【ダルタロス地方編】ダルタロスの使徒の良心
馬はどこまでも駆け続けられるようだった。
バウラルイを出立して6時間は経過している。
負傷したマグナス、シャール、シーザーをバウラルイに残したままティアたちは進み出した。
馬はほとんど休んでいない。それでも、馬が要因となって一切速度を落とさなかった。
逆にティアの肉体の方が根を上げていた。ティアの馬を手綱を、リリンが代わりに握っている。
「ここで一旦休もうか」
シアンが隣につけてくる。元々、彼は列の最後方にいた。
「はぁ……はぁ……まだ……行けます」
「兄さんたちは気にしなくていいよ。今は休む方が大事。注意散漫で進めるような場所でもないからさ」
「……分かりました。でしたら、アンにも」
「呼んだ……か?」
アンが前方から戻って来る。若干先行する形で進んでいた。
フェイズたちは、ずっと先を走っていた。シアンは、バウラルイからアプスまで半日以上とは言っていた。自分たちの馬の制御を踏まえての発言であるような気がする。おそらく、フェイズやシアン、グレゴリーが全力を出せばより短い時間で移動ができる。
シアンが野営の支度を整え始める。リリンもそれを手伝っていた。
「わ、私も……」
「グレイスちゃんは、アンリちゃんと一緒に周囲の警戒をお願い。大きく吸って、吐く。それを繰り返して自分の調子を整えながらするといいよ。こういう時、俺たちにとっても霧は役に立つんだ」
「あ……魔力の補給……ですね」
「そうそう。平常時でも役に立つからね。覚えておいて損はないよ」
「分かりました。……すーっ……はぁー」
付近の気配に耳を傾けながら呼吸を整える。
シアンの言う通り、魔力が体を巡り始めると軽くなり始めた。
同時に、頭も少しずつ冴えてきた。冷静に周囲に注意を向けられる。
シアンたちが準備をしている間、ティアとアンは周囲をぐるぐると回っていた。
霧が静かに漂っている。
この道中、ほとんどレムレスに出くわすことはなかった。
人や動物の気配ある村落を横切ることはあったが、ここまでは平坦な道だった。
時折、遥か前方から爆音が鳴り響く時があった。今も、振動が微弱ながら感じられる。
「あれは、兄さんのだね。君たちもこの地方に来た時に体感したやつ」
野営の中心地で、シアンが焚き火をいじりながら言った。
リリンと交代する形で、ティアは座った
「あれは、魔法なのですか? 火炎魔法にも似たものがありましたが……」
「あれは、魔術だよ。名前は『霹靂火』。怒りによって体内の魔力を爆発的に高める。それを矢に付着させて撃ち出し、ドカーン! となる」
彼の言葉に合わせて、火の勢いが強まった。
だが、炎は一定以上飛び出すことはなかった。その周囲の薄い膜のようなものが、抑え込んでいるようだ。
「霹靂って知ってる? あ、今言った霹靂火ではないよ」
「雷が鳴り響いた時のすごい音? という意味でしょうか?」
「ごめんごめん言葉の意味じゃなくて。称号、かな。上級使徒って言われる人が持つやつ」
「あ、称号のことですか。すみません、具体的にどのようなものがあるかは存じ上げなくて」
称号を持つ使徒。俗に上級使徒とも呼称されている。使徒が功績、忠義、存在感、人格などを聖皇や天使に改めて認められることで、一個人を示す称号が与えられる。
育成計画の監督者であるグレゴリーやヨハンナ、エヴァールの三人も、何かしら称号を持っているとだいぶ前に言っていた。
「俺の兄さん、フェイズ・ダルタロスの称号は霹靂。一撃で敵を粉砕し、燃やし尽くす。その際に発される音が敵味方共にすごく印象に残るんだ。それで、霹靂の使徒」
「霹靂の使徒……かっこいい響きですね」
「でしょでしょ! 兄さんは、この世界で一番頼りになるんだ。厳しいけど、強くて優しいし!」
「わ、分かります! アンにもそういうところがあって――」
「ティア」
振り向くと、アンが立っていた。
銀の瞳を細めて、こちらを静かに睨みつけている。
「交代……だ」
「う、うん。そうだね」
「あ、待って待って。全員休むように言おうと思ってたんだ」
アンの視線がシアンに向けられる。アンはその場に膝を立てて座り込んだ。
「周囲の警戒は必要ないんですか?」
「見張りは俺がやるよ。水映身」
シアンが言葉を発すると、彼の周囲の地面から数本の水柱が噴き出た。
それは人の形を作ると、自らの脚で霧の向こうへと歩いて行った。
しばらくして、リリンが戻って来る。
「にゃんだ、あれ」
「水映身。俺の魔力で作ったものだよ。簡単な命令ならちょちょいとこなしてくれる。異変を察知するよう命令をしておいたから何かあればすぐ分かる」
「便利な魔ほ……魔術ですね。あ、でも、私たちフェイズさんに道中のレムレスを倒すように言われていて」
「狩れそうなら、だね。あれは、地方におけるレムレス討滅の許可だよ。本来、他地方の者が勝手なことをしないように決められているんだ。グレイスちゃんたちが自分たちを守っても大丈夫ってこと」
「自分たちの身を……」
言い方が少し引っ掛かる。自分の身を守るにも許しが必要なのか。いや、それを言い訳にすることがあるのか。
「他地方の人、色んな思惑を持ってここに来るよ」
「この近隣ですと、ラインデルタ、ルルクス、アルタデロスからの方でしょうか?」
「前はもっと遠くからも来てた。あと、聖都だね。俺の仲間たち、特に聖都の使徒とよく喧嘩するんだ。向こうの人、悪いことばっかりに使うからさ」
「連中、財を貯める、勢力を伸ばすことに余念がないから……な」
アンがスープを平らげる。シアンはやれやれと首を振った。
ダルタロス地方は、聖都と陸路で繋がっている唯一の地方だ。聖都の賑わい様を考えると、この場所にも様々な富の話があっても不思議でない。
だが、ティアにとって政治や金は難しい話だった。
シアンが焚き火の上に手をかざす。
火の周りがぷくぷくと泡を立て始める。そこに刻んだ芋を入れていく。
ティアは、腰につけていた水筒を彼に差し出す。
「これは?」
「野菜の出汁です。スープを作られるなら是非これを。とても美味しくなりますよ。他にも干した肉やパンもあります」
「うわぁ、どれも美味しそうだね。じゃあ、出汁を少しだけ」
「他のものはいいんですか?」
「グレイスちゃん、ありがとうね。でも、食べ物はこの先大事になる。少しでも長く活動するならある程度分量を調整するのも必要なんだ」
「なるほど……」
「ここでは食べ物が貴重ってこともあるけどね。……よし、いい感じかな」
シアンが水筒から出汁を少し垂らす。スープを掻き混ぜながら更に黒いものをパラパラと投入していく。
出来上がったスープを、シアンが椀に注いでいく。
手渡された椀からは湯気が立ち上っていた。その匂いを嗅ぐと、微かな野菜を感じられた。
「いただきます。ほら、皆も食べて食べて」
「はい、いただきます。……あ、これ塩ですか」
「あ、入れたものの心配してた? 塩はね、この地方はよく採れるんだ。聖都でも結構使われてるよ、多分」
ティアも塩を持参していた。色は大きく異なる。味はたしかに似ているような気がする。
時をかけてスープを食べた。
聖都のものと比べると明らかに具がなければ、味わいもない。芋もほとんど中身がないような歯応えだ。
それでも、シアンの大切な提供物だ。味わって、体力と魔力の回復に努めるべきだ。
「君たちは、故郷を救おうとしているの?」
ティアがゆっくりとすすっていた時に、シアンが切り出した。
アンやリリンの反応を見る。二人とも無反応だ。
「あ、ごめんごめん。少し気になってね。使徒でもないのに、こんな危険な場所まで来てる訳だから。まあ、そのお陰で俺は助かったんだけど」
「……私は、家に帰りたいってだけです」
「遠方にあるの? それとも、霧を晴らさないと行けないような場所にあるとか」
「山の中にあるんです。ここからずっと遠くの山に」
「そっかそっか、こんな霧だと山の中をまともに歩けないからね。アンリちゃんとリリンちゃんも同じ感じ?」
リリンがシアンに目を向ける。じっと見続けた後、一度瞬きして目線を逸らした。
「リリンは……ここの生まれだ」
「えっ? ここって、ダルタロス地方ですか?」
「そうだ。だから、家に帰りたいにゃんて気持ちはない」
「ど、どうしてですか?」
「いや、リリンちゃんの言いたいこと分かるよ」
シアンが、ティアの動きを手で制する。
「お前は、いいとこの子どもだろ?」
「ダルタロスさまの養子になったのは20歳くらい。それまでは孤児だったよ」
「孤児……? シアンさんがですか?」
「ここじゃよくある話だよ」
シアンが微かに笑む。声の調子がほんの少し落ちる。
「俺も、この地方で生まれて50年近くここにいる。だけど、使徒になってなきゃもっと若くして死んでた。いや、兄さんがいなきゃ幼年で終わりだったかな」
「それから、天使の養子。にゃにがあるか分からにゃいものだにゃ」
「すごい恵まれてるよね。皆、優しくしてくれるんだ。だから、俺は地方の皆に恩返しがしたい。そう思って頑張ってる」
「おめでたい奴だにゃ。お前たち使徒は、使命を何よりも優先するんだろう?」
「んー……まあ、そうだね」
シアンが眉を寄せて考え込む。
「使命、つまり聖皇さまや天使さまからのお役目ですか」
「俺のところだとダルタロスさまからだね。何というか、結構緩いんだよね」
「緩い? ダルタロスの使徒が?」
「巷では、滅茶苦茶厳しくて、化け物ばっかりーとか言われてるけど、多分そんなことないと思う。そこそこ自由にやってる。リリンちゃんを見逃す措置を兄さんが取ったってところが、そのいい証拠だと思うよ」
「それは……そうにゃんだが……」
「大丈夫大丈夫! 悪いようにはしないよ」
「その心配をしている訳じゃにゃいんだが」
「それに、何かあったら俺が守るよ。皆は、命の恩人だし」
「あの程度のレムレスにしてやられるような奴が、守る……ねぇ」
今まで静かにしていたアンが立ち上がる。一言一句を大げさに呟いており、それを聞いたシアンの顔がキュッと強張った。
「わ、私は頼りにしています!」
「アリガトネ、グレイスちゃん……」
それからすぐに移動が再開された。
ティアは、変わらず慣れない手つきをしている。だが、リリンの指導もあって少しずつ上達してきた。フェイズたちに追いつけるような速度でなかったが、体力の消費を抑えられていた。
数時間の移動の後、シアンが不意に大声を上げた。
「東から物体の反応! 皆、周囲警戒!」
「はい!」
馬を走らせつつ、片手を使えるようにする。
細かな集中が必要だったが、なんとか馬を御せていた。
シアンが後方から上がって来る。
「ふっふっふ〜、皆に俺がちゃんと強いってこと見せてあげるよ」
「援護します!」
「大丈夫大丈夫。兄さんには負けるけど、俺だって一発でレムレスを仕留められる」
シアンが右腕が透けて見えるようになる。液体への変化だ。それを東の方に向ける。
「名付けて霹靂流、発射!」
シアンの掛け声と共に、右手が縮む。そして、甲高い音と共に水が一気に放出される。
それは霧を貫きつつ、真っ直ぐ飛んでいく。
「おりゃあ!」
シアンが右腕を小さく振ると、それに合わせて水流が横に振られる。その軌道上にあった岩石を裂き、両断する。
ひとしきり水が放出されると、彼の右腕はすっかりと小さくなってしまった。
「どうどう? 霹靂流! 体の水を集めて、勢いよく発射! これによって遠距離からの切断攻撃ができるんだ! 硬い心石だって壊せように修練したんだ!」
「す、すごいです! さすが、シアンさん!」
「ふふん、そうでしょそうでしょ! アンリちゃん、見直してくれたかな?」
アンは霹靂流が放たれた場所に向かっていく。
すぐに帰って来ると、腕に動物を抱えていた。
普通の猫のように見えた。
「多分、こいつだ……な。飢えた猫だ」
「あれあれ! おかしいな、ちゃんと設定したと思ったのに」
「水映身ですか? どのような命令を?」
「こっちに近づいてくる者を検知しろ、って」
「お前も適当じゃにゃいか」
リリンがアンから猫を取り上げる。
猫は彼女の首周りに巻きついた。マフラーのようにしつつ頭を撫でていた。
「無闇に動物を殺さにゃいで欲しい。それと、リリンたちの監視役としてもっとちゃんとして欲しいにゃ」
「うっうっ……分かったよ〜、ごめんよ〜」
シアンが顔をくしゃくしゃにして頭を下げる。
一行は、再び駆け出す。結局、レムレスと接敵することはなかった。




