【ダルタロス地方編】聖都の大いなる門 ④
傷みを与えられることには慣れていた。
フェイズの拳がティアの体に何度も打ち込まれた。
流動を使用しているが、全く防御はできなかった。一撃の度に、肉体が動けなくなっていく。
襟首を掴まれて、フェイズの眼前にまで引き寄せられる。
息ができない苦しさはあったが、耐えられないものではなかった。
「貴さまは、人間か。それともレムレスか」
「…………人……です」
なんとか発声をする。その瞬間、フェイズの頭が鼻先に突き刺さる。
折れた鼻先にも拳をねじ込まれる。垂れ流される鼻血もあって、すっかり鼻呼吸ができなくなってしまった。
数十分前、フェイズが待機している部屋にやって来た。
動くなという命令があり、それから一人一人に対する尋問が始められていった。
苛烈な尋問だった。シーザーが暴力を振るわれたことで、ティアは止めに入ったが、その分の痛みを代わりに受けることになった。
壁に投げ捨てられ、その衝撃を背中で受ける。
上半身で折れていない箇所はもうないと思えるくらい全身が悲鳴を上げている。
しかし、それでも彼女は何度も立ち上がる。本来なら動けないような痛みの中でも、流動を絶やさなければ無理やりにでも体に活力を与えられる。
自分が耐え続けていれば、シーザーやリリンにこれが向かうことはない。
腹を蹴られる。
小突くような力で、何度も何度も。
口から血を吐く。骨が臓腑に突き刺さったか。身をよじるだけで熱された鉄を腹部に押し付けられたようになる。
しかし、床を血で汚しながらも身を起こすことは可能だった。
「死にたいみたいだな! なら、さっさと死にやがれ!」
前蹴りを打たれる。嘔吐しながら再び壁に突き刺さった。
吐かれたものはやはり全て赤色だった。
その時、コンコンと部屋の扉を叩く音がした。
「誰だ?」
フェイズの褐色の眼はこちらを捉え続けている。ティアは背中を壁に着けたまま這うように上体を起こしていく。
「クルースです~、少しよろしいですかな~?」
「シアンを連れて来たか? 貴さまらそこを動くんじゃねえよ!」
部屋にいる三人それぞれに指を差す。
ズカズカと足音を立てながら彼は部屋の外に出ていった。
ティアは立ち上がる。
こみ上げてくる異物を喉から排出すると、浅く呼吸を始めた。
少しだけ体が楽になる。失われた魔力がわずかでも口を通して、体に流れ込む。流動によって全身に行き渡ると、ほんの少しだけ身体の回復能力が活性化する。
目を閉じると、それがはっきりと知覚できた。
「共有魔法」
不意の声に、ティアは相手を見遣った。
リリンが胸に手を当ててくれていた。
「リリン……さん」
「動くな、と言われているのに聞きやしないんだ」
シーザーが呆れたように手振りをする。彼は立ち位置から動いていない。
だが、彼の顔についた拳の痕は目立つ。
リリンも数度殴られている。
だが、彼女の怪我の様子は分からない。彼女はいつも包帯をしている。その下がどうなっているか、ティアは一度も確かめたことがなかった。
共有魔法によって体に魔力が集まる。
呼吸も楽になり始める。
すると、リリンが鼻を摘んできた。
「動くにゃ」
「にゃ? わわわわっ!」
ゴキッという音と共に折れた鼻を曲げられる。
無意識的に、鼻に触れる。元通りに近い形にはなっているような気がする。だが、また鼻血が溢れて止まらない。
「他も見る」
そうして、他の折れた箇所に触られた。
触診というもので、昔はアンもよくやってくれた。今は流動のお陰で怪我を抑えられるようになったが、二年前はことあるごとに折れていた。
手探りで負傷した箇所を探して、場合によっては力技も用いる。
リリンも、痛みの訴えや制止の声には一切耳を貸さず、淡々と応急処置をしていった。
「あ、ありがとうございます……」
「礼はいらにゃい。一つ借りを返しただけ」
「にゃい……? り、リリンさん、借りだなんて」
「これは今庇ってくれた分。まだ、助けてもらった分もある」
「助けた……?」
「あいつに矢を射られた時だ。まさか、覚えていにゃいのか?」
矢と聞いて、ティアは一つ思い至る。
数時間前のことだ。グレゴリーとフェイズが交戦している最中に、リリンがフェイズに奇襲を仕掛けた。
しかし、それは外れて、逆に反撃をされることになった。
その時、ティアはリリンを助けようと勢いだ飛び出てしまった。なんとなく記憶が薄いのは、がむしゃらだったためか。
「そ、それよりリリンさん。初めてですよね、喋っていただいたこと」
「……聞かにゃかったことにしてくれ」
「もっとお話しがしたいです。ここを脱しましたら、是非リリンさんのお話を聞かせて下さい。私もいっぱい頑張って話します」
「どういうことにゃんだ……」
リリンが目線を逸らす。
いつも避けられてばかりだった。それどころか誰とも交流しようとしていなかった。人が嫌いなのかと思ったが、人を気遣うことができる。
「リリン、随分と仲が良さそうじゃないか?」
シーザーが壁に寄りかかって腕を組んでいる。
リリンは彼のことをちらと見ただけで、またティアに向き直った。
仲がいいという訳ではないのか。以前、二人は常に一緒に行動していた。だが、シーザーとシャールの決闘以後、別れて行動することが増えていた。
治療は進んでいた。だが、完治には至らない。血を流し過ぎてしまっている。
こういう場合、いつもアンから血をもらっていた。
今、アンたちはどうしているのだろう。フェイズは、候補者たちの中にレムレスが紛れ込んでいることと疑っていた。最初はシアンの行き先を知りたがっていたが、後半からはこちらの素性に焦点を当て始めた。
苛烈な人物だ。暴行にも一切の加減がない。いや、理性の加減がないというだけで力は調整していたか。もし、グレゴリーと同等の力があるならば、本気を出した拳を自分は受けられないだろう。
追手があるのならば、アンたちと本気で戦うことにはならないか。アンやニルは理由の有無関係なく拘束を嫌う。彼女の性格的にも、一度は衝突するはずだ。
クルースと呼ばれた人物は、シアンのことを尋ねられていた。クルースが追手の可能性は高い。
とすると、その報告次第で、状況は悪くなる。
「リリンさん、もう大丈夫です。元の場所に戻って下さい」
「いや、血が不足している。もう少し、回復を高める」
「……流動で補います。ですので――」
その時、ドンという大きな音と共に、部屋に何かが入ってきた。
中央に穴の開いた部屋の扉だ。
「リリンさ――」
「ぐっ……!」
確認のため、反応が遅れた。リリンは襟首をフェイズに掴まれ、持ち上げられている。
助けようと足に力を入れる。すると、首元に冷たいものをあてがわれた。視界の端に、もう一人いる。細目の人物がナイフを突きつけてきている。
シーザーの方にも誰かがいる。暴行は加えられていないが、見張られていた。
「貴さま、動くなをお願いだとでも思ったのか?」
「フェイズさん、私のせいです。私を助ようと」
首筋の刃が食い込む。流れ出ようとしている感覚を得る。余計な行動をするな、そう言いたいのだろう。
「外出した連中、ダルタロスの使徒であるクルースたちに襲い掛かった。この地方で俺たちに歯向かう連中なんて、奴らしかいない。……なあ、レムレス」
「やめろ……あああああ」
フェイズがリリンの顔の包帯を剥ぐ。彼女は腕を引き剝がそうとするも、びくともしなかった。
包帯の下の顔が露わになる。
「えっ……?」
リリンの顔が急に大きくなった。あれは、体毛か。猫のような耳も生えている。
リリンが指先から爪が伸びる。それがフェイズの腕に食い込む。
「殺気すら獣臭えんだよ、レムレス!」
「うぐっ!!」
包帯の巻かれた首がフェイズの手に握られる。
漏れ出る声は音にしかなっていない。呼吸も潰されている。リリンは脚をバタバタと動かすも、フェイズの体はまるで意に介していない。
徐々に、リリンの抵抗が弱まる。
魔力欠乏、その先の死。体内機関が止められれば死ぬということだ。
自分はまた何もできないのか。
そう思った時、ティアは口を動かしていた。
「……負荷魔法」
ナイフが首を深く切る。
だが、跳躍の邪魔にはならない。
真っ直ぐ跳ぶと、ティアの体はフェイズを横から突き飛ばした。
その結果、リリンの拘束が解かれる。
彼女は一拍も置かず、脚に力を入れようとした。
「待って下さい!!」
リリンの動きを手で制する。
もう片方の手をフェイズたちのために残しておく。首からの流血は、流動で少しでも抑える。
フェイズの部下たちはただ構えていた。全員の視線がティアに向けられる。
「私たちは敵ではありません、信じて下さい!」
「ああ?」
フェイズは眉根を寄せる。極めて密度の高い皺が作られる。
「皆さんに襲い掛かったのも何かの間違いです。そうする理由が私たち候補者にはありません!」
「レムレスだから俺たちを狙った。至極簡単なことだろうが!」
部屋中に稲妻が落ちたような音が響く。
だが、主張は単純だ。
「もしそうであるなら皆さんの前に姿を現しません。五感の有利を生かし、霧に乗じる。それが定石であるはずです」
「バカ正直な奴だ。それを実行したって訳だな!」
「実行……つまり、外に出たアンたちが奇襲を仕掛けた……いえ、そうであるならおかしいです!」
下半身から血が垂れる。とにかく言葉を続ける。
「そもそも、シアンという方に許しをいただいてアン、ニルさん、シャールさん、マグナスさんは外出しました。そうでなければ、四人とも無理に外に出ようとはしなかったはずです」
「貴さまらがシアンの善意を利用した。それだけで片付く話だな。お陰で連中は、まだ町を彷徨いているようだ」
四人は無事ということか。ティアは息を吐いた。
「……果たしてそうでしょうか。シアンさんが善意をもった応対をする。尚かつ、ある程度どのように行動するか読めていなければならない」
「それを知っていたんだろう?」
「だとしても、一つでも読み違える。あるいは、シアンさんがどの例にも当てはまらない行動を取ったのならば、計画、という前提は崩れます」
「そんな話はしてねぇ!」
「計画でないとするなら突発的に起こした。あるいは、起きてしまった。と言えるのではないでしょうか」
フェイズの眉間がわずかに緩む。
フェイズの言い分も正しい。証拠がない以上、自分の発言も推測でしかない。
だが、アンが無意味な襲撃をするはずがない。
「時間もねえ、最後に答えろ。そしたら、その首を吹き飛ばしてやるよ!」
フェイズが弓を構える。全てを吹き飛ばす炎の矢。この狭い部屋で使われれば、全員が無事ではいられない。
ティアは、ゆっくりと息を吐き、小さく吸った。
「貴さまらは味方か、それとも俺たちの敵か?」
フェイズが矢を番える。
「味方です! その証明のために、私を行かせて下さい!」
「何?」
その時、彼の指先から緊張が消えた。
「誤解が生じているならば、私がアンたちと話します。その間、皆さんの安全をお願いできますか?」
「お願いだ? こっちには待つ利点がねえ」
「互いに敵ではない。そう分かれば、皆さんの負担も減るはずです。現状、私たちのために使徒の皆さんは労力も時間も割いています」
「だから、早々に片付ければいい」
「この後、アンたちとも対峙することになるはずです。アンは強いです。きっと、倒すことはできないと思います」
「ああ!?」
もう一度フェイズが矢を引き絞る。
ティアの表情には一切の揺らぎがなかった。
「もし、容易であったなら、そちらにいらっしゃるクルースさんが四人を倒した、そう報告したのではないでしょうか?」
「うわぁ〜」
唐突にクルースが間延びした音を出す。その時、その背後の壁が小さく火を吹いた。
フェイズが矢を投げつけていた。
「危な〜い」
「間抜けが。しくじりやがって。ああ、そうだ。相当に強いみたいだな、そのアンってガキは」
「はい! アンは強いです。ニルさんも、シャールさんも、マグナスさんも!」
「俺たちも暇じゃねえ。貴さま一人に時間をやる。失敗すれば、こいつらを消す」
「……い、いいでしょうか? リリンさん、シーザーさん」
ティアが二人を交互に見る。
リリンはすぐに頷いた。シーザーは、額に手を添えて唸っていた。だが、周囲が彼を睨みつけたことで、小さく了承を示した。
「ありがとうございます! フェイズさん、やります! アンたちを必ず連れ戻します!」
「……どうやら、こいつはバカ正直ではなく、本当にバカのようだな。クルース、こいつらを見張れ。掃除もしておけ!」
そう言われて、足元を見る。
床が真っ赤に染まっている。よくよく見渡してみると自分の血液ばかりだ。
だが、不思議と立っていられた。




