魔力の適性
一歩で倒れ込んだ。胸の辺りから細枝を折ったような音が響く。
ハンムックの声。
ティアは返事が出来なかった。うつ伏せの状態で動けなくなっている。体に力を入れようとすると節々から痛みが生じた。
アンに持ち上げられて、ようやく咳き込んだ。倒れた場所がハンムックの家の庭であったため、ティアはハンムック以上に肌が黒くなっていた。
「こ、これが……全、力……です……」
「深刻じゃな」
ハンムックが低い調子で言う。どんな顔をしているか、泥化粧に目を覆われていたため分からなかった。
アンに叩かれる。パンパンと手のひらから調子のよい音を出す。
次第に目が開くようになった。
「これでしばらくは動けない……な」
アンが折れた部分を指でなぞる。
ハンムックがため息をついた。
「折れちょるのか」
「まだ軽傷ってところだな。で、お前はこいつを使徒、とやらにするんだって……な?」
ティアがゴホゴホと咳き込むと、土が少し吐き出される。中には赤い血がわずかに混じっていた。
「よう分からん体じゃのう。内も外もガラス細工のように繊細じゃ。言うなら、最弱症状かのう」
「すみません……」
「苦しそうじゃのう。これじゃあ体を鍛えるなんて無理じゃなかが、難しいのう。使徒になるためには、バッチリとした体が必要じゃけん。最低限でも身につけんとなあ」
ハンムックが顎に指をかける。
自分のために考えてくれるのだろうか、それとも使えない人間と断定しているのか。
表情の細かな動きを追う気にはならなかった。
「まあそこはよか。どれ、ちょいと待ってなあ」
ハンムックがティアの前でしゃがみ込む。それでもまだ彼の方が頭の位置が高い。
胸の辺りに大きな手がかざされる。傷の多い手だ。
「共有魔法」
彼の手が微かな光を帯びる。
すると、ティアの胸の痛みが引いていった。せき込む要因となっていた喉の違和もなくなる。
「こいつは、魔力を分ける魔法じゃあ」
「魔力……」
「誰しもが持っちょるもんよ。空気中にだってある不思議な力じゃ。こいつを使うと色んなことが出来るが、こうやって魔力を集中すりゃ肉体の自然治癒力を高められるんじゃ。本来は数か月かかるような怪我も、魔力があればこの通りって訳じゃあ」
促されて自分の胸に手を当てる。
痛みはすっかり消えていた。これが魔法、いや魔力なのか。ほんの少しだけ気分がいいのもそのためか。
「グレイスの体はある程度分かった。ひとまずこんなもんでよかよか」
ハンムックが何度か首を縦に動かす。
身体能力がどのくらいか把握する必要があって、ティアに運動の指示を出した。彼女だけ、力を明らかにしていなかったからだ。もし、アンと同等の能力があれば、それだけでも使徒としては十分過ぎるとか。
だが、ティアの力も体力も最低だ。双子とされるアンとは対照的で、日常生活にすら支障をきたしている。
ハンムックがパンパンと手拍子する。
「先に魔力適性がどんなもんか見ちょった方がよかかね。なんか変なもんでも使わん限りは、かるーくいけるもんじゃからな」
「お前が変なもの使わせなければ……な。ティア、ポリシンとかいうやつでどう……だ?」
「まてまてまてーい! そいつじゃ上手く適性が分からんのじゃあ。ここは簡単な魔法、いわゆる初級魔法からじゃ」
ハンムックが人差し指を宙に向ける。
「火炎魔法」
掛け声と共に、爪の先から着火する。
小さな炎だが、先端にくっついているのか指を左右に振っても消えない。
レムレスに使っていた炎はもっと大きかった。この大きさなのは、おそらく力を制御しているからだろう。
「確か、ハンムックさんが使っていた魔法……ですよね」
「そうじゃあ、こいつは魔力を使って炎を発現する魔法。日常生活においても非常に有用な魔法じゃ。こあつがあればいつでもどこでも簡単に暖を取れるから便利じゃぞお。あ、何か燃やす時にも使えるからのう!」
「そ、それはすごいです……!」
あの時は意識が混濁していたが、火力の強さはよく覚えている。
「で、ファトマトって言えばいいのか?」
「ファトマじゃ! そして、オレの名前はハンムック! 言葉を覚えておくのは基本的に重要でのう。魔法を使う上で最も簡単なのが、唱えることじゃあ。ファトマはどんな場面でも使える、にも関わらずこんだけ簡単なんじゃあ! 使徒になるんじゃったら覚えておいて損はない魔法じゃぞお」
「覚えないやつもいるんだ……な? 条件でもあるのか」
「それが適性じゃあ。魔法にも得意不得意があってのう。ずっと研究しちょるがどうしてそんな差があるかは分からん。じゃが、これを最初に把握しておくだけで全く違うはずじゃあ」
「得意不得意……」
ティアがうつむく。
好きなものならあるが、ティアは何一つ得意なものがなかった。
「グレイス、やってくれい。条件は三つじゃあ。一つ、火を扱うぞという想像を働かせること。二つ、この場合は力を込めるになるが魔力を集中させること。三つ、該当条件を満たすことじゃあ。今回、この条件は『火炎魔法』と唱えることじゃあ」
「想像……それと力……最後に唱える……」
ハンムックのように手のひらを上に向ける。
一つずつ条件をなぞっていく。
旅の中、アンが使っていた焚き火。暖かだったが、触れれば飛び跳ねてしまうくらい熱かった。試しに持ってみるとどうなるのか。
意識を手に集める。焦らず、ゆっくりと呼吸しながら。
「火炎魔法!」
一瞬の熱。そして、炎が現れる。
赤い光が小さく揺らめいてる。少し浮いているからか全く熱くない。
ティアの金の瞳は、しばらく自分の魔法を見続けた。
「おおお、見事なもんじゃあ! 初めてで綺麗な火をつけたのう。綺麗な火っちゅうのは、再現するんが難しくて使徒になってからようやっとできるようになるもんなんじゃが。きっと、グレイスは天才なのかも知れんのう!」
「そ、そ、そんなことは……。でも、確かに綺麗な火……ですね」
頭に熱を帯びている。初めての魔法を成功させて、思わず頬が緩んだ。
アンが近づいてくる。
人差し指で炎を突いた。熱かったのか、ペロと舌で舐める。
「消す時は気持ちを鎮めるのが一番はやいかのう。次、アンリの魔法も是非見てみたいんじゃが?」
「……私もやるの……か?」
アンが目を細める。
ハンムックは胸の前で手を忙しなく振った。
「まあまあまあ、グレイスもこんだけできるんじゃ。きっと、アンリも驚くべきもんじゃて」
「……火炎魔法」
自分の指を見つめながらアンが唱える。
ティアの拳に力が入り、その現象を待ち望んだ。アンならもっと驚くことが起こる。そう信じていた。
だが、ティアの予想に反し、何も起きなかった。
「ありゃ……?」
ハンムックの気の抜けた声。
アンは、自分の指をじっと見ていた。だが、その日、彼女によって火は灯されなかった。
敢えてそうしたのかも知れない。
力を誇示せず、全力を隠す。ティアには真似出来ない技量と考えだ。
ただ、ハンムックは、最低限意識してるだけでも使えはする、と言っていた。
なぜ魔法が現れなかったか、それはアンにしか分からなかった。
日が暮れ、就寝の時刻となる。
次の朝は早い。使徒になるための修練が始められる。一日を費やして努力に励んだ経験がティアにはない。だから、どうなるか心配ではあった。何度も倒れては、動けなくなるのだろうと。
しかし、ハンムックの治療が行われ続けるならば、無理ができる。何もできなくなることはなくなる。
風呂に浸かった後、ティアは二階の部屋に戻る。
階段には手すりがあったとはいえ、一人ではまだ息が上がった。体を鍛えていけば、改善されるだろうか。
呼吸を整えてから部屋に入る。
真っ暗な部屋は、朝と変わらないように見えた。
ベッドの脇を見ると、アンが寝転がっていた。
猫のような生態だ。陰や隙間を好み、自由なところが。
「アン、お風呂気持ちよかったね」
「……そうだな」
細く薄めた目から銀色が見える。陰の中だからか黒っぽさが強い。
夕食でも魔力の詳細な検査を持ちかけられたが、アンは黙々と食事を摂るばかりだった。結局、あれから魔力に関する答えは提示されなかった。また秘密にするということだろう。
食事の最中、ティアも提案された。修練方法についてだ。
明日からの修練をアンとは別に行う。身体能力で大きな差が出ているため、魔力優先の内容にするべきと。
答えはすぐに出せなかった。
今こうしてアンに話そうとしているのも、彼女の決定を聞きたかったからだ。
「……ねえ、アン。私なんかに任せてよかったの?」
「何がだ」
ベッドに腰を下ろす。アンの周りが少し暖かい。
「使徒になりたい……ううん、強くなりたいって。そうは言ったけど、あんまりよくない選択だよね……?」
「そりゃそうだろ。考えなしだよ、お前は」
「アンだったら……」
「そういうのは聞くもんじゃないだろ。……だが、この世界、と言えばいいか。まだ何も分かっていない。霧、そしてレムレス。町の外にもそいつらがあるってんなら面倒の極み……だ」
ティアが目を伏せる。
アンが答えを出せなかったのは、やはり自分のせいだ。
一人であったなら、何でもできた。一旦、使徒になろうという選択もしなかっただろう。
「……バカか、お前は。私が自由に見えないのか?」
アンがこちらに目だけを向ける。まつ毛の一本一本が長い。
「……自由に見える」
「おおよそお前の考えは、また自分のせいだ、とかなんだろ? 実際、一人で行くのもありだった。だが、家に帰るんだろ? マーテルもモンストルオも私一人で帰ったところで大して喜びやしないからな」
「そんなことないと思うけど。……二人とも元気にしてるかな……」
マーテルとモンストルオ、ティアが最も愛している家族だ。
二人が養父母となってから時間はそこまで経っていない。これからという時だった、
ハンムックもあの二人のような独特の空気がある。普通の大人たちとは異なり、自分たちを人間として扱う。
天才、その言葉に耳馴染みはない。言い方の差はあれど、ハンムックは自分を認めてくれた。養父母の二人と彼を重ねてしまうのは、そういった部分もあるのかも知れない。
「さあな。案外、私たちを探してくれているかも……な」
「マーテルさん、大慌てかもね。家中ひっくり返してるかも」
「そうだな。あいつならそうする」
「モンストルオさんは……」
「黙って色々するんだろうな。マーテルに荒らされた部屋を元通りにするのもあいつの仕事だ」
「そうかも」
容易に想像が出来て、ティアはくすりと笑った。
迷惑を掛けてしまうのは嫌だ。
だが、二人は決して自分を否定しない。もし、再会した時に、以前と変わっていたら二人はどんな顔をするだろうか。強くなったと褒めてくれるだろうか。
「……私、やっぱり修練を続けていきたい」
「動きたくなったか?」
「それとは違うかもだけど……ハンムックさんが言った通り強くなることはいいと思う。この体が少しでも耐性がつけば、アンの足を引っ張るなんてことも減ると思うから」
「なくなる……だろ。いつまで背負われているつもり……だ」
後ろからでも、アンの口の端がはっきりと見えた。
「そうだね。……うん、そうだよね。……アン、私がんばってみる。今出せる全力をぶつけてみる」
「なら早く寝ろ。朝は早いだろ。私をお前の夜更かしに付き合わせる……な」
「うん……。お休み、アン」
アンが壁の方を完全に向く。小さく寝息を立てるまで数秒もなかった。
寝転がって、天井を見る。
木目を数え始める。眠りたくはなかった。本当は朝までアンと話したい。
眠ることで、また夢を見てしまうかも知れない。
それから数時間、ティアは起き続けていた。
翌朝、頭が揺さぶられたような感覚に苛まれながらティアは目覚める。
そして、数分後には家の庭を歩いていた。
「グレイス、がんばれい! あと一分歩いてみい!」
「は、はい……!」
息も絶え絶えになりながら足を動かす。
摺り足気味になっていて、また転びそうになっていた。懸命に膝を上げ、踏み出す。
それから数メートル進むと土の上で寝転んだ。
柔らかなものが背にまとわりつく。
ハンムックの顔が見えた。彼は歯を見せて笑っていた。
「よう頑張ったのう、少しずつでいいんじゃ。力を尽くしたら休み、また鍛える。これが鉄則じゃ」
「は、はい……」
「しかし、ティアは頑張り屋さんじゃのう。動ける使徒はオレも歓迎しちょる。使徒は体が基本じゃからのう!」
アンの気配は近くにある。
息を整えながらも、アンの普段の動きを想像していた。
ああなるまでどのくらい時間が必要だろう。人並みでいいとハンムックは言っていたが、それも遠い。
しかし、一歩ずつが大事だ。まだまだ我慢はできる。
「よし、次は素振りでもしてみるかのう! ほれ、手を掴めい」
胸の前に片手が差し出される。それを掴んだ時、強く引っ張られた。
何かが外れた音が辺りに響く。
「す、すまんすまん。オレももうちょい力抜かんとなあ」
「は、ははは……」
ティアは顔を強張らせる。
頑張ろう。がむしゃらに努力するしかなかった。




