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西方聖戦記〜最弱症状の少女は超常の使徒となる〜  作者: 天上
第二章 聖暦十九年 西方遠征前夜〜ダルタロス地方編
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【ダルタロス地方編】聖都の大いなる門 ⑤

 目印を見つけるとすぐに地図を確かめた。

 霧の中をティアは一人で走っていた。首の傷は塞がれ、魔力もある程度回復している。負荷魔法(プレティウス)を使用しながらひたすら駆けている。

 出発前、クルースから地図を渡された。

 そこには、クルースがアンと遭遇したという場所が記されており、まずはそこに向かっていた。

 地図には他に目印となる建物が書かれていた。ほとんどが小さな民家だったが、それぞれ異なる特徴をしていた。家の前の荷車や使われていない農具、やつれた老人や物乞いが何人いるなど事細かな部分も、地図に記されている。その几帳面さに、ティアは助けられた。


 ただ、彼らに人質を取られてはいる。失敗は許されない。


「もう少し……」


 砦から走って、数十分の距離だ。町の郊外が近いのか、次第に建物も減っていた。

 霧が延々と続いている。方角を見失えば、砦に戻ることも難しくなるだろう。

 アンたちは、本当にこの先にいるのだろうか。

 道に迷っている可能性はある。だが、アンの直感はいつも鋭い。道に迷っている彼女をティアは知らなかった。最適解を必ず導き出し、誰よりも正しい道を行く。

 自分は、アンにただ付いていけばよかった。


 いつかそんなアンを助けてあげられれば、という気持ちだけは強く持っていた。しかし、いざ実行してみれば彼女の足を引っ張るばかりだった。

 この世界に来て少しは成長した。まともに歩けるようになり、流動を使う前提だが今のように息をほとんど切らさずに走ることができるようになった。

 体の弱さはあまり変わりはないが、それでも一人でできることは格段に増えた。

 フェイズに機会は与えてもらった。ならば、今出せる全力を出すだけだ。


「……ここかな」


 地図が示す地点には辿り着いた。霧が深いだけの何もない荒野だ。

 体は熱を帯びている。息を吸って吐いてをしばらく繰り返した。


「アンー! どこにいるのー!」


 ティアは息を吐き切った。

 霧が全てを飲み込むように何も返って来ない。

 ティアは目を閉じる。もし近くにいるのならば、何かしらの反応はある。


「…………何だろ、この音」


 風の音ではない。だが、揺れている。微弱な音が波のようになって、耳の中を刺激する。


「ガゥ……ガゥ……」


 動物の声か。それが少しずつ大きくなる。

 両耳を塞ぐ。そうすると音の流れが変わって籠ったようになった。両手を耳に当てたまま、手のひらの向きを変えてみる。

 斜め前方からだ。そちらを見遣るも、やはり霧が濃い。


「アン! そこにいるのー!? ニルさん! シャールさん! マグナスさん! 私の声が聞こえますかー!?」


 返事はない。


「ガウガウガウ」


 迫って来ている。敵なのか、それとも。

 ティアは両手を構える。小さく息をして、体を落ち着かせる。

 足音。凄まじい速さだ。何本も脚があるように錯覚させられる。

 一歩、大きな音。地面からの反応が急になくなった。

 ティアは体を小さく抱えるようにして横に転がる。そして、先ほどまで立っていた場所に何かが飛び込んで来た。

 何かの激しい着地と共に、土が巻き上がる。ティアも地を蹴って、体勢を立て直す。


「ガウガウガウガウ!」

「レムレス……!」


 異音がティアの頭の中で響く。目の前に現れた者は、狼だ。頭部の半分以上が口となっており、毛並みは豊か。黒色をしているが、おそらく月狼族のレムレスだ。

 攻撃性が非常に高く、環境に適応する性質を持つ。

 レムレスが飛び込んでくる。小さな跳躍だが、一瞬で互いの距離がなくなる。


「負荷魔法(プレティウス)」


 体全体の速度を上げる。レムレスは右の前脚を槍のように突き出していた。

 無理やり体をよじる。それで胴体への狙いは外れた。だが、体勢を崩したところへレムレスの残った前脚が振られる。

 腕を上げて、障壁魔法(アンキレ)を唱えようとする。しかし、言葉を発するよりも相手の方が速い。

 上げた右腕にレムレスの腕が食い込む。バキリという乾いた音と共に、胴体にも衝撃が突き刺さる。


「ぐっ……!」


 足が地から離れ、ティアは後方に吹き飛ぶ。背中を打ち、弾けるように転がっていく。

 残った左腕で受け身を取ろうとする。それでも勢いを殺しきれず、何度も何度も体を打った。

 再び立ち上がった時、鋭い痛みが彼女を襲う。防御に使った右腕は、肘から先が外側へ向かっており曲がっており、動かせない。

 カルド・ボアを思い出させる力だ。理不尽極まりなく、凌ぎようがない。再現の部屋で戦った月狼族もたしかに鉄を切り裂くような爪や牙を持っていた。個体によってこれだけ力が変わってくるものなのか。


「……違う」


 ティアは虚空に向けて言葉を発する。

 爪や牙はある。あれほどの凶器的な牙があれば、跳躍と同時の噛みつきをする。あるいは、爪による切り裂きだ。

 だが、あの個体が用いたのは格闘だ。それも、洗練された動作だ。

 もう一度、見てみる必要がある。だが、次の攻撃を確実に防がなくては命はないだろう。


「障壁魔法(アンキレ)」


 左手に透明な壁を展開する。

 周囲の変化を目で追う。音は異音の大きさが印となる。今は、少し距離が離れているが、再度の跳躍で距離を詰めることはできるだろう。

 右方向。霧がわずかに揺らめく。そちらに守りはない。ティアは壁の向きを変える。

 その瞬間、レムレスの体がまた真っすぐ突っ込んで来た。跳び蹴りだ。


 障壁魔法(アンキレ)とぶつかる。直接的な損傷は防いだ。だが、衝撃が上体を駆け巡り、大きく体を仰け反らせる。

 全身に痺れを感じながらも、ティアは視界を切らさず、相手を見る。

 レムレスは宙を舞っていた。壁を足場としてそのまま利用して、上に跳ぶ。そして、そこから次の攻撃に繋げる。

 レムレスはこちらを見ていた。静かな眼だ。次の動きを確かめようとしている。

 その動きを知っていた。強烈な一撃の次に、確実な一撃を叩き込む。先ほどの拳の二連撃も同じ流れだ。その流麗な肉体の使い方、ティアがずっと参考にしてきたものだ。


 アン。彼女と同じだ。今、目の前にいるのはアンなのか。


「負荷魔法(プレティウス)、追風魔法(アウラ)!」


 明後日の方向を向いた手から突風を起こす。体は足先に滑り出し、レムレスの足元を潜った。

 その背後に回り込む。

 レムレスはまだ地に足をつけていない。アンであるなら、次の動きは着地からの反転。あるいは、小刻みに足を出して攻めの調子を整える。


「水竜魔法(ウォルト)!」


 手のひらが渦が生じる。周囲の水を集めて、水球を作る。

 レムレスが着地と同時にこちらを向いて来る。


「アン! 食らえ!」


 水球をふわりとアンに投げつける。

 小さな水の球だ。戦闘では、まるで意味がない。


 だが、アンならば伝わるはずだ。

 直後、水の球をレムレスの爪が切り裂く。

 そして、一気に懐まで距離を詰めて来た。


 目の前に、レムレスの顔がある。だが、そこから動きだしはしなかった。静かに息をして、じっとこちらを見つめている。

 ティアが左手を出す。

 すると、レムレスは右の前脚をゆっくりと上げる。

 一拍置いた後、ティアの手をパシンと叩いた。


「痛っ……!」


 前脚と触れ合った時、わずかたがその指の形を確かめた。狼のものでない人の指の感触。それも、自分と同程度の大きさの。

 レムレスがその指を一本立てて見せる。見た目は、月狼族の鋭い爪が宙に向けて伸びているような形だ。

 そして、その指を回す。


 円を描く。いや球を示しているのか。

 先ほどの手振りと合わせて、もう一度水球を作れ、ということか。

 ティアは頷くと、左手を掲げる。


「水竜魔法(ウォルト)!」


 周囲の霧が水となって集まってくる。小さい球が出来上がるまでそれほど時はかからなかった。

 レムレスの右脚が振られる。水球はまた割れてしまった。

 レムレスは、更に大きな円を描き始めた。


「分かった。負荷魔法(プレティウス)、水竜魔法(ウォルト)!」


 ティアは一帯の水を集め始める。それによって巨大な水球が作られようとしていた。

 その過程で、周辺の霧が晴れた。

 そして、目の前にはアンが現れていた。


「アン!」


 アンは円を描き続ける。異音は、まだ耳の機能を奪っていた。

 集中を続けろ、そう言いたいのか。

 銀の瞳は、じっとこちらの眼を見ていた。アンが言うのなら間違いはない。

 意識を手に。

 手のひらの渦がますます大きくなり、それに伴ってより多くの水を集める。


 アンが踏み込んだ。横を通り過ぎて、ティアの後方へと飛んで行く。

 鈍い音が耳を貫く。

 その時、周囲の音が止んだ。


「ティア、こいつを頼む!」

「えっ、わっ!」


 アンが何かを投げて寄越す。咄嗟に右腕を前に出すと、串刺しにされたような痛みが生じた。

 裸体の女性だ。気を失っていた。


「シアンさん!」


 呼びかけるが応答はない。

 使える手は塞がっている。今も、水球は大きくなり続けていた。

 アンは青色の影に拳を打ち込んでいる。

 月狼族のレムレスだ。

 色や大きさは異なっているが、間違いない。アンに攻められる度、甲高く声を上げていた。

 アンは生き生きとしている。洗練された動作、尋常でない力、頭脳も優れている。あれこそが、アンだ。


「ギャウウウウ!」

「どうした、形を変えてみろ。次は、土にでもなる……か?」


 仰け反るレムレスの牙をアンが掴む。上下の牙を同時に引っ張る。それでレムレスの口端が大きく裂けた。

 アンが喉奥に腕を突っ込む。


「アオオオオオオオオン!」


 レムレスが吠えた。喉と思われる部分が一瞬遅れて引き摺り出される。

 すると、周囲の気配が増す。幾つもの動物の足音が聞こえる。

 数体が付近の霧の中から現れる。それらは一斉にアンに襲いかかる。

 だが、アンはニヤリと笑う。数秒の距離が、彼女に余裕を与えていた。


「オラァ!」


 拘束しているレムレスの頭を思い切り振る。近付いた数体がそれで吹き飛ばされる。何体かが胴体をバラバラにされた。

 そうしながら腕を奥へ奥へと突っ込んで行く。

 心石を砕くつもりだ。


 だが、レムレスたちも最後の抵抗を見せる。

 何体かが吹き飛ばされず、牙を青毛のレムレス突き立てた。自身も衝撃を受けて血を撒き散らしながらも顎の周りの筋肉を隆起させる。


「ちっ」


 アンの手にレムレスの頭だけが残る。胴体は仲間のレムレスによって切り離された。

 首なしの状態でも、レムレスの半身は動いた。仲間に先導される形で、霧の中に逃げ込もうとする。

 まだ生きている。心石が残っていれば、肉体は再生する。

 アンがレムレスの頭を放り捨てる。追撃に移るか。

 その時、アンが立ち止まった。


「ティア!」


 アンが身を翻し、こちらに跳躍する。


「自分に落とせ!」

「自分。うん!」


 その意図はすぐに分かった。

 砦がある方角から鳥の鳴き声のような高い音が迫っている。

 鋭いものが風を切る音だ。

 砦からとなると、一つの存在が思い当たる。


 膨張しきった水球を自分に落とす。

 水が割れる直前に、アンが抱きついてきた。ティアも、気絶しているシアンの腕を掴む。

 体が水に沈む。

 その瞬間、前方が光った。

 そして、赤く広がり、轟音が水の中にも響いた。


 嵐はひとしきり続いた。


 気づけば、息ができるようになっていた。


「アン……シアンさん……」


 アンとシアンの安否を確かめる。


「こいつは寝てる。呑気なもんだ……な」


 アンが耳元で囁く。彼女の体はティアに覆い被さっている。

 その背中は顕になっていて、赤い痕がある。焼かれせいか、残った制服には焦げ目がついていた。

 シアンは無事だった。見るからに綺麗な肌をしている。


「ありゃあ、全滅だ……な。見ろよ、ティア」


 アンは立ち上がると、前方を指差した。


 一帯には大きな穴ができていた。小さく炎が上がっており、わずかに残っていた緑を焼き尽くしている。熱が空気に漂っているせいか、妙に温度が高く、鼻を狂わせるような焦げた臭いがした。


 レムレスの残骸が辺りに転がっている。

 全て焼かれている。

 ダルタロス地方に入って最初に遭遇した月狼族のレムレスの姿と重なる。


 その中にも、まだ動ける者はいた。

 懸命に命を繋げようと身動いでいた。

 だが、いずれも全身から火が起こり、やがて塵と化していった。


 残ったのは、一つの影だ。

 灼熱を思い起こす紅蓮の髪。

 フェイズ・ダルタロス。彼は弓を片手に、一人立っていた。

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