【ダルタロス地方編】聖都の大いなる門 ③
寂れた町だった。
バウラルイと紹介されていた町は、ダルタロス平原最南部の町である。南部に向かえば、山地がありやがて聖都が見えてくる。
しかし、そのような立地にありながら町は荒廃しており、道行く人々の姿も浮浪者のようであり身なりの綺麗な者は一人もいない。
それと比べると、アンを含めた候補者たちと、彼女たちに付いてきているシアンという女性の使徒はひどく目立った。
「えらく、つまらねえところだよな」
「ニル、声が大きい。口も悪いぞ。ご厚意で外出させてもらっていることをもう忘れたのか?」
「んなこたぁ、分かってんだよマグナス。ったく、体を伸ばせると思ったのに、今度は言葉狩りかよ」
ニルが思い切り肩を落として見せた。
十数分前、シアンから提案された。
グレゴリーとフェイズの話し合いは、かなり時間がかかる。そこで、自分が監視という役目を担っている内は町を見物してもいいと。何かあれば責任も全て自分が取ると言っていた。
アン、ニル、シャールの三人が彼女の言葉に乗っかり、そして心配を口にしていたマグナスも加えて四人が出歩いている。
一方で、ティア、シーザー、リリンは砦の中にいる。
怪我をしたティアに対し、アンと敵対している二人は十分な危険性を孕んでいると言えるが、いずれも使徒の監視がある中では動けないだろう。
その上、リリンはティアに助けられている。グレゴリーとフェイズの一騎打ちの最中、横やりを入れたリリンに対して反撃が加えられたが、それを庇ったのがティアだった。
自分の分と合わせて、これで二度も命を救われている。動くことを多少は躊躇うだろう。
それを踏まえたとしても、アンは外界の情報を少しでも得ておきたかった。
しかし、ここまでは人々が生きることに苦しんでいる姿しか見えていない。
「どうかなーどうかなー? 楽しめてるかなー?」
後方にいるシアンがニコニコとしている。
候補者たちは口をすぐには開かなかった。アンにとっても多少の解放感がある程度だった。
「……勉強になります。霧の中で暮らしている人々は大変な思いをしているのだと」
「大変? ああ、大変だね大変。すごい大変なんだよ、霧の中で暮らすことって」
優等生のマグナスが真面目な質問に対し、シアンは一切表情を崩さない。
口調はさほど変わりはない。だが、最初の頃の快活さがあまりない。
先ほど、外出してすぐに使徒らしき細目の人物と遭遇した。その者は、シアンに外出の是非を質問すると、彼女はフェイズさんの指示だ、と答えていた。
その点では、自分が責任を持つと言った建前、歓待を優先した嘘と言えなくはない。
だが、アンはその言動に目を細めていた。
「それより、キミたちー! 次はあっちに行ってみようよー!」
飛び跳ねながら遠方を指差す。そうは言うが、霧によって先の様子は全く目視できない。
「また移動なの? 何もないんじゃありません?」
「今度こそ、今度こそだよー。期待しててー」
「……はぁ。分かったわ」
シャールがため息を吐く。彼女の言葉遣い、声色共に荒い。
先ほど、フェイズの熱波を浴びせられたことが応えているか。援護を受けていなければ、死んでいてもおかしくない動揺振りだった。
そして、また移動が行われる。
先頭をニルが進んでいるが、行先は常にシアンに決められていた。
しかし、砦からは段々と離れて行っている。
「こんなに離れていいの……か?」
「大丈夫大丈夫ー。もし怒られたら僕が責任を取るよー」
「…………」
シアンはまだニコニコとしている。
すでに霧によって感覚では距離を失いつつあった。更に通りではなく、路地を進んでいる。
石造りの家が左右にある。それがずっと続いている。
人の気配はしばしばある。だが、比較的少ない方だ。実際に、死体のように横たわっている人間を少し見る程度だった。
わざわざこんな場所を通る意味はない。
やはり、襲撃を仕掛けるつもりなのか。
「全然抜けえねえなあ、黒いの。聖都はもっとでかかったが、こんな感じだったよなあ?」
「……そうだ……な」
ニルの言葉は確信を突いていた。
そうここは寂れた町のはずだ。こんな建造物が延々と続くような大都市であるはずがない。
アンは拳を握って振り返った。
その時、赤黒いものが見えた。その周りにはびっしりと白いものが生えている。
口だ。そう気づいた時、列の最後方にいたシャールの頭にそれは触れようとしていた。
「シャール!」
マグナスも異変に気付いた。腕をシャールに向けて突き出した。
シャールの肉体が斜めに押し出される。それと同時、赤黒い口は鈍い音を立てて完全に閉じられた。
だが、アンも跳び出している。右腕を振りかぶり、思い切り顔面に向けて振り抜いた。
アンの拳は、外面を突き破り、歯を砕き、肉を弾き飛ばした。
衝撃はそのままその持ち主へ伝わる。体勢を維持できず、建物の石壁に向けて体が飛ばされる。
だが、衝突はしなかった。すっ、とすり抜けると地面を転がり始め、霧の中へと消えていく。そして、建物自体も次第に色を失っていき、霧に変化していった。
荒野の真ん中に、マグナスの腕が落ちている。
アンはそれを拾い上げると、尻もちをついているシャールに投げ渡した。
「ひっ……!」
「つけてやれ、まだ治る」
シャールは動揺しているようでしばらくは立ち上がれなかった。
だが、そちらに構うほど暇ではなかった。
霧の中から、シアンが姿を現す。上体を激しく揺さぶりながらの登場だ。
「あれあれれーすごいはやいなー」
シアンが声に近い音を発している。
その口は異常なほど左右に裂けている。その下からは剥き出しになった鋭い歯をちらつかせており、その長さ大きさ共に人間のものでない。
徐々にその骨格自体も歪み始める。だが、肉体自体の変化ではない。シアンの周りの空気が別のものに置き換わっているようだった。
人の姿ではなくなった。代わりに現れた者は、巨大な口を持つ青い毛並みをした狼だった。
「月狼……族……」
「マグナス、血を止めてやがれ。おい、どういうこったこれは?」
ニルが二振りの剣を抜いて前に出る。
月狼族は唸り声を上げている。威嚇ではない。おそらく自分を捕食者だと思っている。先ほどまでの言動を信じるのならば、今それをする必要はない。
今の一撃を食らった上で、こちらを格下だと決めつけている。
月狼族が前に駆け出す。
前方に小さく跳躍しながらニルに迫る。左右に揺れながらの前進、おそらく飛び道具に対する備えと防御に隙を生じさせるための動きだ。だが、根本的な速さが足りない。見切れない動きではなかった。
すでに、ニルも両手の剣を高みから振り下ろしていた。
「うおらああああああ!!」
ニルの凶刃が相手を確かに捉えた。そう見えた。
だが、その肉体は霧散していた。残ったのは、空を切った虚しい斬撃音だけだった。
アンは構える。目の前の視界がわずかに揺らいでいる。
すると、月狼族は再び現れ、噛みつきを行おうとしていた。
「試してみる……か」
アンが体勢をわずかに変える。右腕を左腕よりも前に構え、拳を上に向けた。
当然、差し出されたものに対して捕食者は食らいにかかる。
大口が閉じられる。凄まじい勢いで歯が腕に突き刺さる。重い。だが、実体は確かにある。
この瞬間だった。
アンは丹田を軸として、腕を小さく下から突き上げた。そうして、狼の口の中に拳をめり込ませた。
貫通はしなかった。力が小さ過ぎた。だが、縦の動きによって腕が噛み切られることを防いでいた。
そして、すでに左半身に回転を加えている。返しの一撃だ。
だが、右腕の重みが突然なくなった。それに合わせて、目の前から敵の姿が消えていく。
「やるじゃねえか、黒いの!」
ニルが斬りかかってくる。
彼の目線が微妙に高い。
アンは両脚を開き、上体を地面に伏せる。
ニルはそのまま剣を振り抜いた。
ビシャリと辺りに赤い体液が飛び散る。彼の刃先にも同様のものが付着していた。
「消えやがるぜ!」
ニルと背中合わせになる。
アンは立ち上がると、周囲を一度見渡した。
「血は?」
「消えやがった。だが、手応えはあったぜ」
「色を変える訳ではない……な」
「ああ。だったら、今ので終わりなんだがよぉ!」
ニルの声の調子が高い。
再現の部屋にはなかった本物の戦いだ。あれは実戦を想定した程度であり、命のやり取りではない。様々な条件を組み合わせて状況を作り上げる。修練としては丁度いいものだ。
殺し合いでは、いかに相手の長所を潰し、こちらの長所を生かすことが肝心となる。それは、やはり実戦でなければ身につけられないものだ。
そして、このレムレスの長所は、情報という点で自分たちより有利に立っているということ。
こちらはまだレムレスの性質すら朧げにしか見えていない。
性質。
使徒や人間と異なり、レムレスだけが持っている特徴だ。おおよそが種族ごとに決まっている。例えば、月狼族は、環境への適応能力が極めて高いとされている。
しかし、目の前のレムレスは、それがが強過ぎると言わざるを得ない。
しばらく二人は相手の出方を待っていた。
しかし、一向に現れない。動く音が周りで発生し続けているため警戒を解くこともできない。
待つしかなかった。
強かな相手だ。手の内を幾らか見せておいてから場を支配する。こちらには負傷したマグナスを抱えてもいる。ようやくシャールがマグナスの腕の治療を始めた頃だ。
「やっぱ斬れちまったんじゃねえか?」
そうは言うが、相手はレムレスだ。心石を砕かない限り、再生を続けるだろう。
その時、気配がこちらに近づいて来ていた。
一つではない。複数の足音に息遣いだ。増援を待っていたのか。
「来やがったな!」
ニルがそちらに向き直す。
霧が少し揺らめく。奇襲を仕掛けてくるか。
一つの影が飛び出してくる。
先ほどよりもかなり小柄な月狼族だ。
ニルは、その姿が見えた瞬間に突進していた。
「ガウガウガウ!!」
「うるせえなぁ!」
ニルも反応している。
アンの耳にも突如として獣の声が鳴り響き始めている。耳を破りかねないほどの大きさで、常人ならばまともに立つことすらできないだろう。
音による撹乱だ。本命はどこか別にある。
アンは、視界の端から端までを何度も目を通す。
すると、前方から迫るレムレスの両脇に何か動くものがあった。
「ちっ! 何体いやがんだ!!」
辛うじてニルの悲鳴が聞こえる。
彼はそのまま腕を振りかぶった。先頭の月狼族を両断するつもりだ。
双剣を振り落とす。
その瞬間、対峙するレムレスの前脚が鞭のように躍動し、攻撃がぶつかり合う。
そして、両者の脚は止まった。
ニルの方が体は大きい。しかし、力が拮抗しているのかどちらも一歩も動かなくなった。
この形は悪い。すでにニルは両腕を使っている。他への対応が困難な状況だ。
当然の如く、新手の二体が霧の中から現れる。群れを用いての追撃を行うつもりだ。
この二体も体は小さい。ニルと迫り合う一体に関しても、最初の一体とまるで戦い方が違う。だが、戦術は理に適ったものだ。
アンが跳ぶ。
斜めの跳躍によって、ニルの頭をわずかに越す。
眼下には、ニルを拘束する一頭がいる。その者に対して、飛び蹴りを放つ。
「ガウガウガウ!!」
レムレスが口を動かす。
そうして、槍のような鋭利な一撃が叩き込まれ、それは後方に吹き飛んだ。
だが、今の感触、肉や骨を砕いて得たものではなかった。
透明な壁。目には見えないが、まるで障壁魔法を間に挟み込まれたような感覚だ。
一方で、両腕が自由になったことでニルに余裕が生まれる。
「助かったぜ!! ドラドラァ!!」
ニルが両側からの噛みつきに対して、剣を挟み込む。二方向からの攻めによって肉体の軸をわずかに動かされるも、なんとかその場で踏み止まった。
その間に、アンは空中で体勢を整える。飛び蹴りを放つと同時にその場で更に跳躍していた。
体が落下を始める。肘を下に突き出し、ニルの左手側のレムレスを狙う。
奇襲に近い形だった。
だが、そのレムレスはこちらに対して、目線を向けていた。
一歩身を引く姿が見えた。
肘鉄が外される。結果として、柔らかな土にわずかな大きさの穴を空けるだけだった。
ニルの右腕側のレムレスも一度距離を取った。
仕切り直しということか。
一定の距離を取り、こちらの様子を細かな目の動きで捉えていた。
アンたちも不意の一撃に備えていた。
そこに、奥から吹き飛ばした一体が再び現れる。見たところ、大きな傷はないように見える。
ニルが、足を前に前にと出していた。
「止せ」
手を使ってその動きを制する。
なぜ、とニルが叫んでいる。
それより、正面のレムレスの口が重要だった。
簡単な言葉、それを伝えようとしている。
三度それを繰り返すと、レムレスたちは再び霧の中に消えていった。
彼らが去っても、耳は変わらず使えない。
アンは、ニルに指を見せる。それでマグナスたちの方を指差した。
「なんなんだよ……おいっ!」
ニルが首を横にしたと同時にアンは走り出した。
あっという間に、彼女は霧の中で一人になった。
レムレスの言葉、読み取れはしなかった。
だが、捕食者には見えなかった。最初の月狼族はこちらを手玉に取るように動いていた。だが、相手が変わった後、明らかに戦い方が変わった。
何かが食い違っている。
シアンの言動から始まっていた。おそらくそれらは結びついているはずだ。
まだ、ガンガンと頭の中に音が響いている。
砦に向かう。しかし、ここがどこなのすら分からなかった。
目にしか頼れなかった。




