【ダルタロス地方編】聖都の大いなる門 ②
距離を詰め続けるしかなかった。
周囲には大量の砕壁がある。
レムレスの攻撃も魔法も、その硬さで凌げる。半壊しているものが大半だが、一片でも鉄以上に強度を持つ。
砦のような全体図になっている。
グレゴリーは、本来ならその中から指揮を取らなければならなかった。
しかし、フェイズの魔術は、危険極まりない。性格も合わせて最悪と言っていい。
離してしまえば、犠牲者が出かねない。
とにかく時間を稼ぐことだった。
「フェイズ! 話を聞け!」
砕壁を足場に、グレゴリーはひたすら突進する。
「喋るな。塵に還れ」
フェイズはすでに矢を撃ち放っている。
同時に三矢。だが、その分速度が低い。
「罠だろ? 障壁魔法」
片手を出して透明な壁を展開する。
その壁が矢の着弾に合わせて、火を吹く。
だが、爆発ではない。威力も低くなっているのは分かっていた。
両者が銀閃を交わす。火花が散る。
ぶつかったものは鉄製の鏃だ。それを槍のように突き出していた。
小さな接触部だが、並の衝撃ではない。互いに魔力を纏っている。自らの力と合わせて相当な力がかかっている。
だが、それでも腕を伝う力が予想よりも低い。
加減をしている。しかし、ダルダロスの使徒がそうするだろうか。
その時、背後から殺気がした。
「チッ」
眼前のフェイズの顔が歪む。
前蹴りが放たれる。それは、グレゴリーの剣を捉えると、そのまま体重をかけて跳び上がった。
短剣。グレゴリーの背後から飛ばされていた。彼の頭の横を通過すると、正面の虚空へ消えていった。
フェイズを狙ったものだ。おそらく、候補者の誰かが無茶をしたのだろう。
すでにフェイズは反撃の一矢を引き絞っている。
「伏せろ!」
砕壁に持ち替える。グレゴリーも地を蹴る。
間に合わない。フェイズはわずかに上にいる。射線を抑えるよりも早くに矢が通される。
「火炎魔法!」
グレイスの声。それと同時、高速の矢が砕壁のわずか上にあった。
グレゴリーが砕壁を上に向ける。
直後、熱波が起こる。グレゴリーの体は勢いよく地面に吹き飛ばされるも、両脚で踏み止まった。
部屋一つ分はあるだろう爆発だ。
比較的小規模ながらまともに命中すれば、人間では命がない。障壁魔法でも、性能を上げなければ防ぎ切ることはできない。
「ううっ……」
呻き声を聞いて、一瞬だけその様子を確かめた。
グレイスが前で直立している。その後ろには、リリンが身を屈めていた。
火傷があるのはグレイスだけだ。しかも、軽傷で抑えられている。その体は、水で濡れていた。
その理由を考えるよりも先に事態は動いていた。
先に展開した砕壁の上に、フェイズがいる。
彼は、ゆっくりと弓矢を引いていた。
明らかに雰囲気が違う。ただこちらを冷たく見下ろしている。
本気の一射か。
グレゴリーは一息吸い、砕壁を新たに前に持つ。
「止せ! 子どもらに悪意はない!」
じりじりと近付く。フェイズの反応はなかった。
鏃がこちらを向いた。
最大の一撃が来る。そう思った時、不意にフェイズの構えが緩んだ。
「まったまった〜!」
遠方から高い声がした。それが段々と大きくなる。
フェイズの横に何者かが立つ。彼と同じくらいの体格と装備をしている。
手で焦点を合わせるような動作の後、こちらを指差した。
「やっぱりやっぱり! 兄さん、あの人絶対にグレゴリーさんだよ! おーい、グレゴリーさーん!」
その人物は一跳びで、盾を構えるグレゴリーの前まで来る。
グレゴリーは、砕壁を撫で始める人懐っこそうな様子から一つの記憶を呼び起こす。
「シアンか? シアン・ダルタロス」
「うん。俺だよ俺、シアン・ダルタロス。砕壁は初めまして、だね。こんにちは!」
シアンの恰好は、ダルタロス地方の使徒が好む衣装だ。使い古された厚めのコートの下に、鎖帷子の鎧を着用している。部位によって鋼鉄の装甲を取り付けており、それは着用者によって異なる。
シアンとは、聖都で面識があった。その時は、新品のような法衣を着ていた。
「お前、こっちではそんな感じなんだな。ダルタロスの使徒、って感じの立派な出立ちだ」
「へへへ〜。あ、それよりそれより、そっちの子、大丈夫かな? おーい、大丈夫〜?」
「は、はい! 大丈夫です!」
「お! 元気いっぱいだね! でも、ちゃんと魔力を通しておいてね〜!」
シアンが、ぶんぶんと体ごと手を振ると、それに合わせて凄まじい毛量の髪も揺れた。
ボサボサとした青髪は、聖都にやって来た時も後ろ髪を結ぶ程度の身だしなみしかしていなかった。
彼の登場により、熱された空気が少しずつ引いていった。霧も元の形に戻り始める。
それに合わせて、フェイズも姿を消していた。
興味を失った、というよりはシアンに任せているのだろう。フェイズは、自らの直属の部下に対して絶大な信頼を寄せている。
一方で、熱烈な歓迎の意図が読めなかった。
熱は冷めやすい、ということなのだろうか。
シアンに連れられて、一行は建物の敷地に入っていく。
その際、建物を守るように広がっていた長大な壁を目にした。全て木で出来ており、それが隙間なく立てられていた。それによって、壁のように見えていた。
しかし、把握している情報と異なっている。つい一月前までは、この場にこんな壁はなかった。
何か起きているに違いない。
レンガ造りの建物に入ると、その念は確信に変わった。
ピリついた空気と、手で押さえつけられたような圧力が四方から放たれていた。
それは、数人の使徒のものだ。
彼らの目は、味方に向けるものではなかった。
「グレゴリーさん、ささっこちらにこちらに」
シアンが奥の部屋へと案内をする。
だが、候補者たちはその他の使徒によって止められる。
「あ、ごめんごめん。俺が皆んなを案内するよ」
「シアン、彼らは使徒候補者だ。何卒、お手柔らかに頼む」
「分かった分かった。グレゴリーさんも、うちの兄さんをよろしくね〜」
「はは……フェイズか。いつも通り、お前と話すのじゃ駄目なのか?」
「兄さんが今回は特別だって。こういう時、弟って逆らえないのが辛いよね」
フェイズはかなり外面が悪い。そのため、聖都の折衝も実弟のシアンに投げていた。
そんな相手と今から話し合おうとしている。
「お前たち、あまり動き回るなよ。特に、アンリ、ニル、シャール」
候補者たちにそう釘を刺すと、一旦そこで彼らとは別れた。
そして、対面するのは、フェイズ・ダルタロスだ。
天井から吊るされた灯りが、仄かに部屋を照らす。
彼は、薄暗い部屋の中央にいる。机と椅子しかない中で、椅子に深く腰掛け、机に両脚を放り投げている。
明らかに、話し合いに臨む者の態度ではない。
「刃極、座れ」
低い声で命令してくる。
紅蓮のような紅い長髪を解いているせいで、その顔には前髪がかかっている。
グレゴリーが木の椅子に座る。軋みだす音が、緊張を高めることに一役買う。
グレゴリーは、懐から紙を取り出して、フェイズに手渡そうとする。
「改めて、グレゴリウス・テラウス。アルタデロス地方所属の使徒だ。で、今は出向していて聖都の所属となっている。先導者さまの使徒であるハンムック殿が主導している使徒育成計画の監督者をしてもいる」
「ハンムック? あの聖皇の犬か」
フェイズは紙を受け取ると、そのまま火を点けた。
紙が黒くなっていく間、グレゴリーはフェイズの眼をじっと見つめていた。
やがて全て灰になると、フェイズは部屋の隅に燃えカスを捨てた。
「あのガキどもは、今の話を知っているのか?」
「いや、今は聖都の使徒で一応は通している。俺の個人的な情報をそこまで知ってはいないだろう」
「まるで駒だな。哀れな連中だ」
喉奥に引っかかるものがあった。
だが、グレゴリーは相手の出方を待った。急いて戦える人物ではない。
フェイズも同様の態度を見せていた。
しばらくの膠着の後、フェイズは舌打ちを挟みつつ手のひらをグレゴリーに見せる。
「もう一つ。貴さまが把握している情報を、偽りなく渡せ」
「分かった。開示魔法」
グレゴリーが机に触れる。
机の上に浮かび上がってくる。それは彼が知り得ている使徒育成計画の情報だ。
事前にハンムックから情報開示の許可を得ている。
しかし、それは逆に言えば、公にできないようなものもあるということではないか。
フェイズは褐色の眼を光らせて、上方に眼を通す。その時だけ、彼は机から脚を降ろした。
「少ないな」
「聖都も分断の影響を多大に受けているということだ。といっても、俺が知らないだけかも知れないが」
「クソが、それでよく監督者を名乗れるもんだな。外の壁のことも知らんだろ?」
「あれは何だ。聖都への道を塞ぐためか?」
「バカが」
フェイズが息を吐く。声音に力が込められている。
情報を目で追っているためというのもあるが、この態度でも相手に対して慎重になっていると言える。
不意に、フェイズが机を下から蹴り上げた。
机が灯りを破壊しながら天井に激突する。その瞬間、火を噴いてバラバラになった。
「フェイズ、別のものにしておけばよかったか?」
「ああ、そうだな。自分で紙くらい用意しておけや」
「悪い。だが、そこまで情報を残しておきたくない理由はあるのか?」
フェイズが椅子に座り直す。片脚をもう一方の膝の上に乗せて、そこに肘を立てた。
「開示魔法。どこで覚えた?」
「ハンムック殿からだ。特別に許可をもらっている」
「……だろうな。刃極、一つだけ教えてやろう。……今、この地方で起きていることをだ」
フェイズの声が小さくなり始める。灯りを失った部屋は暗い。だが、彼の色はそれでも赤く見える。
グレゴリーが聞き耳を立てる。
「……裏切り者がいる。……この執行部隊の中にな」
グレゴリーは答えない。代わりに自身の膝の上に両腕を置く。
「……何らかの工作をやっている。……二月前の出来事もそいつが関わっている」
二月前、十二氏族のカルド・ボアが聖都に来襲した。そのことを指しているのか。
ダルタロス地方の最大の使命。
それは、陸路から聖都に迫る全ての外敵を排除すること。
聖都への侵入が可能である三方ある内、もっとも容易とされる入り口が陸路だ。残りの海路と東方直結路は、聖都からの監視の外から通行することは困難となっている。
必然的に、ダルタロス地方を経由して聖都の入ろうとする者は多くいる。
だが、その防備は年々苛烈さを増していた。聖都からダルタロス地方南部までレムレスが確認できなくなるほどだ。
そんな地方をカルド・ボアが突破してきた。にわかには信じられなかった。
「……刃極、貴さまはカルド・ボアとやり合ったんだってな?」
「……ああ。だが、明らかに足止めだった。身内を逃すつもりだったようだ」
「……その身内は、俺が確かめた。だから、俺も警戒を強化したつもりだった」
ぽつりぽつりと情報を交換し合う。
ダルタロス地方内に裏切り者がいるなら、その日のことを繋ぎ合わせれば答えが見つかるかも知れない。
しばらく時が経つ。
ある程度聞いて言えることは、やはり使徒の中に手引きした者がいた可能性が高いということか。
だが、一点だけ気になることがあった。
「カルドの行きと帰りの様子を確かめられたか?」
「あのクソったれを見つけられたのは、一度だけだ。おそらく、帰途の最中だったんだろうよ」
「行きがないか……もしかしたら」
その時、コンコンと部屋の扉が叩かれた。
「フェイズさ〜ん、クルースです〜」
「クルース? 入れ」
入って来た人物は目の細い男性だ。風体はどことなく女性っぽさがあり、背丈も低い。
「何の用だ?」
「フェイズさん、シアンくんに巡回指示を出していましたか〜?」
「いや、どういうことだ?」
「町を巡回していたのですが、そうしたらシアンくんを見つけまして〜、何人か見知らぬ子どもたちを連れていたんですよ〜」
「何?」
フェイズの声がぐっと低くなる。
彼は立ち上がり、小柄なクルースの襟首を掴んで持ち上げる。
「あん? 止めなかったのか、貴さま」
「フェイズさんからの指示ですか〜って尋ねてみたんです。そうしたら、フェイズさんの指示だ〜って言ってましたので。だから、急いでこちらに来たんです〜」
首元を圧迫されながらも、クルースは澱みなく報告を続けた。
話を聞く限り、シアンの行動に不自然さがある。
フェイズがクルースを投げ捨てる。クルースは壁を使って受け身を取った。
「クルース、貴さまがシアンとガキどもを連れて来い! 今すぐにだ!」
部屋全体が揺れる。
目を見開き、額に青筋を立てるフェイズ。
とても、正気の人間のものとは思えなかった。
「俺も行く。候補者たちを――」
拳が飛んでくる。
強烈な打撃音。グレゴリーはまともに顔面で受けた。だが、踏み止まった。
「動くな、刃極!! クルース!! 抵抗すれば消せ!!」
「かしこまり〜!」
クルースが足早に部屋を去る。間延びした話し方と異なり、無駄のない動きだ。
フェイズも髪を結いながら後に続いた。
部屋を立ち去るまで、こちらを一瞥もしなかった。
消せ。フェイズは確かにそう言っていた。
しかし、単なる荒くれ者ではない。
やり取りした時間は長くはなかったが、嫌悪するような人物ではなかった。
グレゴリーは、椅子に腰掛け直す。
静かさが部屋を越えてあるようだった。




