西方遠征前夜 ③
あれからロマーノ家の者は誰もシーザーに会いに来ていない。
聖都の街を歩く時も一人だった。以前のように使徒たちを召使いのように側に置けない。
ロマーノ家を追い出されて四週間が経過していた。
決闘の敗北が致命的だった。
他の血族や使徒たちを納得させるような対処が急遽必要になり、それがロマーノ家からの放逐と育成計画への積極参加だった。
シャールが無茶をしなければ、こうなっていなかった。
いや、その状況になることを止められなかった自分の落ち度か。
今は、切り替えなければならない。育成計画に主軸を置いて、考えるべきだった。
今日は、修練が休みとなっている。
明後日で西方遠征開始ということもあり、身体を休ませる必要があった。
シーザー以外にも外出している候補者がいる。
普段から彼らとは大きな交流はない。修練で共にいることは増えてきたが、極力避けていた。
運が悪ければ、ここでも彼らと会ってしまうだろう。
そう考えていた時、武具通りでグレイスたちと遭遇した。
「やあやあ、お嬢さんたち、奇遇だね」
「シーザーさん、こんにちは」
「シーザーくん、こんにちはー!」
グレイス、ベル、エンリカ、ペルラの四人だ。
仲良し四人組という印象が強い者たちだ。勉強会なるものに参加しており、いつも固まって自由行動をしている。
先に修練をこなしていた九人の内、八人を観察したところ、そこそこの連携を見せると分かった。ある程度、互いを知っていなければできない芸当だ。勉強会のようなもので普段から交流を図っているのかも知れない。そうすれば、これだけの繋がりの深さを説明できる。
彼らの全ての能力は、使徒には及ばない。だが、人間という括りで見れば、グレイス以外の身体能力は高いと言える。
特に、アンリとペルラは規格外のものを持っている。
それによって、散々邪魔されている。決闘の時も、アンリによってリリンが足止めされたことで、自分が参戦せざるを得なくなった。
最も警戒しなければならない相手がアンリだ。
そして、次点でグレイスと呼ばれている少女だ。
「お嬢さん方には、あまり似つかわしくない場所だ。何か特別な用でも?」
「遠征で必要になりそうなものを探しに来たのですわー! そして、武器はすでに揃えましたわー!」
「へえ、何だろう。でも、グレイグスは剣じゃないのか?」
「あたしは、はじめから持ってる。三人が杖だよ」
ペルラが簡単に答えを言った。
杖は、使徒もよく使う武器だ。高い強度のものが人気であり、レムレスの強力な攻撃への防御や障害物の破壊など幅広く活躍が期待できる。
グレイス、ベル、エンリカの三人とも頑強な肉体でない。防御のために使うと考えられる。
「ん……? 何だか、少し騒がしいですね」
他愛もない会話をしていると、周囲の声が少し強まっていた。
ヒソヒソと話す彼らの視線はこちらを向いている。
話の内容は少し聞き取れる。先日の決闘に関することだ。そして、その後に家を追い出されたということ。他にもその顛末や単純な悪口などが話されている。
聖都で噂が回るのは速い。
特権階級の者たちによる情報戦が常に展開されている。権力や勢力の伸長に大きく関わるからだ。その結果、一つの家が力を失えば、転がり出たものを自家で接収できる機会が巡ってくる。それが最も周囲との軋轢を生じさせない穏便な勝ち方だ。
今流れているものは明らかにロマーノやクロヴィスから奪おうとしている。
しかし、落とし前をつけられたことで情報による攻撃は小規模で抑えられていた。
シーザーは薄く笑って見せる。
時に情報戦は自らの首を絞める。先日、育成計画に対して流した情報と同じ性質のものだ。クロヴィス家が主導となり行っていたが、結局あれは自分たちに返ってきた。
この噂の出どころも、近い内に他家に利用されるのだろう。
「ロマーノさん、よろしければ買い出しにお付き合いいただけませんか?」
エンリカが紫の眼を向けてくる。
「私からもお願いします。シーザーさんのお力を是非……!」
グレイスがエンリカに続く。頭を下げた彼女の白金の髪が勢いよく揺れる。
お人好し、というのが率直な感想だった。
「僕でよければ、力になろう」
グレイスが花が開いたような笑顔を見せてくる。
彼女は、候補者たちを結び付けようとしていた。グレイスのしつこさにシャールは辟易としているらしい。一方で、それはグレイスの持つ最大の力であるようだった。
シーザーは一行に加わって買い出しを始める。
自分たちの装備を一通り揃えると、次は日用品を探し始めた。
「エンリカ、これいる?」
「火打ち石はいりませんわ! 火炎魔法を使えば、代用可能!」
「このナイフとフォークかわいいよー!」
「切断魔法など使って、石や木を加工すれば大丈夫ですわ! 可能であれば現地調達を!」
「エンリカさん、お着替えどうしましょう」
「肌着、下着は必須ですわー! 制服は毎日着られるとしても、中身は毎日清潔にすることが大事ですわー!」
エンリカが全体の判断を下しており、質問を迅速に答えている。緩急の付けた挙動は大げさで、時に滑稽だ。
「石鹸もあるといいよ。これなんか、ボクはよく使うよ」
店の上段にあった石鹸を指差す。
その値札を見て、エンリカは甲高い声を上げた。
「た、高い。高過ぎますわ! これを人数分、更にある程度の日数分を買ってしまったらグレゴリーさまのお財布が……!」
「テラウスの金を使っているのかい?」
「この買い出しはあくまでワタクシたちが必要と思っただけですので、計画から予算が出ませんの。ですので、グレゴリーさまに……」
「なら、ボクの金も出そう。少ないが、足しにして」
シーザーが懐から皮袋を取り出す。
近くの机に置かれた袋は、ドサっという重厚感ある音を出す。
その結び目からギラギラと光る硬貨が顔を覗かせる。
「こ、これ全部金貨じゃございませんこと!?」
「家から持ってきた。まあ端金さ」
「そんなことございませんわ! このエルダー金貨1枚あるだけでも大量の高級石鹸が買えますのよ! それに、あれもこれも!」
エンリカの顔が高揚により熱を帯びていく。
周りの客が呆気に取られたような顔をしている。
「エンリカ、目が金貨」
「だまらっ……! い、いえ、ペルラさんの仰る通りですわ。ロマーノさん、ご厚意感謝いたしますわ。しかし、予算内に収めるのもまたフランツ家の者として――」
「じゃあ、ボクがロマーノ家の者としてしっかり買うよ。店主、この石鹸をこの金貨で――」
「ロマーノさん!? そういうことじゃありま……ロマーノさん!!」
エンリカの手が何度もシーザーの腕を引っ張った。
結局、シーザーは人数分の石鹸しか買えなかった。だが、彼の胸の内には少しだけ満たされたものがあった。
次は、食材の購入だ。
今日と明日に派手な宴が開かれる。また、遠征に携帯できるものを仕込むために食材が必要だった。
また別の通りに入る。
すると、一軒の店からリリンが出ていく姿が見えた。
「あれは……リリンさん?」
「確か、あの店は魚屋だったな。あいつ、魚が好きでね。丁度いい、ボクがいいものを選んで来ようか。お嬢さん方は、別の場所で買い出しを進めておいてくれ」
「いいえ、ワタクシも見張りとして付いて行きますわ。また浪費してしまうかも知れませんし」
「残りの組にフランツがいなくても大丈夫かい?」
「グレイスさんがいますわ。グレイスさん、お二人をよろしくお願いしますわ」
グレイスが大きく頷く。
「グレイスに任せるのかい? グレイグスの方が年上だった覚えがあるが」
「あたし、一人で買い物したことないから」
「わぁ」
「ベルはお買い物できるよー計算もまかせてー!」
「ご覧の通りですわ。ロマーノさん、その辺りは少しずつ慣れていくことですわね」
「なるほどね、フランツが苦労する訳だ」
エンリカが首を横に小さく振りながらため息を吐く。
シーザーは、取り敢えずで笑みを作っておいた。
シーザーはエンリカと共に、リリンが出てきた魚屋に入る。
露店となったおり、周囲には魚の臭いを振り撒いている。
1年程前、ここはアンリとリリンが暴れていた店だ。すぐに修復され、あれから問題なく店を開けているように見えた。
店主は気さくに声をかけてくる。
姿は小汚い。汗と魚の臭いなどが入り混じっている。
だが、眼の光だけは周りに溶け込めていない。
「手頃かつ上質なものを選んで差し上げますわ。よくご覧になって下さいまし」
「ボクの方が流通事情に詳しい。さっさといいものを選ばせてもらうよ」
「それは面白いですわね。負けていられませんわー!」
エンリカが並べられている魚に目を通し始める。
彼女は昔から熱くなりやすい。方向性を見失えば、その欠点が浮き彫りになる。その反面、真っ向からの勝負には強い。自分もシャールもそれにやられた。
当初、エンリカとノトゥの二人を御して、育成計画を乗っ取る算段をつけていた。
だが、新たな脅威とエンリカの成長もあり、成功には至らなかった。
今も、彼女が警戒を解いていなければ、再び失敗するところだっただろう。それがよい隠れ蓑になる。
ようやく、店主が声をかけてくる。
「お客様、いいものが流れてきたのだが、どうだ?」
「へえ? 聞こうか」
シーザーが、耳だけを彼の口に向ける。
「北の海からだ。ランティス、ガリアス、ベリアロス辺りでしか採れないような魚だ。霧のルルクスを経由してなんとか昨夜届いたって訳だ」
「そんな遠方からか。質は大丈夫なのか?」
「血を抜いた後、凍結で長持ちさせた。調理して食ってしまえば、北海の味を楽しめるってもの」
店主は、説明し始めてからずっとこちらを凝視している。
瞬きをしない集中力がある。だが、口調は似非であった。
「分かった。それらを全て買おう」
「毎度あり。またいいものを紹介しよう」
そこまでが父からの指示だった。
シーザーは父の使者に金貨を支払うと、数匹の魚を得た。
魚は、西方北方部やポラリス海でよく採れるものだ。
現在は高価なものだ。
霧によって西方各所が分断された結果、それぞれの繋がりは途絶えている。
だが、少数のものであれば運び出せる道を、ロマーノ家は持っていた。犠牲の伴う険しい道だ。
確保できたものはその分高い値段をつけているが、聖皇や他の血族たちは惜しみなく買う。
そのため、この混迷の世情であってもロマーノ家は躍進を遂げていた。
この流れのまま、父は一人だけ勝つつもりなのか。
分断の継続、回復両方を見据えた策が必要になるのは間違いない。
その策を成功させるためにも、自分も勝たなければならない。
「これならどうですの? ……ってロマーノさん、これは北辺の魚ですわ。同じくらい美味で安いものも――」
「フランツは、ランティスの生まれだったね」
一瞬、エンリカの動きが止まり、表情が固まった。
「そ、そうですが」
「ドゥラメンテはベリアロス、ヨークはリテン島の出身だったかな。彼らも、この聖都から遠く離れた地を故郷としている」
「何を仰りたいんですの?」
「フランツや彼らの士気を高揚させるためにも、馴染みの食材が必要と思ってね。候補者たちにとっては、故郷への帰還や奪還が根幹にある者もいる」
エンリカが腕を組みながら静かに佇む。
自分の中の感情、論理などが絡み合っているのだろう。
「フランツ、お前も一年以上ご無沙汰なんじゃないのか? 計画内では、必要以上のものは嗜好品や娯楽扱いされるようだからね」
「……是非とも」
次の言葉まで、シーザーは目を瞑った。
「是非とも、お受けしたいご厚意と言わざるを得ませんわね。しかし、貴方らしくない」
「いや、ボクはボクだよ。身内には最大限の礼と配慮を尽くす。幸いなことに、ボクたちは同じ目標を持つ仲間じゃないか」
シーザーは、にっこりと微笑を浮かべる。
エンリカは胸板を大きくした後、ゆっくりと息を吐いた。
「そうですわね。……ありがとうございますわ」
エンリカが胸に手を当てて、瞼を落とす。
昔よりも性格が丸くなっている。だが、それ故に彼女は敵ではないと感じられてしまう。
全ては敵、これからはより一層その意識を強くしなければならない。
店を出る。
リリンの影。だが、それは一瞬で消えた。




