す、すみません……気をつけます……」
リリンがため息を吐く。包帯で表情は窺えないが、動作は大きめだ。一言も口を利いてくれなかった時と比べると、ずっと喋っていくれている。
町の方では、まだ騒がしさがある。落ち着くまでにはもうしばらく時が必要だろうか。
そうなるまで、もうしばらく話していたい。そんな欲求が胸の内から湧き上がってくる。
「グレイスはどうしてリリンを庇ってくれたんだ?」
「……へ?」
言葉を探している内に、リリンから切り出された。
庇う、とは何を指して言っているのだろうか。
リリンが丸太に腰掛けたため、ティアもその隣に座った。
「もう三度、いや四度かにゃ。矢を射られた時、尋問を代わりに受けた時、フェイズからリリンを守った時、あとはリリンの監視役にグレイスとアンリが選ばれた時」
「え、えっと……最初は咄嗟のことだったんであんまり覚えては……四つ目に関しては立候補した訳でもないですから……」
「じゃあ、二つ目と三つ目は? にゃにを考えていた?」
「にゃにって……二つ目は、私が前に出ればリリンさんとシーザーさんに危害が及ばないと思って……三つ目は、リリンさんの命が危ないと思って……」
「細かく教えて」
リリンの黄土色の瞳が鼻先にまで迫る。血の臭いがわずかにする。
ティアは唸り声を上げながら頭を捻る。その時の気持ちを確実に言葉にするのは存外に難しい。
だが、自身の根底にあるものを考えれば、なんとなくで導き出せた。
「……二つ目も三つ目も、お二人に認めてもらおうと思ったのかも知れませんね」
「認めてもらう? 裏があるってこと?」
「そう言えるかも知れませんね。皆さんと過ごす生活がとても楽しくて。だから、リリンさんやシーザーさんとも仲良くしたいと思って」
「にゃんだそれ?」
リリンが首を傾げた。ティアは焚火に数方の枯れ枝をくべる。
「昔、友達なんて誰一人いなかったんです。今は、流動を使えて他の人たちと同じように過ごせていますけど、その前の私を一人の人間として扱ってくれる人はアン以外にいませんでした。いつも邪魔者やいない者として扱われていました」
「家族がいにゃいとは聞いた。でも、慕っている人がいるって」
「お二人と暮らすようになる前ですね。今でも、あの時の夢をよく見るんです」
多くの人々が代わる代わる自分を蔑む夢。奴隷時代の主人だけでなく、同じ奴隷からも。道行く人々の顔も何度か浮かんだ。
夢は決まって悪夢だ。いい夢なんて一度も見たことがない。疲れ果てて眠りに落ちることで、稀に夢を見なかった。
夢は嫌いだった。だから、眠ることさえもしたくなかった。
「でも、今は起きてさえしまえば楽しい時間がたくさんなんです。皆さん、とてもよくしてくれて。修練はとても大変でしたけど、とても充実した時間でした。……それと同じだと思います。きっと、リリンさんとも仲良くなれる。そうしたらきっと楽しいって」
「……そうか。グレイス、お前とても苦労しているんだにゃ」
「…………でも、多分リリンさんの方が大変、なんですよね?」
思い切って言ってみると、リリンが少し後ろに下がった。
レムレスとしての特徴を彼女は持っている。それが、カルド・ボアと同じような異形化によるものなのか。そうすると、本来は相対しなければならない敵なのかも知れない。
リリンは目を逸らしている。だが、指は包帯の間にかかっていた。
「…………もう見られてるし、隠す必要もにゃいか」
指の爪を伸ばして、顔の包帯を取る。
すると、先日も見た猫のような顔が現れた。体毛がふわっとしていて髭が生えており、耳の位置が横にない。白と黒、そして灰色が混ざったような毛は美しい模様のようであった。
リリンはティアをちらと見ると、一つ深呼吸をした。
「……リリンは、にゃにに見える?」
「……か」
「怪物かにゃ? そうだリリンは――」
「可愛い……! すごく可愛いです……!」
「は?」
ティアは、リリンの顔をもふもふとする。ふさふさとした柔らかな感触を得ると、なぜか幸せな気持ちになってきた。
「や、やめろ! にゃにをする!」
「す、すみません、つい……!」
「お前、怖くにゃいのか……嫌な気持ちににゃらにゃいのか……?」
「そんなことないですよ。それより……もう少し触っても……」
「だ、ダメ!」
リリンはすぐに包帯を巻き直して、またもやいつもの状態に戻ってしまった。少し拗ねてしまったのか、ティアに背を向けて座ってしまった。
ティアはそれから何度も謝罪の言葉を述べると、数分後にようやくリリンが振り返った。
「……そ、それで、そのお姿は?」
「……リリンはレムレスじゃにゃい。人間でもにゃい。多分、混血児という奴だ。そうじゃにゃいと、この見た目の説明がつかにゃい」
「混血……ですか」
レムレスと人間の間の子どもということなのか。
動物が魔力によって姿を変えたものがレムレスだ。だが、細かな生態を実のところ全て知っている訳ではない。
リリンの素性を、グレゴリーたちは認知していているのだろうか。いや、おそらく分かっている。フェイズとのやり取りを振り返るに、そうであるように思う。
「リリンのことを怖がる人間はたくさんいた。お前とは違うけど、リリンも同じようにゃものだ」
「私は大丈夫です。リリンさんのこと、全然怖くありませんよ。少し驚きましたけど」
「……嘘は言っていにゃさそうにゃ。……信用する」
「ほ、本当ですか!」
ティアが勢いよく立ち上がる。リリンの上体がビクリと跳ねた。
「大げさ! ……はぁ、悪かったよ」
「? そんなことないですよ、ちょっと舞い上がってしまいまして」
「そのことじゃにゃい! ……やっぱり、分かってにゃいか」
リリンが何かを指している。しかし、心当たりがない。思い出せるようなことなのか、それとも彼女が何かを隠しているのか。
ティアは頭を捻っていると、近くで何かか動く音を聞いた。
そちらを見てみると、老人が目覚めていた。上体を起こして、酒を飲んでいる。
「い、いつの間に」
老人との距離はそこまでない。だが、リリンも気づいていなかったようだ。
「お前、いつから……」
「悪いねえ。中々の話だったから聞かせてもらった。だが、そのことよりも今は音だ。誰か来てるぞ」
老人が丸太に腰掛ける。
確かに、町の方角から複数の足音が聞こえた。走っているようでその音は大きい。
念のため、周囲を警戒を強める。だが、おそらく相手は人間だ。
「いやがったな、クソジジイ」
霧の中から数人の男が現れる。酒場にいた者たちだが、赤らめた顔に黒くなった部分が見られる。
「町から出ていやがったとはな。通りでいねえわけだ。だが、バカみてえに明るすぎだここは」
「何の用かい?」
「テメェのせいでオレたちは大恥をかいた。その落とし前よ」
「大した酒も飲めねえ上に、恵む酒もねえ。そんな奴らの顔なんて、ねえのと同じだろがい」
「テメェ!」
「や、止めて下さい。喧嘩なんて……!」
ティアが争う両者の間に入る。また老人が一方的に殴られる。
姿勢を低くしたリリンも見えた。だが、老人だけがまるで態度を改めようとしない。
「ガキは引っ込んでいやがれ!」
「いーや、未熟だが芯はある。流れ者とは違う」
「いい加減に――」
先頭の男が得物を振りかぶった。
だが、次の動きに繋がることはなかった。空気が重量を持った。ずっしりとした存在感がいきなりのしかかってきた。
そして、身動きを一切せず、怒りの表情のまま固まってしまった。
ティアも動けなくなってしまっていた。体が岩に変わってしまったかのように節々が硬く、重い。
老人が前に出る。男の仲間が構えを取ろうとしたが、次の瞬間には彼らも停止した。
「引っ込んでもらおうか」
老人が先頭の男に手のひらを向ける。
すると、ヒョウという高い音と共に男たちが霧の向こうへと吹き飛んでいった。
追風魔法か。相当な力だ。
老人は、ティアの方に向き直る。いつの間にか、顔から皺が消え、立ち姿も酔いを感じさせないほどまっすぐになっていた。
「俺はダルタロス、酒がある内に話を終わらせておこうか」
ダルタロスの眼は静かに光った。口元の緩さとニヤケ顔が、その光の異様さを際立たせていた。




