西方遠征前夜 ②
新しい朝の知らせを受けて、ティアは目覚めた。
眼を擦りながら体を伸ばし、女性部屋の同居人たちと挨拶を交わしていく。
だが、無視に近い振る舞いをする二人がいる。
シャールとリリンだ。
彼女たちが修練場で暮らすようになり一週間が経っていた。
「そんなに気に病むことはありませんわ」
朝食の席で、エンリカがティアの肩を撫でる。
ため息を深く吐きながらティアは肩を落とす。
「そうですけど、私がもっと上手く話せれば……」
ちらと辺りを見遣る。やはり、新しく入った三人の仲間は別々で食事をしていた。
「彼らには、彼らの調子というものがありますわ。それに、入ってから日も浅い」
「何か……何かできることはないでしょうか……?」
「そうですわね……一通りの手段はグレイスさんが試されたでしょうし」
シーザーとシャールの所作は美しい。絵本の中からそのまま出てきたような食事作法だ。
一方で、リリンはどこか野性的だ。包帯はそのままで、無理やり口の中に捩じ込むように食べている。
三人とも、誰とも仲良くなろうしていない。
計画は間もなく折り返しに至ろうとしている。西方遠征目前というにも関わらずだ。
果たしてこのままでいいのだろうか。
ティアが思考している間にも、時はゆっくりと過ぎていく。
過酷な修練の日々が続くも、徐々に候補者たちは適応していった。
霧や移り変わる環境と敵の存在が、彼らを蝕んでいたことが大きかった形だ。ある程度慣れてしまえば、体力の勝負となる
基礎に当たる修練を今まで続けてきた。何の干渉もなければ一日は走り続けられる体力を、ティア以外はつけている。
そこに魔力応用技術である流動や共生といった環境に対して高い効果を持つものが加わることで、超人的な肉体となる。
ティアはその持続が得意だった。
その日の修練では、その力を試されていた。
霧の中、ティアは感覚を研ぎ澄ます。
その中で、視界の端で霧が揺らめいた。
「そこです。障壁魔法」
飛びかかってきた不意の一撃に、壁で対応する。
「負荷魔法、切断魔法」
勢いが止んだところに手を振り上げる。
キャン、という高い鳴き声と共に敵の姿が霧散していく。
続けて、霧の中からレムレスの影が現れる。
ティアは魔法を維持したまま片手を二度武器として使う。的確な狙いで、目や首といった急所を突く。
今回の相手は、月狼族の群れだ。
様々な体毛を持つ大きな狼だ。爪や牙といった凶器を使い、獲物を狩る。一体一体、高い攻撃力がある一方で防御行動をほとんど取らない。
波のような攻めが延々と続く。
やがて、ティアの息遣いが少しずつ荒くなっていく。
流動を使うための魔力が切れかかっている。汗も全身から吹き出し、額から垂れ落ち始める。
だが、制止をかけられるまで、ティアは流動を切らさなった。
それから数分後、溢れんばかりになったレムレスたちが消滅し、代わりにグレゴリーが現れた。
「グレイス、その調子だ。攻撃、反撃に回す魔力がなくともやれることはある。これは修練であるから撃破と生存を課題にしてはいるが、実戦なら初めから見に回って相手を見極める、というのもありだ」
「はい!」
「よし、次はニル、ノトゥ、シャールと組んで地形踏破だ。エヴァール殿が担当となる」
すぐに次の場所へと景色が移り、三人と合流する。
霧であることは変わらないが、足元には大小様々な岩が広がっている。
用意されている必要になりそうな装備品を持つと、一行は示された目的地に向けて進み出す。
形式は達成するごとに変化する。
それを夕刻まで繰り返す。しかし、場内に時間が分かるものは用意されていない。そのため、体調や魔力の管理が重要な課題にもなっている。
魔力の補給は、直接体内に取り込むことが最も効率がいい。
それに該当する行為として、呼吸や食事がまず挙げられる。体力の向上に合わせた呼吸機能の成長、三食の不足ない食事は、この修練場では基本中の基本だった。
四人は、移動の最中、機を見て小休止を取る。
そして、簡単な料理をティアが作った。
「白いの、おめぇの飯はうめぇ! だが、肉がねぇから歯応えがねぇ」
ニルが、小さな椀でスープをすする。
「すみません、お肉は何かと危険があるかもと思いまして」
「血の臭いだろ? 獣やらレムレスやら教官が来たらぶった斬ってやるから安心しな」
大口で一息に飲み干したニルに対して、ティアはモグモグと食べている。
芋と野菜のスープだ。
水竜魔法と火炎魔法を使った調理だった。塩漬けにした野菜や芋を水球に閉じ込めた上で、水球を沸騰させる。そして、生じた出汁や塩をそれぞれ水筒に移して塩気を抜いた。
あとは軽く調整しただけだったが、ノトゥは感嘆の声を上げていた。
「すごい美味しいよ。こんな作り方どこで覚えたの?」
「養父のモンストルオさんに昔教えて……いただきまして。それを想像してみたんです」
「……あれでも、君の養父は魔法を知らないんじゃ」
「そうですけど、モンストルオさん目がすごくよくて、水の中の出汁が分かるんです。それを、ちょいちょいはっ、といった感じで素早く取ってしまうんです」
「そ、そうなんだね……? で、でもグレイスは出汁がどこにあるとか分かったの?」
「それは、水竜魔法の性質を利用しました。周囲の水を集めて水球を作る魔法ですけど、その性質を逆に利用してみました」
「逆に利用した?」
ティアが簡単に小さな水球を作ってみる。
「周囲の水を集めてみると、いつも綺麗な水ができるんです。これは、集める最中に水以外の余分なものを落としているからだと思うんです」
「なるほど、ろ過しているということか」
「でも、水球を作った後って維持したり、壊したりできるんです。レムレスが水球に入ったりもしました」
「それはいわゆる性質の変化と言えるのかな」
「もしかしたら、作った水球を操ることができる、までがこの魔法なのかも知れません。沸騰させた後、水球に純粋な水、出汁の入った水、出汁を分けるという性質を与えました」
「技形だね。大きな動きは難しいかもだけど、分けるくらいなら魔力もそんなにかからない……か。分かれた後、水以外の二つを水筒に回収した、って流れだね」
「おい、ノトゥ。白いのの話は止まんねえぞ、さっさと食って先に行くぞ」
何杯目かのおかわりを食べ終えたニルがせかしてくる。
「分かったよ。グレイス、また今夜にでも詳しい話を聞かせて欲しい……かな。時間があれば、だけど」
「はい! 是非、聞いて下さい!」
味わうように食べているノトゥに対して、ニルの声がますます大きくなる。
一年以上生活を共にした9人の内、8人は問題なく付き合えている。苦楽を共にしたからか互いに親愛を抱いているようにも思えた。
しかし、シャールには結びつきがない。今も一人で持参したパンを食べている。差し出したスープは拒否されてしまった。
ニルが先頭に立って進む時も、彼女の様子は変わらない。列の最後尾に黙って付いてきている。
目標地点まで半分といったところで、正面に大きな壁が現れた。
この上に行かなければならない。だが、霧によって頂きが完全に隠れている。周囲も断崖となっているようで迂回ができない。
「よし、とっとと行くぜ」
ニルが大きく跳躍する。岩壁の足場を確保すると、それを使って更に高く上がる。
あっという間にその背中が見えなくなってしまう。その豪快さに反して、音はかなり抑えられている。
「シャール、先に行ってくれ。ボクが後ろ――」
「要らぬ世話よ。……このくらい、どうってことないわ」
シャールがノトゥを見ずに答える。ノトゥの伸ばされた腕が行き場を失う。
しばらくの間を置いて、手のひらを下に向けて追風魔法で跳んだ。
やがて、彼の姿も霧によって隠された。
ノトゥも、ティアと同じようにシャールたちを気にかけていた。何度か無茶を言われるような間柄ではあったというが、放っておけないという。エンリカからは甘やかしと評価されているが、それはティアにも当てはまる言葉であった。
一方で、ノトゥやエンリカはシャールたちが候補者として取り組むようになった訳を知っている素振りがある。しかし、計画参加者たちの口からは一切の詳細が語られていない。聖都の街に噂話として色々と言われてはいるが、ティアは信じていなかった。
「シャールさん、先に行きます」
「早く行きなさい」
シャールに表情はない。だが、上半身の動きが大きかった。呼吸の流れがわずかに速い。
ティアは崖を登り始める。
岩が極めて現実に近い質感だ。ゆっくりと割れ目や突起に手足をかけていく。再現の部屋で作られた偽物であるが、油断はできない。
脆弱な肉体のティアは一瞬たりとも流動を切ることができない。気のゆるみ一つで体の均衡が崩れ、真っ逆さまに落ちてしまう。
一つ進むごとに呼吸の流れを見極める。
「……ぐっ!」
不意に、声がした。自分のものではない。
思わず振り返った。
シャールがすぐ後方にいた。
「すみません……!」
「…………」
だが、彼女は急がせてこない。非常にゆっくりとした動きで腕を動かしている。
その腕はぷるぷると震えていた。
「くっ……ふっ……」
シャールの呼吸が硬い。かなり力んでいる。
ティアは、彼女が今にも転落してしまいそうに見えた。
「シャールさ――」
「早く、行きなさい……!」
小さく低い声に止められた。助けようと負荷魔法を発現しようとした瞬間だった。
「あんたみたいな……偽善者……ヘドがでる……わ……」
声を震わせながらシャールが少しずつ登っている。
彼女の肉体は嘘を吐いていない。かなり苦しい状態であるように見えるが、流動を切らしていなかった。
シャールもティアと同じように魔力に依存している。
今までの修練に参加していなかった分、筋力や体力がある程度で止まってしまっているのだろう。魔力応用技術においては候補者たちの先を行っているが、身体能力ではティアより上であるくらいだ。
坊ちゃんたちの怠慢だ、とアンが言っていた。
だが、シャールはそれを分かった上で、自分の力で前に進もうとしている。
ティアは上を向いた。そして、自分の調子を保って再び登り始めた。
数十分後、ティアは頂上に辿り着いた。すでにニルとノトゥが待機している。
彼らの周りからいい匂いがする。
「来たね、グレイス。彼女は?」
「登ってきています」
「ちっ、遅えな。肉が食えるようになるのとどっちが早いんだろうな」
グレイスも調理を見守り始める。
崖下に顔を出せば、おそらくシャールはその相手を許さないだろう。
高貴な生まれの者としての誇りがある。エンリカも誇りを大切にしている。彼女とは方向性が少し異なるが、それが大事なものであることをティアは知っていた。
肉がよい具合に火が通ってきた頃に、一つの影が崖から現れた。
その夜のこと。
ティアは修練場の風呂に浸かっていた。
そこには、アンの姿もある。彼女はいつも一人で入っていた。
「珍しいね、アンから一緒に入ろう、だなんて」
「最近、被せてくるやつがいる。そいつの視線がうるさくて……な」
「被せてくるやつ?」
ぱっと思いつく人物がいなかった。
それはそうと、ティアは少し気持ちが昂っていた。
水球を指先に浮かべながら彼女は延々と語り始める。
挟まった銀の瞳、だがティアは止まらない、
「――それで水竜魔法は、もっと色んなことに使えると思うの」
「……ふーん」
「信じてないでしょ。例えば、水球に手を入れた後に、純粋な水、不純物が混ざった水ってすると、ちょっとした汚れを集められるんだ」
「…………汚れを集められないんじゃ意味ない……な」
「言ったなー。えいっ!」
ティアが指先の水球をふわりと投げつける。
頭の高さそのままでアンが横にかわす。
外れた水球が、風呂の戸口に向かう。
その時、その戸が開かれた。
「あっ!」
バシャンと水が弾ける音と共に、現れた人物は水浸しになった。
金髪だがエンリカではない。そのサラサラ具合と体型が別人を示している。
「し、シャールさん……」
シャールは顔についた水滴を払い落とすと、湯船に浸かった。
すぐにティアはその側へ近づいていく。
「す、すみません……痛かった……ですか?」
おそるおそるといった具合で確認を取る。
シャールが青色の目を光らせると、ふんと鼻を鳴らしてティアから顔を背けた。
ティアが俯く。
「……貸し……にしておくわ」
シャールの呟き。
それでティアは、金の瞳を光り輝かせた。
「はい! 困ったことがあったらいつでも!」
一歩前進だ。
そうして、シャールの必要そうなものを求めて、ティアは質問責めにした。




